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その毒に揺られて  作者: ウイルスT
1/1

その毒に揺られて

第一章 不思議な夢


       1

私はしがない印刷屋。十五で家を出て町工場で修業をし、なけなしの金を貯めて小さな印刷屋を始めた。一時は大ヒット作に恵まれて生計を立てていたものの、今のご時世、紙出版物は激減。会社はあっという間に倒産してしまった。日雇いバイトで酒浸りの毎日にももう飽きた。

いっそのこと・・・


雲一つない晴れやかな空、彼岸ということもあって少々賑わう緑鮮やかな広大な墓地に、この物語の主人公御神博樹みかみひろきは到着した。広大とはいっても一畳ほどの墓地が、所々隙間を空けながらざっと100軒ほど並ぶ程度の規模だ。入り口には池を囲んだ庭園があり、季節が変われば桜が咲き花見でもできようかといった豊かな佇まいだ。お墓としては十分な環境といえるだろう。彼岸と言っても平日だったため、お参りに来ている人は程々で、5台入る駐車場は全部空いていた。その一番右側にワインレッドのワンボックス軽自動車をバックで止めて、御神はゆっくりと車を降りた。これと言ってかしこまった服装ではなく、ネルの長そでシャツにジーパンのラフなスタイル、しかし墓地なので供花と数珠はきちんと用意してきていた。

 御神家の墓は数並ぶ墓石の入り口あたりにある。車を降りた博樹は共用の水桶と柄杓を片手に歩を進めた。父母は優しい人だったが歳をとってから病気にかかり、早くして父を亡くしてしまった。工場を放ってはおけない為、独り身の母親の面倒もろくに見られず、後を追うようにして母親も亡くした。母の面倒を見られなかったのが博樹の後悔となっている。仕事のことなど言い訳にならない。人の一生だ。申し訳ないという気持ちに幾度も駆られたが今の博樹は自分の事で精一杯だった。かなり追い詰められていた。墓石の前に立つと積もり積もった思いが一気に溢れ出てきた。

 「父ちゃん、母ちゃん、やっぱり俺駄目だったよ。昔から俺どんくさかったからな。あのときあんた達の言うように田舎で公務員になっていればよかったんだよ。幼馴染の雅美ちゃん結婚したんだってなあ。俺、実はあの子好きだったんだよ。母ちゃんはお勧めだって・・いや、 済んだ話はもうやめよう。」

 一通り吐き出して気を取り直した博樹は丁寧にお墓を拭いて、花を手向け線香をたいた。墓の敷石に腰を下ろしタバコを一服。博樹はようやく今日は雲一つない青空だということに気が付いた。最近季節の感覚がない。いや最近というよりは工場を手放してからずっとそうである。一人前の男になりたい。青臭い言い方だが漠然としたそんな思いであてもなく実家の愛知県から一人上京した。家庭は博樹には優しかったが決して裕福ではなかった。父母は小さな葡萄園を経営しており、公私ともに愛される人たちではあったが、葡萄園はそれほど金になる仕事ではなかった。父親がフラッと表に飲みに出かけると、きまってその月は学校の給食費が払えなかった。給食費が払えない生徒は博樹だけではなかったが、子供心には少なからず傷ついた。そんな小さなことの積み重ねだろうか、いつからか博樹は「仕事で一人前になる」という概念を人一倍持つようになった。地元愛知県でも充分、むしろ愛知県ならではの職業もたくさんあったにもかかわらず首都東京、しかも高校進学もあきらめて都会へ夢を見た。親はかなり心配し反対したが、子供なりに博樹の決意は固かった。当時高校へ行かない子はよほど勉強が嫌いな子が多かったのだが博樹はそういった類の子とは違った。勉強はまあまあ好きだがそれ以上に独立心が強かったのだ。家出同然で東京へ来た。事業を始めることに決めたのもこの独立心のなせる業だったのだろう。しかし類稀なる根性も時代の荒波には簡単に勝てない。お金というものに翻弄される働き方は、お金というものに弄ばれて捨てられる運命なのだろうか。まさに博樹の半生は波乱万丈そのものだった。いや波乱万丈とまでは言えないが、15で上京した博樹には、そう思わせるのに十分だった。しかしあまりにも波が早すぎた。博樹が焦っていたのかもしれない。15から仕事を始め27にはもう独立。順風満帆に見えたが業界不況の波にさらされ跡形もなく会社は吹き飛んだ。造るのは大変だが倒れるのはいともたやすい。15年の努力がくれたものは結局借金だけということになる。こうなってみると結婚しなかったのはかえって身が軽かった。独立したころに出会った女性はいたが仕事の忙しさにかまけて大切にしてやれなかった。若くして一国一城の主になった博樹はどこか世間知らずのワガママだったのかもしれない。そんなことも含めて不渡りひとつですべてが吹き飛んでしまった。手形などというものに翻弄される暮らしは当然楽しいものではなかった。運転資金を求めて銀行に頭を下げて回る毎日。商品を提供して対価をいただくのが仕事の本文だが、お金を集めることが本業のような毎日の暮らし。会社というものを支えるのが一杯一杯で働くという感覚は徐々に薄れていった。もともと好きで始めた仕事ではなかったが、やっているうちに博樹は本というものが好きになった。単なる文字というものの羅列が、読み手に伝わり時には感動や喜びを作り出す。たくさんの人に喜びを伝えるのが自分の仕事と誇りも感じていた。しかし蓋を開けてみれば仕事とは人の生活があり、生活には当然お金が必要。つまるところはお金なのだと。お金欲しさに旗揚げした事業は、最後にお金にとどめを刺される。純粋に仕事に喜びを感じていたあの頃が懐かしい。昔を取り戻そうと倒産後持っているコネを使って数々の仕事に就いたが、どれも喜びを感じるには至らなかった。何をやるかではなくどんな気持ちでやるかが大切ということなのだろう。全盛期というものを知っているだけに今のバイト暮らしは惨めな暮らしだった。最初はきちんと務めるつもりだったが、どの仕事についても気の抜けたサイダーを飲んでいるような感じだった。仕事をなめているわけではないのだが身が入らず時計の針ばかりが気になる。社長というものを経験してしまったばかりにもう普通の仕事はできなくなってしまったのだろうか。一週間が長く感じ心折れ、休みがちとなっていった。日雇いバイトなら自由が利くし迷惑もかからない。博樹は気が付くと完全にフリーターになっていた。決して納得しているわけではない。もう40にもなるのにフリーターに甘んじている自分はほとほと嫌気がさしていた。しかし生きていかねばならない。そんな使命感だけで日々を過ごしていた。しかしそれもそろそろ限界だった。もやもやした雲の隙間から光が差すかのように博樹の頭に甲高い声が響いた。

 「パパ、このお花食べられるの?」

 墓地の道向かいの草むらの端に、まばらに咲いている彼岸花を指さして、3.4歳と思われるかわいいお嬢さんが叫んだ

「駄目だよ、毒があるから。」

父親が女の子を諭した。

 「彼岸花は死人花とも言われているんだよ。

 人を死に誘うって・・・」

 「あなたそんな話子供にしたって・・・」

 母親が笑顔交じりに父親の言葉に困惑した。

 気を取り直すように父親が話を変えた。

 「帰りにファミレス寄るか。何が食べたい?」

 お嬢ちゃんは即座に答えた。

 「ハンバーグ!」

 「よし!じゃあハンバーグ食べに行こう」

彼岸花の話などなかったかのようにお嬢ちゃんは向き直りご機嫌で駆け出した。お嬢ちゃんにはたわいもない話でもなぜか博樹の耳からはその言葉は離れなかった。

「死に誘う・・・」

その言葉は博樹の中には前々からあった感情だった。しかし言葉にすればすべてが終わるような気がして、ずっと目を背けていた感情だ。あまりにも青い空を見ていたせいですべてが吹っ切れてしまったのだろうか。蓋をしていた感情が沸々と湧き出して止まらなかった。

「これを食べれば・・・」

非現実的な死というものに簡単に向き合えるような気がした。飛び降り自殺も首吊り自殺も苦しそうだし、何より自殺というものは仰々しい。食べるだけという簡単な行為で安易に死ねるのなら・・・と死に対して前向きに捉える自分がいた。毒があるということは服毒自殺ということで、多少なりとも苦しみは伴うだろうが、彼岸花の美しさの前ではそんな発想は欠片もなかった。美味しいものを食べてポックリ逝けるという安易な考えのみだった。何かに取り付かれたかのように花をつけた彼岸花を一本一本根元からちぎっては片手に束ねていった。秋の風が一段と強く吹くと、森になった所の木々から雀の群れが一斉に飛び立った。


     2

愛知県東海市・・・鉄とランの町とうたわれるベットタウンに博樹の住まいはあった。

築40年は立つだろうというぼろアパート、その二階の一室に住んでいた。東京の会社が倒産してからはしばらくの間東京暮らしだったが、フリーターになってからは東京にいる必要もないため愛知に戻ってきていた。いる必要がないというよりはいたくなかったという方が正解だろう。楽しかった思い出も多々あったがこうなってしまった今、その全てが忘れたい思い出だ。変わり果てた毎日に嫌気がさし収入のほとんどを借金とお酒に費やした。休みのほとんどは酒に呑まれることが多く、いやでも忘れたい過去の思い出を思い出す。まるで逃げるように地元に帰ってきた。1DKのアパートだが寝るのと酒を呑むだけの生活には充分だった。流し台にはカップ焼きそばの食べ残しとシンク一杯の彼岸花。どうしたものかと戸惑いながらまずは帰ったらビールを一杯。それからシャワーを浴びて思案していた。

 「つまみで食うか」

 花を一本片手にとり

 「毒ってどれだけの毒なんだ⁉」

 「相当苦しいのかな?」

 いざとなったらやはり不安が募った。

「どうやって食う⁉」

「塩で炒めて・・・いやいや火にかけたら意味無いよな・・・」

恐る恐る真っ赤な花弁を一口食べた。

「苦っ」

「あ、マヨネーズがあったな。」

片手に花、片手にマヨネーズを持ち花弁にマヨネーズを垂らした。

「お、美味っ」

マヨネーズをかければ大概のものは美味しくなる。彼岸花とて例外ではなかった。

テレビではお笑い芸人が芸人NO.1を決めるグランプリを競っている。この時期は恒例である。博樹は基本バラエティが好きである。それほど見るわけでもないが、こんな暮らしになってからは少しでも華やかな雰囲気のする映像をかけるようにしている。特に見入っているわけではなくただぼんやりと笑い声の絶えない映像を流している感じだ。番組もクライマックスに差し掛かるころには、4本目のビールと10本目の彼岸花をたいらげていた。

眠たいわけではないのだが視界がぼやけてきた。体も重くしまいには天井がぐるぐる回りだした。異常を察知するより早く博樹は気を失った。


「ねえ起きてよ!」

「え!!!」

「朝ごはん作ってみたの」

博樹は急いで起き上がり周りを見渡したが、間違いなく自分のアパートだ。見たこともない女性が台所で手を洗っている。後ろ姿だけでもモデルのようなスタイルの持ち主ということは感じてとれる。

「いや、誰?お前」

丁寧に対応しようとは思ったが他に言葉がなかった。

「いいから食べて!目玉焼きは半熟だったわよね」

「なんで知っているの?」

冷静さを取り戻そうと周りを見渡しその後テーブルを見た。60センチ四方の小さなガラステーブル一面にホテルのモーニングのようにご馳走がこれでもかと並んでいる。博樹は慌てて状況だけを飲み込んだ。

「ハッシュドポテト大好きなんだよ」

「苦労して作ったんだから」

そう笑い近寄る彼女の顔をようやくまじまじと見た。きれいに整った顔立ちは、やはりモデルを思わせるほど美人だった。いやモデルというよりも少しあどけなさの残るなんとも表現しがたい雰囲気の女性で、ただハッキリしていることはそうかそうじゃないかで答えるなら博樹のタイプだった。

グウ~~~

実際昨日は彼岸花しか食べていないので腹は充分に減っている。

「夢か?夢ならむしろ食べなきゃ損だよな」

とにかく面倒くさいことは忘れて食欲のままに食べ漁った。一通り食べて博樹はようやく落ち着きを取り戻した。

「あの・・・ところでさあ・・・」

「はい」

「ここに君がいるってことはさあ」

「はい」

「昨日の・・・」

「はい」

噛み合っているのかいないのかわからないやり取りが続いた。

「いや・・・」

「何ですか?」

「オッホン!昨日の夜は・・・その・・・」

「フフフ・・・素敵でしたよ」

すすっていたお茶で博樹は噎せた。

「ええ~~~~いやその・・・あ、忘れていた!」

「きみ誰なの?」    

「昨日あなたに連れてこられたんですよ」

博樹はまた焦った。

「はあああ?昨日俺は墓参りして、そのまま帰って酒を飲んで・・・いや・・・その後!その後どうなった????」

必死で回想した。天井が回りだしたのは覚えているが眠たかったわけではない。あの後は寝たのか?それとも記憶のないうちに何か?

「あの・・・」

「はい」

「私は何処であなたを連れてきたのでしょう?」

「さあ・・何処でしょう?」

彼女はいたずらっぽく笑った。気を取り直したように

「さあ、時間ですよ!」「遅刻したら大変でしょう」

「え」

「はいはい、行ってらっしゃいませ」

遅刻という言葉であわてた博樹は

「ああ・・・おお、行ってくる」

とジャージのまま上着だけ羽織って家を出た。

「さあ!今日も一日頑張るぞおおお・・・って、何を?」

博樹は我に返った。しかし家に戻るのもなぜか気まずい気がして戻るに戻れなかった。

どこか心の底ではこんな久しぶりな心和むお見送りを壊したくないという心理が働いたのであろう。結婚したことはないがかつては女性に見送られて出勤したこともあった。もう十数年も前の話だ。ふとジャージのポケットに手を入れるとクシャクシャになったお札が2枚あった。2千円である。もう一度ポケットに手を入れると小銭をかき集めた。526円あった。普段バイトがない日はお金の節約のためほとんど家から出ない博樹だが別にオタクではない。

「映画なら時間つぶせるか」

駅前の商店街の一角に小さな映画館がある。

ゆっくり映画を見るのは久しぶりだが、好みでない映画だと決まって博樹は寝てしまう。そのため映画はDVDで見ることの方が多い。もったいないからだ。

映画館の前で映画を選ぶ。洋画のアクションものが興味を引いたが上映は二時間後だ。今の時間にちょうどいいのは邦画の恋愛もの。今が旬の若手俳優が主演を務めるヒット作だ。

しかしここ最近の博樹は芸能界の事情にも疎かった。それも仕方ない。テレビというものは寂しさを紛らわすための音源でしかないからだ。映画というものも一部の作品を除いてはどれも一緒だった。

 「これでいいか」

 1900円でチケットを買いC-6番に座った。入り口に一番近いからだ。見渡すと平日ということもあってお客さんは5人程しかいない。公開予定の作品が流れ場内は暗転した。


「お客さん!」

博樹の耳に大きな声が届いた

「は!」

博樹はぐっすり眠ってしまった。傍らにはユニフォームに身を固め手にモップを持った清掃のおばちゃんがいた。

「お客さん疲れているんだねえ」

どことなく憐れむような口調でおばちゃんは言った。

「ええ・・・まあ」

返す言葉もなく博樹はたじろいだ。

「眠たいんだったらサウナでも行っておくれ」

追い出されるようなやり取りの末、博樹は映画館を後にした。

「そうだなあ・・・サウナにしときゃよかった」

「いやいや、じゃなくて!」

「あいつは一体何者なんだ!」

思い返してようやく勇気がわいたように真実を確かめるべくアパートへ走った。出るときは掛けなかった鍵がかかっている。ポケットから鍵を取り出し開けて中へと入った。博樹は部屋を見渡し風呂とトイレを調べた。いつも通りの様子で使ったはずの食器もいつも通り片付けられていた。ゴミ箱もカラである。まるで人が作業した痕跡もなかった。

 「やっぱ夢か・・・」

 「そりゃそうだなあ・・・」

 ポケットの携帯電話が鳴った。派遣会社からだった。

 「御神さん、明日のバイトの件、御返事聞いてないのですけど・・・」

 「え!ああ・・・明日は・・・」

 「お引っ越しですよ!」「引越屋さんあなたやりたいって言っていたでしょう?」

 「あ、そうでした。えっと・・・何時でしたっけ?」

 別に引っ越し屋がやりたい訳ではなかった。数あるバイトの中でも運送関係、特に引っ越し屋の時給がいいためそうしたのである。ただ引っ越しの仕事は運動不足の博樹にはかなりハードな内容だ。とりあえず明日の仕事だけは行くことにした。キッチンのシンクの彼岸花はとりあえず茎を水に浸けて活かすように養生した。まだ捨てる気になれなかったのだ。

 「明日はきっといい日になるさ」

 博樹はまだ明日起こることを知らずに慰めるように呟いた。


 名古屋市にあるやや高級そうなマンション。いや億ションか?という場違いなところに博樹は来ていた。バイトだから仕方あるまい。

 504号室のチャイムが鳴り響いた。

 ピンポーン 

 「おはようございます!ニコニコ引越センターです。」

 「はーい」と若い女性の声がして近付いてくる足音の後入り口のカギが開いた。

 「はいどうぞ」と扉を開けて迎え入れてくれたのに続いてバイトのリーダーがお約束の挨拶をした。

 「本日はこの三名で・・・」

 「あああああああ!」

 バイトのリーダーが言い終わらないうちに博樹はすっとんきょうな声を上げた。

 「何だ、バイト!いや御神君」

 目の前で身を乗り出してドアを開けているのは間違いなく昨日の夢に出てきた女性だった。

 「貴方昨日の・・・」

 「何ですか⁉」

 相手は何も知らない様子だった

 「失礼いたしました。本日はこの三名で作業させていただきます。」

 女性は気を取り直したように

 「よろしくお願いしますね」

 と笑顔を見せた。もう一度博樹に目を配りやや怪訝そうに奥へ引っ込んでいった。

 彼女の部屋のリビングで、リーダーが彼女と話をしている。博樹は隣の寝室でハンガー掛けのついた段ボール箱に、ハンガーに吊るされている洋服を入れる仕事をしていた。一つ一つ箪笥から出して丁寧に掛けていったが、隣が気になって仕方がない。手は動かしながら意識は隣の部屋にあった。いわゆる聞き耳を立てるというやつだ。リーダーはバイトには厳しいがお客さんには愛想がいい。どんな人にもすぐ溶け込める才能の持ち主だ。

 「そうなんですかぁ。学生さんなんですね。お勉強大変そうですね。」

 話を聞きながら博樹は心の中で突っ込んでいた。

 【勉強が大変なんてどうでもいい。どこの大学なんだ。いや高校?・・・昨日の夜は・・・いやいや】

 たまらず彼女に話しかけたくなったが、話題の糸口がない。それにリーダーが見ている前で勝手にお客様と話なんてできっこない。

 「あの・・・」

 「何だね、御神君」

 「・・・この段ボールは・・・」

 当たり前のことを当たり前に答えてくれた。

「もちろん運んでくださいな」

 「いや・・・運ぶのですね・・・はい」

 本当はもっと気の利いた話がしたかったのだがお客様と日雇いバイトの関係ではこのぐらいが精いっぱいだった。

「丁寧に車に運んで!」

 リーダーはわかっていることを念押しした。

 表に駐車してある2トントラックの荷台に段ボールを押し込み助手席に足を運んだ。ふとドアに手をかけるとドアが開いた。普段は鍵を閉めているはずなのだがたまたま忘れたのだろうか。ラッキーとばかりに助手席に乗り込み煙草を一服した。勝手に休憩などとれば叱られるのはわかっているが見つからなければ大丈夫。博樹のいつもの考え方だ。

 「ちょっと一本だけ勘弁してくださいね」

 そう言いながら「ふう」と煙を吐き出したその先、ダッシュボードの上に作業指示書というものが置いてあった。作業指示書というのはどこのお客様のどんな荷物をどこへ運ぶか詳細が書かれた書類のことだ。博樹は思わず手に取った。引っ越し先の住所が書いてある。

 「愛知県名古屋市緑区・・・」

 これはいいものを見つけたとばかりに博樹は何度も復唱した。覚えるつもりだ。

 「おいバイト!何サボっているんだ!きさまはもういい!!!」

 普段リーダーが車に降りてくることなどめったにないのだがこの日は勝手が違った。事実上のクビである。リーダーの権限で作業者を送り返すこともできるのだ。見つからなければいいという博樹の緩慢な姿勢が招いた当然といえば当然の報いである。

 早い時間からアパートに帰ることになった博樹だが、反省するでもなく冷蔵庫のビールを取り出しプルタブを開けた。キッチンには彼岸花が十数本ほど残っている。水を差しているのがよかったのかまだ花も葉も生き生きとしている。博樹はビールを飲みながら暗記した住所を紙に書き留めた。

