043 本編エピローグ
その後、ポロネイア王国では二つの発表が行われた。
まずはペトラについて。
病によって床に伏しているという話が嘘だったことを国が認めた。
ただしその理由に関しては、また新たな嘘が上塗りされることとなった。
新たな筋書きはこうだ。
ペトラは奇病によって床に伏していたが、ほどなくして回復。
しかしその時の後遺症によって記憶の大部分が欠落してしまった。
彼女の健康状態を考慮した結果、婚約を破棄することになった。
カーペンタリア家の養女になった件については触れられていない。
ポロネイア王国としては、婚約破棄以降は関知していないことになった。
関知していないのだから触れる必要もない、という考えだ。
次にパピクルス家について。
ニーナとザイードが禁固刑に処された事実は伏せられることになった。
表向きには、ザイードが自分の意思で爵位を返上したことになっている。
理由については公表されていないが、噂は広められた。
噂の内容は、ペトラが罹ったものと同じ奇病に罹ったというもの。
この噂は王国政府が仕組んだもので、瞬く間に真実として広まった。
ザイードの妻でありニーナの母にあたる人物が急死したことも大きい。
彼女の死は完全な偶然だったが、噂の信憑性を高める効果があった。
この発表と同じタイミングで、バーランド政府も発表を行う。
ペトラの出自について、ポロネイア政府と同様の認識を示した。
これによって、ペトラに関するスキャンダルが終息する。
◇
「本当にお疲れ様、ナッシュ」
「どうってことないさ」
ナッシュは牧場に戻ってペトラに報告した。
かつてポナンザ家の人間だったことを認めて問題ない、と。
「でも、なんだか釈然としないなぁ」
食卓で頬杖を突きながら、ペトラがナッシュを見つめる。
「何が釈然としない?」
「ニーナ……ううん、パピクルス家のことよ。ザイード様は、私の実父と長らく権力争いをしてきた人よ。権力に対する執着心が凄かった。そんな人が奇病にかかったからって爵位を返上するかなぁ」
ペトラはパピクルス家の真相を知らない。
知ると深く悲しんでしまうに違いないから、ナッシュが伏せていた。
だから、彼女にとってニーナは今でも唯一無二の親友だ。
「それに、私の奇病ってでっちあげじゃん? なのにパピクルス家の奇病は真実って、それもなんか変な感じ」
「現実は作り話よりも奇妙なものさ。それに考える順序が間違っているよ」
「間違っているって?」
「今回、両国の政府から発表された筋書きは、パピクルス家が奇病に冒されているからこそ閃いたものさ」
「そうかもしれないけど、なんだかしっくりこないなぁ」
ペトラが「うーん」と唸る。
そんな彼女を見てナッシュは笑った。
「権力に執着するから返上したんだと思うよ、俺は」
「えっ、どういうこと?」
「病でまともに動けない公爵が貴族社会の権力闘争に勝てるか?」
「……無理ね」
「その通り。爵位を保持していた場合、いずれは別の人間に公爵の座を奪われただろう。ペトラの実父やら、別の貴族やらにね。でも、自ら爵位を返上すれば、そんな心配がなくなる。病が回復した後に改めて爵位を与えてもらえばいいのだから。公爵の座が無理だったとしても、侯爵に……いや、ポロネイアの侯爵は特殊な位置だから、伯爵あたりになるだろう」
「たしかに」
「これだったら、仮に公爵の座から落ちたとしても、貴族が大事にする“顔”に傷がつくことはない。爵位の返上は、むしろよく考えていると思うよ」
「そこまで考えるのかぁ。やっぱり貴族の権力に対する欲求って凄いなぁ」
ペトラはナッシュの発言に納得した。
「で、ニーナは大丈夫なの? 心配なんだけど」
「分からないな。俺はよそ者だ。大貴族の病気については詳しく教えてもらえないさ。でも大丈夫だろう。医療の発達はめざましいからな」
「それだったらいいんだけどね」
ペトラは思う。
前に会った時、もっとニーナと話しておくべきだった。
「「「モォー!」」」
「おっと、あの子達が呼んでいるわ」
「昼休憩はおしまいだな」
「私は放牧の準備をしてくるから、ナッシュは」
「皿洗いをしてから警備だろ?」
「その通り! 記者は減ったけど、相変わらずギャラリーが多いからね。しっかり守ってよ」
「もちろん」
ペトラは一足先に館を出る。
その足で牛舎に向かい、魔牛を解き放つ。
「モォー♪」
待っていましたとばかりに牧場内を走り回る魔牛達。
柵の外からその様を眺めている子供達が嬉しそうに叫ぶ。
「今日は君に決めた!」
ペトラは適当な魔牛に跨がる。
そして、他の魔牛を追い回す。
いつもと変わらぬ魔牛を使った鬼ごっこだ。
「本当に可愛いなぁ、ペトラは」
館の窓からペトラを眺めて呟くナッシュ。
彼は微笑みながら、ポロネイア王国でのことを思い返す。
――ペトラを頼んだぞ、ナッシュ殿。
去り際にルークから掛けられた言葉だ。
ルークは、ナッシュがペトラに気があると気付いていた。
そして、自身はペトラに固執することをやめようと決意した。
だから、最愛の女性であるペトラをナッシュに託した。
「今度、恋愛のプロを捜して教えてもらうか……」
ナッシュは小さな声で「よし」と呟く。
それから、館を出て警備の仕事をするのだった。
◇
数日後、ペトラのもとに手紙が届いた。
手紙を持ってきたのは、郵便業者ではなく私兵だ。
手紙の差出人は、彼女の実父――ゲンドウだった。
手紙の内容は、彼女が国外追放に処された日の謝罪から始まった。
保身の為に切り捨ててしまって申し訳ない、と形ばかりの謝罪。
だが、これは時候の挨拶と同程度の存在に過ぎない。
本題はその後、ナッシュとの関係についてだ。
結婚するならポナンザ家の人間として結婚してほしい。
長々と書かれた文章は、要約するとそういうことだった。
「相変わらず私のことは道具としか見ていないのね、お父様は」
ペトラは呆れたように笑い、手紙をグシャグシャにする。
それを捨てようとした時、ふと思った。
「魔牛ばかり増やすのもなんだし、そろそろ魔山羊も導入してみようかな」
山羊に羊、豚など、ペトラの牧場にいない家畜はたくさん存在する。
殆どはまともに飼育技術が確立されていない為、軌道に乗せるのが難しい。
しかし、だからこそ、挑戦し甲斐があるというものだ。
それに飼育技術が確立されていないからこそ安く仕入れることができる。
上手くいけば新たな革命を起こせるかもしれない。
「よーし、今後も頑張るぞ!」
帳簿を付け終えると、ペトラは魔牛と魔鶏の世話をするのだった。