005「平行」
「その目は、何か企んでそうだなあ」
「何を企んでるっていうのよ?」
「さあ。僕の読みが当たったことは、これまで一度も無いから」
台襟の無い黒色のシャツを着た男と、青色のドレスを着た女が、カウンターを挟んで会話を交わしている。
「意外と、堅実な性格をしてるものね、檀さんは」
「意外と、は余計だ。柚みたいに、担任教師にモーションかけるような無謀さは、あいにく持ち合わせていない」
「チャレンジ精神旺盛と評価して欲しいわね。何さ。押し切られて、一線を越えたくせに」
「超えさせたのは、どっちだよ。君のおかげで、僕の人生は百八十度変わったんだぞ?」
「味気ない毎日より、ちょっとくらい刺激があったほうが、面白いんじゃなくて?」
「君の言う『ちょっと』は、僕にとっては『たくさん』なんだよ。少しは、自重してくれ」
「私の辞書に、遠慮、謙虚、自重という文字は無いの」
「そうかい、そうかい。それは、とんだ落丁本だな」
「ねえ、檀さん。籍を入れろとは言わないけど、一緒に暮らしてくれるつもりは無いわけ?」
女が強い口調で迫ると、男は、ドリップが終わったコーヒーをカウンターに置きながら言う。
「こちら、当店自慢のオリジナルブレンドです」
「話を聞いて。部屋なら、あと一つ余ってるわよ?」
「物置代わりにしてる部屋だろう?」
「片付けるわよ」
「そのままで良い。桃が高校生になるまでは、生活環境を変えないほうが、余計なストレスを与えずに済む」
「離れて暮らしてるほうが、ストレスになるんじゃなくて?」
「桃は、お父さんと一緒に暮らしたいって言ってきたか?」
「うっ。それは、言ってないけど」
「なら、この話は、ここまでにしてくれ。他に話が無いなら、さっさと飲んで帰れ」
「まあ、冷たい人。桃と家に帰ったあと、わざわざ着替えてから戻ってきたっていうのに」
「頼んでない。善意の押し売り、お断り」
「セールスや勧誘みたいに言わないでちょうだい。いいから、お酒を用意しなさい。二人分よ。私が持つから」
「なんで、君と一対一で飲まなきゃいけないんだ」
「売り上げに貢献してるのよ。それに、素敵な淑女が通い詰めてると噂が立ったら、世の紳士たちは放っておくはずないわ」
そう言うと、女はカップを持ち上げ、ほのかに湯気が立つコーヒーを一口含む。
「とうが立った気の強い女が出入りしてると評判が広まったら、閑古鳥が鳴くはずだ」
「客に向かって、とうが立ったとは何かね。撤回したまえ」
「貴様は、野党の議員か。たった一口で、ハイになるんじゃない」
橘檀:社屋一階にあるカフェバーのマスター。四十二歳。愛煙家で厭世的だが、ウィットに富む。長髪。口髭。