008勇者
アクジョと俺は食堂で椅子に座っている。メイドたちが杯を片付けるのを横目で見ながら、彼女は机に肘をついた。さてどこから話すべきかと、思案しているようにも見える。
やがて口を開いた。
「勇者と魔王は合わせ鏡のような存在よ。魔王が支配を強めれば勇者がそれを退治する。でも魔物が減って平和な世界が築かれるのもほんの数十年だけ。また別の魔王が現れて、人間社会をおびやかすの。で、今度は他の勇者がまた出現し、魔王を討伐しに行く。言い伝えによれば、それはずっとずっと、ずーっと昔からの関係だわ」
「おい、それは妙だな。数十年で魔王が現れるなら、最新の勇者がとっくに登場しててもおかしくないだろ。何で100年前からいなくなったんだ?」
出来の悪い生徒を侮蔑する教師の目が、こちらに向けられた。
「言ったでしょ、前の勇者は謀略で殺されたって。世界征服を狙う魔王、その手下の魔物。最後の勇者エイユは、でも連中と関係なく、旅の仲間によって殺害されたらしいの」
へえ、『ブレードパラダイス』の1Pモードって、そんなシナリオなんだ。
「勇者の命を奪った仲間は、戦士ツーヨ、武闘家ナグル、僧侶ソリアの中の誰か。あるいは全員でかかったのかもね。ただ、犯行声明の置き手紙に皆んなで血判を記した後、彼らは勇者の死体を置き去りに行方をくらましたの。その後どうなったのかは、なきがらと手紙を発見した商人アキンドにも分からなかったらしいわ」
ひでえ話だ。魔王を倒しに行く途中で、背後から襲われたんじゃ、そりゃ誰も勇者になんかなりたがるわけもない。謀殺とはこのことだったのだ。で、100年が経過した、と。
「その商人アキンドって、私の曾祖父なんだけどね。勇者の遺体を持ち帰ったことで、周囲から一目置かれるようになったわ。その頃から成り金貴族って呼ばれてるけど、商才がもともとあるんだもの、ひがみやっかみはやめてほしいわ」
いつの間にかアクジョの家系の話になっている。そういえば……
「なあアクジョ、お前の両親は? この屋敷にはいないようだが……」
「商売で長い船旅に出ることが多くて、今は留守なの。もう少ししたら帰ってくるわ。私とカイザ王子様の結婚式に出られるようにね」
ふうん、そうなのか。と、脱線を戻さねば。俺はあごをつまんだ。
「勇者がいないんじゃ、村人Aの俺としては動こうにも動けないな。……つか、勇者ってどうやったらなれるんだ?」
「何にも知らないのね。このゼイタク王国にもある冒険者ギルドの検定試験で、能力と意志を認められたら勇者の称号を与えられるわ。でも厳しいのよね、ギルドの審査基準って。まずあなたじゃ無理ね」
それは分かってる。村人Aだし。
拠点が必要だ、と俺は思った。勇者の素養がある奴を探し出し、鍛え上げて、冒険者ギルドのテストに受からせる。後はそいつと一緒に魔王を倒しに行けばいい。その準備のための、俺の拠点が欲しかった。
「アクジョ、しばらくここにいてもいいか?」
現状、無一文で宿なしの俺が頼れるのは、偶然俺を拾ったアクジョしかいない。しょうがない……
果たして彼女は高笑いした。嫌味ったらしかった。
「やっと自分がこのアクジョのおもちゃだってことに気づいたようね。大丈夫、ある条件を飲んだら居候してもいいわよ」
「条件?」
それは聞かずとも何となく予想がついた。俺はゲンナリする。アクジョはニヤニヤと勝ち誇った。
「女装。あなた、この屋敷に住む限り女装してなさい。また舞踏会でモブ辺りと踊れるように、ね。それが条件よ」
その後、アクジョは俺とメイドを引き連れて買い物に出かけた。ウーザイは失神から目覚めたらしく、恥を隠すように立ち去ったそうだ。門で守衛が教えてくれた。
「今度のカイザ王子様との食事会までにドレスを新調しておかなくちゃ。それにヒロの分の着物も買っておきたいわね」
アクジョは洋服屋におもむいて、前回注文したという服が出来上がっているのに満足した。それを受け取りがてら、次の発注と既製品の探索を行なう。
俺は彼女がウキウキとショッピングに熱中する様を、冷めた目で見つめていた。それにも飽きて、怒られない程度に外の通りに足を伸ばしてみる。
パン屋からいい香りが漂っていた。説教師に暇つぶしがてら人々がむらがっている。道の中央を隊商の荷馬車が通り過ぎた。日は中天に上り、次第に暑くなってきている。
と、そこへ……
「あっ」
俺の妹、ヒロイこと広院が、執事と御付きの者を従えて目の前に現れた。兄である俺を見てくすくす笑う。
「ウケる。まだ女装してやんの」
「悪かったな。何の用だよ」
笑い納めて、広院は俺の背後の店に入っていった。すれ違いざま、「ちょっと洋服をあさりに来ただけ」とぶっきらぼうに答える。
えっ、今店内にはアクジョが……
「あっ、あなた!」
思う間もなく、アクジョの金切り声が響いてきた。俺はあわてて入店する。
彼女と広院が、憎悪をまき散らして視殺戦を展開していた。15歳の妹の方が、18歳のアクジョよりだいぶ背が低い。だが一歩も引かぬ様子だ。
「これはこれは、カイザ王子殿下の許嫁のアクジョ様。ご機嫌うるわしゅう」
「へえ、それなりの口は利けるようですわね、メス猫さん。今日はお会いできて光栄ですわ。一気に気分が悪くなりましたもの」
「それは奇遇でございますね。あたしも今同じ状態になりました」
「言うじゃない、小娘。あなたの傷ついた足を踏みつけてやりたいわ」
カイザ王子をめぐる、不毛な争いがそこにあった。




