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 ペトラは予期していた。

 貴族病による死亡件数が加速度的に増加することを。


 だから彼女は、最大限のリスクを冒すことにした。

 ニーナの提案する生牡蠣を使った臨床実験をパスする。


 そして――。


「私がバーチェスコウモリの肉を食べて貴族病に罹る」


 初っ端から貴族病で効果を確かめることにしたのだ。

 被験者となるのはペトラ自身である。


「そんなの駄目よ!」


 ニーナが怒声を放つ。


「もしも貴方の仮説が外れていたらどうするの? 貴方は貴族病から回復できないままになるのよ。そうなったら貴方の命だって」


「覚悟の上よ」


 ペトラはコウモリの肉の調理に取りかかる。

 晩餐会で国王や王子達が食べたのは、コンフィと呼ばれる調理法の料理。


 コンフィとは、油に浸して低温でじっくり煮るものだ。

 ペトラはそれを再現した。


「待って、それなら私が食べる」


 ニーナは説得の方向を変えることにした。

 ペトラの性格上、調理をやめさせることは不可能だ。

 だから、人柱になる人間を変える方向で調整する。


「駄目。ニーナには食べさせない。これは私の仮説なんだから。自分の仮説を証明するのに他人を犠牲にするなんてありえない」


 もちろん、ペトラはニーナの提案を認めない。

 ニーナもこの流れは予想できていた。


「そうね、たしかに貴方ならそう言うでしょう」


 ニーナは真っ直ぐにペトラを見る。

 ペトラも調理の手を止め、体をニーナに向けた。


「でも、ここは私に食べさせて。それが私の貴方に対する贖罪だから」


「贖罪……?」


 ペトラは首を傾げた。


「実は私、貴方にずっと隠していたことがあるの」


「隠していたことって?」


「貴方が大親友だと言ったニーナ・パピクルス。それは私なのよ」


「ちょっと、何を言って……」


「それに貴方が大親友だと思っていた私は、陰で貴方にとても酷いことばかりしてきた。それを今から全て話すわ」


 これまでとは違い、ニーナに躊躇いはなかった。


 ◇


 それからニーナは、真実を話した。

 自身の行ってきた悪事の全てを包み隠さずに。

 未遂に終わったものまでさらけ出す。


 話している最中、ニーナは何度も泣きかけた。

 しかし、その気持ちを必死に堪えて泣かなかった。


 ここで泣くのはずるいと思ったのだ。

 それに泣きたいのはペトラのほうだ。


 ペトラは終始、無言で聞き続けていた。

 口をポカンと開け、その場で固まっていた。


「――で、今に至るというわけ」


 ニーナが話し終えても、ペトラはしばらく動かなかった。

 目をぱちくりさせるだけで、完全に停止している。


「分かったでしょ? 私は本当に酷い女なのよ。酷いなんてものじゃない。貴方の人生をズタズタにぶち壊した。本当なら貴方はルーク様と結婚して幸せだったはずなのに、それを私が台無しにした。だからバーチェスコウモリの肉は私が食べる。それで罪を(あがな)いきれるとは思わないけれど、ほんの少しは贖罪になるでしょ」


 ここでようやくペトラが動き出した。

 おもむろに開かれた彼女の口から発せられた言葉、それは。


「そっか」


 この一言だった。

 そこからまたしばらくの沈黙が訪れる。

 その間も、鍋に入ったコウモリの肉は弱火で煮込まれている。

 完成するのも時間の問題だった。


「ちょっと、いや、ちょっとじゃないや、かなり驚いちゃった」


 色々な気持ちがこみ上げて、何故か笑顔になるペトラ。

 笑いたくて笑っているのではない。

 あらゆる感情が混ざった結果、歪んだ笑顔になったのだ。


「とんでもない話だったけど……今の話が嘘じゃないってことは分かる。私とパピクルス家のニーナしか知らない話もあったから。でも、まさか自分が唯一無二の大親友だと思っていた人が、実は自分のことを嫌っていたなんてね」


「たぶんだけど、嫌っていたというより嫉妬が強かったのだと思う。ニーナ・パピクルスとして貴方と接している時、最初から腹黒い気持ちで近づいていたのに、一緒に過ごす時間自体は楽しく思えた。だから、多少の好意はあったのかもしれない。でも、それ以上に、私は嫉妬していた」


「なるほどね……。今もその気持ちは変わらない?」


「そんなわけないじゃない。もし今もどす黒い感情を抱いているなら、貴方に真実を話そうとはしていないわ。それに自分が人柱になるとも言わない。利用するだけ利用してやろうって考えるはず」


「じゃあ、今は純粋に仲間として見ているの?」


「私はね……。でも、貴方に同じ気持ちを抱いてほしいとは言えない。言う資格なんてないし、言っても無理なのは分かってる。私が貴方の立場なら絶対に許せないから」


「そっか」


 ペトラの歪んだ笑いが消えた。

 いつになく真剣な目でニーナを見る。


「たしかに贖罪は必要よね」


「でしょ。だから」


 次の瞬間、ニーナの顔の向きが変わった。

 真っ直ぐに捉えていたはずのペトラが視界から消える。

 目にも止まらぬ速さでペトラに頬をぶたれたのだ。


「おしまいよ」


 ペトラの震えた声が聞こえる。

 ニーナが視線を戻すと、ペトラは泣いていた。


「これで貴方の贖罪はおしまい!」


「えっ? たった一度のビンタでおしまい?」


「そう。私の人生初にして最後となるビンタでおしまい!」


「そんな……。そんなので許されないでしょ」


「私が許すって決めたの!」


 ペトラが怒鳴るように言った。


「たしかにニーナ・パピクルスは私に酷いことをした。でもそれは過去の貴方がしでかしたことだから。今の貴方はニーナ・キーリスでしょ。名前も、顔も、心まで変わった。だからこれで許す!」


「そんな無茶苦茶な」


「反論は聞かない! 私がそう決めたらそうなの!」


 ペトラは涙を拭い、ニッと笑った。


「バーチェスコウモリの肉は私が食べる。これは譲れない。貴方の贖罪はさっきのビンタで済んだからね。それに、今までのことを反省していると言うのなら、行動をもって誠意を示してちょうだい」


「行動をもって誠意を示す……?」


「もしも魔山羊のミルクが効かなくて私が倒れたら、この牧場は貴方が引き継ぐのよ。どういうわけかデミグラス牛乳は私しか作れないから、貴方は別の畜産物で牧場を維持することになる。自分で言うのもなんだけど、人間国宝である私の後を継ぐのは生半可なことじゃないからね」


 ペトラが右手をニーナの肩に置く。


「信じているからね、ニーナ」


 ニーナがその場に崩れる。

 我慢が限界を超え、彼女は盛大に泣きじゃくった。

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