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029 第2章

 ――半年後。

 ペトラが魔物牧場を引き継いでから、ちょうど1年が経った。


「この1年間、しっかり牧場を守ってきたよ」


 ペトラが話している相手は――墓だ。

 1年前に亡くなった養父のポンドが眠る墓。

 牧場を出て、ココイロタウンの中心地を横断した先の墓地にある。


「お父さん、牧場経営、上手くいってるよ。最近は過労死しちゃうんじゃないかってくらいに大変だけどね。それだけ繁盛してるってこと。今はもう、お父さんの頃とは比較にならない程に稼いでいるの。だからね、牧場が潰れる心配はないよ。お母さんにもそう言ってあげてね。あっ、その時はちゃんと、私のことを先に紹介するんだよ。いきなり『ペトラがさぁ』なんて話したら、『ペトラってどこの女なのよ!』なんて怒られるかもしれないからね」


 墓の前に花束を置き、手を合わせる。

 祈りを捧げた後、ペトラはこう締めくくった。


「私、これからも頑張るからね。お父さんの娘として、立派に頑張るから」


 ペトラは立ち上がり、牧場に帰っていく。

 通りを歩いていると、誰もが笑顔で挨拶してくる。

 この町で、否、この国で、ペトラの名を知らぬ者はいない。


 牧場を継いで1年。

 たった1年で、ペトラはそこまで成り上がっていた。

 しかし、それほどの人間になっても、彼女のすることは変わらない。


 牧場に帰ったペトラは、いつものように家畜の世話をする。

 放牧の時間になると、適当な魔牛に跨がった。


「さーて、今日も楽しく頑張るぞー!」


「「「「モォー♪」」」」


 そして、牧場内を走り回るのであった。


 ◇


 その日、バーランド王国の王宮は騒然としていた。


「ナッシュ様だ!」


「ナッシュ様が帰ってこられたぞ!」


 そこら中で聞こえる「ナッシュ様」の声。

 その声を一身に受け、肩で風を切るように歩く金髪の男。

 彼こそがナッシュ・バーランド――この国の第七王子だ。


 ナッシュは〈放浪王子〉の異名で知られている。

 早々に王位継承権を放棄し、全世界を放浪しているから。


 もっと言えば、彼は王族としての権利を殆ど全て放棄していた。

 領地は返上し、金は自力で稼ぎ、護衛は決してつけない。

 それでも、王族ということで、バーランド王国では厚遇されている。


 ナッシュ本人はそのことを面倒に思っていた。

 だから、彼がバーランド王国及び王宮に戻ることは滅多にない。

 今回も1年ぶりの帰還だった。


「おや? 君は新顔だな」


 ナッシュが王宮で働く使用人の女に声を掛ける。

 ナッシュと同年代の女は、それだけで顔をうっとりさせた。


「は、はい、ナッシュ様ぁ……」


 ナッシュに声を掛けられた女性は、大半が恍惚とした表情になる。

 王国随一の容姿に加えて、低く鋭い声が、多くの女性を一瞬で虜にした。


「他に新顔は……いないようだな」


 ナッシュはずば抜けた記憶力を持っている。

 滅多に王宮に戻らない彼だが、王宮で働く人間の顔は全て覚えていた。

 顔だけではなく、名前や話した内容まで記憶している。

 そのことが王宮内における彼の人気に繋がっていた。


「俺の部屋も相変わらずか」


 ナッシュは王宮内にある自分の部屋へやってきた。

 本来であれば、真っ先に国王である父親に挨拶するのが礼儀だ。

 しかし、自由気ままに生きるナッシュは、迷うことなく自室に向かった。

 国王も、他の王子達も、彼の振るまいには慣れているので気にしない。


「相変わらずここは退屈だな」


 ナッシュは腰に帯びていた剣を壁に掛け、ソファに腰を下ろす。

 そこへ先ほど彼に声を掛けられた新顔の使用人がやってきた。

 ナッシュの大好きな味の紅茶を運んできたのだ。

 彼女はそれをナッシュの前にあるテーブルへ置いた。


「ナッシュ様、他に何か必要でしょうか?」


「そうだなぁ」


 ナッシュはティーカップに手を伸ばす。

 まずは香りを楽しみ、それから紅茶を口に含んだ。

 彼の思うベストよりもやや味が濃い。

 それだけで、彼はこの紅茶を作った人間が誰か分かった。


「とりあえず新聞を頼むよ。俺の唯一の功績だからね」


「かしこまりました! では全ての新聞をお持ちいたします!」


「そうしてくれ」


 バーランド王国で新聞を流行らせたのはナッシュだ。

 新聞自体は以前から存在していたが、今ほどの人気はなかった。


 新聞を流行らせた理由は自分の為だ。

 帰国した時にサクッとこの国の情報を知れるように、と。


「お待たせいたしました」


 使用人の女が新聞を持ってきて、テーブルの上に並べていく。

 ナッシュは端の新聞から読むことにした。


「ふむふむ、ふむふむ」


 紅茶を飲みつつ、適当に新聞を読み進めていくナッシュ。

 川のように文字を流れる彼の視線が、とある記事で止まった。

 ナッシュはその記事を指しながら使用人に尋ねる。


「この〈デミグラス牛乳〉ってなんだ?」


「それは半年ほど前からこの国で流行っている新食材です」


「ほう!? 新食材とな?」


 ナッシュの胸が躍る。

 彼は新しいものが大好きなのだ。

 好奇心が滾っていく。


「魔牛から採った牛乳で、味が〈アレサンドロ〉のデミグラスソースと全く同じなのです。あの名店のデミグラスソースを完全に再現している為、王国では空前の大ブームが起きています。国王陛下も絶賛されていたそうです」


「面白い! それは面白いぞ! でも、どうして王国止まりなんだ? それほどの商品なら他国にも輸出して然るべきだろ?」


「それが、デミグラス牛乳を生産できるのはココイロタウンにある小さな魔物牧場だけでして、生産量に限界があるようです」


「ココイロタウンの牧場……ポンドさんの所か」


「ご存知なのですか?」


「あの人にはお世話になったことがあってな。でも、牧場経営にはそれほど本腰を入れていなかったはずだ。基本的には奥さんが運営していたし。ということは、奥さんが発明したのか」


 使用人が「いえ」と首を振る。


「デミグラス牛乳を生み出したのは、ポンドさんの養女でペトラという方です」


「ペトラ……隣国の公爵令嬢と同じ名だな」


 そう呟いた後、ナッシュは「ま、なんでもいい」と自分の言葉を流した。


「それより、デミグラス牛乳を使った料理を食べたいのだが、今すぐに用意することは可能か?」


「もちろん可能でございます!」


「では適当に用意してくれ」


「かしこまりました!」


 使用人が部屋を出て行く。


「デミグラス牛乳か……面白いじゃないか」


 ナッシュは紅茶を飲み干し、残りの記事も読んでいく。

 デミグラス牛乳のことが頭を支配していて、記事の内容が入ってこなかった。


 ――これが、ナッシュがペトラを知ったきっかけである。

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