 「確かめなきゃ・・・一昨日の事実を・・・いや、何が知りたいのだろう俺は⁉」

 「とにかく会わなきゃ」

 沙羅多枝子さらたえこ彼女の名前だ。

博樹はメモを片手に多枝子の家を探して歩く。JRの駅から歩いて5分ほどの小さな公園の向かいのアパート。億ションからこんな小さなアパートに引っ越すなんて何かの事情があったのだろうか。そんな詮索もしたくはなったが、それ以前に彼女が何者なのかを知りたかった。博樹にしてみれば彼女がこの世のものではないような感覚さえしている。夢で片付けるにはあまりにも偶然過ぎるしあまりにもリアルすぎる。仮に夢だとしてもあまりにも鮮明に彼女の顔を覚えている。間違いなく今から行くアパートに住んでいる沙羅多枝子だ。世の中には似た人が2人はいるというが空似だとは考えにくい。そのぐらい声までもはっきり記憶していた。なぜ彼女が自分に気付かないのか。いつまで惚けているのか。まったく今置かれている状況が理解できなかった。しかしもし本当に自分のことを知らないとすれば全ては失礼に当たる。そんな遠慮が博樹の行動を消極的にさせていた。

 「えーっと・・・お、ここだ」

 多枝子は二階建てアパートの二階の隅の部屋だ。ドアにもポストにも表札が掛かっていなかったため本人を確認するまで此処の住人かどうかは定かでなかった。ドアの前で少し考えた後アパートの前で本人の姿を確かめてから話をしようという消極的な結論に至った。今の時刻は12時48分。昼食を済ませて表に出てくるのにはちょうどいい時間だ。今日は天気もいい。ふと我に返り、これではストーカーではないかということにようやく気付いたが、それ以上に事の真偽を確かめたいという気持ちが強かった。博樹の言い分では二人はもう顔見知りだ。しかし普通に挨拶するのには少し勇気がいる。ジレンマに耐えながら20分ほど電柱の陰で多枝子を待ち続けた。

 しばらくしてドアが開きジーンズにカーディガン姿の多枝子が姿を現した。手際よく鍵を閉めトートバックに鍵をしまった。姿勢の良い歩き方で階段へ向かいカツカツと階段を降り始めた。博樹は見つけたという達成感とそれからどうしようという不安感で少しそわそわした。階段を下りた彼女はこちらには全く気付く素振りもなく、先ほど博樹が歩いてきた道を通って駅の方へと向かった。

 駅の真向かいは大手チェーンのスーパーとなっている。夜の買い出しだろうか。スーパーの入り口を入り脇目もふれずに生鮮食品のコーナーに向かった。博樹に気づく様子は全くない。博樹は探偵にでもなった気分で尾行を続けた。

 「なんで野菜ばっかりなのだ・・・ベジタリアン?何かの宗教か?肉を食わない宗教は・・・あれ、肉を買った。宗教はやっていないと・・・いやいや・・・そもそも俺は何を知りたいんだ?」

 博樹は自分自身が何をやっているのかわからなくなっていた。しかし真実を知るまでは引くに引けない思いでいた。彼女は手際よく食品をカゴに入れて立ち去っていく。

 「あ、ちょっと待って」

 博樹はただ振り回されているだけである。

 買い物を済ませた彼女は寄り道もせずまっすぐアパートへと帰りドアを閉めた。カチャリと鍵の閉まる音がした。博樹はどうすればいいのかわからず呆然と家に入る彼女を見送った。今回わかったことといえばおそらく今晩のメニューはすき焼きではないかということだけだった。

 「うーん、ピンポーンも変だよな・・・よし明日だ!明日はハッキリ聞いてみよう。あの夜何があったのか!いやいや、そもそもあの人は誰なんだ?」     


      4

 目覚まし時計がけたたましく鳴る。時刻は7時。博樹は今日だけは目覚めがよかった。枕元の携帯を手に取り派遣会社さんに連絡を入れる。

「あの・・・今日のバイトの件なんですけども・・・急に母が病気になりまして・・」

「御神さんまたですか・・・」プツリ

生活は決して裕福ではなくバイトをキャンセルするのはある意味死活問題である。しかし今の博樹はそれどころではなかった。ここまで自分を突き動かすものは何なのか、今は博樹自身が気付いていなかった。

ピンストライプのシャツにカラージャケット。久しぶりの革靴。カジュアルながらも清潔感のある服装はまるでデートでも行くかのような装いだった。すでに普段のジャージ姿を見られているはずだったが、多枝子とは初顔合わせの可能性がある。最低限の嗜みという思いでチョイスした。洗面所の鏡の前で襟を治し「よし!」両手で顔を二回たたいた。

 多枝子のアパートの前、やはり電柱の陰から見守る。菓子パンと野菜ジュースを手にアパートを見ている姿はまるで刑事の張り込みのようだった。一時間ほど待たされただろうか、彼女がアパートから出てくる。今日はワンピースにカーディガンという女性らしい服で出かけるようだ。探偵気取りで博樹はひたすら後を追った。途中バスに乗り込み顔を見られそうになったが彼女はこちらの様子などまったく気にしていないようだ。バスは病院前駅で止まり多枝子はそこで降りた。気づかれないように少し間を開けて博樹もバスを降りた。病院前駅があるぐらいなのでかなり大きな総合病院だ。

「彼女はどこか悪いのか?」

 「いや学生・・・と言う事はインターンかなにかなのかな?」

 後をついていくと彼女はエスカレーターに乗り4階へ上った。入院患者の病棟だ。通いなれた様子で奥へ奥へと進んだ。412号室へノックをしたのち入っていった。博樹は足音を立てないように病室の前へ歩を進めた。患者の名前は沙羅秀夫さらひでお。患者が一人しかいないということは個室のようだ。扉に耳を当てて博樹は中の様子をうかがった。たまたま通りかかった看護士に不審な目で見られ少したじろいだがそんなことより今は中が気になる。再び張り付くようにドアの中へ耳を傾けた。

 「お父さん今日は具合が悪い様ね」

 ゴホゴホと秀夫のせき込む声が聞こえる。

 「大好きな水ようかん買ってきたけどその様子じゃあ・・・あ、横になって」

 「すまないね、多枝子」

 一言告げて秀夫はまたせき込んだ。

 「調子が悪そうなのでまた出直します。横になってゆっくりしてください。」

 少し間をおいて多枝子はドアの方へ歩き出した。博樹は慌ててドアから離れ身を隠す所を探した。病室が向かい合うだけの病室通路に身を隠すところはない。機転を利かせてゆっくり歩きだし普通の見舞客のふりをした。そのまま振り向かずエスカレーターに乗り一人で出口まで向かった。病院の出入り口を出て玄関まで先回りし博樹はしばらく考えた。気まずい気持ちはあったものの遠慮していたらいつまでもストーカー止まりだ。かといってこのまま忘れることなど到底できない。切羽詰まった気持ちが博樹を少し大胆にさせた。出入り口から玄関までは30mほどあり彼女の姿を見ることはできる。彼女が現れたら体調が悪いふりをして会話の糸口を探そうという作戦だ。相手にされなかったらどうしようなんて考えもしなかった。とにかく今は行動あるのみ。博樹はおかしな方向へ焦っていた。

 「よーし」

 玄関の前でうずくまる。

 「どうなさいました」

 女性の声がする。博樹は興奮を覚えた。 

 「ううう、ちょっとお腹が・・・」

 見上げるとかなりぽっちゃりとした年配のおばさんが心配そうな顔で見降ろしていた。

 「いや、何でもねえよ!ババア」

吐き捨てて博樹は歩き出すふりをした。おばさんが玄関に入っていくのを振り返り確認すると、すぐ玄関に戻り多枝子の様子を確かめた。もうすぐ目の前だ。よし!

 「どうかなさったのですか?」

 今度は間違いない。彼女の声だ。今になって緊張してきたが後には引けない。 

「あ、いや・・・少しめまいが」

 「大丈夫ですか?診てもらったらいかがですか?ここ病院ですし・・・」

 多枝子は疑う様子もなく心から心配しているようだ。少し胸が痛んだ。

 「いえ、病院は苦手な物で」

 博樹の意志が解からず彼女はきょとんと博樹を見つめる。少しの間をおいて彼女の方から気付いてくれた。

 「あら、あなた先日の引越屋さん?」

 話の糸口は労せずに手に入った彼女はあまり人を疑うことはしないようだ。その天真爛漫さにホッとした。

 「はい!え!あ~~~先日はお世話になりました。なんて偶然なのでしょう。」

 偶然ではないことは自分が一番よく知っている。知らず知らずに声が少しひっくり返った。しかし彼女は疑うことを知らない。

「今日はお仕事お休みですか?」

 「はい!全然お休みです。丸一日お休みです!・・・それだけですか?」

 「と申しますと?」

 慌ててはいるが博樹の頭の中は冷静に働いていた。

 心の声

 【人違いか!?いや似すぎている。声まで一緒じゃないか】

 どうしていいかわからずに固まりそうな博樹をまた彼女が助けてくれた。

 「フフフ、おかしな人ですね。私午後の授業まで時間があるのでお茶でもいかがですか?引越のお礼に」

 願ってもない展開だ。この女性はいつもこうなのだろうか?社交的というよりはガードが甘いのでは⁉と思ったが現状を素直に受け入れた。

「いや・・・お礼なんて・・・いります!」

 病院玄関から100mほど離れたところに個人経営の喫茶店があった。決して繁盛しているとは言えないが内装はきれいに整えられ。メニューも豊富だった。時刻は昼近かったが多枝子がホットコーヒー博樹はアイスコーヒー。それだけ頼んだ。博樹が焦り気味に話し始める。沈黙が嫌だったからだ。

 「いや、もう引越屋っていうのは大変でね、夏は暑いし冬は寒いし。かといって仕事の手を抜く訳にはいきません。お客様の大切な財産を扱う訳ですから。なに、私体力には自信がありますので、タンスなんかひとかつぎですわ。それに比べてバイトの連中はなってない!この前も一人クビにしてやりましてね」

 クビにされたのは博樹である。彼女の前でフリーターだということはやはり言いたくはなかった。見栄など張ってもすぐにばれるものだが男は見栄を張りたがる。博樹もその一人だった。後先のことなど考えず今は彼女との時間を楽しむことだけに集中した。 

 「ふふふ・・・お仕事お好きなのですね」

 彼女は一切疑わす優しい対応をしてくれた。

 心の声

 【それだけか・・・熱い夜は何処へ行ったのだ】

 そんなことは誰も言ってないのだが、博樹の中で勝手に熱い夜まで膨らんでいた。男と女が一晩を共にすれば誰でも想像することは一緒だろう、確かにはっきりさせなければいけないことだ。しかし聞く勇気もなく当たり障りのない質問をした。

 「あの・・・学生さんなのですか?」

 「はい、大学で心理学を勉強しています」

 「父の看病もあるのであまり行けてないのですけどね」

 背筋をピンと伸ばしハッキリとした口調で話す姿は大人っぽく見えた。もっと彼女を知りたいそんな気にさせられた。

 「失礼ですがお父さんは?」

 「肺癌のステージⅣです」

 ある程度は予想していたがハッキリさせるとやはり複雑な気持ちになった。さらに多枝子は続けた

「余命わずかと言われています。」

 表情には出さないが声が心の内を伝えている今にも泣きだしそうな気持をこらえているのだろう。博樹は同情とは違うよく解からない複雑な気持ちになった。

「父に対して私は何もしてあげられません。せめて最後ぐらいは笑って人生を終えさせてあげたいと思うのですが・・・仕事一筋の父でしたので・・・」

 父親がどんな人なのか興味はあったが、それより慰めの言葉を探した。

 「う~~ん、きっとあなたの様な方に看病されて幸せでしょうに」

 多枝子は即座に答えた

 「いえ、私女二人の兄弟ですので・・父は最後まで男の子が欲しかったらしいですよ。

結婚すれば息子が出来るってうるさくて。」

 一番気になっている話が向こうから出てきた。

 「結婚されないのですか」

 「今は一人です。相手のあてもありません。でも私料理は得意ですわよ」

 博樹はなぜかやったと思った。

「ハッシュドポテトは友達も美味しいって言っています」

 「あ、確かにめちゃくちゃ美味しかったですよ」

 反射的にそう答えてしまった。

 「え⁉」

 多枝子は目を丸くして驚いた。

 「あ・・・いや・・・それを誰か男性に食べさせたことは無いですか?」

 話の本題に向こうから近付いてくれた。しかし・・・

 「残念ながらありません。お父さんぐらいですかね」

 心の声

 【どういう事だ?・・・この女に間違いない・・・この女は酔っぱらって・・・いや、酔っていたのは俺の方だ・・・しかし・・・この恐ろしいまでの偶然は・・・】

 博樹は頭の整理ができずに固まってしまった。しばらく沈黙しアイスコーヒーをストローでただ啜った。「いつまで惚けているのだ」そう叫びたかったがすべてが壊れる気がして踏みとどまった。アイスコーヒーがなくなり

ストローがズズッと音を立てた。そのタイミングで多枝子が慌てた。

 「あ、私もうそろそろ行かなきゃ。この単位落とす訳にはいかないんです」

 財布から500円玉一枚出した。 

「え・・そう・・・あのお・・・」

 博樹はなんとか頭の整理をした。

 「はい」

 立ち止まる多枝子に気持ちを伝えたいのだがどうしても素直になれない自分がいる。 

「また会っていただけますか?その・・・変な意味ではないのですが・・・何と言うか気になって・・・」

 「気になる⁉」

 「はい・・・あ!・・お父さんが!・・お父さんの事が気がかりです!」

 とっさに言い訳をしたが逆にそれがよかったのかもしれない。

 「・・・・優しいのですね。是非父に会っていただきたいです」

 トートバッグに手を入れて何か取り出した。 

「プライベート名刺です。連絡ください」

 以外に簡単に個人情報が手に入った。;。

「あっ、私も・・・」

昔の癖でポケットに手を入れたが今は名刺がない。

「じゃなくて・・・メモします」

 ポケットからクシャクシャの紙を取り出して奇麗に伸ばしアドレスを書き込んだ。

「はい、ではまた」

 小走りに出口へ向かい慌ただしく出ていった。いなくなるのを確認し、浅く座りなおして大きく息を吐いた。かなり緊張していたようだ。話をしてみるとかなり感じのいい娘だ。思ったより話しやすい。もっと彼女の事を知りたいと思った。彼女のことをあれこれ考えながら煙草に火をつけ、コーヒーのお替りを頼んだ。


      5

 「どうして俺はいつもこうなるんだ?・・・死にかけのジジイに会って何になる・・」

 喫茶店からの帰り道思わず愚痴をこぼした。しかしああ言うしかなかったと言い聞かせた。多枝子は魅力的な女性だが交際するには歳が違い過ぎる。それにフリーターにあんないい子がオトせるわけがない。我に返るとそんなうまい話はあるわけはない、あるとするなら相当の苦労を伴うものだろう。どんな苦労が待っているのだろう。どんどんネガティブになっていく自分がいた。しかしある意味冷静になってきたといえよう。ここまで夢のような展開で博樹自身がついていけてなかった。コンパスも持たず大海原でボートを漕いでいる気分だ。ポケットから多枝子の名刺を取り出し見つめてまたポケットに戻した。この出会いは流れに任せるしかない。そんな気がした。

帰路の途中駅前商店街に花屋がある。ふと目を向けると彼岸花がバケツに入れられて店先に置いてあった。博樹はその前にしゃがみ込み小さな声で呟いた。

 「なあ・・・お前に会ってからおかしなことばっかりだよ。教えてくれよ」


 博樹のアパート。キッチンのシンクにはまだ十数本の彼岸花が生きている。家に帰ると昼夜構わず、まずビールを出してプルタブを開ける。プシュ。一口呑んでからでないと次の行動に移ろうとしない。博樹は軽いアルコール依存症なのかもしれない。そう思うことも時々あったが、まあいいやと放置されていた。人間どん底まで追い込まれないと自分を振り返らない。ダイニングのテーブルに座った博樹はようやく落ち着いて考えを巡らせた。これからの事をどうしていくのか考えたが彼女とのことはどうにも考えようがなかった。女は押しの一手というがこらから一方的に押しかけても迷惑がられるだけではないかと思うからだ。その辺は、博樹はまだ冷静だった。何一つ今後のことに目途は付けられなかったが、ハッキリしていることは一つだけある。

 「とりあえず働かなくちゃ。」

 正解である。携帯を手に取り派遣会社に連絡を入れた。

 「あっ、御神です。とにかく金になるバイトないですか?何でもやります。         

 素直にそんな言葉が口をついた。

 

愛知県東海市、県の行う都市開発計画によりここ近年どんどん様変わりしていく。もともとは名古屋へのアクセスがいいのでベッドタウンとして開発していた土地だが、住居者が増えたことと学校誘致計画があることなどから駅前の商業開発を始めた。大きなビルディングを何棟も建設しなければならない。博樹はその現場にいた。ビル建設といってもピンからキリまである。素人のバイトにやらせる仕事は下請けの下請け、雑用がメインの仕事だ。

「ほらバイト!夕方までにこの砂利全部運び出すんだぞ。このままじゃ間に合わないぞ!」

 「はい!すいません!」

 ごく簡単な仕事だが何かにつけ力仕事だ。半日もやっていると足腰はガタガタだ。

 「まあいいよ。もう昼だ。飯!」

 助かった、少し休める。天気がいいのでみんなが集まるプレハブではなく外で昼食をとることにした。昼食はコンビニで買った海苔弁当。380円だ。お茶は家で入れた麦茶を水筒に入れて持参している。弁当を食べ終え雲を眺めながら煙草をふかしている時に携帯が鳴った。「沙羅多枝子」彼女の方から連絡をくれた。少し慌てて周りを見回し誰もいないのを確認してから電話に出た。別に誰に聞かれても困るわけでもないのだが。

 「はい」

 「沙羅ですが・・・」

 「えっ、あっ・・・はいはい」

 嬉しさの余り少し戸惑った。

 「あれ以来連絡いただけないのでどうしたのかと思いまして・・・」

 意外な多枝子の言葉に博樹は少し図に乗った。

心の声

 【おっ!会いたくて、会いたくて仕方がないのか?よ~~~し。キタキタ!】

 多枝子はさらに話を続けた

「お父さんが会いたくて、会いたくて仕方がないって聞かないのですよ」

 博樹は固まった

 「お父さん????」

 「ええ。お時間いただけませんか?」

話は呑み込めないが彼女に会えることは確かだ。そう思ったら反射的に返答していた。

「あ、はい。今週の土曜日でしたらなんとか」

 「じゃあ今週の土曜日、午前中にお願いします」

 「分かりました」

 そこで電話は切れた。思わず本音が口に出た・

「なんかおかしなことになりやがったな。まあいいか。とりあえず仕事・・・」

 頭を整理するかのように雲を見上げた。

 

洗面台の前で電気カミソリにて髭を剃り直す博樹。今日は約束の土曜日だ。グレーのスーツに紫色のネクタイまるで面接にでも行くかのような格好だ。お父さんに挨拶に行くのだから正装じゃないと失礼だと感じていた。しかしこれといった挨拶をするわけではない。この展開に戸惑っていたが失礼のない方の選択をした。彼女とのことは成り行き次第。そう決めていたのでこの成り行きに正面から向き合うことにした。好きな時間に病室に来てくれとのことだったが博樹の方から時間を11時と指定した。到着したのは時間15分前だ。律儀に病室の前で待っている所を病室から出てきた多枝子に見つかった。

「お待ちしていました。あら、その格好」

 「いや・・お父さんに挨拶するのに普段着じゃあ・・・」

 失敗だったかなと博樹は少し照れた。

 「ご挨拶⁉クスクス。ご挨拶してくださいな!さあどうぞ」

 何処となくからかわれている様な気がしたが、別に嫌味ではなく彼女のリアクションは自然に受け入れられた。少し立ち止まりネクタイを締め直して背筋を伸ばし部屋に入った。

お父さんは起き上がりニコニコ笑顔で出迎えてくれた。

「君が御神君かぁ・・・話には聞いていたよ。働きものだってなあ」

 「はい、昔は・・・いえ、仕事は好きですよ」

 お父さんの真っ直ぐこちらを見る目線は嘘を見抜かれている様な気がして少し痛かったが後には戻れなかった。 

 「仕事の好きな奴に悪い奴はいないよ。さあ、座りなさい」

 ベッドの脇に折りたたみ椅子が用意されていた。近くに寄るのは余計緊張するのだが断るわけにもいかず座ることにした。 

「失礼します」

 「それにしてもその格好・・・営業の仕事でしたか?」

 「いや、これはその・・・」

 返答に困っていたら話に割って入るように多枝子が動いた。

「お父さん、お花の水替えてきますね。今日は凄く体調が良さそう」

 花瓶を持って部屋を出た。多枝子抜きでは初対面の他人同士だ。急に空気が重くなってしばし沈黙した。秀夫の方から話を切り出した。 

 「君は、娘の事が好きなのか?」

 「いえ・・・好きと言うか・・・嫌いではないのですが・・・好きなのかどうか・・・」

 父親を前にして好きと言うほど博樹の意志は固まっていなかった。しかし好きじゃないというのも失礼ではないかとも思い曖昧な答えになった。それに気付いていたのかいないのか秀夫は続けた。

 「・・・曖昧な気持ちで生きているほど無駄な事は無いよ。いつも自分の気持ちに自信を持ちなさい。一途な思いは必ず報われる」

 秀夫は遠くを見るような目でゆっくりと語った。説教のような台詞だが決して説教臭くなく妙に説得力があった。しかし正論だけに博樹は悔しかった。今ある自分を否定されたかのように聞こえたからだ。つい本音がポロリと出てしまった。

