045
「偽装工作?」
「そうだ。手伝え」
ハリソンは他の独居房を確認した。
「今はお前達しか収容されていないのか」
「そのようだけど」
「ならお前の父親を犠牲にするしかないな」
そう言って、ハリソンはザイードの独居房を開錠。
扉を開け、横たわるザイードの上半身を引っ張る。
「何を見ている。お前も手伝わんか」
「あ、うん、ごめん」
ハリソンの考えが分からないものの、ニーナは彼の言葉に従った。
ハリソンと二人がかりでザイードを持ち上げ、彼女の独居房に放り込む。
「私の房にお父様を入れてどうするの?」
「ニーナ・パピクルスになってもらうのさ」
ハリソンが指をパチンと慣らす。
どこからともなく現れた光がザイードを包み込む。
その光が消えた時、ザイードの姿はニーナと瓜二つになっていた。
「お父様に魔法を掛けて私と同じ姿にしたっていうの?」
「姿だけじゃない。声までそっくりだ。もっと言えば性別まで」
ニーナは理解した。
ハリソンの目論見を。
「貴方って人は……」
「なんだ?」
「相変わらずよね。人に魔法を掛けるのは危険なのよ。さっきの催眠魔法もそうだけど、人体への影響とか考えないわけ?」
「我が輩は自分が楽しければそれでいいからな。そんなことより、これで作業は終了だ。長居をしていても良いことなどない。さっさと出るぞ」
ザイードはニーナの独居房を施錠すると、地上へ繋がる階段に向かう。
ニーナはその後ろに続いた。
(さようなら、お父様)
一瞬だけ振り返り、自身のいた独居房を見つめる。
ザイードに対して申し訳ないと思いつつも、後悔の念は抱かなかった。
◇
秘密の階段を上り終え、隠し扉の前に到着するニーナとハリソン。
ハリソンは扉の前で足を止めた。
「ここでお前の顔を変えるぞ」
「私に魔法を掛けるの?」
「そうだ」
ハリソンが即答する。
「やつれたとはいえ、お前ほどの女が人前を歩けばすぐにバレる。だからここで顔を変えるのが得策だろう」
「たしかに。でも、それって」
「不細工とまではいかないが、どこにでも居る女の顔になる。今時の言い方だと『モブ顔』と言うらしい。今日からお前はモブ顔の女になるわけだ」
「この顔を捨てる……」
「躊躇うか?」
「そりゃあね。こんな私でも持っている唯一の武器なんだから」
「そう卑下するな。それに、適応しなければ死ぬぞ」
「それもそうね……」
ニーナは決意した。
「ハリソン、やってちょうだい」
ハリソンは頷き、指を鳴らす。
ニーナの全身が光に包まれた。
「終了だ、ニーナ」
光が消えると同時にハリソンが言う。
「これがお前の新しい顔だ」
ハリソンは手鏡を召喚し、ニーナに向ける。
ニーナは恐る恐ると確認した。
そこに映っているのは、青い髪をした素朴な女。
かつてのニーナとは違い、華やかさに欠けている。
決して不細工というわけではないが、誰もが羨む美貌でもない。
良く言えば化粧次第、悪く言えば――。
「芋臭い女……これが新しい私なのね」
「そうだ。気分はどうだ?」
「最悪よ。前の顔が恋しいわ」
「そうじゃない。吐き気などはしないか? 魔法の副作用を気にしている」
「それは大丈夫」
「ならば問題ない」
ハリソンが隠し扉を開けた。
◇
二人は問題なく王城の外まで辿り着いた。
外は真っ暗で、街灯と月光が辺りを照らしている。
「これでもう安心だ」
「あっさり出られたわね」
「怪しまれる要素がなにもないからな。我が輩はただの兵士で、お前は庶民らしさの溢れるただの女だ」
「それに城内がなんだか騒然としていた」
「そうだな」
ハリソンは「そんなことより」と話題を変える。
そして、懐からお金の入った革の袋を取り出した。
「ニーナ、ここでお別れだ」
「そっか。契約はここまでだものね」
ニーナが己の純潔を捧げてまで結んだ契約。
それは、ペトラの不貞行為を偽装することだけではない。
処刑や禁固刑となった時に救出してもらうことも含まれていた。
彼女は最悪の事態に備えていたのだ。
「この金で数日は生活できるだろう。後は自分で働いて稼ぐのだな」
ハリソンは革の袋をニーナに渡す。
「ありがとう、ハリソン」
「礼を言われる筋合いはない。短い間だが楽しめたよ、ニーナ・パピクルス。おっと、今はもう別人だったな。適当な偽名を考えておくといい」
「顔は捨てたけど、名前までは捨てたくないな」
「ならファミリーネームだけ変更するといい。お前の大好きなペトラのように」
ペトラと聞いて、ニーナの顔は歪んだ。
ただ、これはペトラに対する不快感からではない。
過去の自分が犯した醜態を思い出したからだ。
もはやペトラに対する敵意や悪意は欠片ほどもない。
むしろ謝れるものなら謝りたいとすら思っていた。
「ニーナ・キーリス。今後はそう名乗っていこうと思う」
「悪くない名だ――達者でな、ニーナ・キーリス」
「貴方もね」
ハリソンはニーナに背を向けて歩きだす。
ニーナもハリソンに背を向けて歩きだす。
二人の姿が闇夜に消えた。