7
瑠々の記事によって知名度が上がった軽音部に急に体験入部の希望者があふれ出していた。
あまりの盛況ぶりに竜ケ崎先輩が走り廻ってる。
竜ケ崎先輩が校内を走るのはきっと人体模型が学園を駆け回るよりレアであろう。
大体、なんで竜ケ崎先輩が軽音部にいるのよ。
竜ケ崎先輩は吹奏楽部でしょ。
「何をバカなことを言ってるの。私は言ってみればあなたのピンチヒッターみたいなもんなのよ」
えっ?そんな話聞いたことないぞ。
「吹石は今もあなたを諦めてやしないんだから」
嘘でしょ。
吹石のやつ。私と寄りを戻したいわけ…。
って付き合ってないし…。
奈々美先輩というフィアンセがいるのに、もう浮気。
って言うか、奈々美先輩、怖いんですけど…。
「どうしてもあなたが欲しいみたいよ」と竜ケ崎。
嫌だ、告白…。やめてよね。
それでなくても淫行教師の前科があるんだし…。
さすがに私と奈々美先輩を二股にかけたら、汚名は返上できなくなるわよ。
私が可愛すぎるのがいけないんだけど、奈々美先輩で十分でしょ。
奈々美先輩、少し怖いけど、顔は幼さを残したロリ顔だし、私の次の次の次くらいに可愛いんじゃない。
私的にはれいちゃんと由愛ちゃんのどっちを一番にしようか迷うところだけど…。
って言うか、私、大人の男の人って恋愛対象じゃないし、それに遊ばれそうで怖いし…。
同級生と違って何を話していいか分からないし…。
同級生だって木本くらいしか口きかないし…。
「無理よ、絶対無理」と竜ケ崎に向かって強い口調で言う。
「でも未だにジャイアントステップスの練習してるじゃない…」
「それはそうなんだけど…」
「未練あるんじゃない、吹奏楽部…」
「ありません。大体竜ケ崎先輩がいるのに、私の居場所はないじゃないですか」
「簡単なことよ。そもそも小編成でテナーサックスが一人という決まりはないのよ。アレンジし直せばいいだけじゃない」
なるほどとひとみは思った。
吹石ならそれくらいのこと簡単にできるだろう。
それに基本的な編成は決まっていても、学校によって編成はまちまちだ。
「何も定型にこだわることないのよ」
それはそうだ。
「考え直さない。ひとみがいれば全国も見えてくるわ」
ひとみは考え込む。
すると竜ケ崎は新規入部希望者と話し始める。
「どう、軽音部。駄菓子は食べ放題だし、漫画は読み放題だよ」
ちょっと待って。何かが違う。
「竜ケ崎先輩は軽音部に戻りたいですか?」
「そうよ」とすました顔で竜ケ崎は答える。
「どうして?竜ケ崎先輩は吹石先生を慕って軽音部に入部したんじゃ…」
「だってさ…」と竜ケ崎は暗い顔。
「吹石先生、なっちゃんばっかり贔屓するんだから」
贔屓…。
「どう考えたって、私がメインパートをひいた方がいいのに、なっちゃんが主役の選曲しかしないんだよ、ひどくない…」
って、それはしょうがないのでは…。
仮にも全国大会で金賞をとったことのある奈々美である。
奈々美が主役を張るのは当然と言えば当然。
「なっちゃんなんかさ、中学時代は大したプレイヤーじゃなかったのにさ。私より先に吹石に教えてもらってうまくなっただけじゃない。私だって吹石先生が手取り足取り指導してくれたら、もっと上を目指せるのに…」
愚痴か。それとも嫉妬なのか。
とにかく竜ケ崎先輩は吹石先生が奈々美先輩ばかり指導していることが気に入らないようである。
「大体さ、付き合ってるんだから、学校以外で指導すればいいじゃない。その分、私たちにもかまってよ」
かまってちゃんだ。
竜ケ崎がそんな面倒くさい女だったとは意外である。
結局ヤキモチを妬いていじけているのだ、竜ケ崎は…。
