2-5. 馴染みになりつつある光景
○ ○
「こんばんは」
「おう美夜ちゃん、おつかれー」
「お疲れさま」
「……どうも」
さらに数日が経った。
この日も純喫茶エスペランサには、すでにふたつの人影があった。
カウンター席にひとり、その正面の厨房の中にひとり。
外窓から漏れ出す光のおかげで――いや、光の所為でと言った方がどちらかと言えば正しそうだ。
主に私の感情的に――誰と誰なのかは判っていた。
「いつものでイイよね」
「……はい」
私はチラリとユウマさんに一瞥をくれてあげてから、おじさんに返事をする。
そんな私の態度を気にしない様子で、ユウマさんは人好きのしそうな笑みを相も変わらず崩さなかった。
何となくだけれどこういう人こそ腹の中に一物持っている感じがして、警戒感を完全に解く気にはなれなかった。
道路脇の雪もだんだんうずたかく積まれ始めた。積もった雪だけでは無く、近隣住居の玄関先から路外に押し出された分も含まれるため、この時期にもなれば相当な高さになる。
そろそろ市か町内会で委託した排雪業者が入ってこないと、視界的な意味でも危険だったりする。
「……暇なんですか?」
「え?」
「いえ、別に」
こちらをにこやかに見つめ続けるユウマさんに牽制。だけど相変わらず彼は表情を崩さない。逆にこちらが牽制されたような気分になり、思わず視線を逸らす。
――人の話を聞かないタイプなのだろうということは、週に数回、心外ながらもこうしてここで顔を付き合わせている内に何となくわかってきたことだった。
おじさんが居るときであれば私を窘めるような内容の言葉をぶつけても、彼は表情を変えない。微笑みを浮かべたままだ。
こちらとしてもこの人の鼻を明かしてやろうとかそういう考えがあるわけではないし、言葉のサンドバッグにしてやろうという魂胆があるわけでもない。
ただ、それでも、何となく、この人の勘所がわからなくてモヤモヤするというか。得体の知れない何かがあるような気がするのは確か――いや、本当にそうなのだろうか。
結局のところ、人間は、『よくわからないもの』にはよくわからないからこそ、名前を付けられないよくわからない感情を抱くものだ。
「はい美夜ちゃん、お待たせ」
「ありがとうございます」
「こっちはユウマくんに」
「どうもです」
「……で、これは俺に、と」
わざわざ言わなくてもいいことを言いながら、更に付け加えて「やれやれどっこいしょ」なんて、ムダに年齢をアピールするような物言いまで添えながら、小さなカウンターチェアに座った。
そういえば時折カウンターの中で何かに座っている光景は目にしたことはあったが、こういうタネがあったとは。
たしかに、然程広いとは言えなさそうな空間に大きな腰掛けを置くことなんてできないだろう。あれくらいが限度とも言えそうなサイズ感だった。
「おじさんも飲むなんて珍しいですね」
「たまにはな」
「まさかお酒じゃないですよね?」
「生憎ウチは酒を出さないタイプだからな。冷蔵庫にもその類いのモノは入ってないよ。……入ってたら、飲みながら営業っちゃうだろうしなぁ」
苦笑い気味に、おじさんはなかなか最低な言葉を発した。
お店の雰囲気はそれこそ夜にはお酒を出しそうな見た目の内装をしているし、何よりお酒も愛して止まないマスターではあるけれど、この『エスペランサ』は歴とした純喫茶だ。お酒は出さないスタイルになっている。
「……ということは、本音は?」
「飲みたいねえ」
即答。タイムラグなんて一切無し。
欲望に対してはわりと真っ正直に付き合うタイプのおじさんらしい返答だった。
「何がお好きなんです?」
「やっぱりビールだねぇ。……最近はもっぱらプリン体ゼロとか糖質ゼロとか、何か知らんが健康志向的なヤツにさせられてるけどな。たまの週末くらいは『ビール』と書かれた瓶でも空けたいんだが。瓶のビールなんて何年くらいご無沙汰だろうなぁ。……ああ、ウイスキーも好きだぞ?」
おじさんは私の後を継いで質問してくれたユウマさんにも間髪入れないテンポの良さで、しかもそこまで言わなくてもよさそうなことまで答えて、そのままの勢いでマグカップを手にしてくいっとひとくち呷った。
マグカップの中身はまるで黒ビールであるかのような飲み方をしているが、中身は私が飲んでいるモノからミルクを差し引いただけのモノ――要するにノンカフェインのブラック。事前知識が無ければ、さぞかしおいしそうにお酒を嗜んでいるようにしか見えないような飲み方だった。
ちょっとだけアルコールが回り始めたような小芝居まで打っている感じがして、親類とはいえ少し面倒くささを覚えたりする。
「ユウマくんは?」
「ボクは飲めないので」
「そうなんだ。残念だ」
「……飲めたからと言ってユウマさんに奢るわけじゃなさそうな雰囲気ですよね」
「んぐっ!? ゲホッゲホッ!」
何故だか妙におじさんが咳き込む。
おかしなことを言った覚えはない。何となくおじさんを見ていて、不意に降りてきた発想をちょっと整理して口に出しただけなのに。
まるで図星を突かれたような反応だった。
「し、失礼だなぁ美夜ちゃんは。いくらなんでも年下の男の子相手に割り勘を要求するわけないだろう」
「口篭もる時点で怪しいです。あと、私は別に割り勘とは言ってません。それって、飲み代の何割かは出して欲しいって雰囲気の言い回しですよね。年下の人に」
苦虫をかみつぶしたように、おじさんは静かにコーヒーを啜った。
そこまで苦くなるような焙煎じゃあるまいし。
「……手厳しいね」
「そうでしょうか」
割と調子に乗りやすいタイプの人だという認識をしているので、これくらい釘を打ち込んでもいいくらいだと思っている。ユウマさんの前ではそういう部分は見せないようにしているのだろうか。
だとすれば、若い同性に対しては格好付けたいタイプだったのだろうか。
これが事実ならば、それは私が知らない顔だ。




