066
ナッシュがバーランド王国の新たな国王に就任した。
それと同時に、彼はニーナの恩赦を獲得する為に動き出す。
ルークに書状を送り、会うための算段を付けた。
――そして数日後。
ポロネイア王国の王城、人払いの済んだルークの執務室。
そこでナッシュとルークが顔を合わせる。
その場にはペトラとニーナも同行していた。
「ペトラ……!」
二度と見ることはないと思っていたペトラの顔。
その顔を見て、ルークの心は強く震えた。
共に過ごした数々の日々を思い出す。
ペトラは何も言わない。
ただ静かに頭を下げた。
「それでナッシュ殿、折り入って話したいこととは?」
ルークが執務机の前にあるソファへ腰を下ろす。
テーブルを挟んだ向かいにナッシュ達が座っている。
「こちらの女性――ニーナ・キーリスのことでお話がございます」
「ほう……?」
ルークの視線がニーナに向く。
この時点で、ルークにはおおよその見当がついていた。
「……はじめまして、ルーク様。ニーナ・キーリスと申します」
ニーナが挨拶する。
緊張から声が震えていた。
「本当にはじめましてかな?」
「「「えっ」」」
ルークの返事に驚く三人。
その反応を見て、ルークは確信した。
やはりこの女はニーナ・パピクルスに違いない、と。
彼は独居房のニーナが偽者ではないかと前から疑っていた。
(わざわざ脱獄囚を連れてきたということは……)
ルークが先読みして回答を考える。
とはいえ、まずは用件を伺うとしよう。
「気にしないでくれ。それで、そちらのニーナ殿が何か?」
「実はこの女性、かつてパピクルス家の――」
ナッシュがニーナの正体を説明する。
ルークは適当に相槌を打ちながら冷静に話を聞いた。
「――以上が彼女の正体と現在に至るまでの顛末になります」
ナッシュがニーナの説明を終える。
ルークは「なるほど」と無表情で返した。
彼が驚かないことに、ペトラ達は驚いていた。
「驚かないのですか?」
思わず尋ねたのはペトラだ。
「ある程度の予想はしていたからね」
ルークは「それで」とナッシュに視線を向けた。
「私にどうしてほしいと?」
「ニーナに恩赦を与えて頂けないでしょうか?」
「恩赦を?」
「彼女は我が国にとって、いや、世界にとって重要な発見をしました。故に、我がバーランド王国では、ニーナを重要無形文化財に認定しようと考えております。たしかに脱獄は重罪ですが、それ以上の功績を残したというのが我が国の見解です。ですのでどうか恩赦を与えてはいただけないでしょうか」
「仰ることはもっともだが……」
ルークの目が細く鋭くなる。
「それは貴国から見たニーナの価値に過ぎない」
「と言いますと?」
「彼女が脱獄しなければ、我が父であり先代の国王は死んでいなかった」
「「「――!」」」
ルークの父を毒殺したのは賢者ハリソンだ。
そして、その動機はニーナを脱獄させるためである。
「我が国からすると、ニーナは国王殺しに加担したようなもの。そのような者に対して恩赦を与えることを、この国の人間は納得しないだろう」
ルークの言い分は筋が通っている。
だからこそ、ナッシュ達は思った。
やはり駄目か、と。
「とはいえ――」
だが、ここで想定外の展開が起きた。
「――我が父に毒を盛ったのは賢者であり、ニーナではない。また、ニーナは自分を脱獄させる為に我が父が毒殺されるとは知らなかった。そのことを踏まえると、彼女が国王殺しに加担したと断言するのは難しい、と言えなくもない」
「すると……彼女に恩赦を与えてくださるわけですか?」
ナッシュが確認する。
ルークは「いいや」と首を振った。
三人の頭上に疑問符が浮かぶ。
「恩赦を与えることは出来ない。だが、脱獄の罪には問わないでおこう」
「どういうことでしょうか?」とペトラ。
「ペトラ、君も知っていると思うが、ニーナ・パピクルスは表向き奇病という扱いだ。罪人として扱われてはいない。故に街を歩いていても捕まることはないだろう。脱獄したことを公表しなければ、彼女は脱獄囚として扱われずに済む。恩赦など必要ないのだ」
