007シンセ
「俺が魔神を倒せばいいのか。村人Aとして……」
「そうなります」
俺はくつくつと笑い、やがて爆笑した。シンセがみるみる不機嫌になるのも構わず、この状況を笑い飛ばす。
「馬鹿馬鹿しい! 夢にしても荒唐無稽だ。何が女神様だ……」
次の瞬間、鋭く踏み込んできたシンセが、腰の入った平手打ちを俺の頬っぺたに炸裂させた。
「ぐおっ!」
俺は尻もちをつく。張られた頰も、ついた尻も痛かった。あれ、夢じゃないのか? 俺は冷水を浴びたかのような気分だった。
「女神を侮辱するのは許しません!」
シンセはきっぱり言い放つと、俺を見下ろしながらしゃべる。怒りが言語に尾を引いていた。
「いいですか、ヒロシゲ。全ては夢などではなく現実です。『ブレードパラダイス』の世界で最高の地位――『魔王』に憑依したであろう魔神ワルイを、あなたはその手で討伐しなければなりません。というより、倒すまで元の世界には戻れません」
ふざけんな。何で俺がそんな面倒な真似をしなくちゃならないんだ。
「他に候補はいなかったのかよ」
「魔神のこもったゲームを起動したのがあなただから、ですよ。あなた以外にいないのです。ではお行きなさい。幸いなことに、このゲームの勇者は生きている人間なら誰でも仲間に出来るようです。まずは勇者を探すのです。村人Aのあなたでも、頑張れば魔王退治の一行に加われることでしょう」
「ちょ、ちょっと待てよ。……これって俗に言う『異世界転移』ってやつだろ」
女神は目をしばたたいた。
「ええ、まあそうなりますね。これでもラノベはたしなんでますから」
どんな女神だよ。俺は臀部をさすりながら立ち上がる。
「だったら、ほら、こう、なんかさあ! チートっていうの? 特殊技能を授けてくれたっていいんじゃない?」
ただの村人Aではどうにもならん。『ブレードパラダイス』に出てくる魔物たちを一蹴出来るような、何か技が欲しい。
シンセは宙に答えを探す風だ。やがて考えがまとまったのか、俺に杖の頭を向けた。ようやく笑みが出る。
「そうですね。残り少ない神力で、せめて『音撃』の能力を与えましょう」
その直後、杖から光がほとばしり、俺の胸を撃った。別に痛くもなかったが、体がカッカと熱くなってくる。
「『音撃』って何だ?」
「世界にある様々な音を物質化して、それで攻撃する力です。上手く伝わったかどうか、まずはこれを……」
いつのまにか手に石を持っていた。かたわらに置く。
「これを相手に練習してみてください。自分の声を形にして石にぶつけるのです。軽く意識すれば出来るはずですよ」
「声を……? よし、やってみるか。『砕けろ!』」
俺は石に向かって怒鳴った。すると銀の波形が俺の口元から飛び出て、石に命中して砕け散ったのだ。
「おおっ、出た! 出たぞ!」
「それが『音撃』です。上達すれば石を粉砕出来るでしょう。これでいいですね?」
俺は再び現状に引き戻された。いいですね? じゃねえよ。
「あくまで俺に魔神を倒せってか」
女神はすまなさそうな顔をした。そんな表情をされると、まるでこっちが悪人みたいじゃないか……
「お願いします。あなたしかいないのです」
やれやれ。まあチート技ももらったし――本当はレベルマックスとか欲しかったけど――、ここで時間を浪費していても仕方ない。
それに、俺の中でふつふつとわき上がるものがあった。『ブレードパラダイス』の世界に入り込む? 何ともまあ面白そうじゃないか。発売を恋い焦がれたソフトを、まるでVRゲームのように楽しめるだなんて、こんな感動はない。
「分かったよ、行くよ。行けばいいんだろ?」
シンセの顔から霧が晴れた。分かりやすい奴。
「ありがとうございます! 私はこの空間からいつもあなたを眺めています。では、よろしく!」
世界が発光する。俺もシンセも平原も、光条のたばに埋め尽くされて、俺は意識ともども消失した。
◆◆◆
気絶したウーザイは、メイドたちと俺、それから不手際を働いた守衛2名の手で、屋敷の門外に運び出された。俺は動物園の飼育係の気分で、初夏の暑さに汗をかく。作業が終わるとメイドが果実水をくれた。喉の渇きをうるおして一息つく。
その間、アクジョは沈思にふけっていたようだ。俺が空になった杯を机に置くと、ちょうどいいとばかりに質問してきた。
「……ねえあなた、さっきの技は、一体……」
「何の話だ?」
俺はすっとぼける。彼女は今度は気合を入れて攻めてきた。
「さっきのウーザイを倒した技よ! ……あなたってひょっとして魔物なの?」
そら来た。俺のチート技『音撃』は、見ようによっては魔物の仕業に見える。だから勇者に会うまでは隠しておきたかったのだ。
魔物。それはこの『ブレードパラダイス』の世界に息づく悪魔の生物だ。人間を敵視し、街の城壁の外をうろつく魔物たちは、魔王の手下だと言われている。このゼイタク王国も、城壁に囲まれた中で――魔物に怯える必要がない中で――その繁栄を謳歌しているに過ぎない。
「俺が魔物なわけねえだろ。さっきお前が見たものは気のせいだ。ウーザイが足を滑らせて転倒して、勝手に気絶したってだけだ」
「彼、鼻血出してたわよ」
「お前に欲情でもしたんだろ」
俺はアクジョが悔しげに口を結ぶのを見た。ホッ、何とか追及からは逃れられたようだ。
それよりも。改めて自分の目的を思い出した俺は、彼女に聞いておかねばならないことがあった。
「昨日の夜の食事の時言ってたよな。前勇者が謀殺されてから、勇者を目指すものがいなくなった、と。どういうことだ?」