048
ココイロタウンでペトラが営む牧場では、ある男が働いている。
金色の髪が特徴的なナッシュ・バーランドだ。
王位継承権を破棄したバーランド王国の第7王子である。
そんな彼のもとに、国王である父から、勅命を記した文が届いた。
「これは……まずいな」
文には【貴族病】に関することが書かれていた。
貴族病とは、国王や王子、それに大臣連中が罹っている奇病の名だ。
症状は一般的な肺炎と酷似している。最初は肺機能の大幅な低下に伴う咳と発熱。そこから重症化すると呼吸困難に陥り、さらに悪化すると意識不明になる。今のところは意識不明で済んでいるものの、好転しなければ死に至る可能性が高い。
発症者が国の重鎮に限られていることから「貴族病」と呼ばれていた。
「大丈夫?」
文を読むナッシュの背後から声がかかる。
振り返ると、そこには魔牛に跨がるペトラの姿があった。
彼が現在進行形で片思いをしている相手だ。
「俺は大丈夫だが、文の内容は大丈夫とは言いがたいな」
「国王様がしていたあの変な咳が関係しているのかな?」
「そういえば、ペトラは数週間前、父上達と会ったのだな」
「うん」
「そんなに酷い咳だったのか?」
貴族病の発症者をナッシュは見たことがなかった。
「酷いなんてものじゃなかったよ。咳の大合唱だったもの」
「それほどか。ペトラ、君は大丈夫なのかい?」
「特に問題ないよ。見ての通り元気ピンピン!」
ペトラが魔牛の上でガッツポーズ。
ナッシュは「ふっ」と小さく笑った。
「言いにくいのだが――」
そう言って話を切り出すナッシュ。
「――明日、此処を発つことになった」
「国王様からの呼び出し?」
「そうだ。父上や兄上が貴族病によって動けない状況だからな。加えて国の運営に携わる主要な大臣も貴族病で倒れている。そこで、俺が代理として臨時のトップに就任することとなった」
「えっ? じゃあ、ナッシュが新国王になるの?」
「今だけの代行だがな。父上が回復すれば、父上に王位を返上する。王位継承権を放棄しているし、俺としても国王の座など望んでいない。そんなわけだからペトラ、急で悪いが明日の朝でお別れだ。今月分の給料は戻ってきた時に受け取らせてもらうよ」
「そういう事情なら仕方ないね、分かった」
ペトラが周囲を見渡す。
かつては大勢のギャラリーで溢れていたが、今では閑散としている。
ナッシュ親衛隊の女性陣と、牧場の警備を担当する数名の兵士しかいない。
「魔山羊を導入したところなのにすまないな。必要なら誰か働き手を寄越すが」
「ううん、大丈夫。私だけでどうにかなるよ」
「そうか」
ナッシュは頬を緩めた。
「一応、役所に話を通しておく。もしも人手が必要になったら気兼ねなく役所で相談してくれ。今の君は人間国宝なんだ。過労死なんてされたら国の名誉にも傷がつく」
「あはは、大袈裟だなぁ。それより、今日は盛大にお別れ会をしないとね。私が手料理を振る舞ってあげるよ。庶民の料理なんてしばらくは食べられないでしょ?」
「ありがとう。――それとだな」
「ん?」
「……いや、なんでもない」
「なになに? どうしたの?」
「すまん、気にしないでくれ」
ナッシュは王都へ行く前に気持ちを伝えようと考えていた。
恋愛感情として君のことが好きだ、と。
だが、それを言うには躊躇いがあった。
言ってしまうことで、今の関係が壊れてしまうかもしれない。
そう考えると踏ん切りがつかなかった。
◇
翌日。
朝食を済ませると、ナッシュは早々に牧場を発つことにした。
「気をつけてね、ナッシュ」
牧場を出てすぐのところでペトラが言う。
ナッシュは白馬に跨がりながら「ああ」と頷いた。
「ペトラも無理はするなよ。また落ち着いたら雇ってくれ」
「もちろん!」
「それでは、世話になった」