 「・・・しかし・・・上手くいかないことだってあるじゃないですか。・・・苦労して苦労してやっと幸せをつかんだと思ったら、裏切られて・・・あなたは運がよかったのですよ。俺だってもう少し運があれば・・・あ、すいません」

 過去の悔しい経験を吐き出してしまった。博樹の目には秀夫は人生の成功者に見えて妬ましかった。実際見えるだけではなく秀夫は 事業では華々しい成功を収めていた。しかし・・・

 「・・・運ですか・・・こんな病院で寝ている男の運がいいと?」

 嫌味っぽくない。爽やかににっこりと微笑んだ。

 「いや・・・」

 言葉に詰まっているうちに秀夫は続けた。

 「娘は君が気に入っているようだよ。不器用だけど一生懸命な人だって。娘に好かれる事は運が悪い事なのかな?」

 相手の好意を知って急に自分が恥ずかしくなった。がっかりさせる前に全てを話そう。

そんな気になった。

「いえ・・・実は・・・私は・・・」

 こちらの話より先に秀夫は続けた。

「あの子は頭のいい子だ。心配はいらないよ。今の君に何が必要か考えてごらん。」

 秀夫も多枝子も多くの事を博樹に聞かない。しかし興味がないわけではない。心に引っかかることをきちんと言ってくれる。しかもあかの他人にも優しい。良い意味で親子そろって訳が分からん、そう思った。するともう一人の訳が分からん人が帰ってきた。

 ガラッ

 「お父さん、御神さんはどうですか?」

 「思った通りの人だね」

 心の声

 【思った通り??どういう事だ?俺のことどう思っているのだ?】

 二人だけがわかる会話の展開に博樹は不安になった。しかし何故かこの二人なら悪くはならないだろうという不思議な安心感はあった。二人の落ち着いた佇まいがそうさせているのだろう。

 「お父さん、無理はいけないからもう寝てください」

 「そうだな」

 「御神さんもうお昼だからランチでもいかがですか?」

 博樹には断る理由がなかった。

 「え・・ああ・・はい」

 相変わらず多枝子のペースには慣れない。それほど無茶ではないのだがポンポンと話が進む。ほんとの気持ちがわからないまま距離だけが縮んでいく感じだ。今は秀夫の言った、気に入ってくれているという言葉だけが頼りだった。

 「じゃあ、お父さんまた来るわね。」

 「・・・お父さん・・・また来てもいいですか?」

 何故か博樹の口からもそんな台詞が出た。

 「楽しみにしているよ」

 とりあえずは気に入られたようだ。多枝子と二人で病室を出た。大きな病院には食堂がつきものだが、この病院も地下一階が売店と食堂だ。エレベーターを降りると二人は窓際の席に腰を下ろした。食堂とはいっても雰囲気から言えば喫茶店。メニューでいえば洋食屋さんといった感じである。病院玄関から直接入る階段があり来院者以外も来られるようになっているが、お客はほとんどが来院者である。多枝子の勧めでエビピラフを二つ頼んだ。グラスの水を口に含むと多枝子の方から話を切り出した。

 「お父さんがどれだけ楽しみにしていたか分かりますか?」

 「いえ・・・分かりませんが」

 当然分かるわけはない。そのまま答えた。

 「あんなに元気のいいお父さんは久しぶり」

 「そうなの?」

 確かに依然盗み聞ぎしていた様子とは全然違ってハキハキとしていた。緊張で気にも留めなかったが咳込む様子はなかった。

 「いつもは苦しそう・・・でもお父さんは言うの・・・簡単に死ねない事も必然だって。何かがあるから人は命をいただいているって。私にはわからないですけどね」

首をすくめてにっこりとおどけて見せた。 

「・・・簡単に・・・死ねない事も・・・」

 博樹は自分のことに照らし合わせて考え込んだ。

「此処のピラフ美味しいでしょう」

 返事もままならず思いの丈が口をついた。

 「・・・僕があなたに会えたのは・・多分必然です!・・・あ・・・いや・・・その」

 口に出してから恥ずかしくなって下を向いたが意外な答えが返ってきた。 

 「私もそう思いますよ。うん、おいしい。」

 いつもそうである。自分の不器用さに嫌になる度多枝子は助けてくれる。普通に考えれば。18歳も年の離れたおじさんである。お金があると思われているのだろうか・・・多枝子が優しければ優しいほど不安になる。しかし今はこの幸せに浸っていたい。大事な話を避けながらひと時のランチを楽しんだ。


      6

 アパートへ帰ると博樹はキッチンにある萎れた彼岸花をまず捨てた。そしてきょう起こった事を整理するかのように思い出した。

 「俺に必要な物、俺に必要な物・・・」

 すぐには考えつかなかったので参考までに他人に必要なもの聞いてみようと思った。今すぐに連絡が取れる相手は多枝子だけである。携帯でLINEを開き聞いてみた。

 「多枝子様、あなたに今必要な物は何ですか?」

 返事はすぐ帰ってきた。

 「お父さんの笑顔」

 文面をじっと見つめしばし考え込んだ。

 

翌日秀夫の病室に御神の姿があった。

 「いや、それがよぉぉ、弟のバカ鶏小屋に猫放り込みやがってよぉぉ。とんでもない大騒ぎ!さあ猫を捕まえろって、猫捕まらないものだから、鶏逃がせって!いやいや猫を追い出したら今度は、逃がした鶏を捕まえろって校庭中駆けずり回ってよ! その時の先生の顔ときたら・・・」

 「ハッハッハ」

 それほど面白い話ではなかったのだが、博樹の熱意が伝わったのか秀夫は手を叩いて喜んだ。相手の反応がいいと話し手も気分がいいものだ。博樹も少しテンションが上がった。その時ちょうど多枝子が病室を訪れた。

 「御神さん来てらしたのですか?」

 「おお!今日は仕事が休みなもんでよ」

 決まった休みはなく仕事を入れてない日はほぼ休みだ。

「多枝子!御神君の弟が・・・はっはっはっは、ゴホッゴホッ」

 笑った後深く咳込んだ。博樹はまずかったかなと少し焦った。

 「あ・・すいません」

 「お父さん横になって」

 多枝子は秀夫に促して布団をかけた。

 「ああ、今日は楽しかったよ」

 横になって落ち着いた秀夫は少し高いトーンで語った。

 「ええ。こんな話でしたらいくらでもありますよ。そうだ!今度は隣町の健三の話しますよ。」

 「楽しみにしているよ」

 期待されるというのも悪い気はしない。近いうちに来ようと決めた。

 「じゃあ」

 今日のところは切り上げることにした。

 多枝子と二人きりになった帰り路何から話をしようか戸惑う博樹に対して話を切り出したのはまた多枝子だった。

 「父のあんなに笑った顔久しぶりに見ました」

 そういう多枝子も嬉しそうな安堵の表情にも見える笑顔を見せた。

「このくらいの事でしたらいつでも」

 多枝子の喜ぶことならお安い御用と言いたかった。

 「御神さんは私に必要な物をくださるのですね」

 少し真剣なまなざしの笑顔で多枝子はこちらを見つめた。それに少し興奮して答えた。

「はい!なんなりと申しつけてください!私は多枝子さんの為なら・・・」

 話を塞ぐように多枝子は語った。

 「待って!私はあなたに何も返せません」

 意表を突かれたように博樹はたじろぎながら・・・

 「いや・・・何も要りません・・・いや・・・いりません」

 多枝子の気持ちが丸ごと欲しかったがそれを口にするのは下品な気がして博樹はそう返した。

 「・・・それでしたら・・・また甘えてもいいですか?」 

 「はい」

 即座に答えた。

 アパートへ帰る足取りは軽い。昔のヒットソングを鼻歌で歌いながら博樹はアパートへ着いた。冷蔵庫からビールを取り出しまず一口。今日の出来事を思い出して身悶えした。

 「また甘えてもいいですか・・・」

 「う~~~~」

 「甘えて!甘えて~~~ん」

 気持ち悪く上体をくねらせた。そこでタイミングよく携帯に着信が入った。派遣会社からだった。

 「御神さんのご希望のバイト見つかりましたよ。今度はサボらないでくださいね」

 「はいっ!もちろんです。バリッバリ働きますよ」

 ご機嫌でビールをグイっと飲み干した。


 翌日製本工場で黙々と博樹は働いていた。

 この工場は印刷物を機械で裁断し手作業で並び替えをした後、また機械で製本し仕分け出荷するという工程の工場だ。昼休みのチャイムが工場内に鳴り響いた。

 キーンコーンカーンコーン

 作業員が十数名の工場なので、二階の一室が休憩所となっている。休憩所でコンビニ弁当を食べた後バイト仲間が話しかけてきた。

 「ねえ御神さん。楽な割には時給よくて、いいバイトでしょう?俺このバイト好きなんだよね

 髪の毛を茶色に染めた今時の若者だ

「ああ・・・そうだな。俺もそう思っていたんだけど・・・」

 若者は続けた

 「不満なんですかあぁ。人間楽で気ままが一番だと思いますよ」

 「きままねえ~~。悪い、煙草吸ってくるわ」

 今置かれている現状を不思議に思う。工場で挫折した後は何をやってもしっくりいかず、気楽、気ままが一番だと思っていた。責任や重圧などもうごめんだと思っていたが、なぜか納得できない自分がいた。煙草を吸いながら心の声が響く

 【こんなことで彼女やお父さんを守れるのかぁ・・・いや・・そもそも別に付き合っている訳じゃないし・・・】

 胡麻化そうとする自分に秀夫の言葉が回想された

 『曖昧な気持ちで生きているほど無駄な事は無いよ』

  その言葉に答えるように意志が固まっていく

 「曖昧な気持ち・・・いや!曖昧じゃない!俺はきっと彼女が好きだ」

 初めてはっきりと自分の気持ちを確認した。

 

 次の日ハローワークに御神はいた。

 「どんな仕事でもいいから適当に見つくろってくれよ!何でもやるよ!」

 躍起になる博樹をよそに職員は淡々と質問を投げかけた。

 「資格とかは何かお持ちですか?」

 「・・・資格なんかなくたって出来るだろう!やる気だよ!やる気!」                       

 職員は笑いながら答えた

 「クスっ、仕事がない訳ではないですよ」

 求人票のコピーを4枚出してくれた。

 

     7 

 リクルートスーツに身を固めて面接を受ける博樹。就職活動らしい活動はほぼ初めての経験だった。

 「やる気だけは自信があります!昔培った根性で・・・」

 今の博樹にはやる気以外にアピールポイントがなかった。

 「いや、印刷屋って言うのも簡単ではないんですよ。あっ、そうだデザインのセンスなんかは御社の仕事に・・・」

 何とかアピールポイントを探してみる。

 「病気の家族・・・いや、家族じゃないんだけどなんとかしなきゃいけないんですよ」

 情にも訴えてみた

 今言えることの精一杯を語ってみたがどれもあまり説得力のある話ではなかった。博樹は40になって初めて就職することの難しさを知った。

 「はあ・・・疲れたぁ・・」

 アパートへ戻った博樹はいつものように冷蔵庫のビールを手にしたが、

 「いや、今日はやめとくか」

 なぜだかそんな気になった。日頃から飲み過ぎなのは十分わかっている。


翌朝はかなり早く目が覚めた。時計の針は6時ちょうどを指している。仕事がない日は大抵9時くらいまで寝ているのが普通だがこの日は違った。昨日呑んでないので目覚めがいいのだ。早起きのついでにジョギングなどをしてみようかという気になった。トレーニングウェアなどというものは持っていないが普段から着ているこのジャージもトレーニングウェアだ。そのまま表に出て体操を始めた。ジョギングコースは駅前商店街を抜けてその先にある公園を一周して戻ってくるというコースだ。ざっと3㎞ぐらいか。久しぶりの体にはちょうど良かった。八百屋の前を通ると水撒ききをしているおばちゃんと出会った。

「あら、博ちゃんジョギングなんて珍しいねえ」

 「当たり前だよ!人間体力が資本だろう。あんたも食ってばっかりいないで走れよ!わははは。じゃあな」

 照れ隠しに毒づいた。博樹のいつもの手である。おばちゃんはくすっと笑って店の中へ消えた。今日は仕事も入ってないので約束通り秀夫のところへ行くことにした。ジャージのままでは失礼かと思いジーンズにジャンパーで行くことにした・

 「やあお父さん。今日は幼馴染の健三の話してやるよ」

秀夫は黙ったままこちらをにこやかに見つめている 

 「どうしたい⁉お父さん」

 「いい顔になったな」

 突然の話で博樹は訳が分からなかった

「顔⁉顔なんか変わる訳ないだろう。目と鼻と口が付いているだけじゃねえか」

 そこへ多枝子が入ってきた

 「いらっしゃい」

 「多枝子・・・もうこの人は大丈夫だよ」

 「私もそう思います」

 また二人にしかわからない次元の会話が始まった。

 「・・・いったい何の話しているのだよ・・・俺は・・・大丈夫じゃ・・・なかった・・」

 思い当たる節に博樹は愕然とした。

 「クスクスクス」

 多枝子が笑い出した

「ワッハッハッハ」

妙な説得力ある展開に少し戸惑った。言葉に困っているとまた多枝子が切り出した。

 「実は御神さん。父の終末医療の為に転院する事になったのです。実家の鹿児島へ・・・」

 「・・・どういう事だよ」

 あまりの急展開に耳を疑った。

 「最後にいい息子に会えてよかった」

 秀夫の最後という言葉にようやく別れを悟った。

 「ありがとうございました。あなたは私に必要な物をくれました。いずれお返しは致します・」

 いつもこの二人に振り回されている感じだ。

 「いや・・・待てよ・・・」

 そう言うのがやっとだったが二人は当然待つ気はない。

 「会えなくなる訳ではないので・・・勝手を言ってすいません」

 会えなくなるわけではない。それが唯一の救いだったが別れを告げられてその場にいるのもつらいので早々と病室を後にした。


 帰り道花屋の前の彼岸花を見ながら思わず言葉がこぼれた。

 「なあ・・・いったいどういう事だったんだよ」

 花屋のおばちゃんは独り言と知らず答えた。

 「お兄さん彼岸花好きなのかい?」

 「好きって言うか・・・どういう事なのか・・・」

 ちんぷんかんぷんなやり取りに何かを悟ったように、おばちゃんは切り出した

 「どういう事って・・・あっ!花言葉かい?」

 「・・・・・」

 黙っている博樹におばちゃんは続けた。

 「情熱!」

 博樹は固まった。

 「情熱・・・・」


第二章 3つの星


      1

 愛知県大府市。大きな製造業を数多く抱え、名古屋のアクセスが良いことからベッドタウンとしても人気の高い土地柄で、近年大規模なマンションが数件立ち並んだ。そのマンションの中の一つに博樹はいた。子供向けの学習教材のセールスだ。この手の新築マンションは若い夫婦が購入することが多く小さな子供がいる確率が高いため訪問販売するには最適の場所だ。本社を名古屋市に置く「ノビノビ出版」という学習教材を扱う会社に博樹の就職が決まった。6社面接を受けてようやく決まった仕事だ。少しは晴れやかな気持ちで仕事に取り組める。そんな気がしていた。最上階から順番に営業をかけることにした。

 ピンポーン

 「あのぉ・・お宅に小さなお子様はいらっしゃいますか?あっスイマセン、私ノビノビ学習教材の御神と申します」

 インターホン越しに返事が届いた

 「小2の子供がいますが」

 博樹にとってはチャンスである。

 「あ、でしたら少しお時間いただけますか?本日お持ちしたのは“子供が始める英会話”の教材なのですが・・・お子様の将来の・・・」

 言い終わらないうちに返答された。

 「結構です」

 入社してからまだ一件も売れていない。新人なんてこんなものと周りは慰めてくれるが、仕事に面白味がない。つい愚痴の一つも口をつく

 「ちっ、まただよ。いまどき訪問販売なんて売れるのかねえ⁉もっとネットとか販売方法あるだろうが。もっともそんな時代になったら俺に仕事なんてないけど・・・」

 マンション一棟全部回ったが一つも売れなかった。諦めて下の道路に停めてある車に乗り込もうとしたとき大きな声がした。

 「あれ~~御神さん」

 聞き覚えのある声だ。印刷屋時代苦楽を共にした松尾豊まつおゆたかである。

 「おお!松尾久しぶりだな」

 仕事は一休みすることにした。


 近くの喫茶店でコーヒーを啜る二人。一度表に出てしまえば身柄を拘束されないのが営業のいいところだ。しかし売れなければ給料にも反映される。おいしい仕事などない。そんな事は一旦忘れた。

 「松尾あれからどうしてたんだ⁉お前にはずいぶん悪い事したな。」

 会社を畳むということは当然従業員も職を失う。松尾もその一人だ。

 「とんでもないですよ。今は出版社に入社しました。やっぱり僕は本から離れられないんですね。ハハ。今は出張で一時名古屋に住んでいます。」

 松尾は少し高いトーンで話をし、笑ってくれた。会社を畳んでから従業員とは顔を合わせていない。心配しない訳ではないがどうしようもないからだ。もう自分を責めるのにもほとほと飽きた。今はスッキリ割り切っていた。

 「本当かよ。おんなじ本つったって印刷屋と出版社では大違いじゃないか。よくそんなコネあったな。」

 出版社なんてコネがなければめったに入れない。

 「ほんと偶然なんですけどね。あっ、昔取引していた“三英社”の川口さん、居酒屋で偶然会いましてね。」

 「それでとんとん拍子かい⁉」

 「ええ、まあ君の情熱にほれ込んだって」

 情熱・・・またその言葉を聞いた。やはり物事には必要なことなのだろうと納得しながら少し冷やかした。

 「情熱ねえ~~、お前に情熱なんてあったんだっけ⁉」

 「ありますよ。御神さんはどうしているんですか?」

 「いろいろあったけど小さな教材出版社に就職したよ」

 「出版社じゃないですか!」

 博樹はすぐに照れ隠した。

 「何が出版社だよ。しょうもない教材だよ。しかもいまどき訪問販売って・・」

 愚痴になっていた。

 「御神さん昔は方々駈けずりまわって仕事探してくれたじゃないですか!僕の根性は御神さん譲りッスよ」

 褒められてくすぐったい気がした。路頭に迷わせてしまったのに愚痴一つ言わない本当にありがたいと共に、ほかのメンバーも気になったがその話は触れなかった。

 「昔はなあ・・・」

 思い出してしみじみ答えた。

 携帯に着信が入る。会社からだ。定時連絡を忘れていた。

 「オッといけない。サボっている場合じゃなかった。今日二件売らなきゃならないんだ」

 「昔の情熱があれば出来ますって」

 少しできそうな気になって笑顔がこぼれた。

 「また何かあったら連絡しろ。と言っても今は何も出来ないけどな」

 「はい」

 名残惜しかったが仕方がない。久しぶりに会えて嬉しかった。

 「じゃあな。おっ、ここ俺が払っとくよ」

 今できることはそれぐらいだった。

 

 アパートに帰り着く。名古屋市の会社までは特急電車を使えば20分くらいで通えるので快適だ。会社も自宅も駅に近いというのが強みだろう。今の環境に不満はなかった。

 「はあ~~~また今日も売れなかったよ」

携帯の待ち受けの多枝子の笑顔を見る。多枝子に話すように。

「売れなくても給料もらえるからいいんだけどよぉ・・・」

 一息間をおいて本音が口をついた。

「なんで連絡先も告げずに行っちまったんだ?携帯替わっちまってるし」

 そう多枝子は鹿児島に移ってからしばらくして音信不通になっていた。離れていても電話があれば繋がっていることを実感できるのだが、それがなくなった今はたまらなく寂しかった。鹿児島のどこかもわからないので探しようもない。会う手段があるならどんなことでもするのに。そう思いながら博樹は横になって天井を見つめた。

 しばらくすると博樹は閃いた。

 「待てよ!彼岸花・・・」

 彼岸花を食べれば前のように夢に現れまた会えるのではないかという安直な考えが浮かんだ。今の博樹にはそれに縋るしか寂しさを紛らわす方法がなかったのである。すぐに花屋へ走った。

 「おいっ、彼岸花ないか?」

 「彼岸花は彼岸にしかないよ。今は球根だね」

 いい考えだと思ったのだが、簡単には上手くいかないようだ。気の抜けたような顔でとぼとぼと家路につく途中でまたよからぬ考えが浮かんだ。

 「球根⁉それでいいか!」

 確かに球根も彼岸花に変わりはない。ちょうど今日は金曜日。明日はお休みなので家に帰り明日を待つことにした。

 

      2

 明けて土曜日。朝のうちに洗濯を済ませスコップを持って博樹は車に乗り込んだ。目的地はかつて彼岸花を積んだお墓だ。墓に着くと周りを見渡し彼岸花を積んだ場所を探した。

 「大体この辺か?まあいい。掘ってみよう」

 持ってきたスコップで叢を掘ってみた。球根はそんなに深い位置にはない。すぐにそれらしきものが顔を出した。

「おっ、これか!?いや、こっちか!?まあいいか。適当に持っていけ!」

だいぶアバウトな性格である。とにかく球根を20個ほど集めビニール袋に入れて持って帰った。思い込むと止まらない性格はこういう時には悪い癖というべきだろう。アパートに到着するや否や早速食べることにした。それほどまでに多枝子に会いたいといえばけなげな話である。

