5-6. 夜の帳の下りはじめ
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夕焼けというよりはほぼ夜の帳。もうすっかり空はオレンジ色ではなく、赤紫のような濃紺のような、そんな色合いだ。少しばかり明日は風が強いのだろう。こういう色の夕暮れの次の日は決まってそんな気がする。
いつもより早い時間帯ではある。今日は学習塾も早上がり。明日のために英気を養えという話らしく、決起集会のようなモノをするだけで終わった。だったらわざわざこんなところまで来させないで、それぞれの家で自学をさせた方が効率的なのでは無いかとも思う。一応合格お守りなんかは全員に配られたが、それだってもう少し早く渡してくれるだけで済む話だ。何かを盛り上げようとして、結局周りが全く見えていないということは世の中いろんなところで発生するらしい。
とにかく、今日は早い時間に外に出てこられている。いつものように、目抜き通りから裏手にあるおじさんの喫茶店へと向かう。
「あれ? 美夜ちゃん?」
「……え?」
聞き慣れた声――やや不本意ながらも聞き慣れてしまった声が、後ろから聞こえて立ち止まる。振り向けば、そこに居たのはユウマさんだった。
「どうも、こんばんは」
「こんばんは」
軽く会釈をしあう。外で挨拶をするのは初めてのような気がする。
「今日は早いんだね。いつもならまだ塾じゃない?」
「今日は、ちょっと特殊だったので」
私の答えに少しだけ考えた様子のユウマさんだったが、然程時間も経たずに何かを察してくれた。
「あー、そっか。もう明日なのか」
「はい」
「何だか早いね」
「そうですね」
私立校入試が始まったと思ったら、もう公立校入試の日。そんな印象だ。去年の今頃なんて全くそんなこと思っていなかったけれど、やはり当事者になると感じ方が変わってくるらしい。
「準備はバッチリ? ……って訊くまでもないかな」
「そう言えないとダメなんでしょうけどね」
「またまた」
立ち止まっているのも妙なので、何となく連れ立って同じ目的地へと向かう。
「美夜ちゃんって、自分のことだとホント控えめというか、謙遜するよね」
「……そんなことないです」
むしろ、ユウマさんが私を買い被りすぎなだけだ。評価が甘すぎる。この人の側に居ると気持ち良さを覚える人もいるだろう。そういうのは割と危険だ。本人にそのつもりは無くとも、勝手に周囲が勘違いして自己肯定感を高めすぎて堕落していきそうな気もしてしまう。
「もっと自分を出しても良いし、もっと自分を肯定してもいいような気がするんだけど」
「もしも私が自分を出したら、ユウマさんが痛い目に遭うだけだと思いますけど」
「……相変わらず手厳しいなぁ」
そう言いながらユウマさんはいつも通りの苦笑いを浮かべる。こういうところが、きっとこの人の配慮のひとつなんだろうなと感じる。
――本当は、『自分』なんて、これっぽっちも分かっちゃいないのだけれど。
〇
「こんばんはー」
「こんばんは」
「おー、いらっしゃーい」
店内にお客さんの姿がある喫茶店・エスペランサ。こんなタイミングで来たのはいつ以来だろうか。ほとんど覚えていない。もしかすると初めてなのかもしれない。かなり新鮮に見える光景だった。
「今日は下見の日だったっけ?」
「塾には一応さっき顔を出してきましたけど」
言いながら、おじさんには貰ってきたばかりの合格お守りを見せる。
「あぁ、定番だねえ」
「ですね」
神社名を確認しなくても分かる。ここからいちばん近いところにある神社のお守りだ。近隣の街からもココの神社にお守りを買いに来たり、お祓いをしてもらったりすることが多いという。私たちを含めた地元民の場合は氏神が天満宮ということで、学業のお守りの入手に苦労しないのは有り難かった。
「……というか、美夜ちゃんもそもそも持ってたんじゃないの?」
「ええ、まぁ」
この神社の学業お守りと合格お守り、それに加えて肌守りは既にそれぞれ持っていた。私以外の塾生も当然のように持っていたらしく、受け取った後で曖昧な表情になっていた子も少なくはなかった。
「お守りって、何個か持ってたら相乗効果で強力な御利益がありますとか、そういう制度ってあるのかねえ」
「いや、知らないですけど」
調べたこともない。全く違う神社のお守りだと神様同士で喧嘩とかしそうなものだけれど、実際のところはどうなのだろう。
「たまに『違う神社のお守りを持ってると神様が喧嘩するからダメ』とか言う人もいますけど、むしろ全然そんなことは無いらしいですよ」
「へえ、そうなの?」
答えをくれたのはユウマさんだった。おじさんが食いついて、さらにユウマさんが続ける。
「神道だとさまざまな神様の繋がりや導きで氏子が安心して暮らせるって考えられるそうで、喧嘩するってことは無いらしいです」
「なるほどねえ……」
「……だとすると、おじさんの相乗効果っていうのは期待はできないけれど、お守りひとつ分の効果はしっかりありそうですね」
「なぁんだ、ちょっと残念だねえ美夜ちゃん」
「別にそういうことを言ってるわけじゃないです」
むしろそれで残念そうに思っているのはおじさんの方ではないだろうか。いろいろなところの商売繁盛系のお守りに類するモノはだいたい集めているということを、私は知っている。実際、ソファ席の方からだとまず見えないようなところに、熊手が2本飾られていることも知っていた。まだお客さんの姿もあるので、ここではまだ伏せておこうと思う。
ああ、そうだ。
語り手、美夜です。




