003カイザ王子
ゼイタク王国、という名前だけあって、その場に居合わせる者は皆きらびやかな衣装をまとっていた。執事や召使いまでもそうだ。
男は襟足が長く、耳が半ば埋もれるような豊かな髪の毛。テンの毛皮をあしらった上衣にゆったりしたパンツを穿き、獣の皮革の靴を履いている。
女は髪の毛を個性あふれる束ね方でまとめ、うなじが露出したドレスは腰を細く絞り上げている。ふわりとしたスカートは丸い傘のようで、何だか人形のように見えた。
広い会場のそこここに置かれたロウソクが、楽団の演奏に合わせて踊る彼ら彼女らをより幻想的に照らし上げている。踊り疲れた者は給仕のトレイから酒杯を手に取り、窓際でお喋りを楽しんでいた。
「どう、ヒロ? あなたみたいなしもじもには決して来られない場所よ。たっぷり楽しみなさい」
「いや、俺、女装だし――」
「そこのお嬢様」
20歳ぐらいのやせマッチョな男が俺に微笑みかけてきた。アクジョではない、明らかに俺に対して、だ。お嬢様、って――
「もしよろしければわたくしとダンスをご一緒に……」
アクジョが口元を押さえ、笑いをかみ殺している。くっ、この女、面白がってやがる。あのなあ……
だが抗議しようと挙げた手は、やせマッチョにすくい取られた。彼は俺を相手取り、完全に女性だと勘違いして、ホールへと躍り出る。
ぎゃーっ! 何だこの仕打ちは! しかし、今更断ることも出来ない。俺はやせマッチョにリードされながら、下手くそなステップを踏んだ。
「わたくしはモブと申します。お美しいお嬢様、あなたの名は?」
「ヒロ……」
「いい名前ですね。ではヒロ、あなたはまだ社交の場に不慣れなようですし、わたくしめが踊り方を教えて差し上げましょう。ほら、1、2、3……」
声変わりしてない自分の声帯が恨めしかった。俺はモブの訓練に女として付き合わされる……
「ああ、面白かった。あなた傑作よ」
モブとのダンスから解放され、アクジョの元に戻った俺は、彼女のあざ笑いに張り手を受けた。くそっ、何でこんな仕打ちを受けなきゃならないんだ。俺はむかっ腹を抑え込むのに全力を尽くした。
と、その時ドラが派手に打ち鳴らされた。式典係が肺活量を誇示する。
「カイザ王子のおなり!」
アクジョが目を輝かせ、自分の黒いドレスにほころびがないかどうか走査する。ゼイタク王国王子にしてアクジョの婚約者のご登場というわけだ。楽団は専用の曲をかき鳴らし、盛大な拍手が列席者から巻き起こる。
扉が開いた。ああ、テレビ番組で観るホストで、こんな感じの奴いるよな……と思うほど、彼の容姿は際立っていた。モブやその他の男性参加者がこっけいに見えるほど、その華々しさは段違いだ。
赤く燃えるような髪の毛に、虎のような野性味と鋭い知性を感じさせる顔つき。純白のコートとパンツが体操選手のような体を包み込んでいる。歩みは闊達でよどみなく、婚約者の令嬢――アクジョの元にさっそうと近寄る様は、まるで映画のワンシーンだった。
さすがはリニー。さすがは『ブレードパラダイス』。カイザ王子の造形美は完璧というしかなかった。俺は負けを感じて何となく悔しく、うつむきがちになる。
「カイザ王子! お会いしたくてたまりませんでしたわ」
アクジョがカイザ王子と手を取り合って、再会を喜ぶ。王子は万雷の拍手がまだ鳴り止まぬ中、「僕もだよ、アクジョ」と美声で応える。
と、その時。
「おや、君は……?」
カイザ王子がアクジョ以外の誰かに話しかけている。顔を上げて様子を見てみたら、彼の視線は俺の面上にあった。ジャリの中に宝玉を見つけた、といったような気配だ。
俺に白い歯を見せた。陽気な笑顔だ。
「君、名前は?」
「その子はヒロと言いますわ、カイザ王子。私が今日川で拾ったしもじもの女です」
アクジョが少しご機嫌ななめで言いそえた。婚約者が自分以外のものに興味を示したことが気にくわないのだろう。
それにしても「女」って、完全に俺をおもちゃ扱いしてるな――とムカついていたら、カイザ王子が俺の手を取った。
「ヒロ、僕はカイザ王子だ。以後よろしく」
「は、はあ……」
むき出しの好意に戸惑っていると、彼は手を離して背を向け、アクジョの手を取った。
「踊ろう、アクジョ」
悪役令嬢はたちまち機嫌を直し、その綺麗な顔に幸福そうな笑みを浮かべた。うっとりと男の目を見つめ、楽団が奏でる優雅な調べに乗ってフロア中央に進み出る。
カイザ王子とアクジョのダンスは見事なものだった。いやー、俺とは雲泥の差だ。舞踏会はその最高潮を迎え、くるくる回る貴族たちは我が世の春を謳歌しているように見えた。
……と、その中によく知った顔を見い出す。あれって、まさか……
「広院!?」
俺の妹の主治広院じゃないか。何であいつが舞踏会で踊ってるんだ? 相手はさっき俺の相手を務めたモブだ。下手くそなステップだなあ……って、論評している事態ではない。
「きゃっ!」
広院とモブのペアが、カイザ王子とアクジョのペアに衝突したのだ。広院が足をくじいたらしく、その場にうずくまって苦痛に顔をゆがませる。
「これは、しまった。お怪我をさせてしまったようで……」
カイザ王子が痛がる広院の前にひざまずく。その目がダイヤの原石を見つけたように、広院の顔に釘付けとなった。ちなみに広院は俺とよく似ている。
「今宵は一体どうしたというのだろう? ……お嬢様、お名前は?」
「……ヒロイ」
「ヒロイ、治療しに行きましょう。アクジョ、すまない。さ、肩をお貸しします。つかまって」
こうしてカイザ王子と広院は、別室へと姿を消したのである。