 「さあ・・・多枝子ちゃん・・・」

 「ビールよし!彼岸花・・・か、どうか分からないけど、よし! マヨネーズよし!」

 テーブルの上を指差し呼称した。

 「ゴクッ」

 少し緊張してきたがビールを飲みながらマヨネーズを付けた球根に齧り付いた。

 「苦っ! これも多枝子ちゃんに会うため」

 博樹は我慢して食べ続けた。ビール一本と球根半分を食べた頃トイレに行きたくなり立ち上がった。すると立ち眩みがした。

 「これは・・・」

倒れるように床に横たわり気絶した。


 「パパ、パパ!」

 子供に起こされる。

 「誰だ、お前?多枝子さんは?」

 「何言っているの?パパ、今日は遊園地に行く約束でしょう?」

 訳が分からないが、とりあえず状況を確認した。周りを見渡すと間違いなく自宅のアパートだ。ガラステーブルに置いてあったはずの球根とビールがない。夢の中なのだと感じた。しかし勝手が違っていた。

 「うるせえ!俺は仕事があるんだよ!」

 わざと毒づいた。

 「今日は日曜日だよ」

 全く動じずに真っ直ぐにこちらを見てくる。博樹は目を合わせないようにした。

 「日曜日は寝るって決めているんだよ!消えろよ!」

 「・・・・・・・」

 黙ってこちらを見ている。気になっているが気にしないように努めた。

 「・・・・・・・」

 視線が背中に突き刺さるようであった。

 「行きゃいいんだろう!」

 根負けというやつだ。

 

 遊園地でメリーゴーラウンドに揺られる子供をベンチで見ている。ジャージに上着を簡単に羽織ってサンダル履きという適当な格好だ。休みは特に動きたくはない。女性がいる訳でもないので着のみ着のままがいい。正直子供など面倒くさかった。煙草に火を付け、「ふう」と煙を吐いた。確かに今日はお出かけ日和の晴天だ。

「パパーー!」

 子供はいつも無邪気だ

 「どうなっているんだ?こりゃあ・・・お!・・・待てよ・・・俺と多枝子の子か?」

 ファストフードの屋台に連れていきホットドックを二人で食べた。ようやくゆっくり訳を聞こうという気になったのだ。子供には遠慮なく聞きたいことを聞いた。 

 「なあ・・・お前のお母さんって誰だ?」

 「知らない」

期待していた返事ではなかったが冷静に話を続けた。

 「じゃあなんで、俺がお父さんなのだ?」

 「知らない」

そっけない態度に少しムッと来たが、子供相手に喧嘩してもしょうがない。簡単な質問に変えた。

 「・・・・あの・・・・名前なんて言うのかな?」

 「知らない」

 ふざけているのかそれとも本当に覚えてないのか確かめるすべを探した。

「じゃあ知っている事教えてくれないかな?」

 「僕もうじきお星さまになるんだ」

 訳が分からず少しイライラしてきた。

 「お星さまねえ~~・・・それどういう事だ⁉」

 「ごちそうさま」

 いきなり立ち上がり人混みの中へ走り出した。

「おい!待てよ!」

 一歩遅れて追いかけたが人混みが邪魔で、すばしっこさには勝てない。見失ってしまった。

「まあいいか・・・これは夢なのだ」

 そういって頬を摘まんでみた。普通に痛い。 

 「いや、夢か?・・・待てよ・・・」

 夢でない僅かな可能性を考えた。その場合あの子はどうなってしまうのだろう。せめて無事に帰宅し警察に返すのが大人の務めのような気がする。この遊園地には出入口は一つしかない。つまり出入り口で待ち伏せすれば必ず見つけることができる訳だ.博樹は一人出入口を出て子供を待った。足元の煙草の吸い殻だけが増えていく。日暮れまで待ったが一向に現れない。やがて閉園の時間となった。鍵をかけようとする係員に問いただした。

 「おいっ、まだ中に人がいるだろう!」

 「もう誰もいませんよ」

 見落としたのだろうか?いやそんなことはない。小さなゲートだ。

 「どうなっているんだ???」

 仕方なくとぼとぼと家へ帰る。きっと夢であってくれと祈っていた。


 翌朝は月曜日。朝は9時から仕事なので通勤時間を考えて8時過ぎには家を出る。会社も自宅も駅に近いため車を使わず電車で通勤している。通勤手当が会社から支給されるため別に通勤形態は何でもよかった。 

 早めに会社に着くと朝礼も待たずに北山係長から声がかかった。

 「おい!御神君」

 「はい」

 「教材20セット“ひまわり児童養護施設”に届けてくれないか」

 「児童養護施設ですか?」

 聞きなれない依頼に少し戸惑ったがすぐに北山の説明が続いた。

「うちはボランティアもやっていてね。田代君と一緒に頼むよ」

 田代は若手の中でもエース的存在だ。田代となら不安はない。安心して返事をした。

 「はい、わかりました」


      3

 名古屋市東区にある「ひまわり児童養護施設」ここには身寄りのない子や家庭と隔離された子供たちが集まる。施設のほとんどは寄付金で運営されているため贅沢は言えない。

最低限の施設と最低限のスタッフで日々運営されている。そういった状況ではノビノビ教材出版からの教材提供は施設としてはありがたい。教材と言っても今はオンラインのタブレットだ。タブレット上で写真や絵などと共に英語を学んでいくというものだ。テスト形式に書き込むこともできる。施設の子供は3歳から12歳と幅広く、この施設に暮らしながら学校へ通っている。据え置きの本にも遊具にもう飽きてしまった子供たちは常に新しいものを欲しがる。英語の教材と言っても子供達には贅沢な娯楽である。車を降り施設に入った二人は子供たちに歓迎された。

 「わーい!田代のおじちゃんだぁ」

 田代はもう顔なじみのようだ。

「久しぶりだね~~いい子にしていたか?」

 持ってきた段ボール箱を漁るようにして教材を取り出す子供達。子供達も勝手がわかっているようだ。部屋の隅々に旧バージョンのタブレット端末が散乱している。こちらは回収して持って帰るようだ。上級生はめいめい遊ぶものを獲得し遊び始めるが、一人だけ隅っこに蹲ってつまらなそうな子がいる。背格好からして小学校3~4年生だろうか。

「御神さん、あの子に声かけてあげて」

 田代が促した。

「えっ、なんて言えば・・・」

 「いいから、いいから。こういうのも勉強ですよ」

 しぶしぶ子供に歩み寄りとりあえず声をかけてみた。

 「ボク・・・どうしたのかな」

 子供がこちらを見上げる。

 「お・・・お前・・・」

 間違いない。昨日の夢に出てきた子供だ。

 スタッフが歩み寄ってくる。

 「太郎君はおとなしい子ですからね」

 呟くような口調で説明した。

 「太郎って言うのですか?」

 「一応・・・」

 一応という言葉が気になったがまずは声をかけてみた。

 「太郎君、おじさんの事知らない?」

 「知らない」

 「・・・・・・」

 またこれだ。博樹はどうしていいか戸惑った。

 「あれ教えて!」

 新型タブレットで遊ぶ子供たちを指差し強請った。

 「あ、はいはい」

 段ボールに一つだけ残ったタブレットを持ち出し丁寧に教えた。しばらくするとスタッフから大声で指示が出た。

「ほらもう時間ですよ!片づけしてご飯にしましょう」

 田代と御神はちょうどいいとばかりに

「じゃあ、私たちはこれで」   

別れの挨拶をスタッフに告げた。

 「あ、あの・・・御神さん」

 「はい」

スタッフの一人が博樹を呼び止めた。

「太郎君があんなに楽しそうにしているのを私初めてみました」

やや驚いた表情でスタッフは語った。

 「そうですか・・・」

 「実はあの子捨てられた子なんですよ」

 「・・・・・・」

施設の子なのでそんなこともあるのだろうが、目の前に突き付けられた現実に少々困惑した。

 「太郎と言うのも私達が付けた名前で、親も自分の名前も知らないのが現実なのです」

 「知らない・・・」

 博樹は固まった。心の声が響く

 【あの話は本当だったんだ!・・・どういう事だ・・・また何かあるのか?】

 ただの偶然ではない。きっと何かあると博樹は感じた。

 「あの・・・また来てもいいですか?」

 「はい!私達はいつでもここにいますから」

 田代と二人車に乗り込み会社へ帰った。

 

 午後からの仕事も終え博樹は自宅へ帰った。 

いつものようにまずはビールをプシュっと開けた。

「不思議な事ばっかりだなあ・・・これも必然だって言うのか?・・・それより・・・お星さまになるってどういう意味だ?」

 多枝子の待ち受け写真を見ながら

 「情熱・・・よし、来週も言ってみるか」

 翌週の月曜日どうせ売れない営業をしているならと外回りの時間を使ってまた養護施設に来ていた。太郎はまた膝を抱えて座っている。他の子はめいめい遊んでいるが太郎は友達作りも下手なようだ。そばに歩み寄り声をかけた。

「おい、太郎」

 「おじちゃん」

 「何考えていたのだ?」

 「お星さまの事」

 「・・・・・・」

 お星さまとは一体何なのだろう?俗に言う、死んだら星になるということか?博樹は不安になった。

「お前病気か何か持っているのか?」

「・・・???・・・」

 意味が分からないようで太郎は黙っていた。

 「ちょっ、ちょっと待ってろ!」

 本人じゃらちが明かないと思い、思い切ってスタッフに聞いてみた。

 「あの・・先生」

 「はい」

 「太郎って何か病気でも?」

 突然の話にややきょとんとした表情で

 「いえ・・・そんな事は無いですよ。でもどうしてですか?」

 「お星さま・・・いや・・・何でもないです」

 博樹の言葉を聞き気が付いたように

 「あ~~あの子星が好きなんですよ。私達が『お父さんお母さんはどこ』って聞くあの子に『お星さまになったの』って言ったんです。そしたら毎晩星ばっかり見て。」

 スタッフは面白エピソードのように笑いながら話してくれたが、博樹は笑えなかった。少々ウルっときていた。同情したって何も変わらないが同情してしまった。

 「太郎・・お前好きな物ないか?食べ物でも何でも・・・俺買ってきてやるよ」

 「遊園地」

 「・・・・!!!!」

またしてもの偶然に言葉を失ったがこれが必然のような気もしていた。何としても遊園地に連れて行かなければ。

 「そうかあ、よし連れてってやるよ。遊園地」 「ちょっと待っていろ!」

 スタッフに聞いた

 「太郎を連れ出す訳にはいきませんか?」

スタッフは少し困惑した。 

 「その様な前例はないのですが・・・」

 「あいつの夢をかなえてやりたいんです」

 スタッフは戸惑った。通常は実親か里親以外は施設から連れ出せない規則になっている。しかし太郎が自分の意志を口にすることは初めてのことでスタッフにとっても喜ばしいことだった。

 「・・・分かりました。何とかします」

 目が笑ってなかったがスタッフは笑顔で答えた。小走りに博樹は太郎に駆け寄り

 「よし太郎、遊園地いくぞ!」 「何したいか考えとけ!」

 博樹は太郎を連れ出すことを約束した。

「メリーゴウランドに乗りたい」

 「よし、メリーゴウランド乗るぞ!」

 太郎は満面の笑みを浮かべて博樹に語り始めたスタッフにはそのすべてが嬉しかった。

アパートに帰る途中博樹は本屋に立ち寄った。 

 「お星さま・・・お星さま・・・お!」

 星座図鑑を手に取った。

 「よし!」

 レジの店員が手際よく梱包してくれた。

 「1600円になります」

 「はいはい」

 このタイミングで携帯に着信が入った。

 「なんだ?見たことない番号。今はそれどころじゃないんだよ」

そういえば最近キャッチセールスの電話が多い。無視することにし携帯を切った。

 「1600円ね」

 財布から2000円を出してお釣りをもらった


      4

今日も営業回りである。ここまでくると普通にやっているだけじゃあ売れないというのが分かってきたのだがどうすればいいのかが分からない。周りはいつか売れるよと気休めの一点張りである。給料もらっている以上続けるしかなかった。

ピンポーン

此処のお宅は玄関まで顔を出してくれた。こういうお宅も珍しい。 

 「お宅に小さなお子様はいらっしゃいますか?」

 「セールスですか?結構です」

 ドアを閉めようとする主婦を何とか繋ぎ止めようと思い言葉を探した。

 「いや、ちょっ、ちょっと・・・あの・・・お子様に夢は無いですか?」

 ドアを閉める手を止めて

 「・・・アメリカの大統領になるってバカな事言っていますけどね」

 「・・・!!!」

 「お子様の夢、叶えましょう!」


お昼時になると博樹はいつもファミレスで食事をしている。ファミレスは大抵看板メニュー以外でリーズナブルなメニューを一、二品取り揃えてあり贅沢を言わなければ結構安く食べられる。だから通っていたのだがこの日は違った。

 「いや~~売れたよ!夢を叶える。・・この仕事も悪くないよな・・・・太郎の夢って・・・」

 相手の夢をかなえるというコンセプトが意外と相手に受け入れられた。火事場のバカ力か。しかし営業コンセプトとしては悪くない。相手の夢と言う事がとっさに出てきたのは多分に太郎のことを考えていたせいだろう。もっと遡ると多枝子の希望に寄り添った経験が生きていたのかもしれない。博樹の中で何かが変わり始めた証拠だった。変わり始めたと言うより取り戻したのかもしれない。会社を畳んでからは、本当の博樹は長い事眠っていた。そんなことを考えているとファミレスの店員がオーダーを取りに来た

「お客様、何に致しますか?」

 「おお、そうだなあ・・・ステーキセットの一番高い奴!あとは・・クリームパフェに・・・お、ドリンクバーも!あとは、あ・・・とりあえずそれだけ持ってきてくれ!」


 博樹は太郎と遊園地にいた。夢と同じシュチュエーションだ。ただ違うのは思っていたより博樹が遊ぶ気になっている所だ。太郎の身の上を聞いて同情したのだろうか?いやそれでも太郎にとっては構わないだろう。どうせ遊ぶのなら一緒の方が楽しい。博樹はメリーゴウランドに乗っていた。

 「太郎、楽しいか?」

 「うん!」

太郎はめったに見せない笑顔を見せた。 「よし!じゃあジェットコースター乗ってみようか?」

 「怖くない?」

 「・・・・俺がついているだろう!」

 太郎は積極的に太郎の手を引いた小さな遊園地なので、直に一通り乗り物には乗れる。

一息ついて昼ごはんにした。夢と同じファストフードの屋台だ。二人でホットドックを食べながら太郎の方から話を切り出した。

 「ねえ」

 「おお、なんだ?」

 「パパって読んでもいい?」

 「おお!パパでもママでもおじいちゃんでもいいぞ!ワッハッハッハ」

 「・・・・・」

 パパと呼ばれて悪い気はしなかった。しかし呼ばれるたびに本当の父親の存在が頭をよぎるので気まずい思いも少しはあった。しかし今は楽しい流れに任せることにした。  

 「そうだ!お前お星さま好きだったよな?」

 「うん!」

 「お星さまの本買ってきてやったよ」

 バッグから買ってきた星座図鑑を出した。普段はバッグなど持たない博樹だが今日はこの本のために持ってきた。太郎は真剣な表情で本を見始めた。その時また着信がはいった。以前と同じ番号だ。

 「何だよ!しつこいな!」

 電話を切った

 「ねえパパ」

 「なんだ?」

 「この星なに?」

 「これはオリオン座だな」

 図鑑にも書いてあるがわざわざ答えた。

 「・・・お星さま3つ」

 「おお・・・この3つを目印にオリオン座ってのはなぁ・・・星3つか・・・」

 星3つ・・・それに何か込められた意味があるのではないかと感じ始めた。考えすぎかもしれない。 

 「どうしたの?パパ?」

 「・・・ああ・・・パパかあ・・・」

 パパと呼ばれることにも何かがあるような気がして少し博樹は我に返った。しかし他によい策は浮かばなかったので全てをとりあえず受け止めることにした。


 意外と早い時間に施設に戻れた。太郎がゴネなかったので手早く乗って手早く切り上げることができたためだ。こういう風だと子供の面倒も楽である。

 「先生ただいま!」

「おかえりなさい」

 何事もなかったような顔で迎えてくれた。

「スイマセン、無理なお願いして」

 「いえ・・・最近太郎君どんどん元気になってきて・・・全て御神さんのおかげです」

 連れ出すのにきっと手間がかかったのだろうがそんなことはおくびにも出さず子供のことを素直に喜んでくれた。立派なスタッフだと感心した。

「私はそんな・・・」

 「また是非いらしてください」

 「はい!じゃあ私はこれで!」

 何がどうなるのかわからないがとにかく太郎と向き合ってみよう。博樹はそう思っていた。


      5

先日売り上げのあった愛知県大府市の住宅街に博樹はいた。狙いはやはり新築の住宅だ。

新築の住宅には若い夫婦が住むことが多いため、ターゲットとする小さいお子さんがいることが多い。手持ちの地図にチェックを入れながら一軒ずつ回った。

 ピンポーン

「こんにちは!お子様の夢を叶えるノビノビ教材です」

 ピンポーン

 「お子様に夢はありますか?」

 しらみつぶしに回っていった。きつい作業だが今何をするべきかが他に見つからなかったので博樹なりの全力を注いだ。

 

 会社に戻ってきた。最近戻ってくるのが楽しい。ようやく売れるようになったのだ。

 北山係長もご機嫌だ

「いやあ、最近御神君めきめき売り上げ伸びているよね。何かあったの?」

 「ええ、まあいろいろと」

 なんてことはない。気付いてしまえば簡単だ。今までの訪問はいかにも教材を売りつけようというスタンスで話をしていたが、今は各お宅の夢を聞いてみよう。お子様の夢の実現をサポートさせていただこうというスタンスに変えた。言葉は心。挨拶や説明の仕方も自然と変わった。ようやく営業としての第一歩を踏み出したのだ。

 「この調子で頑張ってよ!期待しているから!」

 上司が機嫌よいのは部下としても嬉しい。

 「はい!ありがとうございます」

 ようやく会社に貢献することができた。こんな日のビールはさぞかし旨いのだろうと、時間になったら帰宅を急いだ。


 アパートに帰るや否や

 「ただいま、ただいま、まずはビールと」

 この癖だけは治っていない。

 「いやあ、仕事の後のビールは最高だねえ、この一杯の為に生きているってことかな」

 最近趣味もないし家族もいないし仕事とお酒が生きがいというのが本音だった。なに、そういった人間は自分だけじゃない。みんなだって寂しいのだと慰めていたがやはり寂しい。心打ちとける仲間、できれば女性がいてほしいとしみじみ感じている。そんなとき携帯に着信が入った。

 「なんだよ・・・セールスだったらぶっ殺してやるからな!はい、もしもし」

 「多枝子です」

 「・・・・」

「もしもし」

 博樹は固まっていた。いや、失礼の無いように喋らなければ。

 「あ!はい!」

「先日から何度もお電話したのですが・・・」

 しまった。迷惑電話だと思っていたのは多枝子だった。 

 「あっ、スイマセン・・・その・・・いろいろと・・・突然何ですか?」

 「実は父の容体がよくなくて・・・」

 予想はできていたがやはり驚いた。

 「お父さんが⁉」

「最後かもしれないのでどうしても息子の声が聞きたいって・・・代わりますね」

 「御神君」

 前に比べて少し声がかすれていた。

 「大丈夫ですか?お父さん?」

 「大丈夫だよ。ただ自分の最後って言うのはなんとなくわかる物でね」

 本当にわかる物なのだろうか。とりあえず博樹は元気づけた。

「いや・・・弱気になっちゃだめですよ」

 英夫は自分のことはどうでもいいとばかりに続けた。

 「最近はどうだね」

 「話せば長いのですが・・・そう、子供の夢を叶える仕事をしています。」

 ようやく上手に自分のことが喋れた。秀夫の前ではいつでも自分の立場をごまかし、後ろめたい思いをしていたが今は後ろめたくない。ありのままを話せる。自分の変化に少し驚いた。

 「うん、うん、君はわたしの夢もかなえてくれた。もし君が人の夢をかなえ続けるのなら、きっと君の夢も叶うよ」

 「俺の夢・・・」

 言われて逆に考え込んでしまった。自分の幸せがなにかなんて長い事考えたことがなかった。 

「ハッハッハ、今は分からなくていいよ。

頑張りたまえ」

 「はあ」

 いつもながら秀夫の話は一方的だ。でもただ何かが分かっている様なそんな物言いなので惹きつけられるものはあった。

 「声が聞けてよかったよ。明日も仕事だろう。じゃあな」

 「あ・・はい・・・お休みなさい」

 切れた電話を手に呟いた

 「俺の夢・・・太郎の夢は?」

 立ち上がりパソコンを操作し始めた。何か思いついたようだ。


      6

翌日アパートには松尾豊の姿があった。

 ピンポーン

 「おお、松尾、よく来てくれた」

 「何なんですか⁉いきなり。まあたまたま休みだったのでいいのですけど・・・御神さんはお休みですか?」

 思い立ったら止まらないのが博樹の悪い癖だ。せっかく追い風が吹いてきた仕事をサボってしまった。

 「それどころじゃないよ、お前パソコン得意だったよな」

 「ええ、ぼちぼち」

 博樹はパソコンにはちょっと疎かった。もちろんメール交換やインターネットの調べ物ぐらいはできるがそれをちょっと超えた範囲の仕事はみんな得意な人を頼っていた。今回の件もそうだ。 