「竜ケ崎先輩は吹奏楽部なんですから戻ってください」とひとみが言っても、「何、軽音部が有名になったのは私が辞めたからだって言いたいわけ」と絡んでくる。
「被害妄想ですよ、先輩」
軽音部へみんなが押し寄せたせいで、木々や草が踏み荒らされた。
そのせいで鬱蒼とした林に一本の狭い道がうまれた。
夕陽の通り道の先に旧校舎が浮かび上がる。
そして旧校舎に後光がさしているかのように見えた。
ひとみにちっぽけな夢が浮かんだ。
これは新たなるチャンスの到来である。
軽音部の知名度は今度のことで上がりまくった。
これから部員を増やして、本気で部活動に取り組みたい。
駄菓子を食べてるだけの部活から、本気でプロのミュージシャンを目指す部活に飛躍させよう。
まずは路上ライブから始めてもいいじゃない。
とにかく目標をたてないと。
入部したいって生徒は何人増えたんだろう。
バンドがいくつもできそうじゃない。
ロック、ヘビメタ、ラップだってかまわない。
いろんなバンドでアンサンブルよ。
夢が広がるわ。
ユーチューブを利用して世界中に発信しましょう。
世界を捕るわよ。
まずはビルボード。
オリコンなんかとるより先に世界を捕るのよ。
そうすればオリコンは黙っていてもついてくる。
ひとみは入部届の有無を確認するために数の子を訪ねる。
きっと百人は入部してるはず。
数の子はひとみを見上げながら、「そんな申し込みはないぞ」と言う。
嘘でしょとひとみは数の子に同じ質問をする。
「だから入部希望者は一人もいない」と数の子は言う。
「それより数学の勉強はちゃんとやってるのか?」
こんなに脚光を浴びた部活に入部希望者がゼロのはずがない。
ひとみは数の子が嘘を言ってるのだと思った。
私が数学を勉強しなくなると思って嘘をついてるのだ。
いや、もしかしたら入部届を破棄しているかもしれない。
数の子ならやりかねない。
あの数学バカのことだ。
ひとみは職員室を出て、部室に戻る。
旧校舎に近づくとひとみは異変に気が付いた。
あれほどいた生徒が一人もいないのだ。
旧校舎は元の閑散とした建物に戻っていた。
部室に入るとさらにひっそりとしていた。
あれほど忙しそうにしていた竜ケ崎の姿はそこにはなかった。
そして机の上に置手紙、
「ひとみの言う通り、私は吹奏楽部に戻ることにしました。
憧れの吹石先生に指導をしてもらうチャンスを棒にするところでした。
ひとみの助言には感謝しています。
軽音部のことはひとみにお任せします。
世界に通じる軽音部を目指してください。
ビルボードがひとみを待っています」
竜ケ崎先輩…。
なんて無責任な…。
って言うか、なんで私の考えてること分かったわけ。
ビルボードの話なんか、私してないけど…。
嫌だ、私、独り言喋ってたのかな…。
恥ずかしい。
恥ずかしすぎる。
と、椅子に腰かけている人体模型と目が合う。
「ああ、思い出した」とひとみは顔が真っ赤になる。
人体模型に夢を語ったのだ。
そして間違いない。
この人体模型、隠しカメラが仕掛けてある。
竜ケ崎先輩がきっと見てたんだ。
ひとみは人体模型の目を取り出して、黒目の場所をマジックで黒く塗りつぶす。
結局、体験入部者の全てが部室に来ただけで、入部することはなかった。
竜ケ崎先輩の手のひら返し。
結局短い夢を見ていただけだったのか…。
いや、そんなことはない。
きっといつかリベンジしてやる。
そして竜ケ崎先輩をギャフンと言わせてやる。
ひとみは拳を突き上げ、「竜ケ崎先輩」と震える声で叫んだ。
夕焼け空にカラスがバカにするかのように鳴いていた。