2-2. 夜のお供はカフェインレス
「あの、ほんと、……ね。ムリならムリって言ってくれていいから。あ、ほら、そのー……栗沢さんの都合もあるだろうし、時間取らせちゃうのも申し訳ないし」
彼女は少し怯えた様子で、いろんなモノを取り繕うように早口で続けた。
いくら早口で情報量を圧縮しようとしても、結局時間を取られているのは事実だし、ムダに消耗されていく時間というのが今まさにこのときなのだけれど。
――まぁ、いい。これに対する答えなんて考える必要も無い。脊髄反射でも充分答えられるレベルに過ぎない。
「…………日程が決まったときにでも、また教えて」
――恐らくその頃になっていれば、私はここにはもう来ていないのだろうけれど。
「ほ、ほんと?」
「でも、あまり期待しないで」
「ん、わかった」
「それじゃ」
ぴしゃりと告げれば意外にも彼女たちは少しだけ安心したようだけれど、概ね私の考えも解っていそうだった。
この学習塾はこの界隈でもかなり頭の出来る生徒が集まっていると伝え聞いている。読解力に関しても、大方備わっているだろう。
――たぶん、『この子は無理とまでは言わなかっただけ』だと理解するのに充分な程度には。
これでわからないのなら、受験は諦めた方が良いと教師陣の誰かが伝えるべきだと思う。もしかすると『時は金なり』を知らない子もいるかもしれないわけだし。
半開き状態だった扉を敢えて閉めて、内履きスリッパを履き替える。先客もいたが、その子はこちらに気が付くと静かに少しだけ横にずれてくれた。
扉のところに居た子たちよりは状況理解が素早くできる子らしい。
会釈で返したその直後、閉めたばかり扉越しに何か聞こえてきた。
「……にしてもクールだよねえ、あの娘」
「俺、たぶん初めて声聞いたんじゃねーかな」
「っつーか、しゃべるんだねあの娘」
「『しゃべるんだね』はさすが失礼じゃね? ま、ぶっちゃけオレも思ったけど」
横で靴を履いていた子が、こちらを気にした様子でチラチラと見てくる。陰口を直に聞かれたみたいな顔――そういうのが的確なのだろうか。
赤の他人である貴方が構う必要は特段ないことだし、そもそも『それ』は事実だとも思う。
塾はあくまでも勉強をする場所であり、余計なことを話す場所ではない。とくに、普段からもう少し顔を付き合わせて話をするような相手がいない私にとっては、余計に声帯を使う必要がない場所だ。
誰かが誰かについて話している内容を陰口だと思ったとしても、言われている本人が認めていればそれは陰口にはなり得ないのだ。
今回も、そう。実に単純明快。
火を点せば周囲が明るくなるくらいに、夜に電気を消せば暗くなるくらいに、誰が見てもわかることだ。
話す必要もないから話さないだけ。
話しかけられたから必要最低限レベルの少々のセリフを返しただけ。
日程が決まっていないようなものに、軽々しく返事をする意味を見いだせなかっただけ。
ただそれだけだ。
――だから、別に知ったことではない。
○
塾が入っている雑居ビルとでも形容するべき建物を出て、そのすぐ横の路地に入って、数十メートルも歩けば見えてくるこぢんまりとした喫茶店に向かう。
入り口前の立て看板に書かれた営業時間は『夜9時半まで』。ただしその『半まで』の下には、よくよく見てみれば『まで』という書き込みがあったことが覗える。
その変更は、それこそまるで私に合わせたような時間設定になっていた。
――実際、その通りではあるのだけれど。
「こんばんは」
折角の挨拶はドアに付けられたベルの音にかき消された気がする。
厨房の中からこちらを向いたその人影も、今のふたつの内どちらの音に反応したのやら。
結局のところ、どちらでもいい話ではあるけれど。
「お、来たね美夜ちゃん。今日もおつかれさま」
「ありがとうございます、おじさん」
こちらを見ながら笑顔で迎えてくれたのは、この喫茶店――店名は『エスペランサ』のマスターであり、私の母の姉の夫である千歳航輔さん。
すらっとした背格好と爽やかな笑顔は、お客様からの人気だという話。
母から聞いただけである上に、こうしてこの時間帯は他のお客様の姿もほとんど無い。今日はゼロだ。
だからいつも私は、そのあたりの真意を探ることはできていない。
土日にでも来ればいいのかもしれないが、塾が無い日まで塾の近くに来るのは何だか気分が悪いのでそれは今までにしたことは無かった。
「はい、美夜ちゃん」
「ありがとうございます」
いつも通りにカウンター席の端っこに座ると、すぐにいつも通りノンカフェインタイプのカフェラテを出してくれる。これもルーティンのひとつ。
ノンカフェインなのは時間的な問題のためだ。眠いときは何を飲んだところで眠いのに、然して眠くないときのカフェインこそやたらと効果を発揮するように感じるのは、一体どういう効果なのだろう。プラセボ効果ともまた違うようだれけど。
「いつもおいしいです」
「ん、ありがとう。今日はブレンドも巧くいったみたいだね」
一息吐いて感想を言うと、それ以上に何かを感じたらしいおじさんは、いつもどんな感じなのかを言ってくる。
何故解るのだろう。私にはわからない。
いつもおいしいから『いつもおいしい』としか言ってないのだけれど。
「今日のはちょっとだけ甘味が出るようにしてみたんだ」
「そうですか」
「とりあえず、店じまいまではゆっくりしてね。送っていくから」
「ありがとうございます」
返事をして、お言葉に甘えてゆっくりとカフェラテを啜ることにする。
――うん、やっぱり私はカフェラテを啜るのがイイ。
私はニンゲン、だから飲むものは血よりもずっと良いに決まってる。
――もしかしたら、コーヒーを愛する吸血鬼が、この世界かもしくは私の知らないフィクション世界のどこかには居るかも知れないけれど。
これも私の知ったことではなかった。
クールガール。