 「人を探したいんだよ」

 「興信所に頼めばいいじゃないですか!パソコン関係ないですよ。」

 「相手の情報がないんだよ」

 無茶振りなのはわかっていたが他に相談する人がいなかった。会社の人に頼むのも職権を逸脱している様な気がして心苦しかった。仕事で知り得た情報で仕事以上の事をしている。                   

「探し様がないじゃないですか」

 「グダグダ言うな!だからお前にわざわざ来て貰ったんだろう」

 携帯を出して写真を開き

 「早い話この子の親を探したいんだよ」

 「いつ離れ離れになったんですか?」

 質問の一つ一つが気まずい。なぜなら博樹自身も太郎について何を知っているわけでもなかったからだ。

 「生まれた時だよ」

 ありのまま話すしかなかった。

 「そんなの無理ですよ!分かる訳ないじゃないですか!」

 言われる通りで言い返す言葉もなかったので博樹は少しムキになった。

 「グダグダ言わないでこれで人探しゃいいんだよ。どうすりゃいい?」

 いきなり呼びつけておいて勝手な言い分だ。松尾は溜息を一つついて、

「まあ、人探しサイトとかありますし、片っ端から載せてみたらいいんじゃないですかね」

 やり方があったのでホッとした。 

「そうか、やってくれ」

「いや、写真じゃ絶対分かんないので、この子の詳細情報ないですか?」

 「ちょっと待ってろ」

 携帯を出してかけようとするが・・・

 「いや、先生の番号知らないんだ、ちょっとビールでも呑んで待っていろ!」

 行き当たりばったりなのも今に始まった事ではない。慌てて家を飛び出し養護施設へと向かった。 

「朝から呑みませんよ・・・まったく」

 一言呟いて松尾は博樹の帰りを待つことにした。なんだかんだ言っても人助けであり博樹らしいと思ったからだ。

 

 「これでほぼOKですね」

 博樹が持ってきた太郎の数少ない情報を人探しサイトに入力した。

 「おお、ありがとう」

 松尾の肩を揉みご機嫌を取りながら礼を言った。

 「ただ見つかるのはほとんど奇跡ですよ」

 「分かっているよ。じっとしていられないんだ」

 奇跡でも縋りたい気持ちだった。何もしないよりはマシである。

 「ふっ、昔の御神さんに戻りましたね」

 少し照れ臭かった。

 「昔・・・何言っているんだ、もういいから帰れ!」

 ひどい言い草である。松尾は少し怒った。

「勝手に呼び出しといて何言っているんですか、大体ねえ・・・」

 「悪かったよ、悪かった。恩にきるよ。俺行くところあるから」

 少しワガママだが昔のメンバーにはつい甘えてしまう。こんな無理が言えるのも信頼していればこそであろう。

 「まったく・・・またなにかあったらどうぞ」

 相手もなぜか博樹を許してしまうのである。


 博樹は児童保護施設に来ていた。

 「何だ太郎、また星見ているのか」

 オリオンを見ている

 「北極星って知っているか?宇宙の中心だ」

 「宇宙?」

 まだこの子達には概念がないのかと気が付いた。

「そうだ、空の上には宇宙があって。星っていうのは・・・まあいいや」

 「北斗七星っていうのがあって、こいつが北極星を探すんだ。」

 ただ星が好きというだけで太郎はまだ何も知らなかった。博樹もそれほど詳しいわけではなかったが、教えられることを教えた。太郎はわかったのかわかってないのかは定かではないが一生懸命聞き入った。


 翌日会社にて北山係長の怒声が響いた。

 「バカもーーん!」

 「はい!」

 昨日思い付きで休んでしまったことの説教だ。思い立つと他が見えない博樹の性格が今日は災いした。

「君は褒めるとこうなるのかね。何故休みなら連絡の一つも入れられないのだ!フォローに入った川崎君がどれだけ大変だったか」

川崎が口をはさんだ。

 「いや、係長もういいですよ」

 「川崎君に免じて今回だけだよ」

確かに連絡ぐらい入れればよかったのだ。完全に博樹が悪かった。

 「川崎君悪い。今度一杯おごるよ」

 「ボク飲めませんので」

 飲めない人の機嫌の取り方が分からない。

 「あっ、じゃあ・・そうだな・・・」

 「もういいですよ。外回り行って下さい」

 「おお、悪いな」

 助けられた。簡単に許されるとかえって悪かったと思う。軽率な行動をとったことを恥じた。


 会社帰りにまた児童保護施設によることにした。肩入れし過ぎなのは自覚しているが何故か放っておけなかった。

 「おお太郎」

 「パパーー!」

 大声でパパと呼ばれると少し恥ずかしい。

 「いや、パパは・・・まあいいか」

 「今日はなあ・・太郎・・・」

 その時他の子供たちから声がかかった。

 「おい太郎!こっち来いよ!」

 「うん!」

 「・・・・・・」

 今までにない光景だ。スタッフが説明してくれた。

 「太郎君友達と遊べるようになったんですよ。本当に御神さんには頭が下がります」

 「いやぁ・・・俺は何も・・・」

 それほど特別なことはしていない。でもそれだけでも太郎には大きな事だったのかもしれない。博樹の気持ちを愛情とするなら、太郎は愛情があればもっと元気な子になれるのかもしれない。

「御神さんがパパだったらいいのにといつも言っています」

「え!俺が!」

悪い気はしなかったが、これは現実問題だ。せめて成人までは愛情を注いでやることが必要だろう。しかしそれには遊びではなく本当の親としての務めを果たさなくてはならない。そこまでの覚悟があるかと言えば曖昧だった。

「フフフ、そんな無理な相談しませんよ」

周りの方が分かってくれているようだ。

 「俺がパパ・・・」

 スタッフは楽しそうな太郎を見つめながら呟いた。

 「いいんです。これで十分です」

 スタッフと肩を並べて少し逞しくなった太郎の姿をしばらく見ていた。


      7 

 アパートに帰り博樹はビールのプルタブを開けた。

 「は~~~。おれがパパねえ~~ハハ」

 「いや、あの子の親が見つからなかったら、あの子は・・・いや、俺一人ではなあ・・・ママがいれば・・・」

 ふと思い立ったように携帯の待ち受けを見た。笑顔の多枝子が写っている。

 「いやあり得ない」

 「・・・・・・・」

 勝手な妄想が始まった。

「なあ多枝子・・・太郎と3人でディズニーランドでも行こうか」

 「まあ博樹さん素敵!私お弁当作るわね」

 「パパーー!ミッキーに会えるね!」

 「フフフフフ」

 それはそれで幸せの形かもしれない。博樹はグビっとビールを呑み込んだ。そんな時着信が入った。多枝子からだ。今のやり取りを見透かされている気がして少し焦った。

「もしもし」

 「多枝子です」

 いつもと声の調子が違う

「どうしました?」

 「先ほど父が亡くなりました」

 唖然とした。わかってはいた事だが、博樹は元気のいい時しか見ていないので、実感がわかなかった

 「・・・・・」

 「先日御神さんとお話ししてから急に容体が悪くなりまして」

 「・・・・・・」

 言葉が出なかった。多枝子は気丈に続けた

 「人生最後に息子を持てて幸せだったと言っていましたよ」

 「あああ・・・・」

 口から出るのは言葉にならない感情だった。

 「とっても安らかな顔でした。・・・グスッ・・・癌とは思えないぐらい」

 「何処にいるのですか多枝子さん!私もそちらへ・・・」

 いてもたってもいられなかった。実の親を亡くした多枝子はよほどの気持ちだろうと推測できた。側にいてあげたい。

 「いえ、父はあなたがそう言ったら来るなと伝えろと言い残しました」

 「うううううう・・・多枝子さんは?」 

 多枝子はあくまで気丈だった。

 「私は大丈夫です。とっくに覚悟はしていましたから。葬儀はこのままこちらで身内だけで行いたいと思います」

 「それじゃあ、あまりにも・・・うううう」

 博樹の方がボロボロだった。短い付き合いだったが涙が止まらない。 

 「息子よ、去る人よりも未来を見よ!父の遺言です」

 「息子!息子!あああああああ!」

 感情が爆発した。

「ありがとうございました」

 「多枝子さん!また会えるのですか?」

 一番聞きたいことが聞けた。

 「いずれ会えると思いますよ」

 何はともあれその一言でほっとした。さらに突っ込んで聞いてみた。

「・・・・一つ聞いてもいいですか?」

 「はい」

 「こんな時に・・・何ですが・・・子供は好きですか?」

 「はい」

 もう涙は止まっていた。

 「他人の子供でも愛せますか?」

 「話がよく分かりませんが・・・私は愛せると思いますよ」

 「・・・・・・・・・」

 言葉にできないぐらい嬉しかった。

 「それではこれから忙しくなりますので」

 電話が切れるとまた感情がこみあげて涙となった。

「ううう・・・太郎!多枝子!俺の!俺の夢は!うわぁああああん」

 初めて自分の気持ちを確認した。

 

      8

 仕事帰りに博樹は久しぶりに太郎の所へ顔を出そうと思った。会社の仕事が忙しかったのもあるが太郎に友達ができたので安心していた。逆に顔を見せないと忘れられてしまいそうな変な気持ちもあって足を運ばせた。スタッフが出迎えてくれた。

 「御神さんお待ちしていました」

 「はい、はい、今日も張り切って・・え」

 「太郎君のご両親です」

 なんでこのタイミングなのだろう?率直に驚いた。

「ええええ」

 「御神さんですね。大変お世話になりました。」

 「ええ・・・まあ・・・」

 何となく気まずい気分だ。今頃何でという気持ちもあったが太郎にとっては喜ばしい事なので祝福しなければという気持ちが入り混じった。

 「ネットの人探しを見て気が変わりました。」

「あ」

 博樹が仕掛けたサイトだ

 「一度は捨てた子ですが、ずっと気になっていて・・・」

 「待てよ!何をいまさら・・・」

 本音が口を着いた。

 「わがままなのは分かっています。でもどうしてもやはり北斗と3人で暮らしたいと思います。」

 「北斗??」

 「はい。この子の名前です」

 変わった名前だなという以上に偶然さに驚いた。

 「・・・・・・」

 言葉を失っていると太郎いや北斗が話しかけてきた。

 「北斗七星は北極星を探すんだよね。御神さん!」

 初めて名字で呼ばれた。なんか違和感があった。

 「・・・御神さん」

 「北斗君も同意の事なのでスイマセン」

 戸惑う気持ちを押し殺し頭の中を整理した。北斗にとってこの方がいいのだろう。しかしあまりの急展開に必然を感じざるを得なかった。

 「いや・・・どういう事だ??」

 北斗は北極星、目指す場所を示す。俺にとって目指すものとは・・・。

 施設から三人手を繋いで帰る後姿を見送った。その姿は3つの星を連想させた。

 「あ・・・3つの星・・・・北極星って?」

 北斗が博樹にもたらしたものは何だったのだろう。今までのことを回想してみた。確かに博樹の中で何かが変わった。それが何なのかははっきり認識することができなかった。今は寂しさだけが募る。


 とぼとぼ一人の帰り道、いつもの花屋で花を見つめた。ほどなく花屋のおばちゃんが声をかけてきた。

 「彼岸花の人だね。今は無いよ」

 「なぁ・・・彼岸花の花言葉って情熱だよなぁ・・・」

 「そうだよ。あっ!他にもあるわね」

 「他?」

 「そう、悲しい思い出」

 博樹はまた固まった

 「・・・悲しい思い出」

 


 第3章 不埒な夢

     

 1

 ある晴れた朝博樹は会社にいた。北斗と別れて一カ月。体調は最悪だった。何故だか解からないが飯が喉を通らない。一日中ボーっとしていることが多く体もだるい。酒を呑みすぎた日はそうなることも多々あったが、今は呑みすぎているわけではない。試しに病院に行ってみたら鬱という診断をされた。博樹は自分では気づかないがそれほど強いショックを受けていたのであろうか。先の一カ月は瞬く間にいろいろなことが起こり自分の体調など全く気にしてなかった。それが祟ったのだろうか?ともかく休養が必要ということだった。会社に診断書を渡して処分を伺うことになる。係長に診断書を渡した。

「スイマセン係長」

 「身内の不幸で鬱になって1カ月の休暇ねえ。そういえば顔色もよくないね。」

 力なく返事をした。

 「はい」

 「まあ、うちの社も傷病欠勤は認めている訳だから、医者の診断が出ればふざけるなともいえないしねえ・・・」

少し困った顔の北山係長を見て少し恐縮し た。

「勝手なのは分かっています」

 「分かりました!きみは特別勤務態度も悪い訳ではないし、課長には上手く伝えとくよ」

 「ありがとうございます」

 どちらかを選ぶなら休養は欲しかった。何をすれば整理がついて回復するのかはわからなかったが、思い切り呑みたい気分だ。会社に勤める以上はあまり呑むわけにはいかない。営業マンが酒臭くては嫌われる。深酒は、土曜日以外は控えていたが、今は思いっきり呑んで忘れたい。そんな気分でいた。


 休職の手続きを終えてアパートに帰り着いた。 

 「はあ・・・悲しい思い出・・・悲しすぎるよ」

 呑みたいがまだ昼前だ。そんな呑み方をしていれば昔の自分に逆戻りだ。体に良くないのは分かっていた。

 「一杯だけやるか」

 自分には甘い悪い癖だ。気が付くとかなりの量を呑んで寝てしまっていた。

 「ハッ、何やっているんだ⁉俺は。せっかくうまくいきかけていたのに・・・」

 「まてよ・・・彼岸花の花言葉って幾つあるんだ?」

 すべての物事は彼岸花のせいだと思っている。今の段階の博樹では仕方のないことだろう。人間不安定なときは先を知りたがる。占いなんかが流行るのはその最たる例だろう。検索すると幾つか出てきた。

 「情熱!」

 「悲しい思い出!」

 「再会!」

 「独立!」

 「おおおおおおお!」

 「この順番だと・・・」

 勝手な妄想が始まった。これも悪い癖である。多枝子が語り掛ける。

 「社長」

 「なんだい多枝子、家で社長はよせと言っているだろう」

 「だって博樹さんって呼ぶのはおこがましくて・・・だってあなたこんなに立派になったのですもの」


 ・・・・はっ。我に返った。

 「うおおおおおおお」

 嬉しくて思い切り吠えた。

「しかしどうすればいいんだ?多枝子さんの携帯またつながらないし・・・待てよ・・・」

 冷蔵庫の奥に手を伸ばした。彼岸花の球根である。

 「まだあった・・・よし!この手を使うか」

 「しかしこれまずいんだよなぁ・・・豆板醤で行くか・・・いや、豆板醤がないな・・・・慌てない、慌てない。1カ月も休みがあるんだ」

 駅前のコンビニに買い出しに行くことにした。とっくに夜も更けていた。多少お酒が残っているが、歩くのには支障がなかった。豆板醤とトイレットペーパーとビールを買って店を出た。今日は星が奇麗に見える。

「北斗もこのオリオン座を見ているのかな。北斗七星・・・俺をどこへ導くんだ」

 何処を目指しているのか分からなかったがこの一連の出来事には目指すゴールがあると信じていた。いや信じたかった。

 

 アパートへ帰ると早速始めた。

 「ビールを飲んで・・・よし豆板醤・・・ゴクッ・・・『再会』・・・フフフ」

球根に豆板醤を付けて頬張った。

「いや!これ美味っ!やっぱ豆板醤だな」

「いや、美味っ!」

いくつでも食べられそうだ。どんどん食べていった。やがて激しい眩暈がしてきた。

「お!キタキタ!さああ!」

倒れて手足が痙攣してきた。

「こっ、これはヤバいんじゃないか⁉」

痙攣している体を何とかコントロールして携帯に手を伸ばした。もちろん119番だ。救急車の音が遠くに聞こえる頃には気を失っていた。


     2

翌朝病室にて

「それで・・・球根が美味しくて豆板醤でどんどん食った訳だ」

「はい・・・スイマセン」

「彼岸花は上手に処理しないと毒がありますからね」

「はい」

「当然こうなりますよね」

「・・・・・」

諭すような口調だが明らかに怒られている。当たり前だ。

「解毒しておいたので、今日1日入院してすぐ退院できますよ」

「ありがとうございます」

大したことなくてよかった。今までは感じなかったが改めて毒の恐ろしさを知った。入院というのは初めての経験なので、勝手が分からなかった。ベッドから半身を起こし窓の外をボーっと見ていたが当然すぐに飽きた。

「暇だな。別に病気じゃねえし・・・それより此処何処なんだ?」

病気ではないので体と心はいたって元気だ。退屈しのぎに病院を散策することにした。

「これ、多枝子さんがいた病院!救急病院ここしかなかったのかな・・・」

エレベーターに乗り他の階も散策した。

412号室。秀夫のいた病室だ。

「この部屋でお父さんと・・・グスっ」

雑談で盛り上がっていた相手はもうここにもこの世にもいない。改めて死というものと向き合うと自然と涙が込み上げた。412号室の今の住人は草杉和良くさすぎかずよしという人物だ。

「クサスギカズラ?・・・確か・・・」 

スマホを取り出し検索してみた

「彼岸花じゃないか・・・どういう事だ」

以前彼岸花を検索している時に別名を知り、それが頭の片隅に残っていたのだ。またしても必然を感じたがどうしていいのか分からずその場に立ち竦んでいた。間も無くすると扉が開いた。         

ガラッ    

 「あらっ、カズヨシのお友達ですか?」

 「あ、カズヨシね」

 普通に考えればそう読むはずだ。すると部屋の中から声がした。

 「どうしたの?お母さん?」

 「お友達が・・・」

 別に友達ではなかったがあえて否定しなかった。和良の声が響いた。

 「入ってもらって」

 「さあどうぞ」

 「いや・・あの・・・」

 どうすればいいのか分からなかったが手を引っ張られたのでそのまま中へ入ることにした。訳が分からないが、この男に何かがあるのだ。今までの経験からそんな気がした。遠慮より確かめようという気持ちの方が勝っていた。

「・・・・こんにちは」

 一瞬間があったが何事もなかったかのように草杉は対応した。

 「同い年ぐらいだね」

 普通に話を切り出されたのに少し面食らったが話を続けた。

 「そうですか?あの・・・何のご病気ですか?」

 「ただの虫垂炎ですよ。明日退院できます、あなたは何の御病気ですか?」

 人懐っこいのか草杉との話に違和感がなかった。

 「・・・いえ、ただの風邪で・・・」

 「???」

 とっさに着いた嘘があまりにも嘘っぽかった。ただの風邪で入院する人はいない。

 「いや、高熱で救急車で運ばれましてね」

 草杉は話の真偽に興味はないようだ。実際入院しているのは確かだ。

 「フフ、病名が名刺代わりなんてさすが病院ですね」

 「あっ、そうですね。この会話おかしいですよね。ハハハ」

 相手が社交的なのを確認したので少し安心した。

 「フフフ、私経営コンサルタントをしています。草杉和良です。」

 「御神博樹と言います。凄いですね。あー例えば傾いている企業をガーっと再建したりして・・・カッコいいなあ」

 思いつくまま社交辞令を並べた。

 「あ、いえ、独立する事業主を支援させていただいています」

 「独立⁉」

 「はい」

 予感は的中したのかもしれない。やはりこれは彼岸花が齎した自分の宿命ではないのか⁉そういう気がしてきた。

心の声

 【おい待て・・・こういう事か⁉・・・先に独立!】

 博樹は胸を躍らせた。以前独立をして失敗しているが、やはり根っからの性分なのだろう。独立という言葉は魅力的だ。しかし仕事の暖簾分けをしてもらった以前の企業とは勝手が違う。まずは草杉の話をじっくりと聞こうと思った。目の色を変えて半身起きている草杉の足元に座り話を切り出した。

 「独立ってどうやってするのですか?」

 落ち着いて草杉は答えた。

 「もちろんいろいろですよ。店舗を構える方、オフィスを構える方、今はネットビジネスで起業される方も多いですよね。」

 耳障りの言い言葉が出てきた。

「ネットビジネス・・・」

 「ええ、オフィスを構える必要もないですし、商品在庫を構える必要もないのでリスクは少ないですよ。みなさん起業しています」

 「みんなやっているのですかぁ」

 みんなやっているという言葉がキャッチ―だった。いかにも誰にでもできそうな気がする。

「今は誰でも社長になれる時代ですからね」

 「社長!」

 いつになってもいい響きだ。今の仕事に特に不満はないが、この響きには勝てない。その辺も博樹の性分ではあった。

 「はい、もちろんそれなりの勉強は必要ですが・・・」

 そのハードルが逆に真実味を帯びていた。以前はろくに準備もせず勢いで暖簾をいただいて失敗した。通り一遍の仕事以外にも特別な勉強が必要なのだろう。そのくらいの方が、説得力がある。

