027
ペトラとルークが食堂で顔を合わせる。
2人はじっくりと話をするべく、応接間に移動した。
テーブルを挟んで向かい合う格好でソファに座る。
「それでルーク様、話というのは……?」
ペトラは既にルークの言いたいことを察していた。
自分がどのように答えるかも決めている。
「久しぶりに会ったのだ。雑談でもどうだろうか」
「雑談ですか」
「会話を楽しみたい」
それはルークの本心だった。
まだまともに話していないのに、ルークの心は躍っている。
ようやくペトラと話せるのだ。
この時を待ち続けていた。
しかし、ペトラの心は違う。
彼女には雑談をしたいという思いはなかった。
ルークのことを、以前のように愛してはいない。
かといって嫌っているわけでもないのだが、話すことはなかった。
とはいえ、王子に対して「話すことはない」などと言えない。
「では……どのようなお話をしますか?」
「そうだなぁ」
ルークは嬉しそうに笑みを浮かべながら考える。
平常時の彼なら、ペトラの顔を見て気づいていたはずだ。
彼女が楽しそうな顔をしていないことに。
まるで氷のような冷たい表情をしていることに。
だが、この時のルークに、ペトラのことを考える余裕はなかった。
大人気なく自分のことだけを考えてウキウキしている。
「この国で過ごすようになってからのことを聞かせてくれないか」
「分かりました」
ペトラは淡々とした口調で今に至るまでのことを話す。
手短に済ませる為、細かいことは省略した。
ルークはそれを始終にこやかに聞いている。
何度も頷き、相槌を打ち、心から楽しんでいた。
「――そして、今に至ります」
「なるほどそうだったのか。大変だったんだなぁ」
「ええ、まぁ、色々とありました。ですが充実しています」
「そうかそうか。流石はペトラだ。昔から適応力が高いものな」
「というより、適応するしか道がなかったので……」
ペトラの話はそこで終わった。
次にルークは、自分の話をペラペラと繰り出す。
彼の話は、日に日にペトラに対する想いが強まったということのみ。
長々と話していたが、要約するとそれだけであった。
「失って初めて気付くというか、離れたことで分かったと思う。私にはペトラ・ポナンザという女性が必要不可欠であると」
ルークの演説じみた話が終わる。
彼の言葉は、ペトラの耳を右から左に通り抜けていた。
いつものルークならばそのことに気付いているし、こんな話はしない。
相手の気持ちになって考えることができるからだ。
ことペトラに関してのみ、ルークは空回りを続けていた。
そしてそれは、どうやっても戻らない段階に達していた。
「なぁ、ペトラ」
ルークが本題に入る。
「君は本当に不貞行為を働いたのか?」
「その話、今さらする必要がありますか?」
質問に質問で返すペトラ。
ルークは一瞬だけ苛立ちの表情を見せる。
彼は即答で「違う」と否定してほしかったのだ。
「君を謁見の間で糾弾する数日前、私はたしかに君の不貞行為を目撃した。中庭で男とキスする君の姿を。私だけではなく、護衛の騎士やニーナも目撃している。あれはどこからどう見ても君だった」
「では、ルーク様にとっては、それが答えではないのですか?」
「そう……思っていた。だから君を糾弾した。しかし、私は忘れていた。君の言い分に耳を傾けることを。君は謁見の間で否定し続けていた。その話を聞かせて欲しい」
「そうは言われましても、ずいぶんと前のことですので。もはや記憶が曖昧で」
「嘘だ!」
ルークが叫ぶように言う。
「たしかに多少は記憶の減衰が認められるだろう。しかしながら、曖昧になっているはずはない。あれほどのことだ。覚えているだろう」
間違ってはいない。
ペトラはたしかに覚えていた。
今でも目を瞑ればあの時のことを思い出せる。
突然の糾弾に、国外追放。全てを失ったあの日あの時のことを。
「では話しますが……私は誓って不貞行為など働いておりません」
「するとアレは偽者だというのだな? 誰かが君を嵌める為に仕組んだ罠である、と」
「そう思います。誰がどのような意図で計画したかは存じ上げませんが、私の偽者を用意したのであれば、それは罠でしょう」
