058
この世界のインフラは魔力で成り立っている。
コンロの炎も、トイレの水も、照明の電気も、全ては魔力によるもの。
つまり動力源である魔力が底を突いた場合、それらが同時に停止する。
「すぐに復旧したらいいけど……夜だから明日までこのままかも」
「そんな……ヴォエエエエェ」
インフラが死亡しようとも、二人を襲う食中毒は収まらない。
便器の中が吐瀉物にまみれていく。
「あー、私も駄目!」
ペトラが別のトイレに駆け込む。
盛大に下痢と嘔吐を繰り出し、ニーナのもとへ戻った。
「ペトラ、どうしたらいいの? 水がないんじゃ脱水症に……。何か飲まないと……」
ニーナは今すぐにでも水分補給をしたい状況にあった。
それはペトラも同じだ。
「とりあえず厨房に行きましょ……何かあるはず……」
「分かった……」
二人は真っ青な顔で暗い廊下を歩いて厨房に向かう。
厨房には作りかけの料理があった。
「冷蔵庫の中は……あー、もう、食材しかないじゃない」
不幸なことに、冷たさを失った冷蔵庫の中に飲み物がない。
この場にある唯一の水分は鍋に入ったデミグラス牛乳だけだ。
「とりあえずこれを飲みましょ」
「分かった……」
二人は鍋に入ったデミグラス牛乳を回し飲みする。
当然ながら、それでは水分補給として物足りなかった。
「「ヴォエエエ」」
ペトラとニーナが同時に嘔吐する。
唯一のデミグラス牛乳が飲めない汚物に成り果てた。
「やってしまった……」
「そんな……これじゃあ、脱水症で私達……」
絶望感が漂う。
「――! 待って!」
その時、ペトラが閃いた。
「水分が一つだけあるわ」
「えっ?」
「できれば飲みたくないけど……」
ペトラが玄関の方向に視線を向ける。
「外の冷蔵庫にある魔山羊のミルク!」
売り物にならなくて残っていた不味すぎるミルクだ。
外の業務用冷蔵庫には、それが大量に備蓄してある。
「でもあのミルクはとても飲める味じゃないって」
「この際そんなこと言ってられないわ。行くよ、ニーナ」
「う、うん!」
ペトラとニーナは這うようにして館を出る。
そのまま業務用の冷蔵庫に着くと、迷わず中に入った。
中には木箱に入った瓶詰めのミルクが並んでいる。
蓋には手書きで製造日が記載されていた。
「新しい物から飲みましょ……。魔山羊のミルクで別の食中毒にかかる可能性も考慮しないと」
ペトラは一番新しい製造日の瓶を2本取って、片方をニーナに渡す。
「吐きたくなるほどまずいから覚悟してね」
「分かった」
二人は震える手で蓋を開けた。
ツーンと不味そうな臭いが漂う。
その臭いだけでニーナは吐きかけた。
「トムさんみたいに一気飲みするのが一番だから。いくよ」
「うん」
「せーのっ」
ペトラの合図で二人が魔山羊のミルクを一気飲みする。
(なんなのこの味……本当に飲んで大丈夫なの!?)
ニーナはあまりの不味さに気を失うかと思った。
想像の遥か上を行く不味さだったのだ。
それでも今は、これが貴重な水分であることに変わりない。
彼女は全力で飲み干し、吐かないように踏ん張った。
「ぷはぁ、まっずい! うぇっぷ」
ペトラがゲップする。
度重なる嘔吐の後ということもあり、ゲップの悪臭が狂気染みていた。
しかし、ニーナがそれを気にすることはない。
彼女にはもっと他に気になることがあったのだ。
「……あれ?」
最初に気付いたのはニーナ。
少し遅れてペトラも「あれ?」と気付く。
「ペトラ、私、なんだか腹痛が収まったのだけど。吐き気も消えた。牡蠣の食中毒ってこういうものなの?」
「ううん」
ペトラは首を振る。
「たしかに牡蠣の食中毒は短期間で終わるけど、それでも1日は続く。これは異常よ。私もなんだか体が楽になった」
「じゃあ……どういうこと?」
考え込む2人。
すぐにハッとして、両者の視線が空の瓶に注がれる。
「「もしかして!」」
2人は同時に叫んだ。