 「詳しく聞かせてくれないか?」

 「いえ今は資料がないので」

 博樹はこういう時に待てない性分だ。その癖がいい時もあれば悪い時もある。

 「俺も明日退院するんだよ。帰りに付き合ってくれないか?」

 ことの良し悪しは置いといて先を急いだ。

 「もちろんご興味があるのであれば仕事ですので」

 「お、じゃあまた!」

 「はい」

 病室に戻り一息ついた。何とか話はこぎつけた。このとき博樹は新しい可能性に没頭し、今の会社のことなどすっかり忘れていた。

 「社長かぁ」

 前の会社を畳む時自分は社長の器ではなかったのかもと後悔した。しかし社長という肩書は博樹にとっては魅力的だった。ネットビジネスという世界は未知でお金の匂いに溢れていた。しがない印刷屋とは違う。コンサルタントが付いているという心強さもあってもうすっかり成功した気がする。あらぬ妄想が始まった。

 「やあ多枝子、これプレゼントだよ。」

 「まあ!こんな高価な物・・・」

 「なあに、事業で3億ほど儲かってね」

「まあ凄い!あの・・・」

 「なんだい?」

 「女の口からこんな事言うのは恥ずかしいのですけど・・・」

 「なんだい多枝子」

「私と・・・」

 「私と⁉」

 「私と・・・」


はっと我に帰った

「クックック。そういう事なのだ!人生捨てたものじゃないな」

 「・・・・・」

 冷静に考えると不安と期待が交錯した。

「ジッとしてられないよ。散歩でもしてくるか」

 また病院内を散策し始めた。外に出ると奇麗な中庭があり、入院患者か遊びに来たのか分からないが子供たちがサッカーをして遊んでいる。サッカーと言ってもゴールは無く球の蹴り合いだ。父兄と思われる大人たちも周りでそれを見ている。

 心の声

 【おお、楽しいか貧民たち。この中で社長は・・・いねえな、ハッハッハ・・お、あいつは部長ぐらいか?】

 人間を品定めするなんて下品な行為だが今の博樹は舞い上がって品などお構いなしだった。全くもってのお調子者だ。子供達の側に近寄っていくと、こぼれ球が博樹の横に転がってきた。後を追うように子供たちが走ってくる。博樹は子供たちにボールを投げ返した。

「お、ほらボールだ!もう落としちゃだめだぞ、貧民」

 「・・・ひんみん?・・・」

 「ハッハッハ。まあいいやそんな事。じゃあな」

 すっかりその気になってしまった。博樹はしばらく病院内を闊歩した。

「明日が待ち遠しいなあ」

 そんな安易な考え方では世の中まかり通らないということをこの時はまだ気づいていなかった。


       3

 翌日病院下の食堂に博樹と草杉はいた。この食堂は以前多枝子と来た場所だ。資料を取り寄せた草杉が熱心に説明を始めた。

 「これらが私の抱えるクライアントの一例です。」

 「ほ~~年商10億円!」

 「はい、この方は商材単価の高い商社さんなので、ヒットすればこの様になります」

 期待以上の話だ。もちろん誰もがそうなれる訳ではない。成れるのは一握りの人間だろう。しかし博樹はすっかりその気だ。相手もまずは美味しい話しかしない。当たり前である。 

「これもあなたが指導されたのですか?」

 「指導と言うかお手伝いですね。もちろんこの規模のビジネスですとかなりの資本が必要となります。」

 「資本はなあ・・・」

 フリーター暮らしが長いので貯蓄があるわけがない。それでも借金を返し、コツコツと貯めたお金はあった。ビール以外にお金を使わなかったからだ。遠慮がちに草杉は尋ねた。

 「おいくらぐらいですか?」

 「やっと・・・100万あるか・・・どうかですね」

 思い通りにいかないものだと思った所に別のプランが出た。

 「でしたらネットの方がお勧めですね」

「勉強に多少のお金はかかりますが資本はほぼいりません」

 聞いてみるものだ。すぐに飛びついた。 

「そちらの方の説明をもらえますか?」

 「はい。今流行りなのは仲介ビジネスですかねえ。ブログやホームページで集客出来ればそのネットワークを使って様々な商品を、仲介、宣伝、販売する事が出来ます。売り上げの一部を仲介手数料としてもらえる訳ですね。どの様な商品に興味がおありですか?」

 「興味がある物ですかぁ・・」

 心の声

 【今はビールにしか興味がないからなぁ】

 大事な話だが正直面倒臭くなってきた。

 「なんか難しい事考えないでもうかる仕事は無いのですかね⁉」

さすがの草杉も少し戸惑った。

「いや・・・それは・・・じゃあどうですか?とりあえず勉強を始めてゆっくりと考えると言うのは?」

 「う~~ん、まあ勉強に損はねえだろう。

 それで行こうか」

 物事をアバウトに捉えるのも悪い癖だがそれで成功したこともあった。博樹の長所であり短所である。

 「ではまずネットビジネスの基本教材から始めましょうか」

「おう!それで頼むよ」

 一度決まれば一心不乱それは長所である。

 「全セットで6万5千円になります」

「そんなにするの?」

甘く見ていた。

 「かなりの量がありますので、でもみなさん一生懸命やられていますよ」

 「みんなやっているのかぁ・・・それで成功するのかね」

 やはり物事の結論を欲しがる。成功とはそういうものではない。

 「貴方次第になります」

 「・・・よし!なんとか用意します」

 決意は固まった。

 「ビジネスプランは考えおいてくださいね」

 草杉は多忙なためこれですぐ席を立った。博樹は一人残りエビピラフをたのんだ。多枝子と食べた味で一人しばらく思い出に浸った。


    4

アパートに帰るといつもの様にビールを開けた。

 「ふう・・・何だかややこしい話になってきたなあ」

 プシュ

 しかし新しい目標ができたため北斗のことはすでに忘れていた。人間辛い時ほど行動するものだ。新しい何かが見つかり古い何かを忘れ没頭できる。不安はあるが少し清々しい気持ちだった。

 その時着信が入った。

 「はい」

 「多枝子です」

何げなく答えたがいつも多枝子からの電話は心躍る。

「あ、こんばんは」

 「先日はご心配おかけしました。葬儀も済んでようやくひと段落した物ですから」

 「大丈夫なんですか?」

 多枝子のことはいつも心の片隅に引っ掛かっていた。

 「寂しくないと言えばウソになります。だからせめて御神さんの声だけでも聞きたいと思いまして」

 「!!!ええ!私の声でしたらいくらでも。

どんな声がいいですか!高い声!低い声!・・・あっ、モノマネも出来ますよ。」

 意外な多枝子の言葉に舞い上がった。

 「フフフ、御神さんの声が聞きたいのです。

 モノマネじゃ意味無いじゃないですか、フフ」

 「あっ、ハッハッハ・・・そう!そうですよね!」

 多枝子と話すときはいつも舞い上がってうまく話せない。

 「お元気そうで・・・子供たちに夢を与えていますか?」

 「・・・え!・・・いや、まあ。もう子供たちに感謝されまくりでしてねえ・・・ええ、私の顔を見ると『あっ、夢を売るおじちゃんだぁ~~』って、ちょっとしたヒーローですよ、ワッハッハッハ」

 本当のことは言えなかった。別に悪いことをした訳ではないが、北斗と別れたショックで休業というのはすこしみっともない気がしたからだ。また北斗のことを説明するのも難しかった。

 「まあ、よかった。実は私も仕事を持とうと思いまして・・」

 「えっ、あ、そうか・・・」

 「今までは父の少ない蓄えに甘えていましたが、そういう訳にもいかなくなったので・・・」

 心の声

 【そうだよなぁ・・・金に困っているのだ。あたりまえだよなぁ】

 「多枝子さん!貧乏人とお金持ちのどちらがいいですか?」

 「そりゃあ、お金はあっても困りませんけど・・・」

 「そう!そうですよね!男の甲斐性は金ですよね!」

 「いえ、あの・・・」

 もう多枝子の言葉など耳に入ってなかった。まだ詳細も決まってないのにやる気になっていた。いや、やり遂げると心に誓った。この思い込みも長所であり短所である。調子に乗って博樹は続けた

 「いやあ、今の仕事でビッグプロジェクトを任されましてね。一括千金のチャンスなのですよ。ハハハ。困った事はどんどん私に言って下さい!」

 嘘をついた。悪い事をしている訳ではないが、せっかく就いた仕事を放り出して副業に現を抜かしているのは後ろめたかった。多枝子のことを思う気持ちは一緒でも全く意味合いが違う。

「・・・お気持ちは嬉しいですが・・・」

 多枝子は少し不安そうな声色に変わったが博樹は気付かなかった。

「いえ、遠慮はいりませんよ、困った時はお互いさまってね」

 「・・・プロジェクト頑張ってください。一所懸命な御神さんが今の私の一つの心の支えです。」

 「・・・・・・」言葉を失くした。 

 心の声

 【きたああああああああああああああ】

 舞い上がってその気になってしまった。

「ええ、任せてください!全力であなたを支えますよ(一生)・・・(一生)・・・いや、あの」

 「はい!?」

 「とにかく大船に乗った気で任せてください」

 とうとう大風呂敷を広げてしまった。後には引けない

 「・・・・はい・・・・」

 「ところでなぜ連絡先がころころ変わるのですか?」

 「ええ、たいしたことではないのですけれども・・・今度会った時にゆっくりお話しします」

 好きすぎてじれったくなった。

「こちらからは連絡してはいけませんか?」

 「そんな事はありませんが、今は御神さんにはご自身の事に一生懸命になって欲しいです。・・・お世話になっておいて・・・駄目ですか?」

 寂しかったがそれより多枝子の気持ちを尊重しようと思った。そう言えば聞こえはいいが押しが足りないのである。多枝子を相手にするといつもそうである。 

「いや、分かりました!ええ!こちらからは一切連絡いたしません。男がネチネチ電話なんておかしいですよね!」

 「いえ、そんな事は・・・フフ」

多枝子はたまに会話に笑いが入る。どういう笑いか気にはなっていたが聞けなかった。 

 「ビッグプロジェクトを成功させたらご報告させてください!その時までは・・・そう!その時にまた!」

 「・・・無理をなさらずに頑張ってくださいね・・・」

 「それではまた!」

 「はい!」

 プツッ

 博樹は自分から電話を切った。もっと話したい気持ちもあったが楽しみは先に取っておこうという作戦だ。今はとにかく起業に専念するつもりだ。

 「ふ~~~心の支え・・・・フフフ・・・やるぞおおお!多枝子!」

 

     5

 翌日博樹はATMで金を卸し草杉の待つ喫茶店へ向かった。喫茶店で待っていたのは草杉ではなく代理人の白花隼人しらはなはやとだった。

 「おお、6万5千円キャッシュだ!」

 「ありがとうございます」

 「ところで草杉さんは?」

 「草杉は忙しい身なので、今後は私、白花が担当させていただきます。」

 白花は黒縁メガネをかけたインテリ風の風貌だ。 

「おお、誰でもいいよ」「しかし結構な数の本だなあ」

 「このくらいの勉強は必要かと」

 「よしわかった。これが出来たらどうすりゃいいのだ?」

やる前から少し前のめった。

「出来ましたら、またご提案しますよ」

 「とりあえずやりゃあいいのか!」

 「そうですね」

 普段から本を読む習慣はないが、本が読めない訳ではない。ただ今の博樹は面倒臭がり屋だ。このとき博樹自身まだ気付いてなかった。

 

 アパートに帰るとまずは教材の確認をすることにした。

 「よしっと」

 「えええっと、なになに?『パソコンの基礎』何だいこりゃ、まあ俺には分かんないからいいか。『商取引法』こりゃ多小はわかるな。

『ホームページの作り方』『心に響く言葉』

『マーケット心理学』お、これなんかそれっぽいな。とりあえず・・・『パソコンの基礎』  

からやるか」

 集中しているうちに夕方になってしまった。

 「ふう、パソコンなんか松尾にやらせるかなあ・・・」

 ふいに多枝子の声が頭に浮かんだ

 『御神さんが私の心の支えです』

 そこまで言われたら男として黙っていられない。今が頑張り時だと博樹は思った。

「いや!大黒柱としてこのぐらいの事・・・ビールの一本ぐらい我慢するか・・」

 あっという間に深夜になってしまった。こんなに長く集中したのはいつ以来だろうか。そのくらい期するものがあったのだろう。

 「おおお・・・もうこんな時間だ・・・ちょっと寝るぐらいはいいですよね・・・多枝子さん・・・」


 翌日も朝から課題の読書に博樹は専念していた。こんなに集中力が続くのかと自分でも少し驚いていた。そのくらい博樹はその気になっていた。そんな博樹のもとへ着信が届いた。山内である。  

 「御神さんその後おかげんいかがですか?山内です」

 「おお、山内君」

 会社のことなどすっかり忘れていた。 

 「課長の方からお見舞いに行けと言われているんです。お茶でもどうですか?」

 「いや、今忙しいんだ」

 申し訳ないという気持ちが芽生えた。

 「忙しい・・・そうですか。じゃあ言付けを。『もう一度君の一生懸命な姿を僕に見せてくれ』とのことです。」

 「おう、わかったよ。じゃあな」 

「・・・はい」

 会社としては最大限の誠意を見せてくれたのだが、博樹は舞い上がっていた。

 「一生懸命・・・メチャクチャ一生懸命だって!・・・・いや・・・ええい!ビッグプロジェクト!」

 会社の誠意を感じながら迷いを断ち切るように言い聞かせた。

 

 午後からは白花と会う予定だ。博樹の方が呼び出しをかけたのだ。白花は快く引き受けてくれた。13時にいつもの喫茶店に足を運んだ。しばらく待つとビジネスケースを片手に白花が現れた。

 「お、白花君。まあ座って、座って。」

 「御神さんこんにちは」

 白花は軽く頭を下げた。 

 「次は何すりゃいいんだ?」

 博樹の言葉に白花は大袈裟に驚いた。

 「えっ!もう教材全部終わったのですか?」

 「おう、当たり前だろう」

 「こんなに早い人見たことないですよ」

 確かに七冊の分厚い本を一日で読み終えたのだ。こんな人めったにいない。

 「え!そうなの?」

 「ええ、数々の成功者を見てきましたがあなたが最速ですよ」

 思わず口元が緩んだ。

「成功者の中でも最速!・・・で、次どうすりゃいいのだ!」

 白花の言葉が更に博樹を前のめらせた。

 「いや、その前にどんなビジネスプランをお考えですか?」

 「プランと言えば・・・まあ・・・2つ、3つはあるんだが・・・おう、そうだよ」

 博樹は嘘をついた。ビジネスプランなど全く考えていなかった。とにかく言われた事をすれば成功するようなよくある勘違いである。

 「ビジネスプランがおありでしたら、さっそくホームページかブログ立ちあげましょう」

 「前回の教材でもふれたのですが、こちらが上級編ですね。」

 「まだこんなにあるのかい?」

 「ええ、このくらいのスキルは必要ですよ」

 博樹は少しげんなりした。

「また金かかるのか?」

 「ええ、この教材は7万3千円になります」

 博樹は少しムッとした。

「お前・・・詐欺じゃないのか?本当に成功なんかするのかよ」

 「それはあなた次第ですよ、でしたら先にビジネスプランの話からしましょうか?」

 「いいよ、わかったよ。考えとくよ」

 やる気が少し萎えた博樹だったが成功者たちの紹介が頭をよぎり断るのを躊躇した。

 「はい!開封後の返品も受け付けますのでご検討ください。今商品お持ちします」

白花は表に停めてあった車に戻り段ボール箱を持ってきた。

「おう」

 「では私は次のクライアントもおりますので、これで」

 「ああ、じゃあな」

白花の後ろ姿を見送った後コーヒーのお替りを注文した。

 「はあ~~まだこんなにあるのかい。ビジネスって甘くねえなあ」

 ため息をつき新しいコーヒーに口を付けた所で呼び止める声がした。

 「ちょっといいですか」

 「え!はい」

 返事をするや否や男は正面の席に座った。

 「さっきの男おそらく詐欺ですよ。」

 「ええ!やっぱりそうか!」

 男はスーツの内ポケットに手を入れ名刺を取り出した。

 「申し遅れました。私経営コンサルタントの宝多と申します」

 名刺には宝多哉たからだはじめとあった。

 「おお、なんか縁起のいい名前だな」

 この宝多という男人懐っこい顔をして妙に親近感が沸く。見た目は悪い人に見えなかった。

 「さっきのお話聞かせていただきましたがかなり優秀な方の様ですね」

 「俺が?いやいや」

 否定しながらも少し天狗になっていた。宝多は続けた。

 「私は人を見る目には自信があります」

 「おお・・・そうなの?」

 「はい・・実はあなたほどのビジネスの才能のある方はいらっしゃいません」

 「・・・そうなの?」

疑心暗鬼ながらも悪い気はしない。だんだん博樹はその気になってきた。

 「才能のある方にとってビジネスとは簡単な物なのです」

 甘い言葉に博樹は身を乗り出した。

 「やっぱこう、センスみたいなものなのか?」

 「はい、ビジネスはセンスが全てです」

 確かに一理あるが全てではないだろう。

 博樹は立ち止まる冷静さを失っていた。

 「それが、俺にはあると!」

 「おそらくあります」

 さすがの博樹も躊躇した。

 「あんた信用できるのか?」

 「そうですね。では今まであなたが払った教材費用私がお支払いしましょうか?」

 「え!金くれるの?」

 今度は驚いて椅子にふんぞり返った。

 「はい!優秀な人材には投資する。これもビジネスですよ」

 優秀という言葉を連発されて悪い気はしない。

「う~~ん、偉く良心的だなあ。あんたなら信用できそうな気がしてきたよ」

 良心はお金で決まるものではないが今の博樹には願ったり叶ったりだった。

 「はい、ただ当社は契約制になっていますので契約書にサインが必要になります」

 「おお、じゃあさっそく・・・いや、よく見せてくれ」

 速読の様に早く契約書に目を通した。

「・・・・・・・」「待てよ!この契約解除の場合の違約金って何だよ!」

 読んでおいてよかった、危ない所だったと博樹は思った。

 「それはあまり気になさらなくて結構ですよ。いやあ、ご自身の才能に気付かず途中で挫折する方がいらっしゃいましてね。我々としても優秀な人材が途中で挫折するのは非常につらい!その為に形だけ取らせていただいております。」

