049
臨時の国王――国王代行に就任したナッシュ。
就任と同時に彼が行ったことは二つ。
まずは組織の再編だ。
組織図の上位に位置する者ばかりが貴族病で倒れている。
今のままでは国の運営に支障を来しかねない。
というより、ナッシュが就任した時点で既に支障を来していた。
だから速やかに組織の基盤を整える。
ここでナッシュの卓越した記憶力が役に立った。
かつて見聞きした情報をもとに適切な人間を選んでいく。
まさに電光石火の如き再編で、誰もが舌を巻いた。
それと同時に行ったのが貴族病の解析。
最も大事なのは、この病気が他人に感染するのかどうかだ。
もしも感染するのであれば、第二・第三の被害を警戒せねばならない。
貴族病の感染者と接触した人間を隔離する必要もでてくる。
幸いにも、他者に感染する可能性は限りなく低いと分かった。
つきっきりで対応している名医達が元気だからだ。
そのことが分かると、ナッシュは感染源の調査に乗り出した。
なにが原因で国王や王子は貴族病に陥ったのか。
「間違いなく何かしらの共通点があるはずだ」
貴族病にかかった者のスケジュールをくまなく調べた。
ここで運が良かったのは、貴族病にかかった人間が国の重鎮であること。
彼らは往々にして秘書官を抱えており、行動が細かく記録されていた。
「これだ。これに違いない」
そして、ナッシュは見つけた。
貴族病を発症した人間に共通していた点を。
◇
ポロネイア王国の王都にある小さな酒場にて。
パリィンと皿が粉々に割れる音が響いた。
「す、すみません!」
頭を下げるのはニーナ。
彼女は皿洗いの最中に皿を落としてしまったのだ。
皿にこびり付いた油で指が滑り、手から皿が離れてしまった。
「またか! お前は皿洗いもまともにできんのか!」
店主の怒声が響く。
「すみません! もう絶対、絶対に割りませんから……」
「その言葉は聞き飽きた! もういい! お前はクビだ!」
「お願いします! それだけは」
「うるさい! 出て行け! 今日の給料は抜きだ! お前が今まで割った皿の代金を考えると、こっちが逆に金を貰いたいぐらいだがな! 分かったら早く失せろ!」
店主の大きな足で背中を押され、ニーナは店の外に放りだされた。
「またクビ……」
ニーナは虚ろな目で夜の街路を歩く。
「これで何軒目かしら……」
彼女はこの2ヶ月で何度となくクビになっている。
どの店でもクビになるまでの流れは同じだ。
最初は大体の店主が温かく受け入れてくれる。
しかし、ミスが続く内に、温かい声は怒声に変わっていく。
そして最後はクビ宣告だ。
ニーナは社会に適応できなかった。
約20年に及ぶ人生で、彼女は働いたことがなかったのだ。
かといって、専門職に就けるようなスキルは持ち合わせていない。
彼女のような人間が働ける店は限られていた。
(もう王都の飲食店では働けないわね)
飲食店を除いてニーナでも即日採用される店。
それは娼館をはじめとする性風俗店しか残っていなかった。
しかし、彼女のプライドがそういった店を拒んでいた。
(体を売るくらいなら死んだほうがマシよ)
酒場でニーナが通用しないのも、このプライドが原因になっていた。
酔っ払いからセクハラを受けると、反射的にビンタをお見舞いしてしまう。
セクハラと言えないような軽いスキンシップにすら抵抗があった。
それ故に、彼女はホールスタッフとして働くことができない。
「今日はここで寝るか……」
人気の無い路地裏で腰を下ろし、建物の壁にもたれるニーナ。
彼女は宿代を節約する為、こうして外で寝ることが多かった。
特に今日のような仕事をクビになった日は決まって野宿だ。
「ここまでして私が生きる理由ってなんなのだろう」
そんなことを考えながら、ニーナは目を瞑る。
最低限の警戒はしつつ、浅い眠りで夜が明けるまで動かない。
彼女の近くをしばしば男が通る。
だが、ナンパする者も、襲おうとする者もいない。
外で堂々と眠るような女を襲うのはリスクが高いからだ。
反撃を受けるかもしれないし、お金をすられるかもしれない。
それに性病を移される恐れだってある。
「少しは回復したかな」
午前4時30分頃。
夜から朝に変わろうとする時間に、ニーナは動き始めた。
肌寒さから両腕に鳥肌を立たせて、王都の外へ向かって歩く。
他所の街へ行く予定だ。
そして、新たな街で仕事を探すつもり。
だが、徒歩で王都を出るのは危険だ。
道中には魔物が棲息している。
最近は特に治安が悪い。
魔物や野獣だけでなく、盗賊も現れる。
それでも、ニーナは別の街を目指す。
この街では雇ってくれそうな店が残っていないから。
「あれは……!」
門の近くまで来た時、ニーナは馬車を発見した。
御者らしき男は馬を下りていて、門番の兵士を相手に手続きをしている。
ニーナには一目で行商人であることが分かった。
(あの馬車に乗り込めれば……!)
ニーナは周囲の様子を窺う。
時間が時間なので人の目が少ない。
警戒すべきは、馬車の左右にいる二人の用心棒。
――だが、幸いにも今は油断しきっている様子。
(自分で隣町まで歩くのは危険だけど……どうする?)
ニーナは素早くリスクとリターンを計算する。
捕まった場合の処遇まで考えた。
(今の私はニーナ・キーリス。どこにでもいる貧しい女。捕まったところで何発か殴られておしまい。それ以上にはならない。だったら一か八かで挑んでみる方がいいじゃない。隣町まで歩いていく危険さに比べたら格段にマシよ)
ニーナは馬車の荷台に乗り込むことを決意した。
腰を低くして素早く近づいていく。
(よし!)
誰にもバレることなく、スッと荷台に乗り込んだ。
そのまま荷台に被せられているシートへ潜る。
「ふぅ」
彼女が安堵の息を吐くと同時に馬車が動き出した。
(この木箱、なにが入っているのかしら。食料なら嬉しいけど)
シートの下には無数の木箱があった。
ニーナはその内の一つをそっと開ける。
暗くてなにが入っているのか分からない。
おもむろに手を突っ込んでみる。
硬くて丸い物が入っていた。
片手で持てる大きさで、何個も入っている。
ニーナは一つを掴み、静かに取り出した。
シートの端を少し上げて、日の光を手に持っている物へ当てる。
リンゴだった。
美味しそうなリンゴだ。
(やった!)
ニーナは音を立てずにリンゴを囓る。
久しぶりに食べるまともな食べ物だ。
自然と涙がこぼれた。
(たらふくリンゴを食べたら適当な場所で飛び降りないとね)
ここまではニーナにとって最高の展開だった。
だが、ここからは想定外で最悪の事態となる。
(えっ、ちょ……!)
馬車の速度がぐんぐん上がっていったのだ。
飛び降りられる速度ではなくなってしまう。
彼女の忍び込んだ馬車は、隣町ではなく隣国を目指していたのだ。