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 ナッシュがペトラの牧場で働くようになって2週間が経過した。

 その間に、ギャラリーの数はこれまでの数倍に膨れ上がった。


 王子が働いていると全国に知れ渡ったからだ。

 全国からナッシュの顔を拝みたい女性が押しかけてきた。

 抜群の容姿と記憶力によって、ナッシュには熱烈なファンが多い。


「あぅぅ、今日も視線が怖い……」


 魔牛に跨がって牧場内を駆け回りながら、ペトラは苦笑いを浮かべる。

 ナッシュのファンが自分に送ってくる視線が実に刺々しいからだ。

 視線の一つ一つが鋭利な刃物のように突き刺さる。

 うっかりナッシュに触れようものなら殺されかねない恐怖があった。


「そういえばナッシュって恋人とかいないのかな? 男だから20で未婚だったとしても問題ないだろうけど、それでも王子なんだからそろそろ結婚相手を発表しないと何か言われる気がするなぁ」


 ナッシュの背中を眺めながら呟くペトラ。


「ま、あれだけのイケメンならきっと良い相手が見つかるでしょうね。他人のことを気にする前に、私は自分のことを気にしないとね」


 今のペトラは一般人であり、貴族ではない。

 だから20を過ぎて未婚でも問題はなかった。

 とはいえ、庶民でも20代前半で結婚するのが一般的だ。


 ペトラには相手がいない。

 傍から見ると、ペトラとナッシュはお似合いの美男美女だ。

 だがペトラにとって、ナッシュはそういう相手ではなかった。

 恋愛関係とは無縁の存在――適切な表現は「仲間」になるだろう。


 そのことはナッシュも理解していた。

 故に、彼はペトラに対して、一切の求愛行動をとっていない。

 ただしナッシュにとって、ペトラに対する気持ちは違っていた。

 彼はペトラに対して恋心を抱いているのだ。

 これまで見た数多の女性とは違う何かをペトラに感じていた。


 ナッシュがペトラに惹かれる理由は色々ある。

 元貴族らしからぬ人間性、必死に牧場を営む健気さ、容姿だって抜群だ。

 だが、彼がペトラに惹かれる最たる理由はそれらとは違う。


 他の女性とは違い、自分を一人の人間として見ている。

 容姿や出自を完全に度外視して、ただのナッシュとして扱っている。

 今までの人生で一度たりともあり得なかったことだ。

 だからこそ、彼はペトラに対して特別な感情を抱いている。


 しかし、ナッシュには分からなかった。

 ペトラに対してどうアプローチするのが正解なのか。


 ナッシュには恋愛経験がない。

 恋人はおろかデートしたことすらなかった。

 どうしたらいいか分からないし、どうすることもできない。


 それでもいいか、と最近は思っていた。

 こうして近くに居られるだけで楽しいものだ。

 下手なことをして今の関係を崩壊させたくない。


「ねーねー、ナッシュ様ー」


 ギャラリーの一人である少女がナッシュに話しかける。

 ナッシュは笑顔で「どうしたんだい?」と返した。

 すると少女は、この場における禁句を口にしてしまう。


「ナッシュ様って、ペトラさんと結婚するんですかー?」


 ナッシュ親衛隊及びその他の女性ファンに衝撃が走る。

 彼女らは殺意の篭もった目を少女に向けた。

 少女はそのことに気付かず純真無垢な笑みを浮かべている。


(そういう関係になりたいけど、ペトラにその気がないのは分かるしなぁ)


 ナッシュはどう返そうか悩んだ。

 思っていることをそのまま言うと暴動が起きる。

 過激な親衛隊員がペトラに襲い掛かるに違いない。

 それくらいは恋愛経験のないナッシュでも分かっていた。


「俺とペトラはそういう関係じゃないよ。ただの仕事仲間さ」


「ほんとにー? ナッシュ様とペトラさん、お似合いだと思う!」


 ナッシュは心の中で悲鳴を上げた。

 もうやめてくれ、それ以上を言ってはいけない、と。


 ギャラリーの異変にはペトラも気付いた。

 なんだか妙な悪寒が背中を襲ってきたからだ。


(ありゃ、誰か私とナッシュのことを尋ねたな)


 チラッとナッシュの背中を見て、ペトラはすぐに察する。


(あそこまでイケメンだと人生ハードモードになるもんなんだね、可哀想に)


 ペトラは「ふっ」と笑うと、魔牛達を牛舎へ戻していく。


「俺は誰とも結婚する予定なんてないよ、今のところはね」


 ナッシュの言葉によって、ファンの雰囲気が柔らかくなる。

 親衛隊員以外のギャラリーは、その様にホッと胸を撫で下ろした。


「さて、今日もそろそろお開きの時間――」


 ナッシュがギャラリーに解散を促そうとしたその時。

 ギャラリーの群れの中から、男の声で質問が飛びだした。


「ナッシュ様ー、牧場主のペトラが実はポロネイア王国のペトラ・ポナンザって噂は本当っすかー?」


 その声によって、群衆に再び衝撃が走る。


「えっ」


「そうなの?」


「ペトラ・ポナンザって、公爵令嬢の?」


「今は伯爵令嬢よ。ポナンザ家は降格したから」


「どちらにしても貴族の令嬢でしょ。名前は知っているわ」


「たしか赤髪のすげー美女って話だよな」


「ポロネイア王国の至宝だっけ? なんかそんな異名あったよな」


「今はたしか病床に伏しているって話だったが」


「でも、ここの牧場のペトラって、出自が不明だよな」


「そういえばたしかに。カーペンタリア家の養子に迎え入れられるまでは何をしていたのだろう」


 場が騒然とする。


「静まれ!」


 ナッシュは初めて大きな声を出した。

 普段よりも低くて威圧的な声だ。

 それによって場が静まる。


「ペトラが隣国の公爵令嬢? そんな話があり得ると思うか?」


 ナッシュが問いかけると、誰もが首を横に振った。

 そう、常識的に考えた場合、決してありえないことだ。


「分かったら変なことを話さずに解散するがよい」


 ナッシュが解散を言い渡すと、親衛隊が動き出した。

 ギャラリーを柵から遠ざけ、町へと方向転換させる。


「ふぅ」


 1人になったナッシュは、天に向かって息を吐く。


「やれやれ、面倒な噂が流れ始めたな。俺が此処で働き始めたのが原因だろうか。もしそうなら悪いことをしてしまったな」


 ナッシュは即座に次の展開を考える。

 噂が広まった場合と広まらなかった場合のことを。

 おおよその展開を想定した後、大きなため息をついた。


「噂が広まるのはまずいが、かといって、人の口に戸は立てられない。このまま穏やかに終息すればいいが……」


 そんなナッシュの願いが叶うことはなかった。

 ニーナの裏工作によって、噂は瞬く間にバーランド王国中に広まったのだ。

評価システムが変わったようです。

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