5-5. 解散宣告
●
――甘かった。
考えの甘さを自覚して反省するのは、いつだって事が起きてからなのだ。今は、自分が数十分前に桜木に向かって言った言葉を取り消したくて仕方ない心境だった。
「……おーい」
「……」
ダメだ。多分コイツ、梃子でも動かない。かなり没頭しているようだし、何よりもここは書店の中。あまり大きい声をだすのは憚られるわけで、さすがに諦めるしか無さそうだ。あたしはおとなしくさっきまで見ていた文庫本のエリアへ戻ることにした。
志望校の最寄り駅を離れて、はや2時間。陽はほとんど落ちてきていて、大きな通りを走る車は一様にヘッドライトを付けている。かなり『イイ時間』というヤツだった。
まずあたしたちが最初に向かったのは、地下鉄の乗り場からも近かった駅前南側に有る方の大型書店。純粋に書店。品揃え抜群。雑誌や漫画などはもちろん、専門書に洋書も潤沢。ぜひ一度足をお運び下さいませ。
何か欲しいモノでもあったのかと思いきや桜木は違ったらしく、結局全フロアを練り歩いて買った本はなし。あたしでさえ、ちょっと気になっていた文庫本を1冊買ったのに、コレである。さっきの物欲しげな視線は一体何だったのか。しっかりとした説明を付けてほしかった。
買うモノがなかったんならもういいよね、あたしは買ったし。――そんなことを言う前に、桜木の足はしっかりと駅前東側の方に向いてしまっていて、これでめでたく2つ目の問題発生と相成ったわけだった。
こっちの書店は複合型店舗。書籍だけではなくて雑貨なども豊富に取りそろえていて、とくに文房具はそれだけで1フロアを形成するくらいのモノになっている。この近くには文房具専門店の大きなビルもあってさすがにそちらには敵わないものの、書店の基準で言えばここに勝てる規模になっている書店はあたしが知っている限りでは存在しない。
桜木は意外にも文房具好きらしく、さっきからこのフロアから出る気配を見せない。黙々と、じっくりと。「アンタ、絶対使わないでしょ」と言いたくなるようなモノを、しっかりと品定めするように眺めている。
あたしも、たしかにそこのちょっと高そうなモノが入っているショーケースとかは、多少なりとも気にはなるし、疲れにくいシャープペンシルなんて言われたら高校進学とともに文房具を一式買い換えることにでもなった場合は購入候補に入れておこうか、などと考えたりはする。
――とはいえ、という話。
たかだか1フロア見るのに数時間かけるなんて思いもしない。
書籍エリアと文具エリアの往復をかれこれ5回ほどしたのにも関わらず、桜木は同じ様な姿勢でどこか楽しそうに商品を眺めていた。
〇
諦めの心境の中、下の書籍フロアで小説立ち読みしていたところで、ふと気が付けばそろそろ日も暮れ始めようかという頃合いだった。
――さすがに、これはマズい。
店内のエスカレータを忍びの如く静かに駆け上がりフロアを探せば、桜木はあたしがさっき気になって見ていた万年筆のエリアに居た。エリアを担当していると思われる店員さんからはさすがに『買う客』だとは思われていないようで、ショーケースの側から何やら生暖かさをともなった視線を送られていた。1度くらいは声をかけられていそうな雰囲気もある。将来的には上客になってくれそうな雰囲気は否定しない。
「……違う、違う。そうじゃない」
楽しそうな桜木を見てほっこりとした気分になっている時間は、本当に残されていない。
「桜木っ」
「……んぁ?」
「『んぁ?』じゃないわ。ほら、もう行くよ?」
桜木のお尻を叩きつつ言えば、不承不承ながらも自分のスマホで時間をチェックした。
「ああ、マジだ。……へー、俺随分長いこと見てたんだなぁ」
「『随分長いこと』どころの騒ぎじゃないでしょー、もー。いい加減に帰んないと見つかったときに面倒になるんだから」
