029コウモリ
「危ない!」
イナーズが咄嗟に俺を突き倒す。魔物は――6歳児ぐらいの体格はあった――俺の元いた空間を裂いて、樹木の枝にへばりついた。木製の食器を草むらにばらまき、俺は仰向けに倒れたまま暗闇をにらむ。
巨大コウモリはその両目を赤く光らせ、鋭い牙をむき出しにしていた。再び羽を広げると、イナーズ目がけて矢のように飛行する。
もちろん冒険者『戦士』はただ待ってはいなかった。腰の剣を鞘から抜き放つと、向かってくる殺意の塊に対し構えてみせる。
「はあっ!」
すれ違いざま、円月が刹那の生命を形作った。イナーズが回避と攻撃の双方を完璧にこなしたのだ。コウモリは真っ二つに切り裂かれ、血と内臓をほとばしらせて地面に叩きつけられた。目にも止まらぬ早技とはこのことだ。
「す、すごい……!」
俺はイナーズの強さに瞠目せざるを得なかった。彼は剣を振って血を払い、鞘に落とし込むと、俺に笑顔を見せてくる。
「突き飛ばしてすまなかったな。大丈夫だったか?」
「は、はい……」
彼は死したコウモリの足を掴んで持ち上げた。
「これは食べ応えがありそうだ。皆の元に持って帰ろう」
「た、食べるんですか?」
イナーズは不思議そうに俺を見つめた後、微苦笑をたたえた。
「魔物は人間にとっては重要な食料でもあるんだ。毒もないし、肉は栄養になる。むしろ食べない方がどうかしているというものだ」
俺の買った『ブレードパラダイス』って、つくづく変な作品だな。まあ大ヒットシリーズなんだが……
俺は汚れてしまった食器を洗い直してから、イナーズと共に焚き火へと戻った。
コウモリの死骸は血を抜き皮をはぎ、散々加工されて鍋に放り込まれた。茹で上がった肉は、まず一応毒味役の従者が試しに食べて、その後勇者2人、冒険者、付き人たちの順に食べた。
「これは美味だな」
「うまい!」
「この骨つきが何とも……」
しかしそれは全員に行き渡るほどの量はなく、俺のところにまでは回らなかった。
正直言ってホッとした。コウモリの肉なんて食べたくないし。でも魔王を倒すまでは、こんなことが繰り返し起きるんだろうなあ……
皆が交替で休みにつく。俺はアクジョの世話係として、「お水ちょうだい」「髪梳かして」「枕どこ?」などといった要求にいちいち応えた。しかしわがままだな……と思っていたら。
「さ、寝るわよ。あなたもテントに入りなさい」
は? 何言ってんだこの女。俺は小声でささやいた。
「あのなあ、俺は男だぞ。男と一緒に寝るってか?」
アクジョは当然だとばかりにうなずく。
「あなたは私の従者であり所有物なのよ。物が欲情したりしないでしょ? だいたいこの状況で男も女もないじゃない」
それでも俺が渋っていると、
「早くしなさい。夜風が冷たくっていけないわ」
結局俺はテントの中に潜り込まざるを得なかった。三角錐の内部はそこそこ広く、俺は絨毯の上に仰臥して枕に後頭部を置いた。アクジョはフゴー財閥令嬢として、冒険者『僧侶』ではあるものの、他の人員より優遇されている。夜の見張り当番もなく、朝まで爆睡する気だ。ごそごそと奥で横たわり、シーツを引きかぶって沈黙した。と思う間もなく寝息を立てる。
俺は高校1年の15歳。アクジョは華の18歳……
俺は年頃の女と一つ部屋、ならぬ一つテントで寝る現況に、ちょっとだけドキドキしていた。ただ、それは睡魔に打ち勝つほどでもなく、忍び寄ってきた暗闇は俺の意識をどこかへ駆逐してしまう。俺は眠りに落ちた。
翌朝、テントの撤去と身支度、荷馬車の整理などを行なってから、勇者の一団は旅を再開させた。巨大コウモリは深夜にも何匹か出てきたそうだが、武闘家ケルがその都度飛び蹴りで撃退したらしい。その肉は細かく刻まれて幌馬車の内側に吊るされているとのことだった。
途中で休憩を取った際、俺はカイザ王子を見に行った。先陣切っての進行で疲れてやしないかと、少し気になっていたのだ。だが旅団の指揮官は、こちらが心配性なだけと言わんばかりに元気そのものだった。
「やあ、ヒロ」
彼は下馬し、土地の者に地図を検証させていた。ちょうどそれが首尾良く終わったらしく、農民にほうびの貨幣を渡す。
俺は王子の意気軒昂ぶりに安堵しつつ、ついでに今後の旅程を尋ねた。
「朝日の方角に向かってるみたいですが……」
「うむ、本来なら南へ直接走った方が早いのだが、そちらはマンプク王国だからな。あそこを無事に越えて、更に南の魔王の大陸へ行くのは不可能と言っていい。我々はここより東の港で船に乗り、回り込むようにして敵地に上陸するのだ」
魔王と繋がりがあるとされるマンプク王国。確かにそこへのこのこ入るというのは、殺してくれと言っているようなものだ。
しかし……
「海を渡るのですか。それはそれで危険じゃないですか?」
カイザ王子はうぬぼれてはいなかった。
「もちろんそうだ。この前のような嵐に見舞われる可能性もある。海の魔物に襲撃されることもあるかもしれない。だが結局は危険なのだよ、この旅は。どこを通過するにしてもね。なら最も安全そうな道をゆくのは、団長である僕の判断なんだ。従ってくれとしか言いようがないな」
俺は納得して首肯した。
「はい、死に物狂いでついていきます」
「ありがとう」
このとき、カイザ王子は複雑な瞳で俺を見つめた。何だ? ……と思う間もなくそらされる。
「出発しよう。先は長い」
俺たちは再び馬を飛ばした。