「やはりそうだったか……」
ルークは安堵した。
ペトラが否定してくれたことに。
「ペトラ、あの時は激情に駆られて、君の言葉を聞かなくてすまなかった」
テーブルに額を擦りつけて謝るルーク。
「いえ、もう過ぎたことですので。気にしておりません。それに、王城内で目撃したのであれば、激情に駆られるのが当然です。王城の結界については私も存じておりますので」
「許して……くれるのか?」
ルークの顔がゆっくりと上がっていく。
「許すとか、許さないとか、そんな話ではありません。そもそも、私は怒っていません。あの日、謁見の間で糾弾された時、たしかに深く傷つきました。しかし、ルーク様ほどの御方を欺ける腕利きの仕業となれば、これはもう仕方のないことだと思うのです」
ルークはただ顔がいいだけの男ではない。
騎士にも劣らぬ実力を持ち、魔法を使うこともできる。
仮に王城でなくとも、彼を幻術で欺くのは至難の業なのだ。
だから、「仕方のないこと」というペトラの言葉に偽りはなかった。
「そうか、そう言ってくれるか!」
ルークが嬉々とした表情で立ち上がる。
そして、右手をペトラに向けて伸ばした。
「ペトラ、私と一緒にポロネイア王国へ帰ろう! そして二人でやり直そう! 公爵には私が言う。あれは間違いだったのだ、と。それで君は公爵家の人間に戻れる。婚約破棄について、一般大衆には君が病に冒されたからだと説明してある。だから改めて婚約しても問題はない。愛の力で病を克服したとすら思われるだろう!」
「それは……素晴らしいですね」
「だろう! ではペトラ、私と共に王国へ帰――」
「いえ、帰りません」
「なっ……」
固まるルーク。
口をあんぐりさせ、目をパチクリ。
「たしかに私はルーク様のお気持ちに理解を示しました。激情に駆られたのも仕方のないことだと思う、と述べました。ですが、それは一般的な意見に過ぎません」
「一般的な意見……?」
「ルーク様にだけは、私のことを信じてもらいたかった」
「ペトラ、それは……」
「100人中100人が黒と言うようなことでも、私がそれを白であると主張するのならば、一緒になって白と言ってほしい。仮に黒だと主張するにしても、どうして白なのか、とこちらの気持ちを訊いてほしい。愛とはそういうものです。少なくとも、私にとってはそうでした」
何も言えないルーク。
「ですから、もう、遅いのです。今さらどんな謝罪をされても意味はありません。私を本当に愛しているのなら、ルーク様は糾弾するべきではなかった。まずは私に事情を訊くべきだった。それをせず、怒りにまかせてしまった。それによって終わってしまったのです。私とルーク様の関係は」
「ペトラ、そんな、嫌だ、私を捨てないでくれ」
ルークはテーブルを迂回し、ペトラの腹部に抱きつく。
子供のように涙を流し、「捨てないでくれ」と連呼する。
それでも、ペトラの気持ちは変わらなかった。
「ルーク様、申し訳ありません」
「嫌だ、嫌だよ、ペトラ、お願いだ、私には君しかいないんだ」
「……違います」
「えっ」
「ルーク様が求めている私は、ペトラ・ポナンザです。今の私はペトラ・カーペンタリアです。公爵令嬢ではなく、魔物牧場の経営者です。もはや、ルーク様の知っている、ルーク様と愛し合った、ルーク様のイメージしているペトラではないのです」
「そんな……」
ペトラは体に纏わり付くルークを引き剥がし、立ち上がる。
応接間の扉を開け、部屋の外に手を向ける。
「お引き取り下さい、ルーク様。そして、出来れば、もう二度とこの場所には来ないでください。此処は小さな町にある小さな魔物牧場。ポロネイア王国の次期国王となられる方が来る場所ではございません」
すぐには動かないルーク。
否、動かないのではなく、動けない。
体の力が入らず、茫然としている。
涙だけは、止めどなく溢れ続けた。
後悔の念を抑えることが出来ず、泣きじゃくる。
ペトラの目からも、涙が流れていた。
自分の決断に後悔はしていない。
それでも涙が自然と溢れてきた。
彼女にとっても、これは辛い別れだったのだ。
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