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 牧場仕事の最後は魔牛の放牧だ。

 ペトラは適当な魔牛に跨がり、他の魔牛達とじゃれあう。

 鬼ごっこをしたり、競争をしたり、遊び方はその日によって異なる。


 その間、ニーナは魔鶏と魔山羊の世話をしていた。

 特に力を入れているのは魔山羊だ。


(どうにかして美味しいミルクにならないかしら)


 ニーナは魔山羊のミルクを改善したいと考えていた。

 デミグラス牛乳ほどの画期的な味になる必要はない。

 一般的な山羊のミルクと同等の味になればそれでいいのだ。


 魔山羊は一頭しかおらず、魔牛と同じく牛舎で飼われている。

 魔牛が放牧中の今、牛舎には魔山羊とニーナしかいない。


「美味しくなーれ、美味しくなーれ」


 ニーナは愛情を込めて何度も撫で回した。

 魔山羊は嬉しそうに鳴き、ニーナに体を擦りつける。


(魔物と触れあうなんて、昔だったら考えられないわね)


 パピクルス家の令嬢だった頃、ニーナは魔物を嫌っていた。

 まるで汚物を見るかのような目を魔物に向けていたのだ。


(どのくらい不味いのか確かめておけばよかったなぁ……)


 ニーナは魔山羊のミルクを味見していない。

 だから、不味さの度合いが分からなかった。

 ただ、相当な不味さであることは間違いない。

 なんたってあのペトラが飲むのを嫌がるのだから。


「それにしても……」


 ニーナが牛舎の外に目を向ける。

 少し前に増設した業務用の巨大冷蔵庫が見えた。


 その冷蔵庫には、魔山羊のミルクばかり蓄えられていた。

 今回作った魔山羊のミルクもそこに収納されている。

 破棄はしたくないが飲みたくもない、というペトラの意思の表れだ。


「いずれは処分しないといけないのに、蓄えてどうするのかしら。ペトラのことだから、きっと後のことは何も考えていないのだろうなぁ。そこがペトラらしいのだけれど」


 ニーナはクスッと笑った。


 ◇


 夕食の時間。

 今日はペトラが一人で夕食を作っている。

 ニーナが「考え事をしたい」と言って自室に篭もったからだ。


「これ以上は耐えられないわ……」


 ニーナは罪悪感から死にそうになっていた。

 牧場で作業をしている時は、忙しさから考えずにいられた。

 しかし作業が終わると、途端に強烈な罪悪感がこみ上げてくる。


 ペトラに全てを話し、全力の土下座をもって謝罪したい。

 そして、すっきりした気持ちでペトラとこの牧場で過ごしたい。


「――なんて、あまりに都合の良すぎる考えだわ」


 自分が逆の立場だったら許さないどころの話では済まない。

 怒りの余り殺してしまうかもしれない。


 ただ、相手はペトラだ。

 ペトラが怒り狂って人を殺すとは考えられない。

 おそらく追放されるだろう、とニーナは考えていた。


「でも、ここを追い出されたら生きていけない……」


 罪悪感と同じくらい、死にたくないという気持ちがある。

 牧場を追い出された場合、彼女に行くあてはなかった。


 それに、今の生活は本当に楽しいものだ。

 この生活を手放したくはなかった。


「もしも全てを話して許してもらえたら、きっとすごく幸せな時間を過ごせるに違いない。今以上に、心からここでの生活を楽しめるわ。でも、そんなことはあり得ないし……」


 ニーナは両手で髪の毛をクシャクシャにする。


「かといって黙ったままなのも辛すぎる……。この調子だと1週間もしない間に胃に穴が空いて死んでしまうわ……」


 まさに進むも地獄、退くも地獄といった状況だ。


「それでも……言うべきよね」


 ニーナは覚悟を強めていく。

 ペトラに嘘をつき続ける人生に終止符を打とう。

 誠心誠意の謝罪をして駄目なら受け入れるしかない。


 ――そう思った時のことだった。


「なっ! こ、これは……!」


 突如、とんでもない激痛がニーナを襲ったのだ。

 痛みの箇所は腹。

 これまでの人生で体験したことのない痛みだった。

 まるで体の内側から剣でズタズタに切り刻まれているかのよう。


「ヴォエ……ッ!」


 同時に吐き気も催す。

 全身からさーっと血の気が引いていく。


(まずいまずいまずい)


 ニーナは慌てて部屋を出て、トイレに駆け込んだ。


「ヴォェエエエエエエエ!」


 便器に向かって盛大に嘔吐する。

 それから休むことなく、今度は腹痛の処理だ。

 完全に液状化した下痢が解き放たれた。


「なに……これ……」


 ニーナは現状が把握できなかった。

 つい先ほどまで元気だったのに、今では死にそうだ。

 必死に思考を巡らし、なにがどうなっているのかを考える。


「もしかして……!」


 思い当たる節があった。

 それと同時に廊下を駆け抜ける音が聞こえる。

 目の前にある扉のドアノブがガタガタと激しく動く。

 ペトラがトイレに駆け込もうとしたのだ。


「ニーナ、中にいるの!?」


「うん、ペトラ、もしかして貴方も……?」


「ええ、そうよ」


 ペトラは死にそうな声で叫んだ。


「これが生牡蠣による食当たりよ!」


 ニーナの顔がますます青ざめる。


「今まで平気だったのにどうして!?」


「そういうものなのよ! 生牡蠣にあたると約24時間から48時間後に発症するの! ニーナ、しばらく地獄が続くからそこにいなさい!」


 ペトラの足音が離れていく。

 彼女は別のトイレに駆け込んだのだ。

 大きな館であるが故に、複数のトイレがある。

 それが館の衛生環境を救った。


「ヴォェェエ!」


 断続的な嘔吐と下痢がニーナを襲う。

 ペトラに言われるまでもなく、ニーナはトイレから出られなかった。

 便器にしがみついてでもこの場に留まりたいくらいだ。


「ニーナ……」


 しばらくしてペトラが戻ってきた。


「ペトラ……私達、死ぬの……?」


「死なない。死なないけど、今日と明日はこんな状態よ」


「そんな……ヴォェエェ!」


 再度の嘔吐。


「ニーナ、生牡蠣にあたったらとにかく水分補給が大事よ。このままだと私達、脱水症になっちゃう。厨房に行って水を飲むわよ」


「う、うん」


 ニーナがトイレの水を流そうとして、レバーを動かす。

 すると次の瞬間――トイレの電気が消えた。水も流れない。


「なんでこんなタイミングで!」


 ペトラの苛立つ声。


「なに? どうしたの? トイレが動かないし、電気も消えたけど」


「……魔力切れよ」

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