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ナッシュは応接間に通された。
そこにはニーナと彼女の父ザイードがいた。
「これはこれはナッシュ様、ささ、こちらへお掛け下さいませ」
ザイードが、ナッシュをソファに座るよう促す。
ナッシュは「急な訪問で申し訳ない」と言ってソファに座った。
それを確認してから、ニーナとザイードも向かいのソファに腰を下ろす。
「それで、本日は私の娘にどういったご用件でしょうか?」
ニーナとザイードの心中は穏やかではなかった。
隣国の放浪王子が何を考えているのかまるで分からないからだ。
ナッシュについて知っているのは、国事に興味がないということのみ。
両国の王族が集まる祝宴の場ですら平然と欠席する男である。
(この方がナッシュ王子……たしかにルーク様に劣らぬ容姿ね。たしかバーランド王国の王子の中ではずば抜けて国民からの支持が高かったはず。気まぐれらしいけれど、本当にどういったご用件なのかしら)
そんなことを考えるニーナに、ナッシュの目が向く。
「ニーナ嬢、ペトラ・カーペンタリアという女性はご存知ですか? ココイロタウンで魔物牧場を営む女性です。今、我が国で最も評価されている酪農家とも言えます」
ニーナは表情を変えることなく固まる。
隣に座っているザイードも、表情に一瞬の変化も見せない。
表情の変化から真意を見抜かれては困るからだ。
この辺りの対応で下手を打つほど二人はぬるくない。
(どうしてペトラのことを……。いや、今はそんなことどうでもいいわね)
ニーナは瞬時に判断する。
様々な情報を勘案して、無難な答えを述べた。
「ええ、知っております。デミグラス牛乳については、当家で経営する魔物牧場でも何度か模倣を試みました。ですが、結果はことごとく失敗に終わりました」
「なるほど。では著名な酪農家としてご存知ということですか?」
ナッシュの目は、ニーナの目を捉えて離れない。
ニーナは目を逸らしたくなるところを必死に堪えた。
「いえ、ペトラとは、昔からの付き合いでして」
「昔からの……と言いますと?」
「ここだけの話ですが、御国の酪農家ペトラ・カーペンタリアは、ポナンザ伯爵家の令嬢ペトラ・ポナンザと同一人物なのです。色々あって約1年前に御国へ追放されました。その後、酪農家を営む方と出会い、養子として迎えられたのです。そういった経緯がある為、私とペトラは面識があり、もっと言えば“親友”でございます」
ニーナの答えは完璧だった。
殆ど事実に即した回答で、疑問を挟む余地がない。
ナッシュは「なるほど」と答えた。
「ペトラがどうかされたのですか?」
今度はニーナから尋ねる。
ナッシュは真顔で答えた。
「彼女は先日、何者かに襲われて死にました」
「「えっ」」
一瞬。
ほんの一瞬だけ、ニーナとザイードの表情が変わった。
ザイードは驚き、ニーナは微かに喜びの色を見せる。
その一瞬をナッシュは見逃さなかった。
(父親は知らない様子……本当に娘が仕組んでいたのか)
ナッシュはニッと白い歯を見せて笑う。
「冗談ですよ」
「ナッシュ様、そういったご冗談はあまり……」
ザイードが恐る恐ると言う。
ナッシュは笑いながら「申し訳ない」と頭を下げる。
「それで、ペトラがどうかされたのですか?」
改めて尋ねるニーナ。
ナッシュは「おっと、そうだった」と軽い調子で答えた。
「実は最近、王国ではある噂が立っています。ペトラ・カーペンタリアが、ポロネイア王国の大貴族であるポナンザ家の令嬢なのではないか、との噂です」
「ほう。そうなのか?」
ザイードがニーナを見る。
その目つきは怒気を纏っていた。
余計なことをしてくれたな、と言いたげだ。
「私も存じ上げておりません」
ニーナは何食わぬ顔で否定する。
「根も葉もない噂ならまだしも、この噂、ご存知の通り真実です。もしもペトラ・ポナンザを知る者が、彼女――ペトラ・カーペンタリアを見れば、一目で同一人物と見抜くでしょう。それは両国にとってよろしくないはず」
「たしかにそうですね」
ザイードが答えた。
「諸事情から、我が国ではペトラの国外追放を伏せています。表向きには奇病によって床に伏せていることとなっています。ですが、噂が国内でも広まれば、この発表が嘘だと分かります。そうなると、ペトラとルーク王子の婚約が破談に終わったことにも目を向けられるでしょう。つまり、次期国王たるルーク王子の名を汚すことにも繋がりかねません」
その言葉は、ニーナに言い聞かせるようでもあった。
ニーナは内心でヒヤヒヤしながらも無表情を貫いている。
「その通りです。ですが、このまま黙認するのもまずいでしょう。看過して無事に終われば良いですが、そうならない可能性のある問題です。両国のことを考えた場合、災いの可能性は潰しておくべきだと考えます。そこで、私がやってきました」
「……と言いますと?」
「この問題を荒立てることなく解決するには、両国が足並みを揃える必要がございます。これから国王陛下やルーク王子も交えて、両国の国民が納得するストーリーを考えなくてはなりません。それも、ペトラ・カーペンタリアがペトラ・ポナンザであると認める方向で」
ニーナは心の中で舌打ちした。
このままだと噂を広めた意味がなくなってしまう。
かといって、ここで下手に反対意見を唱えれば怪しまれてしまう。
もはやどうすることも出来なかった。
「私もナッシュ様の意見に賛成です」
ニーナは悔しい気持ちを隠しながら言う。
この期に及んでは、ルークとの結婚は諦めるしかない。
残りの期間もやれるだけのことはやるが、駄目でも仕方ないだろう。
まさに万策尽きた、というやつだ。
――などとニーナは考えていた。
「本来ならニーナ嬢に頼んで公爵様に口利きしていただく予定だったのですが、この場におられるので率直に言います。国王陛下とルーク王子、それに公爵様とニーナ嬢、あと私を加えた5人で協議する場を設けて頂けませんか? 両国の名を汚さない形でこの事態を収束させるために」
ザイードは「分かりました」と承諾する。
ナッシュは笑みを浮かべ、ニーナは歯ぎしりした。