「待て待て、慌てんなって」
「むしろアンタはちょっとくらい慌てなさいよっ」
なおもごちゃごちゃと言い続けている桜木の手を引きながら、文具エリアから退散する。店員さんたちのやたらと生温い視線を浴びながら、あたしたちはエスカレーターに乗る。あたしはそのまま駆け下りるようにして階下へと向かうが、桜木は何やらぼんやりとしたように辺りを見回していた。
「……今度はどうしたのよ」
「いや、ちょっと……」
「まだ行きたいところあるとか、言わないわよね」
じっとり睨み付ければ、桜木は視線を外した。だけれど、それを簡単に許すようなあたしじゃない。しっかりと追いかけて、真正面から桜木を見据えてやれば、ヤツはまさしく降参と言った様に諸手を挙げた。
「……ある」
「っはぁぁぁぁああ……」
深く、深く、深ーーーーーーくため息を吐く。呆れた。どんだけココが楽しいのだろうか。ならいっそのこと文具店にでも住めばいいんじゃないかとさえ思えてしまう。明らかに、コイツのキャラに合ってない気もしてしまうけれど。
もちろん、ああいう雑貨モノを見るのが楽しいということを否定するなんてことはしない。何せ、あたしも好きな方だから。時間が許すならば、それはそれはもう、何時間も、何日も眺めていたい気持ちはある。
だけど、今はそこまで時間が寛容ではない。そういう状況を理解していないほど、桜木もコドモではないと思っていたのだけれど。
「……だったら、もうココで解散でイイ?」
「え」
何が『え』だ。何でショックを受けたような顔をしているんだ、コイツは。
「あたしは早く帰りたい。アンタはまだ残りたい。だったらここで解散すればそれで解決でしょ。それでイイでしょ?」
「あー……いや、だったら俺も」
「いや、別にもういいから」
――帰る、とでも言うのか。あんなに未練がましく周りを見ていた人間を引きずり回す気はない。それで不機嫌になられても逆に困る。
「そうは言うけどさ、一応はグループで来たんだから」
「……別にグループで帰れとは言われてないわよ? グループを作っていけって話は行きのときにしか掛ってないもの」
これについては結局のところ詭弁に過ぎない。ふつうに考えれば無駄にグループを細かくして帰る必要は全くない。今の自分に都合の良すぎる解釈を垂れ流しにしただけだ。
もちろんこれで桜木が納得するなんて、最初から思っていない。予想通り、桜木は納得いかないと態度でもわかりやすく示してくれていた。
「いや、イイよ。付いてっから」
「……何か知らないけど、アンタ最近妙にあたしに対して過保護になるよね」
「別にそういうわけじゃなくてな」
「イイから。アンタはまだココに残ってる。あたしは帰る。それでイイの」
本当ならこんなところで油を売っている暇なんてない。あたしはここから早く立ち去っておきたかった。
強く言い切るようにすれば伝わるだろうか。そう思っていたが、桜木もそこまで察しの悪いヤツではない。どこか観念したように数回頷いて、言う。
「分かった、……分かった。お言葉に甘えてもうちょっと楽しんでいくことにする。それで良いんだろ?」
「分かればよろしい。んじゃね」
桜木のセリフに満足したあたしは、ヤツの気が変わらない内にさっさと踵を返す。そのまま書店が入っているビルから直結の地下街へ向かい、かなりの急ぎ足で駅への道を進んだ。途中の牛丼屋とかハンバーガーショップとかにはかなり強く後ろ髪を引かれたが、ここは我慢。一応地元まで戻っても同じ店は駅前にある。もし食べるにしてもそちらまで待ったところで問題はないだろう。ばたりと倒れるほどの空腹状態ではない。
――何よりもまず、今は家に帰り着きたかった。
それぞれには、それぞれの事情があります。




