054
「今よ! ニーナ!」
「やっ! ――――あっ、ごめん」
「惜しい! 惜しいよ!」
二人は厨房でオムライスを作っていた。
料理の経験がないと言うニーナに、ペトラが作り方を教えている。
「これ以上は卵の過剰摂取になるから今日はおしまいだね!」
「既に過剰摂取になりそうだけど……」
食堂のダイニングテーブルには失敗したオムレツが並んでいた。
作った順に並べられており、次第に出来が良くなっている。
「ニーナ、貴方、料理のセンスがあるじゃない!」
「そんなことは……」
「あるよ! この調子なら次回は成功待ったなしだもん!」
「でも、ペトラは最初から失敗なんかしなかったし」
ニーナは言った後に「しまった」と思った。
彼女の言う「最初」とは、“完全な初挑戦”を指している。
つまり、ポナンザ家の公爵令嬢として初めて料理した時のことだ。
「だって私はほとんど毎日料理してるもん!」
ペトラはニーナの言葉を別の意味で捉えた。
ニーナの言う「最初」を、彼女は“今日の初めて”と解釈したのだ。
「そ、そっか、そうだよね」
「そうそう! 料理は慣れが一番!」
ニーナは心の中で「ホッ」と安堵した。
「メインはオムライス&大量のオムレツでいいとして、後は牡蠣だね! 牡蠣は鮮度が命だから今日中に食べないと!」
ペトラがクライスからもらった牡蠣を取り出す。
牡蠣は力強く殻を閉ざしているが、ペトラには関係ない。
彼女はさながら漁師の如き慣れた手つきで殻を剥き始めた。
「すごい……」
「別にただ殻を剥いているだけだよ。ニーナもやってみる?」
「うん」
「教えてあげる! まず牡蠣をこうやって持つの。で、ここからこうやってナイフを入れて、こうガッガッガッてやってから、最後にこう!」
ペトラが実演しながら説明する。
「ナイフを入れて、ガッガッガッで、こう!」
ニーナが説明の通りに行った。
すると、固く閉ざされていた牡蠣の殻がパカッと開いた。
「やった!」
思わず声を弾ませるニーナ。
初めてまともに作業ができて嬉しかった。
「ナイス!」
ペトラがグッと親指を立てる。
「もう1個、殻を剥いていい?」
「もちろん! 手分けして全部の殻を剥くよ!」
「でもそんなに食べられるかなぁ……」
「大丈夫! 私は牡蠣ならいくら食べても満腹にならないから!」
「ペトラってそんなに牡蠣が好きなの?」
「大好きだよ!」
「そうだったんだ」
ペトラが牡蠣好きであることをニーナは知らなかった。
なぜならペトラは、公爵令嬢だった頃にその話をしていないから。
これはペトラが、牡蠣というより生牡蠣が好きであることが理由だ。
貴族が食べる牡蠣は、健康面の配慮から必ず加熱処理がされている。
生牡蠣を食卓に並べた場合、調理担当者はお叱りどころでは済まない。
その為、令嬢だった頃のペトラは、大して牡蠣を食べていなかった。
彼女にとって、牡蠣に加熱処理を施すのは邪道なのだ。
「ニーナ、ここから自分の分を取って」
大きな皿に生牡蠣の山が出来上がる。
ニーナは小皿を手に持ち、言われたとおりに牡蠣を何粒か取った。
「私はこの牡蠣をテーブルまで運ぶから、ニーナは自分の牡蠣を加熱してから来てねー!」
ペトラが牡蠣の山が盛られた大皿を両手で持つ。
「えっ、ペトラ、牡蠣を生で食べるの?」
「もちろん!」
「加熱しないと危険だよ」
「いいのいいの! 牡蠣で食当たりになることは慣れているから!」
「えええ……」
ニーナは愕然とする。
最初はペトラが冗談を言っているのだと思った。
しかしすぐに本気だと分かった。
ペトラが生牡蠣の山を眺めて涎を垂らしているからだ。
「生で食べても死なないの……?」
「死なないよ。でも、当たると最悪だよー! 下痢と嘔吐で凄いことになる! だからニーナは加熱して食べてね」
「…………」
ニーナは迷った。
牡蠣を生で食べるなんて想像したこともない。
本当に大丈夫なのだろうかと不安になる。
それでも――。
「私も生で食べる!」
――ニーナは加熱しないことを選んだ。
これはペトラに対する対抗心からではない。
ペトラに対して尊敬に近い感情を抱き始めているからだ。
庶民が貴族の格好や所作を真似するようなもの。
(いつの間にか……いや、違うわね。私はずっと昔から、ペトラのようになりたいと思っていた。今になって、その気持ちを素直に認められただけ)
ペトラは驚き、真剣な顔で言った。
「やめておいたほうがいいよ。この世界の生牡蠣は当たりやすいから」
「この世界?」
「あ、いや、この世界じゃなくて、この国って言ったの!」
慌てて訂正するペトラ。
「それより生はオススメしないよ! 危険だって!」
「でも、ペトラは生で食べるんでしょ? しかもそれだけの量を」
「そうだけど」
「だったら私も生で食べる! 食べたい!」
「……どうなっても知らないよ?」
「覚悟の上だよ」
「そっか」
ペトラがニッと笑う。
「だったら一緒に最高の生牡蠣を堪能して、そして明日は地獄を見るぞー!」
「おおー! 地獄は見たくないけど」
こうして二人は生牡蠣を食べるのだった。














