1-1. クラスメイトと先生からのお願い
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「あ、いたいたっ! 朝陽ー! ちょっとー!」
「栗沢さーん」
「んー?」
冬休み明け。1月下旬の学校、放課後の廊下。
やや遠いところから自分を呼ぶふたつの声が聞こえたような気がした。
その声がしてきた方を窺ってみれば、それは間違いなくあたしを呼ぶ声だった。あたしの視線が向いたのに気付いたらしいふたりが、こちらに向かって手を振っていた。
我らが中学の制服であるブレザーを着た方は大きく、パンツスーツに身を包んでいる方は小さめに。
「翔子? なになに、どったの?」
小雪が廊下の窓にぱらぱら当たる肌寒い音を聞きながら、いちおう気持ちだけは小走りでそちらに近寄る。
そこにいるのは同じクラスの石水翔子。
雪が降り始める直前にほんの少しだけ明るめに染めたショートヘアを揺らしながら、彼女はまだあたしに手を振っている。
染髪について本人はバレてないと思っているらしいが、実はしっかり先生方にはバレている。大半が知っている。泳がされているだけだ。
以前頼まれ事があったときに行った職員室でチラッと聞こえてきた。願書に貼る写真を撮るまでには自分でどうにかするだろうという、ある種の放置をされているだけだ。その頃までには落ちているだろうか。
「私っていうか、正しくはセンセかな。私らに用があるのは」
そういう翔子の傍らには彼女の横には我らがクラスの副担任であり、音楽教諭の松山暁美先生の姿もあった。
あたしの視線を受けて、そのさらりとロングなブラウン気味の御髪を揺らしながら、にっこりと笑っている。
まったくもってカワイイお姉さまだ。校内人気が随一なのも納得だ。
「ちょっとね。暁美センセの手伝いを、私といっしょに頼まれてほしいなー、って」
男勝りなショートヘアをかきあげながら翔子が言う。
見れば、暁美先生の足下には何だか重たそうなプリントのカタマリ。しかもわりと大量。
だけどよくよく書かれているものを調べてみれば何のことはなくて、そのカタマリは合唱曲の楽譜だった。
曲目はあたしたちが過去2年間卒業式で歌ってきた卒業生を贈る歌として採用されている、少々難易度高めの合唱曲。
思い返せば、例年3学期になれば、在校生はこの曲を音楽の授業で練習することになっていた。もうそんな時期なのかということを、改めて感じてしまう。
あまり口に出して言いたくは無いけれど『時が経つのは早い』ものだ、なんてことをこっそりと思う。
――なんちゃって。そこまで本気では思ってない。
でもちょっとは思う。
思いたくもなるのさ。
なにせ受験が近いから。
知らんけど。
「うーん。……あたしは便利屋じゃないんだけどなー?」
もちろん冗談の成分をたっぷり込めて、流し目で翔子を見る。
「ゴメンて! ……そう! 明日クレープ奢るから! 駅前の!」
「んー、任されたっ!」
どん、と自分の胸を叩く。同時に翔子の視線が一瞬だけ鋭くなったような気がしないでもないが、ここはスルーしておくことにした。
翔子がどう出てくるかと思っていたが、まさかのクレープだった。
こうして甘味であっさりと釣られるのも、こういうときならたぶん悪くないと思う。どうせ代金は翔子持ちなんだから、少しくらいの贅沢をさせてもらっても良さそうだ。
ベースにするメニューは最上位かそれよりやや下くらいのビターなチョコレート多めのヤツで、トッピングはいつもの3倍くらいにしてしまおう。むふふ。
あたしがそんなことを考えているとも知らない翔子が抱えていた荷物の半分――よりちょっと少ないくらいを受け取って、音楽室への道を進んでいく。
背後から聞こえた彼女の「えー、もうちょっと取ってくれても良くなぁい?」というセリフは、完全無視しておいた。