2-4. 日課と、姉の言葉と、プライバシーの侵害
○ ○
「……何ですか?」
「ああ、ごめんね」
翌週のエスペランサにも、ユウマさんの姿があった。少しやることがあるからと言ってしばらく戻ってこないおじさんに代わって、彼が店内に残っていた。
いつものカフェラテが半分ほど残っている状態でとくにやることがなくなってしまった私は、とりあえず今日の学習範囲分の復習をすることにしたのだが、その間やたらとユウマさんが私の様子を気にしてくる。
気が散るとまでは行かないが、それでも気にはならないわけではない。
「塾のテキストか何かなの?」
「はい」
事実には端的に、脊髄反射で応える。
無駄に待たせるような空白は作らない。
それが私のできる礼儀だった。
もう少し大きい反応が出来ないわけではない。復習はあくまでも復習。
もうある程度頭に定着している内容の復習であるから、そこまで脳細胞を活発に動かす必要はない。
だから反応はできる。――ただ、しないだけだ。
「……結構、難しいのやってるんだね」
それに関しては、とくに何も返さないことにする。否定するのも肯定するのも何となく違う気がした。
私の返答を望んでいたわけでも無かったようで、ユウマさんはそのまま私のテキストとノートを覗き込んだ。
「しかも全問正解なんだね」
「それはたまたまです」
「……そんなこと無さそうだけどね」
ユウマさんはそう言って小さく笑う。不躾な言い方であるような気はするが、それでも不愉快では無かった。
彼の言うとおり、今日の分では誤答した問題はなかった。とはいえ、それは単純に私の得意分野だったからであり、かつそもそもほぼ定着済みの内容だからだ。
受験の際の得点源は多ければ多いほど良いし、これくらい当然になっておかないといけないとも思う。
これだと復習にも然程時間はかからない。何か新しい問題に手を付けようものならまた手元を覗かれて、今度は気が散ってしまって問題を解く意味が無くなる。残りは軽い確認程度で終わらせることにして時計を見る。
が、おじさんがなかなか戻ってこない。
「ユウマさんは、大丈夫なんですか」
「何が?」
「時間です」
ああ、と言いながらユウマさんは、私の視線につられるように店内の壁に掛けられたからくり時計を見る。そろそろ時刻は22時。
閉店時間にはなっているのでもうお客様が来ることはないけれど、それでも大きな採光窓は雪が降り積もっている通りへと光を零しているだろう。
「まぁ、問題無いかな」
「そうですか」
それきり会話は途切れた。私も今日の内にできる復習はもう無くなってしまった。仕方が無いのでテキストをカバンへと戻す。
代わりに取り出すのはピンクの表紙の手帳だ。
片隅には名前を聞いたことがあるくらいのキャラクターが小さくワンポイントにあしらわれている、私よりもう少しだけ若い――幼いとも表現できるだろうし、むしろそっちの方が正しい――子が持ちそうなデザイン。
姉が始めているのを真似したようなものだが、手帳に書き記すのは今日の出来事。主に書くのは授業中の内容だったりするので、だいたいは授業中に取ったノートの片隅に既にメモしてある。
それ以外のことはとくに書かないし、書くこともあまりない。
他人との馴れ合いが嫌いということもあるので、基本的には自分のことだけが書き連ねられて行くだけの代物。
ある意味、それは当然だった。
「意外にファンシーだね」
「……今度は何ですか」
少しだけタイムラグが出来たのは、ため息を混ぜて返答したからだ。
それにしても、『意外』とは何だろうか。カワイイ系のアイテムは私には合っていないということだろうか。
余計なお世話だ。
自分でも似合っているモノだとは思っていないが、それを正面から指摘されるとニンゲン誰しも腹が立つモノだろう。
そもそもこれは姉が買ってきたものをもらっただけで、そのデザインに関しては私の意見なんて塵ひとつたりとも反映されてはいないのだ。
自分の意見が通せたのなら、ダークブラウンの革表紙のが良かった。何だってあの人はこんなモノを選んだのだろうか。
――思い返してしまった。責任を取って欲しいと思う。
「日記帳とかなの?」
こちらを見てくるユウマさん。
「……プライバシーの侵害は看過できませんよ」
「それは申し訳ない」
さすがに塾のテキストを覗かれることと日記帳を覗かれることを同列に置くことはできない。
わざわざ明白に隠したりはしないが、視線で頻繁に牽制をしておくことにすると、ユウマさんは苦笑いを浮かべつつもこちらを窺うことは諦めたようだった。
やはり、そのあたりを弁えることはできるらしい。
姉のクラスメイトにはまったく無遠慮な男子が多いと言う話は知っているが、それよりは落ち着いている印象のあるユウマさんは彼らとは違うようだ。
「……」
尤も、『そういう人なんだ』ということは、覚えておいても損はしないだろう。
私と入れ替わるように手持ち無沙汰になった結果、私からは遠く離れたところで箒を使い始めたユウマさんを窺いながら、おじさんが帰ってきた22時を少し過ぎるくらいまで今日の分の日記を書き進めた。
○
この日も何事もなく帰宅し、自分の机へと向かう。が、そこで気付くのは、すでに今夜するべき作業のほとんどを終えていることだった。
拍子抜けするとはまさにこのことで、何となく気が抜けてしまった私は、机に頬杖をついてぼんやりとしてしまう。
一応、あの人に『ファンシーだ』と莫迦にされた――あちらにその気は無かったのだろうけれど――手帳を開いて今一度検分をする。
先ほどのタイミングでは書かなかったが、今なら他に誰がいるわけでもないので問題無いだろう。
ペンを取り出して追加の書き込みをする。あれやこれやと思い出しているうちに、数回シャーペンの芯が折れてしまった。
この責任はあの人に取ってもらいたいと思いながらも、その間に少し気分も落ち着いてきたらしい。
どんなカタチであれ、ストレスが解消出来たらしいので、それは良かったとは思えた。
そのおかげか、この日はいつもより眠りに落ちるのが早かったような気がした。
妹的、姉観




