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「心はいつだって繋がっているよ」とドリーが手を差し出す。
ブーブーブーと音が鳴り始める。
「VR注意報が出ています。これ以上の視聴はご注意ください」とスマートウォッチが喋りかける。
「VR中毒、警戒レベル1です。最低でも八時間の休憩をお取りください」と声がする。
突然、目の前は真っ暗になり、目の前にいたドリーが消えた。
VR中毒防止プログラムがインストールされて以来、メイメイの心は安定していた。
グッズの売れ残りという心配事も消え、普通の日常をメイメイは取り戻していた。
毎日のフィットネスのせいか、心も体も充実していた。
全てのことが安定すると見える景色も変わってくる。
改めてメイメイはいろんなことを見つめ直すきっかけとなった。
動画の総再生数はいつの間にか執事の方が上になっていた。
登録者数も完全に後ろを捕えられている。
本当なら心配でしょうがないじたいなのだろうが、グッズ販売という大きなストレスのためにすっかり気にすらしていなかった。
そして改めてその脅威と向き合った時に、意外にも不安がまるで消え失せていたのだ。
執事たちにきっと抜かれるだろう。
それは時間の問題だ。
なのに全く焦りがない。
執事たちは百万人登録者の壁の前で足踏みをしていた。
繰り返し再生するユーザーが多い分登録者数では伸び悩んでいた。
執事たちはゼップ福岡のライブが百万人突破記念のライブになるようにと、一日一人の持ち回りだった動画配信を毎日全員配信にシフトしていた。
そうしたことで一気に登録者数を伸ばしていた。
ライブ会場で金の盾の開封儀式をしたいと、執事たちは動画で呼びかけている。
もちろんメイドたちはみんなゼップ福岡のライブのチケットを手に入れており、応援グッズも買い揃えている。
一番のコアなファンなのかもしれない。
「ライブ楽しみだね」と控室でもライブが近づくとその話で盛り上がるようになっていた。
メイメイの心の中にグッズの黒字化という安心感がうまれたせいもあって、やっと冷静に現状を把握できるようになっていた。
このままいがみ合いを続けていても何の得にもならないということは最初から気が付いていたのだ。
むしろ自分がドリーに対して上の立場でいられることへの執着だけでメイドたちを執事たちとの競い合いに巻き込んでしまったと言ってもいい。
メイメイ自身がドリーの一番のファンなのだ。
そして仲良しでもある。
立場が上にあるうちに和解に持ち込むべきであろう。
メイドたちみんなもそれを望んでいる。
今やメイドたちは執事たちの熱狂的なファンなのだ。
そしてみんな足利家に仕える同志なのだ。
百万人登録を祝うという形で和解に持ち込めたなら、みんなのためになるはずである。
今にして思うと一体自分は何のために執事と張り合っていたのだろうと穏やかな気持ちになっていた。
対等な立場で告白をしたい。
その想いのせいで空回りし、変な意地を張ってしまっていた。
こうやって落ち着いた気持ちになれるのも全てVRゴーグルのおかげである。
ドリーに会いたい時に会うことができる最強のグッズを手に入れたのだ。
「ところでメイメイ、『メイド・ワン・ぐらんぷり』ってそろそろだよね」と佳奈美に言われて、大会が迫っていることに気が付いた。
今となっては争う理由すらなくなってしまってる。
とは言えエントリーしている以上最善を尽くすべきであろう。
「いつだっけ?」とメイメイが聞くと、ジュリアがパソコンを持って現れた。
「今度の日曜日です」
さすがにメイメイは戸惑った。
フィットネスに夢中で歌のレッスンを怠っていたからだ。
でもまあいいか。
勝ちに拘ることないんだし、もう告白することもないだろうし、これからは執事たちと仲良くしていくんだし…。
メイメイはすっかり気持ちが入っていなかった。
魂の抜け殻のようになっていた。
歌のレッスンに身が入らないのだ。
「燃え尽き症候群じゃないの?」
「何、それ?」
「あまりにも一生懸命取り組んできたことがなくなって、やる気がなくなってるのよ」
「何、勝手に盛り下がってるの。」
「燃え尽きるには早すぎるわよ」
「そうよ。メイド・ワン・ぐらんぷりに勝って、イエローちゃんに良い所見せつけるんだから」と仁香は張り切っている。
「最近仁香どうしちゃったの?」
「それはね、仁香のグッズが一番になったからよ」
「えっ?いつの間に…」
「遥の土下座グッズの売り上げが落ち着いて、推し変が仁香に流れたみたい」
「どうして?」
「ほとんど遥が土下座してるのって、仁香にだったじゃない」
「そうね、アイロンプリントを貼ったりしたからね」
「それでファンが気がついちゃったのね。仁香がナンバーワンガールってことに」
「へえ…。分かんないもんね」
「遥から仁香へ推し変したファンがいっぱいいるみたいで、本当にグッズの売り上げナンバーワンガールになったみたい」
「それで張り切ってるんだ、仁香」
「そうみたい」
「でもピヨリも張り切ってるよね」
「ピヨリはいつだってああだから」
「そう言えばそうだっけ」
「私たちにとまってる暇なんかないのよ。『メイド・ワン・ぐらんぷり』でトッペンをとりにいくわよ」と仁香が声をあげる。
「でもカラオケ大会だよね」と遥が苦笑い。
「まあそうなんだけどね。メイドさんしか出れないから…」と佳奈美。
「だからレアですよ」とアキが前のめりで会話に割り込んできた。
「それに十万円」とアキはキラキラした目で天を見上げてる。
「十万円あったら、うまい棒が一万本買えるんですよ」
「そうね」と佳奈美は親戚の子供を見つめるかのような優しい目で答える。
「私も一本もらっていいかな?」
「ええ…。でも佳奈美先輩は優しいから二本あげちゃう」
「二本もくれるの。嬉しい」
「でもその前に勝たないとダメなんじゃない」と遥が口をはさむ。
「いいわよ、私が買ってあげるから」と佳奈美が笑う。
「嬉しい」とアキが佳奈美に抱き着いた。
「甘やかしすぎ」と遥は笑う。
「そうやってご機嫌取りするんだから、佳奈美ってずるいよ」と佳奈美を押しのけて、遥はアキに抱き着こうとする。
するとアキは、「先輩、抱き着いたら、セクハラで訴えますよ」と言った。
「どうして、私だけ…」と遥はいじけて、地面に文字を書いている。
「落ち込まない、いつものことでしょ」と佳奈美は遥に声をかける。
「でも誰が見に来るんだろうね?」と佳奈美。
「私たちのファンは来るでしょ」と遥。
「他には?」
「出場者の身内?親とか親戚とか」
「あんまり権威なさそうだしね、大会に」
「会場は広いんだけどね」
「けっこう、ガラ空きなんじゃない」
「佳奈美って評価が意外と冷静だよね」
「自慢できないし、履歴書にも書けそうにないよね」
「私たちは十万円の賞金の方が嬉しいかもね」
「遥はお金なのね」
「みんなのモチベーションはお金しかないかもね」
「まあ、取り敢えず頑張りましょう、うまい棒のために」と佳奈美が言った。