 「なるほど・・・最後までがんばりゃ払わなくていい訳か」

 宝多の巧妙な言い分に博樹は納得した。

 「はい、この世界はやりぬく事が大事です」

 「おお!それならおれには関係の無い話だ」

 「そういう事です!」

 前のめりの博樹にはこの話が危ういということが分からなかった。

 「分かったよ。サイン、サイン・・と。これでいいんだな」

 「はい、成功は目の前です!」

 宝多の威勢のいい言葉に博樹は心酔しきっていた。誰でも金や名声は欲しい。しかし簡単なものではない。すっかりその気になっている博樹は尋ねた。

 「ちなみにどのくらい儲かるのだ?」

 「六本木ヒルズにお住まいの方もいらっしゃいますよ」

 「おお!」

六本木ヒルズという言葉に負けた。

 「では、後日連絡いたします」

 「おお、ありがとう」

 コーヒー代と白花に貰った段ボール箱を置いて博樹は席を立った。


      6

 帰り道コンビニへ立ち寄った。

 「しかし世の中親切な人もいるものだな。・・・成功は目の前、フフフ。今日のビールはプレミアムにするか」

アパートへ帰ると早速ビールを開けた。

 「やっぱりビールはプレミアムだな・・・いや、世の中にはどんなうまいビールがあるんだ?・・・フフフ、これから分かるよな」

 何時もの様にあらぬ妄想が始まった。多枝子とのツーショットである。   

 「御神さん素敵な眺めね」

 「ヒルズからの景色は最高だろう」

 「ビールも美味しい」

 「ドイツから取り寄せた最高級のビールだよ」

 「まあ」

 「ハッハッハ、僕達の成功に乾杯!」

 「幸せ♡」


 博樹は込み上げてくる笑いを隠せなかった。

 「くっくっくっく」

 一人で酔いしれている所に着信が入った。多枝子である。

 「こんばんは」

 「おお、多枝子さん」

 多枝子からの電話はいつもタイミングがいい。家にいて寂しくなった頃に着信が入る。込み上げる嬉しさを博樹は隠した。 

「仕事が見つかったのでご報告をと思いまして」

 「はい」

 「とりあえず近くにあるお花屋さんで働く事になりました」

 「花屋・・・給料いくらなんだ⁉」

 仕事が見つかったのはいいが多枝子の生活状況が心配だった。

 「フフ、まあほどほど戴いています。それよりも私お花屋さんになるのが憧れだったのでとりあえず」

 「・・・そうですか・・・でも多枝子さんどうして俺なんかに・・・」

 嬉しさの中にも上手くいき過ぎなんじゃないかという不安もあった。いまだに多枝子の本当の気持ちを聞けずじまいだったからだ。

 「え⁉」

 多枝子は驚いた。

 「だって、たまたま出会っただけの縁じゃないですか」

「一期一会が父の教えです」

 「一期一会⁉」

 多枝子は父の教えには忠実だ。よほどの信頼関係にあったのだろう。今時の子にしては珍しい。そんな多枝子が博樹には魅力的だった。

 「人の出会いは必然です。よい出会いも、悪い出会いも。ただ本当に自分の事を心配してくれる人間を絶対に逃すなと」

「そうですか」

 多枝子の言っている人が自分なのかどうかも曖昧だがそれ以上突っ込んで聞けなかった。

「いえ・・別に深い意味は無いですよ。フフ、私が辛い時に一生懸命支えてくれたじゃないですか」

 「ウッ・・・これからも支えますよ」

 博樹に今できることはそれくらいだ。ただ多枝子を好きだという気持ちに偽りはなかった。

 「え!」

 「いや・・その・・・いやあ、今日詐欺に会いましてね!」

 「詐欺?」

 「ええ!親切な人が助けてくれましてね。いや、一期一会ですかね」

 「・・・・はぁ・・・・」

 「ハッハッハ、とにかく任せてください!必ずビッグプロジェクト成功させますよ!」

 とにかく前向きな姿だけは多枝子に届けたかった。

 「・・・無理なさらないでくださいね・・・本当に・・・」

 「大丈夫ですよ!じゃあ!」

 「・・・・はい・・・・」 

 先行きは心配だが多枝子に心配はかけたくなかった。やるしかない。そう、やるしかないと自分に言い聞かせた。


 翌日は喫茶店で宝多と待ち合わせた。予定時間より5分早く着いたが宝多はそれより早かった。

 「おお、宝多」

 「お待ちしておりました」

 「まずは何すりゃいいんだ?」

 博樹はいつも単刀直入だ

 「まずは多少勉強しておいた方がよろしいかと」

 「成功は目の前じゃないのか?」

 軽い気持ちで皮肉った

「ええ、そう慌てずに。まずは草杉さんのところの教材は返品しておきました。」

 「あの詐欺野郎。助けていただいてありがとうございます。で、何を勉強するのですか?」

 サービスの良さに自然と博樹も敬語になった。

 「この教材ですね」

 「ほおお『必ず勝てる会話術』??『困った時の行動心理』??なんか変わった本だな」

 「ビジネスはシビアな勝負です。これが実は必勝法なのですよ。」

 「必勝法⁉必ず成功するってことかい?」

 「間違いなく」

 宝多は草杉や白花と違って物事をズバリ言い切るその威勢が今の博樹には頼もしかった。人間不安定なときは弱いものだ。

 「よしやるよ、いくらだ?」

 「3万8千円です」

 「この本2冊で?」

 どう見ても市販の本をプロデュースしただけだがそのプロデュース代というのが高いのだろうか。正直驚いたが従うしかなかった。

 「それだけ価値のある本だと言う事です。そうそう、最初の教材代お返しする約束ですから、この本と2万7千円を貴方にお渡しする事になります」

 現金が付いてくるとなんでも得した気になる。

「金もらえるのか⁉そりゃ悪い話じゃないな。しかし会社もある事だし、時間的な事とか大丈夫なのか?いや、ですか?」

 話を進めいてく上で大事なことに気が付いた。会社に復帰するとなると二足の草鞋だ。

「う~~ん・・・私の知っている限りですが・・・」

 「知っている限り?」

 「成功者と言うのは退路を断って勝負していますよ」

 宝多が口にしたのは結構大きな決断だ。 「・・・・・・」

 宝多は続けた

「中途半端な気持ちで成功しますか?」

 「それもそうだな・・・」

 宝多が言うと妙に説得力があった。

 「それでは2万7千円お返しします。考えてみてください。」

 「・・・・おお」  

 宝多は2万7千円と2冊の本とコーヒー代を置いて席を立った。


 アパートに帰るとビールを開けずに考えに耽った。抱えているのは大きな決断だ。気が気じゃなかった。

「退路を断ってか・・・」

会社のことを考えた。課長の言葉が回想された。

 『もう一度君の一生懸命な姿を見せてくれ』  「何言ってやがるんだ。安月給でこき使いやがって!才能のある人間は貧民とは違うんだ!」

 迷いを振り払うように博樹は一人で吠えた。

 

翌日博樹は会社にいた。腹が固まったようだ。北山係長の声が響いた。

 「・・・退職願!御神君そんな体調が?」

 「いえ、一身上の都合です。詳しくは聞かないでください」

 博樹に迷いはなかった。

 「そうかあ・・・君には期待していたのだが・・・分かった」

 「じゃあ、これで」

 何かスッキリとした気分だった。博樹は胸を張って歩いた。


      7

またいつもの喫茶店で宝多と待ち合わせた。

 「宝多さん、退路は断ってきました」

 「そうですか!」

 ニヤリと笑う宝多に博樹は気が付かなかった。

 「本もばっちり覚えましたよ」

 「そうですか。では終了証です。」

 「お、そんなものあるのか」

 A4サイズの普通によくある書状だった。   「では次の教材です」

 「『成功の法則』なるほど、これは役に立ちそうだな。いくらだ?」

 「10万円です」

 「おう、10万か・・・・何?」

一冊で10万円!プロデュースも糞もない。明らかに詐欺だ。

 「大変価値のある本ですので」

 「待てよ!そんな馬鹿な話あるか!この話は終わりだ!」

席を立とうとする博樹に宝多は続けた。

「そうはいきませんよ。教育を途中で解除する場合は違約金が発生します」

 「何!」

 立ち上がったままの姿勢で博樹は聞き直した。

 「契約書には全課程を修了して我々のビジネスに参加する約束が書かれています」

 「なっ・・・」

 崩れるように椅子に倒れ込んだ。

 「落ち着いてください。ビジネスに参加できれば必ず成功出来ますよ」

 「詐欺じゃないの?」

 明らかに詐欺だが信じたくない気持ちの方が勝って冷静な判断ができなかった。

 「誰でも最初はそう思われます。ご自身の才能に気付かれない方が」

 「才能・・・」

 またこの言葉だ。しかし博樹は吹かれれば何処へでも行く紙の船のようだった。

 「頑張ってみませんか?貴方に退路は無いのです」

 「・・・やるしか・・・ないのか」「よし!10万払うよ」

 「はい、必ず成功しましょう」

 今の博樹はもう前へ進むしかなかった。


 「勉強終了しました」

 「終了証です」


 「勉強終了しました」

 「終了証です」


 いつまでたってもこれの繰り返しだ。しかし今の博樹には他に方法がない。割り切ってはいるものの高額の金を払い続けて終了証が積みあがるだけだ。本から得た知識は貴重な物かもしれないが、これでは宝の持ち腐れだ。次第に博樹は元気がなくなってきた。黙って虚ろな目で与えられた教材を読みつくした。読めば読むほど貯金は減ってゆく。しかしすでに他のことは全く見えなくなっていた。ただ宝多の言われるように本を読み続けた。まるで麻痺したかのように。しかしそれもそろそろ限界だった。

 

 「勉強終了しました」

 「終了証です」

 

 次の教材を出される前に博樹の方から口を開いた。

 「・・・もうお金がありません!」

 宝多はにっこり笑って鞄から証書を出した。「では卒業証書を渡しましょう」

 「え!・・・卒業って・・・これに何の意味があったんですか?」

 証書の内容も見ずに聞き返した。

 「大変貴重な経験されましたよ」

 「ふざけんな!」

 とうとう博樹は切れた。両手で胸座を掴んで宝多を立たせ、テーブルとテーブルの間のスペースに全力で叩きつけた。更に博樹は人目も憚らずに叫んだ。

 「なけなしの財産はたいて、お前にかけたんだ!成功はどこにあるんだ!」

 宝多は動揺も見せずパタパタとスーツをはたきながら立ち上がった。

 「これからですよ」

 「どういう事だ」

 宝多はゆっくり席に座り直して片手で博樹に座るように促した。驚いていた周りの人も元通りに冷静を取り戻した。

 「私は六本木ヒルズに住んでいます。子供は4人もいます。嫁は大学のミスコンクイーンです。車はポルシェです」

 「嫌味かよ!」

博樹はもう一度立ち上がろうとしたがまあ待てと宝多は両手を出して止めた。

「いえ!私の様になりたいと思いませんか?」

 「あ・・・・・」

 博樹は言葉を失い自分の妄想を回想した。

 『ヒルズからの夜景は最高だろう?』

 詐欺は許せないが確かにそういうシーンを夢に見た。物欲である。許せない気持ちより欲の方が勝った。いや、してやられた。今の博樹は他に選択肢がなかった

 「なりたくは・・・・あります・・・」

 「私はあなたに夢を売りました。次はあなたが夢を売る番です」

 心の声

 【夢を・・・北斗、多枝子】

 なぜか二人の顔が頭に浮かんだ。博樹は自分の事より先に人の幸せを願う体質のようだ。

 愛する人達にいい暮らしをさせてあげられる。もちろん自分だっていい暮らしがしたい。一瞬のうちにいろんな事が頭を過ぎり。またしてもこの道で行くと決断させられた。自然と言葉が口をついた。また敬語に逆戻りしていた。

 「どうすればいいんですか?」

 「私の真似をすればいいんですよ」

 意外な答えだった。

「え!」

 「私の会社に教材が山程あります。私と同じようにビジネスを行ってください」

 突然の話で少しちんぷんかんぷんになり言葉を失った。

「・・・・・」 

「そのノウハウはもう分かっている筈です」

 今まで熱心に読み込んでいた情報はこの為のものだった。通りで読んでみてもピンとこなかった。要は人の騙し方のテクニックだ。

 「ええ・・・まあ・・・」

 分かってはいるが使っていいものかどうか迷った。しかし夢を売ることは悪いことではない。

 「しかし、私はあなたから売り上げの10%のマージンを取ります」

 「・・・まだ・・・取るの?」

 「貴方が夢を売るたびにあなたにもマージンが入ってくる仕組みです」

 「いや・・・マルチじゃないの?」

 疑う余地もなくマルチだ。

 「貴方に退路はありますか?成功者になりたくはないのですか?」

 「・・・・」

 「夢を売るのです!」

 「・・・・夢を・・・売る・・・」

 「もう決まりですね」

「・・・はい・・・」

 完全に押された。納得せざるを得なかった。今振り返れば今まで投資した全てが無駄になる。せめて払った分は取り返したい。教材を売った人達にも頑張って稼いでもらえばいい。マルチというものもそう悪いものでもないかもしれない。そう言い聞かせた。夢を売って稼ぐのだ、悪いことじゃない。強く言い聞かせた。一度決めたら博樹は真っ直ぐだ。結果が出るのに時間はかからなかった。


     8

 まずは泡銭を持っている人の方がよかろうとパチンコ屋に向かった。射幸心があるということは成功に興味がない訳でもなかろう。それが賭け事という形で表れているだけだ。ドル箱を積み上げている人の横に腰かけて500円だけ打ってみる。できるだけ若くて気が小さそうな人を選んだ。

 「おお、アンタついているなあ」

 「え!?はい、ぼちぼち」

 「いや・・・これ運じゃないな」

 「は?じゃあなんですか?」

 「才能だよ!」

 「・・・・・」

 「アンタ成功する才能あるな」

 「本当ですか」

 思ったより簡単に食いついた。

 「ちょっと付き合わないか?」

  

 思いの他上手くいったので、どんどん声を掛けることにした。昼食に立ち寄ったファミレスで若い二人が談笑している。

 「でさあ・・佐々木のやつがさあ・・・」

 「そりゃあねえだろう!」

 「はっはっはっは」

 博樹は割って入った。

 「君達、ちょっといいかな」

 「はい!?」

 「成功したくないか?」


 月末の金曜日博樹はいつもの喫茶店にいた。

 宝多と会うためだ。このところの博樹は疲れているようであまり元気がない。

 「ほら、今月の売り上げだよ」

 30万円ほどを封筒から半分出して宝多の前へ放り投げた。

「ノッてきましたね。私の見込んだ通りだ。商材の単価を上げればもっと儲かりますよ」

 「それじゃあ、あまりにも・・・」

 「いえ、相手もそれを見て成功のノウハウを覚えるのです」

 博樹はどうにも今やっていることが納得いかなかった。宝多の考え方も腑に落ちない。しかし今は言うとおりにするしかないのが現実だった。

 「そうか・・・・」

 「頑張ってください」

何とか考え直した。

「よし!今から一人会うんだよ。行ってくるわ!」

 

 今日は以前パチンコ屋で出会った青年と商談だ。彼に指定された喫茶店に足を運んだ。

 「お、さすが優秀ですね。この調子だと成功は目の前ですよ。」

 「・・・はい」

 「さあ、次の教材です。一緒に夢を叶えましょう」

 「夢・・・」

 いきなり青年は博樹の胸座を掴み持ち上げた。

 「これのどこが夢なんだよ!!!」

 「いや・・・ほら・・・ポルシェとか乗ってさ・・・イイ女を連れて・・・」

 宝多の受け売りがつい口に出た

 「人の夢食い物にしているだけじゃないか!」

 テーブルとテーブルの間に叩きつけられた。以前博樹が宝多にした仕打ちだ。それ以上に青年の言葉が痛かった。

 「あ・・・・夢を食い物に・・・・」

 「もういいよ」

 金も払わずに青年は店を出て行った。博樹はまだ立ち上がることができなかった。今までのことが走馬灯のように頭を駆け巡りすぐには頭の整理ができなかった。

 「夢を食い物に・・・いや・・・俺は・・・」

 ようやく立ち上がることができたが頭がフラフラする。半ば倒れるように椅子に座り残りのアイスコーヒーを啜って頭を冷やした。


 フラフラに打ちのめされた帰り道いつもの花屋の前で立ち止まった。奥から花屋のおばちゃんが出てくると飛び付く様に駆け寄り話しかけた。

 「お!なあおばちゃんよぉ・・・彼岸花の花言葉って独立だよな?」

 「そうだね。でも面白い花でねえ・・・相反する言葉もあるのよ」

 「何だよ?」

 「あきらめ」

 その言葉に博樹はまた固まった。

 「あきらめ・・・・」

 











第4章 また会う日まで


 部屋中にビールの空き缶が海の様に広がっている。昔なら多少のショックな出来事も乗り越えられたのだろうが最近はもうしんどい。生きることが嫌になったかのように朝から晩までビール漬けだ。すべてを失くすのは今回が初めてではないが、以前よりも辛い。世間に負けたといえばそれまでだが今回は明らかに人に裏切られたのだ。それ以上に自分も人を裏切ろうとした。それがなおさら辛い。一時とはいえ悪魔に魂を売ったのだ。青年にいわれた言葉が頭の中でリフレインしている。耳を塞いでもまだ聞こえてくる。酒に体も心も預けてただ眠ってしまいたい。死んでいるのと一緒ではないのか?そんなことを自問しながらただ日は昇り暮れていた。誰でもいいから慰めてほしい。いや側にいてくれるだけでもいい。人に裏切られてもやはり人は恋しい。近所付き合い以外友達のいない博樹は一人で悶々としていた。ふと多枝子の事を思い出し待ち受けを見る。独り言を呟いた。

「いったいどうすりゃあいいんだ」

 「話がしたいけど、会わせる顔がないよ。

・・・いや、会わせる声・・・そんな事どうでもいいや」 

 呑みかけのビールを一気に呑み干すとまた眠気が襲った。よく人間こんなに眠れるものだと一人で感心した。


 会社を辞めてからすでに一か月がたっていた。朝雀の囀りで目が覚めた。

「はあ・・・朝がこんなにも憂鬱だとはなあ。一体何だったのだよ・・・職探さないといけないのか・・・」

 なけなしの貯蓄を宝多に渡してしまったためもう余裕がない。教材を売って稼いだ27万円などすぐに底が尽きる。気はあまり乗ってないが先立つものがない。しぶしぶ職安に足を運んだ。

「どんなお仕事をお探しですか?」

 「・・・何か・・・こう・・・夢のある」

 漠然とした希望しか言えなかった。まだ働くということに前向きに取り組んでいないからかもしれない。

 「夢ですか?と申されましても・・・お仕事に夢を持つのはご自身の気持ちではないですかね」

 「適当に見つくろってくれ」

 「はい、今出ている求人ですと・・・」

 4社の求人情報をリストアップしプリントアウトしてくれた。


 アパートに帰り求人情報をじっくり見てみた。博樹にとってパッとした仕事は載ってなかった。

 「夢を持つのは自分の気持ち・・・道路工事に夢があるのかよ・・・よし!もう死んだって構わない!」

 おもむろに立ち上がり冷蔵庫を開けた。

 「まだ二つあった」

 球根の事である。ごくりと唾を飲み込み覚悟を決めた。

 「最後のチャンスをくれ!」

 ビールを片手に生のままガリガリかぶりついた。食べ終わるころ頭がクラクラしてきた。

 「お!キタ!」


      2

 目が覚めると博樹は冷蔵庫の前で倒れていた。しかし期待外れに静かだった。

 「あれどういう事だ。誰もいない・・・外に出てみるか!」

 ワクワクしながら散歩に出かけた。しばらくすると通行人に声を掛けられた。

 「あのお・・・」

 「はい!」

 それ来たとばかりに博樹は振り返った。    「駅はどちらに行けばよろしいのですか?」

 「・・・駅・・・ああ・・・こっち真っすぐ行って2つ目の信号左」

 「ありがとうございました」

 博樹はぽかんと老婆の後ろ姿を見送った。 

「・・・何も起こらねえ・・・いや駅に何かあるのか!」

 もうすっかり日も暮れ始めた。駅前の自転車置き場で博樹は座り込んで途方に暮れていた。

 「はあ・・・何も起こらねえ・・・」

 ポケットをまさぐりお金を取り出した。裸のままの五千円と小銭が少しあった。

 「一杯呑んで帰るか・・・」

 普通に飲むのには充分なお金だ。

 駅から自宅へ帰る途中に小さな中華料理屋が一軒ある。そこで呑むことにし暖簾をくぐった。店内から威勢のいい声が飛ぶ。

 「いらっしゃい」

 すぐにオーダーを取りに来た。

 「ビールとギョーザ。それと・・いや、それだけでいいや」

 隣の座敷は賑やかだ。十人ほどの団体がああでもねえこうでもねえと叫んでいる。それを横目に博樹は一人でビールに口を付けた。ギョーザが来た頃に隣の団体からやすという男が抜け出てきて博樹の前に座った。

 「う~~もう飲めねえ。兄さんうるさくてごめん」

 「いえ!大丈夫です」

 気がめいっている時は静かよりも騒がしい方がよかった。

 「ようやく大きな仕事が終わったものでな」

 「大きな仕事?・・・何の仕事ですか?」

 大きな仕事という響きに博樹は反応した。

 「道路工事だよ!ほらそこの駅裏の開発、俺達がやっているんだよ」

 「・・・お仕事楽しいですか?」

 「まあ、楽しかないよ、しんどいだけの仕事さ。・・・だけどな、なんつうか・・・達成感って言うのかなあ・・・こんな俺でも人の役に立っているって言うのかな・・・そんな事より仕事の後の一杯が最高だな!この一杯の為に生きているっていうか・・・兄さんも飲みな、ほら」

 一口呑んで聞きたいことを聞いてみた

 「・・・夢ってありますか?」

 「・・・?夢かぁ・・・北海道から沖縄まで一気に走る高速道路でも作りたいな!ハハハ冗談だよ!うちの組じゃあ一生無理だね!・・・子供の幸せぐらいだなあ・・・俺はつまらない男だな!ハッハッハッハ。お!邪魔したな!」

 同僚のけんが口を挟んだ

 「安さんなにやっているんですかぁ。ほんとにすいませんね、酔っ払いで」

 「いえ・・・」

 道路工事にも夢はある。博樹は自分の考え方を恥じた。ネットビジネスにはまり込んでいた頃はどこか普通の仕事を馬鹿にしていた。しかし普通の仕事の方が社会に機能する価値のある仕事だ。40にもなって博樹は何も分かってなかった。そうこう考えるうちにかなり呑んでしまった。時計は20時を回り店には一人きりになってしまった。寂しく飲んでいるとお店の扉が開いた。お客さんだ。

 ガラッ

 「いらっしゃいませ」

「あれ!御神君⁉」

 「あ・・・課長」

 課長の山口哲詞やまぐちてつしその人である。

 「その後どうだね?」

 「はい・・・ぼちぼち・・・」

 山口課長は博樹の姿をまじまじと見回し意を決したように口を開いた。

 「ビールとギョーザ!」「ここいいかね」

 「はい」

 「実は実家がこの近くでね。今から帰る所なのだけどちょっと一杯ね」

 「・・・・・」

山口課長はまずグイっとビールを呑み込んだ。

 「まだ飲めますか?」

 先に口を開いたのは山口課長だった。

 「はい」

「じゃあ、一杯どうぞ」「ビール一つ」

 「・・・・・・」

 「・・・・・・」

 しばらく沈黙が続いた。課長と話した事はあるが二人きりというと言葉が見つからなかった。次に口を開いたのは博樹の方だった。            

「課長!」

 「はい」

 「その仕事に夢はありますか?」

 ぶしつけな質問だがどうしても話を聞いておきたかった。

 「う~~ん、難しい質問だね」

 「適当な事言って人の夢食い物にしているだけじゃないですか」

 思いのまま博樹はぶつけてみた。

 「フフフ、こういう仕事はそうとも言えるね」

 「何!アンタ認めるのか!」

 山口課長に罪はないが思いの丈をぶつけた。

 「私が大事にしている物がありましてね」

 「はあ⁉質問に・・・」

 食いつく博樹を掌で制した。

 「まあ、待って!」「これですよ」

 「手紙?」

 課長は鞄をまさぐって一通の手紙を出した。

 「この方は、今世界中を飛び回る商社で働いていらっしゃる。女性なのにすごいでしょ?」

 「そうですか・・・」

 博樹は山口課長の言わんとするところが分からなくただ相槌を打った。山口課長は更に続けた。

 「この方相当努力されたと思うのだけど、私に手紙をくれましてね。」

 「・・・・・」

 「貴方の学習教材と出合ったのが、今の私を造っていると」

 「え!」

 ようやく言わんとするところが分かったようだ

 「おかしな人でしょ。たわいもない子供の学習教材なのに。フフ」

 「・・・・・・」

 「この方は六本木ヒルズにお住まいらしい。凄いですよね」

 自分の夢とリンクしてつい口に出してしまった。

 「・・・課長は六本木ヒルズの夜景を見たいと思いませんか?」

 「見ていますよ」

 「え!」

 「どんな景色か私は知りません。でもね、私は私の生徒達が見る景色、その全てが私の見る景色だと思っています」

 博樹は固まった。少し酔いが覚めたようだ。

 「子供達が人生でどんな景色を見るのか、いい事もいやな事も・・・私達に出来る事なんて何もありません。ただ一時を共にし、それが彼女等の何かになる。出来れば幸せになって欲しい。だから、生徒達が見る人生の景色は私の人生の景色だと思ってこの仕事に取り組んでいます」

