024
馬車に乗ってやってきたのは、卸売業者のトムだった。
ペトラの負担を減らすべく、トムは自分の足で買い取りに来ていた。
「毎度! ペトラちゃん、いや、ペトラ様! 本日も元気そうでなにより!」
「あはは、トムさん、いつも本当に助かります」
「いやいや、ペトラちゃんのおかげで儲けまくっているから、これくらいお安い御用だよ。むしろもっと偉そうに命令してくれてもいいんだよ」
「別に偉くなんかありませんから、私。どういうわけか他の酪農家はデミグラス牛乳を作れないようですけど、それがいつまで続くか分かりません。他所も同じ商品を売るようになれば、私なんてただの小さな酪農家の1人ですよ」
「謙虚だなぁ、相変わらず! でも、大手の酪農家が真似できない理由ってなんなんだろうな? ペトラちゃんも分からないんでしょ?」
ペトラは「はい」と頷く。
トムを通じて、ペトラは大手酪農家の動向を把握していた。
こぞってデミグラス牛乳を模倣しようとしているが上手くいっていない。
その理由はペトラにも分からなかった。
「味の大部分は餌で決まりますし、その餌についてはご存知の通りですから」
「理由が分からないのは不安でもあるよなぁ」
「そうなんです。だからあまり楽観視はしていません」
「素晴らしい心意気だ。で、今日はどれにする?」
トムが馬車の荷台を指す。
荷台には色々な食材が積まれていた。
空いているスペースにはデミグラス牛乳が積まれる予定だ。
「今日はすき焼きにしようと思うので、こちらの肉とネギを頂けますか?」
「はいよ! 料金はもちろん無料だよ! もってけドロボウ!」
「ありがたいですけど、あまり無理しないでくださいね?」
「それは俺のセリフさ。無料でもおつりがくるほど世話になってるよ」
ペトラは必要な食材を空の木箱に詰めて、荷台から下ろす。
それを家に運んだら、牛乳と鶏卵の入った箱をトムに渡す。
「あ、そうそう、バーランド新聞に掲載されたんだってね?」
「はい。だいぶカットされましたが、インタビューを受けました。流石に情報が早いですね、トムさん」
「新聞パワーで新規顧客が殺到してるからな。肝心の新聞はまだ手元になくて読めていないんだ。ペトラちゃんの話、楽しみにしてるよ。もちろん、俺のことも話してくれたよね?」
ニヤニヤするトム。
「もちろんですよ! もうベタ褒めしときました! 物の見事に全部カットされましたけど!」
「本当は一言も話してないだろー?」
「バレました?」
「分かるよー! がはははは!」
トムとペトラの関係は変わらず良好だ。
互いにビジネスパートナーとして尊重し合っている。
それ以上でも、それ以下でもない。
「そういや、知ってるかい?」
牛乳と鶏卵の積み込みが終わると、トムが言った。
「お隣のポロネイア王国で一悶着あったらしいよ」
「えっ、そうなんですか?」
「ルーク王子の婚約が破談になったんだってさ」
「ああ」
知っているもなにも、破談になった相手は自分だ。
ペトラは目を泳がせ、乾いた笑いを浮かべた。
「相手は公爵令嬢のペトラ・ポナンザだよ。ペトラちゃんと同じ赤髪で、ペトラちゃんと同じ年齢で、ペトラちゃんと同じ名前で、しかもペトラちゃんと同じ美貌の持ち主さ」
「な、なんと……!」
「って、あれ、ペトラちゃん、もしかして公爵家の令嬢さんだったりする!?」
「えっ」
固まるペトラ。
数秒の沈黙。
「なーんて、んなわけあるかよってな!」
トムがゲラゲラと笑う。
「そうですよ。本人が聞いたら怒りますよ、たぶん」
「だろうなぁ! ポロネイア王国は未だにバリバリの貴族主義だしな。こっちの貴族と違って貴族様が威張り散らしてるって話しだ。あっちのペトラちゃんはきっとおっかねぇ性格だろうよ。『こらトム、今の言葉はなんですの! 貴方、死刑に処しますわ! 死刑ですわよ!』とか言ったりして」
トムが空想上の公爵令嬢の振る舞いを演じる。
ペトラは思った――私はそんな発言しないぞ、と。
「ど、どうして、破談になったのですか?」
「ペトラ嬢が難病にかかったかららしいよ」
「なん……びょう……?」
「今は公爵家の館で絶対安静なんだってさ。なんか意識不明らしいよ。で、回復の見込みがないからってことで破談になったらしい。ほら、ポロネイア王国って、ウチと違って王子が1人でしょ? だから元気な人間を嫁にする必要があるんだよ」
「なるほど」
今になってようやく、ペトラはポロネイア王国における自分の扱いを知った。
国外に追放されて以降、今に至るまで、一度も過去を振り返ってこなかった。
自分の扱いも、父やルークの現状も、知ろうとすらしていなかった。
(国外追放について黙っているのは、公爵家の名を汚さないようにする為でもあるけど、なによりルーク様の名を大事にしてのことなんでしょうね)
ペトラは久しぶりに国外追放された日のことを思い返す。
理由は不貞行為を働いたとのことだったが、全くもって心当たりがない。
そう誤解されるような行動をとった覚えもなかった。
(誰かに嵌められたのだとは思うけど……)
貴族社会に疎いペトラでも、自分が誰かに嵌められたことは分かる。
しかし、それがいったい誰なのか、まったくもって見当が付かなかった。
(ま、今となってはどうでもいいけど)
ペトラは過去に縋らない。
ルークと過ごした日々は楽しかったけれど、それは過去の話だ。
過去に戻りたいとは思わないし、戻る気もなかった。
それに今の生活が気に入っている。
「また面白い話があったら言うよ。そんじゃ、今日はこれで。代金は指定の口座に振り込んでおくよ」
「はい、ありがとうございます、トムさん」
「こちらこそありがとうね」
トムが馬車を反転させて、牧場から離れていく。
すると前方から、煌びやかな馬車がやってきた。
今度の馬車は貨物運搬用ではなく、人を運ぶ為の馬車だ。
荷台ではなく客車が備わっている。
更に馬車の両サイドには甲冑に身を包んだ騎士の姿。
一目で貴族の馬車だと分かった。
トムは慌てて馬車を横に移動させて道を作る。
そして、心配そうな顔で振り返り、ペトラを見た。
「あの馬車は……」
ペトラはその馬車を知っていた。
「どうして……」
変な汗が首筋から流れる。
馬車が近づいてくるにつれて、ペトラの確信が強まる。
「どうしてルーク様が……」
それは、ポロネイア王国の王子ルークの専用馬車であった。
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