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005地震

 俺が広院を残して別室を出ると、メイドのメシツが笑顔で近寄ってきた。だいぶ待たせてしまったか。立ったままというのも大変だ。


「帰ろう、メシツ」


 戻ってみると、召使いのカイが控え室に入れてくれなかった。何でもカイザ王子が中に入り、今はアクジョと二人きりの時間を過ごしているそうだ。


 何をしゃべっているのだろう? まあ婚約者同士だ、愛の語らいには間違いないか。俺はヒロイこと広院の存在を頭に思い浮かべた。やがて引き裂かれる婚約者、か……。アクジョが気の毒に思えてくる。


 まあ、いい。俺の目的には関係ない。




「それじゃ、アクジョ。さようなら」


 15分ほど経過して、カイザ王子とアクジョが部屋から出てきた。アクジョはすっかり有頂天になっている。目がハートの形だったとしても驚かないほどだ。


「またですね、カイザ王子。食事会、楽しみにしております」


 パーティーの主役の男はにこやかに微笑んで応じると、俺に目礼して宮殿出口へと歩き出した。お付きの者があわただしく後を追い、護衛の任につく。


「もう帰っちまった。何かあったのか?」


 アクジョはすでに消え去った姿を追うように、廊下の曲がり角をうっとりと見つめている。


「別に何も。ただ王子様が多忙なだけよ。今日も私と踊り語らうために、時間を割いてわざわざお越しくださったんだから。……ああ、カイザ王子……!」


 妄信的な愛情に満ちた横顔は、見ていて辛くなるものがあった。




 屋敷に帰ったアクジョと俺、メイドたちは、遅い夕食をとった。俺はパンをかみ千切りながら抗議する。


「俺に男物の服をくれよ。そうしたら出て行くからさ」


 アクジョはスープをすくって口元に運んだ。繊細せんさいで華麗な動作だ。


「あら、あなたは私の物よ。勝手に出て行くことは許しません。それに出て行ったとしてどこに泊まるの? 親がいるなら返すけど」


 この世界に親はいないんだが……


 ここで俺は、必要な情報を収集しようと考えた。『ブレードパラダイス』の攻略本を持ち込めなかったことが実に悔やまれるが、今さら後の祭りだ。


「勇者の一行に加わりたいんだ。そして魔王を倒しに行く。それが俺の念願なんだ」


 アクジョは食事を吹き出しそうになった。どうやら笑ったらしい。


「魔王って魔物たちの親玉よ? あなたみたいななよなよした子供が太刀打ちできるわけないじゃない。それに、」


 おかしそうに布巾で口元をぬぐう。


「勇者を志願する人なんて、ここ100年ぐらいずっと途絶えてるわ。前の勇者が謀略で殺されて以来、誰もなりたがらないそうよ」


 謀略で殺された? そいつは一体どういうことか。俺が聞こうとした時だった。


 突然地震が屋敷を襲ったのだ。


「大きいわね。ヒロ、テーブルの下に潜って!」


 俺はうろたえて言われた通りにした。メイドたちも我先に身を隠す。机上の食器がぶつかり合って高音を鳴り響かせ、石の壁が反対に低音で振動する。


「もう、長いわね」


 食卓の下で、俺とアクジョの顔が近づく。もう少し動けば触れそうなぐらいに。香料でも使っているのか、ほんのりいい匂いがした。……って、こんな時に何考えてんだ、俺。


 やがて地震は治まった。俺たちはスープまみれになったテーブルクロスにうんざりした視線を送る。落ちてきた埃もあり、夕食はパアだ。


「最近多くなってきたわね。何かが起こる前触れかしら……」


 メイドが後始末するのもお構いなしに、アクジョはおのれの思考にふけった。俺は落ちて割れた皿を片付けながら、妹の広院は無事だろうかと考えていた。




 結局、またこれかよ……


 あてがわれた個室で熟睡した俺は、翌朝メイドから差し出された服を見て嫌になった。それはまたも女物だったのだ。学ランはというと、アクジョの命令で燃やしてしまったという。何てことを……!


 俺はしぶしぶ着替えると、すそをヒラヒラさせながらアクジョの元に向かった。無論、このやり口の汚い軟禁状態に抗議するためだ。


 この木と石で造られた屋敷には、男は俺一人だけらしい。昨夜確認したところでは、少し離れた外界への門扉だけは、男の守衛が配置されているようだ。つまり男物の服はこの建物には一切ないというわけだ。


 廊下を歩き、アクジョのいるという部屋に到着した。キャシーから引き出した情報では、この部屋は書斎で、悪役令嬢のお気に入りの個室だという。俺は扉を叩いた。


「誰? 入っていいわよ」


 俺はドアを開く。中に入り、


……圧倒された。


 そこは五角形の部屋で、出入り口以外の全ての壁に本棚が設置されていた。そして、分厚く読み応えのありそうな書籍が、ほとんど隙間すきまなくその中に詰め込まれている。


 中央の机に向かっていたアクジョが、ランタンの明かりをこちらに差し向けてきた。


「何よ、ヒロ。口を開けっぱなしにして」


「ア、アクジョ。ここにある本は、ひょっとして全部読んだ……とか?」


「当たり前でしょ」


 これは凄い。あれか、速読か。速読出来るんだ、彼女は。


「昨日の地震の影響はないみたいだな」


「だいぶ前に対策をとったから。天井と本棚との空間を潰しとけばいいのよ。……それより、何か用?」


 おっと、そうだった。俺は男物の服を要求しに来たんだった。俺は再び怒りを着火して、彼女に詰め寄ろうとした。


 その時だ。


「なりませぬ! このような無礼……ああっ」


 メイドのカイの悲鳴が聞こえてきた。それを押しのけるような、重たい獣のような足音が、のしのしとこちらに近づいてくる。


「またあいつか……」


 アクジョが額を手で押さえた。あいつ? ……ってどいつ?


 その答えは3秒後に明らかになった。


「アクジョ! 結婚しようぜ!」


 出入り口の向こうに、身をかがめた大男が現れた。野卑で無骨な筋肉ダルマ。


「この俺、ウーザイ様とな!」

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