 「私の・・・景色・・・」

 「めでたい性格ですね。ハハ・・・ここの払いは私にさせてください。私に出来る事はそのぐらいです。」

 「ああ・・・」

 博樹は打ちのめされた気持ちだった。年商10億よりも説得力のある話だった。

 「あ、それから君の退職願は私の机の中にまだあります。」

 「!!」

 「忙しくて忘れていました。じゃあこれで」

 山口課長はお金を払って扉の向こうに消えた。

「ウウウ・・・ウワアーーーン」

 一人になった中華料理屋で博樹は人目も憚らず泣いた。お酒も手伝ったのか涙が止まらなかった。


     3

 アパートに帰った博樹はビールに口も付けずに考え込んでいた

 「・・・・」 「俺は間違っていたんだ・・・」

 そこへ着信が入った多枝子からだ。

 「・・・はい」

 「多枝子です」

 「・・・はい」

 「・・・元気がないですね」

 多枝子には声ですべてが分かってしまう気がした。

 「いろいろと・・・グスン・・・今はあなたの声を聞くのが辛いのです」

 「なぜですか?」

 「じつは・・・

 今までの全ての事を話そうと思った。同時に心の声が溢れ出した

 【もう俺はどうでもよかった。俺はこんなにも優しい人達に恵まれながら全てを裏切った。彼女はこんな俺を許さないだろう。・・・でももうそんな事はどうでもよかった。

 ただ・・・ただ自分の気持ちにウソは付けないと思った。・・・もう自分にウソは付きたくなかった。例え無様でも、どんなに嫌われても・・・あきらめようと思った。・・・最後に彼女に誤りたい。

 最後に・・・最後に・・・ありがとうとだけ伝えたかった】

 「ううう・・・ごめんなさい多枝子さん。最後に・・・最後に言わせてください。・・・あああ・・・こんな俺でも・・・貴方の事が・・・貴方の事が本当に好きでした!・・・ううう・・・今まで本当にありがとう!うわああああん・・・」

 「フフフ・・・・」

 「!!!」

 多枝子のリアクションはいつも博樹を惑わせる。何を考えているのか分からなかったがいつも核心を突いてくる。しかし今回のリアクションだけは分からなかった。

 「フフフフフフ」

 「・・・何がおかしいんですか?」

 「やはり御神さんは私の思った通りの人でしたね」

 やはり見抜かれている。博樹は観念した。

 「いや・・・分かっていたのですか?・・・俺がクズだってこと・・・どうぞ笑ってください。その方がすっきりします」

 「ハッハッハッハ」

 「・・・いや・・・・」

 「ハーーッハッハッ 

 「そんなに笑わなくても・・・」

 異様な空気に少し戸惑った。

 「あーー久しぶりに笑いました!私も御神さんの事好きです!」

 「はい・・・覚悟はしてまし・・・え!!」

 意外な展開に博樹は腰が抜けそうだった。  「やっと正直に話してくれましたね」

 「・・・はい」

 「このまま何も話してくれないのであれば御神さんの事は諦めるつもりでした」

 「え!・・・いや」

 博樹は言葉が見つからなかった。

 「最近の御神さん何か無理をしてらっしゃるようで、心配していましたのよ」

 「・・・無理・・・そうかも」

 今までの出来事を回想した。

 「私の為だと言うお話は嬉しかったけれども、私は最初にお会いした御神さんに惹かれたのです」

 「いや・・・貧乏な暮らしでいいのですか?」

 「貧乏・・・好きではないですよ、フフフ」

 「いや・・・じゃあ・・・」

 「ハッハッハッハ」

 「いや、わからないです。どうすれば?」

 多枝子には勝てない。いつも翻弄されるばかりだ。しかしそんな関係が妙に心地よかった。

 「クスクス、自分は自分らしく生きろ!全ては自分が出した結論でしかない!父の教えです。少し意地悪ですけどこれが私です。よろしいですか?」

 「・・・えっ・・・ええ」

 良いかと聞かれればもちろん良い

 「少し時間かかるかもしれませんが、私名古屋へ帰ろうと思っているのです」

 「・・・はい・・・え⁉」

 「はい!御神さんとお会いしたいです!」

 「えっ・・・と言う事は・・・」

 博樹は結論を急いだ

 「フフフ、大きな期待はしないでくださいね」

 「はは・・・大きな期待・・・はい」

 「あ!勝手に盛り上がってしまってスミマセン。楽しみにしていただけますよね」

 「はい!もちろん!・・・と言うか・・・この日を・・・いや」

 「フフフ、詳細が決まったらまたご連絡します」

 「はい・・・えーーと・・・はい!」

 何かを話したいのだが舞い上がって言葉が出ない。

 「御神さんを支える事が私に出来ますか?」

 「!!!もちろん!・・・ハハハ・・・勝てないな・・・今度会う時までには貴方を支えられる人間になります!」

 「思った通り・・・とても楽しい時間でした・・・無理はなさらないでくださいね」

 「はい!・・・いや・・・どうしよう・・・おお!自分らしく!」

 「フフフ、また連絡します」

 「はい!おやすみなさい!」

 プチッ

 「は~~~~っ、一体何が起こっているんだ?・・・今までは一体何だったんだ・・・まあいいか・・・自分・・・らしく・・・寝るか」

 全ては自分が出した結論だった。

 

 翌朝博樹は会社にいた。2か月ぶりの会社だ。山口課長との話をきっかけにすこぶる体調は良くなった。全てにおいて山口課長に感謝していた。

 「係長!わがままを言って申し訳ありません!」

 「ええ・・・もういいよ・・・君が戻ってくるかもしれないと言う事は課長から聞いているからね」

 北山係長は淡々としていた。

 「・・・課長が・・・」

 「君には振り回されっぱなしだけど・・・今度帰ってきたらたっぷりとしごいてやれと」

 北山係長はニヤッと笑った。もうしこりはないようだ。

 「・・・はい!何でもやります」

 「ハッハッハ!普通でいいんだよ。面倒臭いから。じゃ外回り」

 「はい!」


 名古屋市内のマンションを調べてしらみつぶしに当たることにした。

ピンポーン

 「お子様の夢を叶えるノビノビ教材です」

 インターホン越しに怪訝な声が返ってきた。

「・・・夢?」

 「はい!お子様、お母様に夢はありませんか?」

 「どんな夢ですか?」

 「・・・・ええ、実は当社の受講生に凄い人がいましてね。ゆっくりお話しさせていただけませんか?」

 「ちょっと待ってくださいね」

 「はい!」

 玄関が開けばまずは営業成功だ。今日も仕事は好調だった。


 会社へ帰ると北山係長の甲高い声が飛んだ。

 「御神君!」

 「はい」

「売り上げ好調だね」

 「おかげさまで」

 博樹は軽く恐縮した。

 「トップとはいかなかったけど、たいしたものだよ。どうだろう!?今度の企画会議に出てみないか?」

 「俺が企画ですか?」

 「ああ、是非とも意見を聞かせてくれ」

 「分かりました」


 アパートに帰るとポストに封筒が投函されていた。

 「珍しいな、誰だ?」

 宛名は神木戸北斗とあった。北斗である。

 「おお!」

 博樹はその場で封を切った。手書きのひらがな文字で文面がつづってある。

「みかみさんおげんきですか?」

 「きたねえ字だな」

 ツッコミながらも博樹は嬉しかった。

 「ぼくはげんきです。おとうさんおかあさんはとてもやさしいです。みかみさんはぼくのゆめをかなえてくれました。みかみさんのゆめもかないますように。さようなら」

 「しかし夢って言ったってなあ・・俺の夢は・・・」

 今まで出会った人たちの言葉が回想された。

 『もし君が人の夢をかなえ続けるのなら、君の夢もかなうよ』

 『私は、私の生徒達が見る景色、その全てが私の見る景色だと思っています』

 

 「・・・あの人達みたいになりたい・・・うん!子供を俺みたいな人間にしちゃあいけない!子供達を立派な人間にしてやりたい!」 

 気が付くと一筋の涙が流れていた。

 

 会社での企画会議。博樹は緊張していた。しかしせっかく貰ったチャンス。なんでもいいから話さなくてはと決意していた。議長の一言で会議は始まった。

 「来月号の月刊ノビノビに付ける付録ですけど、何かこう夢のある企画は無いですか?」

 次いで主任が発言した。

 「子供達はやっぱりおもちゃが喜ぶだろう」

 社員Aが口を挟んだ

 「しかしコストはあまりかけられないよ」

 北山係長も割って入った。

 「教材なのだから教育性のある物が望ましいよね」

 「うーん、なるほど」

 話が途切れた所で博樹が話し始めた。

 「・・・あの・・・」

 議長

 「御神君」

 「星なんてどうですか?」

 係長

 「いいね」

 好反応に博樹は続けた。

 「そう、よくある奴ですよ。こう、北極星を中心に天体がクルクル回る奴」

 議長

 「それならコンセプトにぴったりだね」

 主任

 「よし!それで行こう!」

 一同

 「っていうか、会議早っ!」


 初めての企画会議も無事に終わった。何よりも自分を出し切った所が博樹にとって満足だった。帰り道のコンビニで博樹はビールを買うことにした。この頃酒は控えていたのだが今日は特別だ。

 「はあ~~~~今日はちょっといい仕事できたかな。フフフ、プレミアムビールっと」

 プレミアムビールの入った袋をぶら下げて帰り道を急いだ。


翌朝会社で嬉しい知らせがあった。北山係長の一言だ。

 「御神君、次の企画会議も頼むよ」


 “企画会議のプレゼン”


 “いつもの外回り営業”


 “楽しみな打ち上げの居酒屋”

 

目まぐるしく時は過ぎていった。そして来るべき時は来た。

 「御神君初の営業成績トップに乾杯!」

「乾杯!」

 川崎がビールを注ぎに来た。

 「おめでとうございます!御神さん!」

 「おお」

 職場のアイドル的存在、女性の山中さんも来た。

 「私からもどうぞ!」

 「おお」

 最年少メンバーの田辺も来た

 「私も」

 「そんないっぺんに飲めないよ!」

 一同爆笑した。

 「ハッハッハッハッハ」

 たわいもないことだがみんなが心から笑ってくれた。博樹は幸せとはこういうものなのだと思い出した。会社を立ち上げたときと感覚が似ている。久しぶりの充実した喜びだ。北山係長が更に持ち上げた。

 「いや~営業成績もさることながら、御神君がアイディアマンだとは思わなかったよ」

 「いやあ、それほどでも」

 北山係長は急に真面目な顔になり呟いた。

 「私も考えないといけないな」

 「何を考えるんですか?」

 「こっちの話だよ。ハハハ」

 「???・・・ハハハ」

 宴会は夜遅くまで続き2次会まで繰り出したが、博樹は2次会のことは覚えていなかった。久しぶりにお腹いっぱい呑んだ。


ある日の朝会社へ出勤すると北山係長から突然の知らせがあった。

 「え~~、このたび私北山は・・・大阪営業所に移動する事になりました」

 「え!係長!」

 一同は驚いた。

 「営業二課は本当にいいチームになった」

 「・・・・・・・」

 一同は言葉を失った

 「後任の係長は・・・御神君、君だよ」

 「ええええ」

 確かにメンバーの中ではいい歳だが途中入社の身で身に余る。しかし一同は温かい拍手で迎えた。

 パチパチパチ

 「いや・・・」

 博樹は少し戸惑った。北山係長は笑顔で続けた。

 「さあ、こっちへ来て一言」

 「・・・はい・・・えーー」

 固唾をのんで言葉を待つ一同。

「・・・・・・」

 博樹は思っていることをそのまま言おうと思った。

「子供達に夢を・・・夢を与えてやりたいです」

 一同は無言で聞き入った。

 「・・・・・・」

 「私の仕事は教材を売り付ける仕事ではありません。子供達に夢を売る仕事です」

 「・・・・・」

 「一人でも多くの子供達に夢を・・・そして・・・たいした事は出来ないけれど・・・あいつらを立派な大人にしてやりたいです!」

 「・・・・・・」

 「あ・・・・それだけです」

 川崎が口を開いた。

 「・・・・御神さん」

 一同から一斉に拍手が送られた。北山係長も笑顔で頷く。こうして営業二課の新しいストーリーが始まった。

 

 新人係長は少し照れ臭かったが、かつては社長としてみんなを引っ張った経験のある男だ。昔の勘が戻りつつあった。

 「係長お願いします」

 「おお、え~~と、うし!この企画いいよ、このまま進めて」

 「係長・・・お願いします」

 「おお、うんうん、ここ字間違っている。最後の一言インパクトが欲しいね」

 「はい、直します」

 山中さんが小声で田代に話しかけた。

 「御神さんってあんな出来る人だったんだ。

なんか意外ですね、フフフ」


 ある日の帰り博樹は以前行った中華料理屋で夕食をとることにした。簡単な自炊はできるが男の一人暮らしは気まぐれだ。一人で暖簾をくぐった。

 「こんばんは」 「ああ腹減った」

 入るといきなりお客さんから声がかかった。

 「おお兄ちゃん」

 「あ・・・え~~っと、安さん!?」

 4人連れで安がまた来ていた。

 「こっちに来て一緒にやるか?」 

 「いいんですか?」

 健も割って入った。

 「先輩!どうぞこちらへ!」

 「おお」

 一緒に酒を交わせば皆友達だ。こういった店ではありがちな風景だ。博樹も一人で呑むよりは大勢の方が楽しい。遅くまで皆でどんちゃん騒ぎした。


アパートに帰ると少し我に帰った。

 「あ~~~飲んだ。ふ~~~~」

 「・・・・・・」

 「これでいいんだよな」

 いろいろあったが今が一番。そう言い聞かせた。

 

      4

 翌日は休日だが仕事が溜まっているため持ち帰り仕事をしていた。パソコンで丹念にプレゼン資料を作っていた。

 「よしっと。フフフ、俺がパソコンなんて松尾の奴びっくりするだろうな」

机の上には白花から買った「パソコンの基礎」の本があった。


 その時着信が入った。

 「おっ、多枝子さん久しぶり」

 なんて事はない素振りで対応したが本当は嬉しかった。仕事は忙しかったが多枝子の事はいつも気に留めていた。仕事で彼女の事を忘れようとしていた部分はあった。そんな気持ちも声が聞けたことで全て吹っ飛んだ。

 「お昼にスイマセン。お休みですよね⁉」

 「おお、休みだ。用事も今終わった」

「・・御神さん変わられましたよね」

 「え⁉」

 「何か雰囲気が・・・」

 「わかりますか」

 やはり多枝子に隠し事はできない。

 「フフフ」

 「あれからいろいろありましてね」

 「ゆっくり聞きたいですわ」

 「おお、何から話そうか・・・」

 博樹は今までの事を回想した。 

 「いえ、ちゃんとお会いして」

 「え⁉」

 ようやく会える。博樹は感極まった。

 「来週一度友達に用事があるので名古屋へ行きます。よろしければお時間いただけませんか?」

 「いくらでも!いくらでも時間ありますよ」

 「それでしたら・・・」


 心の声が流れた

 【これはいったい何だったのだろう・・・この人は一体・・・もうじき全てが分かるのか?】

 名古屋で一番高いレストランで待ち合わせることにした。彼女は遠慮したが強引に博樹の奢りということにした。


 名古屋市内の高級レストランに博樹はいた。待ち合わせ時間の15分前だ。パーティー用のネクタイとスーツで彼女を待った。待っている間何度も窓に向かってネクタイを締め直した。夜のウィンドウは自分の姿が写り込む。そうこうしているうちに多枝子も時間前に来た

 「お久しぶりです、御神さん」

 「あ、はい、こんばんは」

 多枝子は高級店に合わせて純白のワンピーで登場した。薄化粧の為かしばらく見ないうちに大人になっている気がした。博樹はより一層一人の女として意識した。

「フフフ」

 何がおかしいのか多枝子は少し笑った。多枝子の含み笑いはいつも謎めいている。

 「・・・・お久しぶりです・・・・」

 博樹は一瞬言葉を失った。

「私も緊張しているので飲みましょうか」

 「はい!お酒は好きなんですか?」

 「フフ、実は相当好きです。」

 「な、なんか意外ですね」

 女神さまのようなイメージが少し和らぎ一人の庶民として感じられた。

 「何にしましょうかね・・・」

 即座に博樹は店内を見渡しホールスタッフを呼んだ。

 「あ!ちょっと君!多枝子さんワインでいいですよね。ワインの一番高いヤツ持ってきてくれ!」

 「また無理してらっしゃる」

 「いえ!無理させてください!何というか・・・嬉しいんです!・・・この日の為にぼくは頑張ってきました!あ・・・いや・・・そうなんです・・・ですから、最大限の事をさせてください!」

 「・・・分かりました。全て御神さんにお任せします」

 営業の給料は歩合制のためこのところお金には困ってなかった。

 「はい!」

「クスクス」


 二人の笑顔と共に心の声が流れた。

 【幸せな時だった。何を話したのかまるでわかっていなかったけどありったけの事を伝えた。生まれてから今日までの自分の全てを。

ただ彼岸花の事だけは上手く言えなかった。そしてこれは一体何だったのか?・・・いったい彼女は何なのか?・・・上手く聞く事が出来なかった・・・そんな事はとっくに・・・どうでもよかった】


 現実に戻るともうかなり時間は経っていた。何を話したのかも正直あまり覚えていなかった。

「へ~~~そうなのですか。面白い!」

 「ええ、いや、なんか僕ばっかり話していますよね。おおお!もうこんな時間!」

 「時間が止まればいいのにね」

 「ええ」

博樹もそう思った。楽しい時間は短い。それ以上に多枝子が楽しんでいることが嬉しかった。細やかでも幸せにしたい。願いが少しかなった気がした。

 「お話ししなければいけない事があります」

「はい」

 「実は私半年ほどベトナムの方にボランティアに行く事になったのです」

 「ええ!?」

 「その話で友人のところに寄った訳ですが・・・」

 「そうなんですか」

 多枝子はいつも突然だ。スパッスパッと物事を決める。少しついていけない部分もあるが、振り回されるのも悪くない。そんなところも魅力だった。止めたい自分の気持ちより彼女を尊重したい。

 「将来は福祉の仕事に就こうと思っています」

 「はあ」

 「働く女性は嫌いですか?」

 「いえ・・・そんな事は・・・」

 大事なことを言いたかったが言いそびれた気がした。しかし思ってもみなかった事に彼女の方から切り出した。

 「・・・女の口からこんな事言うのは恥ずかしいのですけど」

 「・・・ゴクッ・・・」

 「半年待っていただけますか?」

 「・・・・はい・・・・」

 博樹は迷わず返事をした。

 「そしたら・・・」

 「・・・ゴクッ・・・・そしたら・・・」

 「・・・フフフ、今はやめときます」

 「・・・・・!!・・・・・」

 肩透かしを食らったが博樹は何も言えなかった。

 「もう遅いので行きましょうか!本当に楽しい時間ありがとうございました」

 「・・・はい・・・」

 

 会計を現金で済ませ二人で店を出た。

 「じゃあ、友人宅に帰るので私はこちらへ」

 別れ際になって言いたいことが口に出た。

 「・・・多枝子さん!」

 「はい」

 「次会う時までに僕はもっと立派になります!」

 「ご無理はなさらないでください」

 「いえ!僕がそうしたいんです!いいですか!」

 「・・・ほんとーーーーに・・・楽しみです」

 「はい!」

 別れを惜しむ二人を奇麗な満月が見ていた。


 彼岸花・・・その毒に揺られて巻き起こった一連の事件はただの幻覚だったのか・・・いずれにしても博樹の運命を大きく揺さぶった。博樹が本来持っている願望や不安が形となって表れたのかもしれない。人は皆逃れられない必然を見逃し、蓋をして生きているのかもしれない。そんなことに気付かされたとしたらその毒も悪くはない。人生良い事ばかりじゃないから面白い。


 一人帰る途中いつもの花屋に顔を出した。

 「お兄さん彼岸花の事かい?」

 「おお」

 「花言葉はねえ・・・」


二人声がそろった。

 「再会」

 「また会う日を楽しみに」

 


 









終わり



 


 



 

 

 


 



 

 


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