004ヒロイ
「もうっ! 何なのよあのメス猫は!」
控え室で俺と召使いだけになると、アクジョは不満を爆発させた。甲高くてヒステリックな声音で、俺は耳をふさがずにはいられなかった。
「私のカイザ王子を連れ去って……。わざとぶつかって来たんじゃないかしら? ありうるわね……」
俺は女装のまま壁にもたれ、妹の登場に動揺する自分を叱咤した。単純にヒロイとやらが広院に似ていただけかもしれない。それとも、妹も『女神』に出会い、この『ブレードパラダイス』の世界に入り込んだのか。
分からん……
アクジョがメシツに怒鳴る。かきむしった髪の毛が逆立っていた。
「カイザ王子はまだ出てこないの? まだあのメス猫の治療に付き合ってるの?」
「は、はあ……。まだ連絡係からは何とも……」
そう、俺たちはカイザ王子がヒロイと医者と共に別室へ引っ込んでから、この控え室に移動してきたのだ。王子の婚約者とダンスを踊ろうという強気な青年はおらず、またアクジョとしてもいたたまれなかったわけだ。
アクジョは爪をかんだ。憎々しげに窓の外の夜景を睨みすえる。俺は触ったら感電しそうな彼女に、とりあえず言ってみた。
「まあ落ち着けよ。別に不倫ってわけじゃ……」
「当たり前でしょ!」
触らずとも雷を食らった。おお、こわ。俺は肩をすくめた。
「婚約者なんだろ? たかがヒロイの小娘の登場ごときにうろたえなさんな」
アクジョは俺を指差して、一刀両断言い放った。
「あなたが言ったんでしょ! 『あんたは近い将来、プレイヤーのヒロインに王子を略奪され、捨てられる』って! 『プレイヤーのヒロイン』ってのがわけわからないけど、それってあのメス猫のことなんじゃないの?」
俺は無言だった。そうかもしれないし違うかもしれない。まだ情報が不足しているんだよな。
座して待ってても仕方ないか。俺は壁から離れた。アクジョにあごをしゃくってうながす。
「そんなに不安ならカイザ王子たちの別室に乗り込めばいい。行こうぜ」
「嫌」
何なんだよ、この女。
「まるで私がメス猫に嫉妬して我慢できなかった、みたいになるじゃない! あなたが行ってきて様子をのぞいてみなさいよ。許可するから」
えーっ、マジかよ。メシツやカイは俺の目線を受けてうなずいた。しょうがねえな。
「分かった。ちょっと待ってろ。メシツ、案内してくれ」
「分かりました」
こうして数分後、俺は談笑するカイザ王子とヒロイを別室に見い出していた。ヒロイは足首を包帯で処置されて、痛々しくはあるものの、弾けるような笑顔を見せている。思ったより軽傷だったのか。
しかし、どこからどう見ても妹の広院だ。向こうが入室した俺に気づき、こちらに軽く会釈する。カイザ王子はあわてたように立ち上がった。
「君はヒロだったね。ヒロとヒロイは、名前も容姿もよく似ている。……アクジョを待たせてしまったかな」
俺は頭を下げた。カイザ王子が名残惜しそうにマントをはためかせる。
「アクジョの元へ行こう。ではヒロイ、ヒロ、お元気で」
色男は退出した。俺は医者も続くのを見届けてから、ヒロイに近づいてささやく。
「おい、何で広院がこの世界に来てんだよ」
「何よ、この女装男。ゲームオタクなだけじゃなくて、そんな趣味もあったなんて。それでもあたしの兄貴なの?」
やっぱり広院か。俺はなげかわしくため息をついた。
「……お前も『女神』に会ったのか?」
ヒロイこと広院は、椅子に腰かけたまま背筋を伸ばした。
「そうよ。この世界のプレイヤーキャラクターとして転移させてもらったわ。今は零落から回復しつつある、下級貴族の一人娘よ」
俺は仰天した。はあ? 何だその特別扱い。
「俺は村人Aだってのに……」
広院はお腹がよじれるとばかりに盛大に爆笑した。
「ザマァ! 超ウケる! 兄貴にはお似合いだね」
くっ、この妹が……。でも、あれはどうなんだろう。俺は尋ねた。
「お前はチート技もらったのか?」
広院は目尻の涙をぬぐいながら、まだ笑いの渦の中にいる。
「へ? チート技って?」
ふむ、『女神』は広院に何も与えていないのか。まあそうでなきゃ不公平だ。俺の特殊能力はまだ隠しておこう。
「で、お前はどうする気だ? このまま『ブレードパラダイス』の中で一生を過ごす気か? それとも現実に戻る気か?」
広院は黒いボブをかき上げた。その目はゆとりで満ちている。
「あたしはカイザ王子をアクジョさんから強奪して、最終的には王家に嫁ぐわ。何たってプレイヤーだしね、そこまでいけるはずだもの」
ゲームの攻略本には書いてあった。悪役令嬢と婚約しているカイザ王子を奪い、結婚して、優雅な生活を送ることもできる、と。こいつ、本当にやる気だ。
「現実の親父やお袋はどうするんだ?」
「最近そりが合わないし、別にいいや」
「友達は?」
「こっちで一杯作るし。兄貴こそどうすんのよ」
俺は強い口調で明言した。
「魔王を倒す」
広院は眉根を寄せて俺を見つめる。何この人、何言っちゃってんの? そんなさげすんだ瞳だった。
「村人Aじゃなかったの?」
「ああ、その通りだ。ただこのゲームでは生きている住人の誰でも勇者一行に加われる。逆に言えば、勇者は誰でも仲間にできる、ということだ。まずは勇者を発見して、旅のお供になることが俺の目指す第一歩だ」
広院は痛めた足首を気にしながら、ゆっくり立ち上がる。
「あ、そ。勝手に頑張ってね。あたしは今日はもう屋敷に帰るわ。しばらく怪我の治療に専念しないと。……それにしてもカイザ王子、素敵だったなあ」
俺は頭をガリガリかいた。やれやれ、この妹は……