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月が見つめる朝と夜  作者: 御子柴 流歌
第5章: Delicate Daydream

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5-8. 珍しく営業時間中の話



        ○



「それじゃあマスター、また来ますねー」


「おう、ありがとうねー」


 気さくな掛け合いをして、私たちを除いて最後のお客が帰って行った。満足そうに客を見送りながらカップを洗っているおじさんをじーっと見ていたら、私の視線におじさんも気付いたらしい。


「ん? どした?」


「いえ。……ユウマさんが言ってたときは特に何とも思ってなかったはずなんですけど、いざお客さんに『マスター』って言われてるの聞いたら何か笑えてきそうになったんで、それを我慢してただけです」


「ちょっと、さすがにそれは失礼だなぁ。これでも歴は長いんだからね?」


 知っている。知っているけれど、それだからこそ、ちょっとだけ面白かったという話だ。


「違いますよ。私、しっかりと営業時間中にココに来ることってそんなに無いじゃないですか。おじさんがそう呼ばれるのを聞くのが新鮮だったってだけです」


 一応フォローはする。決して嘘は言っていない。嘘は言っていないだけだが。


「まぁ、それもそうか……。塾でこっちに来ない限りはもしかしたらホントに見られなかったかもしれない光景ってことだもんなぁ」


 頭を少しかきながら、おじさんは笑う。それはまさにおじさんの言うとおりだった。


「私もずっと、ここに営業してる時間帯にお客として来たかったんですよ?」


「あ、そうだったの?」


 おじさんは随分と目を見開いて訊いてきた。意外だったらしい。あまり口には出さなくても、こういう雰囲気があるところが好きな子は多いような気がする。背伸びをしたい年頃な子とか、親の影響を受けている子である場合がほとんどだろう。私は主に本からの影響だけれど。


 自宅の近くにも学習塾はいくつかあったし、他にも少し離れたところにある大きな街にも予備校はある。そういうところを避けて敢えて今行っているところにした理由のひとつに、『おじさんの喫茶店に入れるから』があるのもまた、嘘ではなかった。


「へえ、そっちは初耳だったけど……いやぁ嬉しいなぁ。何か魅力的なところあった? ちょっと宣伝文句にでも入れておきたいんだけど。あ、もちろん報酬アリだよ? そうだなぁ……、カフェ無料券5枚とかどうだい?」


 けっこう魅力的な報酬だった。ただ、身内の私が言うのはステルスマーケティングのような気がするのだが、それは良いのだろうか。


 ――いや、はっきりと訊いておこう。


「おじさん、それってステマじゃないんですか?」


「ウチのかわいい姪っ子が言ってたって堂々と書く」


「あぁ、そうですか」


 じゃあ、ステマじゃない。でもそういう問題じゃない答えが返ってきてしまった。私としてはしっかりと引っかかるポイントが複数あった。堂々と書けばいいという話でもない気がするし、そもそも――。


「あ、そうだ。『将来的には看板娘になってくれるだろう』ってことも書」


「さすがに言ったことないです」


 そういうのはいろいろと勘弁して欲しい。


「え! 昔言ってくれた気がしたんだけど……気のせいだっけ?」


「気のせいです。絶対気のせいです、記憶違いに決まってます」


 ――万が一に言っていたとしても、そんなのは『昔の話』だ、妄言のひとつだ。昔と今じゃ私の考えだって状況だって、すべてが色々と違ってきている。そんな口約束は、さすがに反故にさせてほしかった。


「ああ、……いや、わかった。うん。俺の記憶違いだったな、たぶん」


 (しゅん)(じゅん)はしたものの、私を見つめていたところから少しだけ視線を外して言う。一応は納得してくれたらしい。


「そうです。そういうことにしておいてください。ついでに、今は看板息子的にユウマさんが居るんですから、それで妥協して下さい」


「妥協、って」


 食器の片付けをしていたと思しきユウマさんが戻ってきた。声色と同じ様な苦笑いを浮かべていた。そういう表情は少しだけおじさんと似ている。よくいっしょにいると言動も似てくるものなのだろうか。


「僕じゃあ務まらないでしょ。やっぱり看板はマスターが背負ってますから」


「お、そういうお世辞も使えるんだねえ」


「いえいえ、本心ですよ」


 相変わらずユウマさんは誰かを立てるのが巧い。接客業に就くのであれば、私なんかよりもよほどユウマさんの方が看板を背負えるだろう。ラテの最後のひとくちを飲み干しながら、私はそんなことを思っていた。


「さて…………んぐっ、と」


 おじさんがぐいっと背筋を伸ばしながら言う。途中おかしな声に混ざって『ばきっ』という音が聞こえた気がした。音が鳴った方を見れば、どうやらそれは気のせいではないらしく、おじさんが鳴らしてしまったと思われる関節の箇所を擦っていた。痛みが走るほどに鳴らすべき物ではないと思う。


「今日はそろそろ帰ろうかね」


「え?」


 たしかにお客さんの姿はもう無いけれど、いつもならまだ一応は営業時間に設定されていたはずだ。私が思わず声を上げると、それも予想通りというような顔でおじさんが続ける。


「美夜ちゃんも早く家に居た方が良いだろうってことで、今日は早めに閉店することにしてたから」


 なるほど、そういうことか。


「もちろん送っていくからね」


「ありがとうございます、助かります」


「ユウマくんも家まで送っていくから、安心してくれな」


「……はい、ありがとうございます」


 笑顔を残しておじさんは荷物を取りに行く。私とユウマさんも揃って帰り支度を始めた。


親類が働いているところを見るのって、わりと新鮮に映りがち……な気はする。

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