「それは建前といいますか、表向きの話ではございませんか? 現に彼女は脱獄しましたし、ルーク様はそのことをご存知です。であれば、恩赦を与えるか処罰される必要があるのではないでしょうか」
「それは間違いだ。脱獄したのはザイード・パピクルスであって、ニーナ・パピクルスではない。現にニーナ・パピクルスなら王城の地下で幽閉されている。我が国の認識はそうなっているし、私もそのことを信じている。そこにいる女性がニーナ・パピクルスだって? ハハ、そんなことはありえない。ニーナ・パピクルスとは似ても似つかないではないか。それに、ニーナ・パピクルスとそっくりの人間が外を歩いていても、それは他人の空似というものだろう」
ルークが芝居がかったような口調で言う。
そこでようやく、ペトラ達にも彼の考えが理解できた。
ルークはルークなりにニーナを自由にしようとしているのだ。
「ありがとうございます、ルーク様」
ペトラが深々と頭を下げる。
それに続いてナッシュとニーナも頭を下げた。
「礼を言われることではないさ。私は何もしていない」
ルークは立ち上がると、執務室の扉を開けた。
「話は以上でいいだろう。部屋を用意させてあるから、今日は城で休んでいってくれ。ナッシュ殿もそれでよろしいですか?」
「もちろんです」
かくしてニーナは自由を手に入れた。
◇
その頃、ザイードは――。
「ねぇ、この扉を開けてくれない? もし開けてくれたら、あんなことやこんなことを教えてあげるわよ。うっふふーん」
看守の兵士に対して、必死に色仕掛けを行っていた。
自身の姿が娘になったことに気付いた瞬間から続けている。
だが、この場所を任される看守は選りすぐりのエリート達。
ニーナ・パピクルスの美貌による色仕掛けですら落ちなかった。
それどころか返事すらしない。
「今からオシッコするよ! 私のオシッコよ! 開けたらよく見えるわよ!」
ザイードの虚しい声だけが響いた。
◇
翌朝。
ナッシュ、ペトラ、ニーナの三人は、謁見の間に呼び出された。
「これは……」
謁見の間に着いたナッシュ達は驚いた。
玉座にルークが座っているだけで、後は誰もいないのだ。
官吏はおろか兵士すらいない。
「どういうことでしょうか?」
驚いた様子で三人はルークに近づく。
それに合わせてルークも立ち上がり、三人に近づいた。
互いの距離が目と鼻の先まで近づいた時、ルークが口を開く。
「ペトラ」
「は、はい!」
突然、名前を呼ばれて驚くペトラ。
しかし、本当に驚くのはここからだ。
「私と結婚してほしい」
ルークはその場で跪き、ペトラにプロポーズしたのだ。
頭を下げて、ペトラに向けて右手を伸ばす。
「ずっと悔いていた、自分の行いを。もう二度と君を悲しませるようなことはしない。世界中の誰もが黒だと言っても、君が白だと主張すれば、私は君の言葉を信じよう。今の君が私といたころの君でないことは承知している。それでも私は、私の横にいる女性は君でないと嫌なのだ。ペトラ・カーペンタリア、私の妻になってくれないか」
固まるペトラ。
頭の中が真っ白になった。
そこに更なる追い打ちがかかる。
「抜け駆けは許しませんぞ」
そう言って、ルークの隣でナッシュが跪いたのだ。
彼もまた、ペトラに向けて右手を伸ばす。
「ペトラ、前にも言ったが、俺は君が好きだ。心から愛している。君となら、いや、君としか生きていけない。だから俺は、俺の全てを君に捧げる。バーランド王国の国王ではなく、一人の男として、俺は君に言う。ペトラ・カーペンタリア、俺と結婚してくれないか」
ペトラはしばらくの間、何も言うことができなかった。
まるで夢でも見ているかのような、ふわふわした気分だ。
才色兼備の王子達、否、国王達から告白されて混乱している。
ニーナは開いた口を手で押さえながら眺めるのみ。
ペトラがどういう返事をするのか予想がつかなかった。
(ナッシュ様? それともルーク様? ペトラ、どちらを選ぶの?)
長い静寂が続く。
そして――答えを出す時が来た。