「こちらこそありがとうね」
「では行ってくる」
ナッシュが馬を走らせた。
背後からペトラの「行ってらっしゃい」という声が聞こえる。
(やっぱり駄目だ)
ナッシュが馬を急停止させ、馬の方向を転換した。
「むむっ?」
首を傾げるペトラ。
視界から消える直前でナッシュが止まったので驚く。
そんな彼女のもとへ、ナッシュが戻ってきた。
「どうしたの? 忘れ物?」
馬が目の前で停まったところで、ペトラが尋ねた。
ナッシュは「まぁな」と頷き、馬を下りる。
「ペトラ――」
ナッシュが真剣な顔でペトラを見る。
それでペトラも表情を引き締めた。
「――俺は君が好きだ」
「えっ?」
「此処を発つ前にどうしても伝えておきたかった。俺は君が好きだ。これは恋愛感情としての好きだ。愛している」
「ちょ、いきなりなによ」
ペトラの顔が赤くなっていく。
突然の告白に恥ずかしくなった。
「俺は本気だ」
ペトラの顔から赤みが消えていく。
「……本当に本気?」
「ああ、本当に本気だ。ずっと前から君のことが好きだった。友達としてではない。出会ってすぐに惚れていた。今まで上手くアピールできなかったから驚かせてしまったとは思うが、これが俺の本音だ。大好きだ、ペトラ・カーペンタリア」
「…………」
ペトラはすぐに答えない。
気持ちを整理させていた。
ナッシュは静かに待っている。
ペトラが返す言葉を。
どんな返事でも受け入れる気でいた。
「ありがとう、ナッシュ」
ペトラが口を開く。
「そんな風に言ってもらえるなんて、夢にも思っていなかった」
本心だ。
ペトラはナッシュの恋心に気付いていなかった。
彼女にとって、ナッシュは“最も親しい異性の友達”だ。
「じゃあ、今後は……!」
ナッシュの目に宿る希望の光。
「ごめんなさい」
その光は一瞬で消えた。
「気持ちはすごく嬉しい。貴方のような全てを兼ね備えたような人から言われると、誇らしい気持ちにもなる。でも、ごめんなさい」
「それは……やっぱり、ルークのことが忘れられないとか?」
「ううん。ルーク様は関係ない。今の今まで完全に忘れていたくらい。そうじゃなくて、今は誰ともそんな風には考えられないの。馬鹿なことを言っているのは分かっているよ。私ももう20歳。ポロネイア王国の貴族なら結婚していないことを笑われる年齢だから。偉そうに選べるような立場じゃないことも分かっているの。貴方以上の人を見つけられる自信だってない」
「だったら……!」
「でも、いえ、だからこそ、自分の気持ちには正直でいたい。貴方の恋人になることは、この国にいる全ての女性から羨ましがられることだと思う。だけど私は、そういうステータス目的で承諾したくはない。すごく勝手だと分かっているし、こんな調子だと結婚はおろか恋人だって二度と出来ないかもしれない。それでも……今はそんな気持ちになれないから、ごめんなさい」
これがペトラの答えだった。
(我ながらなんて返事をしているのやら)
心の中で自分に向かって呆れ果てるペトラ。
しかし、彼女は自分の発言に後悔していなかった。
「そっか、分かった。だったら今は引き下がろう」
ナッシュが一歩だけ後ずさる。
「だが、俺の気持ちは変わらない。全てが落ち着いたら、また挑戦させてもらう。全力でアピールして、いつか必ず君を振り向かせてみせるよ」
「……なんと言ったらいいのやら」
「今は何も考えなくていい。その時がきたら君の気持ちを聞かせてくれ。自分で言うのもなんだが、俺は諦めの悪い男だ。覚悟しておいてくれ」
「ふふっ、分かったわ」
ナッシュは満足気な笑みを浮かべ、再び白馬に跨がった。
「これで心置きなく公務に取り組めるよ」
「頑張ってね! 行ってらっしゃい!」
ナッシュが馬を走らせる。
今度は止まることなく、ペトラの視界から消えていった。