014「出端」
「梓ちゃん」
「あっ、植村さん。おはようございます」
「おはよう。これから、お出掛け?」
大小のボストンバッグを両手に持った梓に、中年の女が声を掛けた。梓は、足元にバッグを重ねて置くと、お愛想に笑いながら答える。二人が居るのは、団地の一階にある集会所である。
「ええ。会社の同期の人たちと、三日ほど旅行に」
「あら、良いわね。行き先は?」
「会社の保養所がある、離島まで」
「そう。同期の人たちでってことは、黒目がちで髪の長い、ちょっと高飛車な子とか、短髪でつり目の、陽気な子とかが一緒ね?」
「あっ、はい。櫁さんも、梢さんも一緒です」
「そうなの。へえ~。それは楽しい旅行になりそうね」
「ええ。海水浴をしたり、ハイキングをしたりすることになってるんです」
「まあ、まあ。若いって良いわね。今のうちに、青春を謳歌しておきなさいよ。年食ってからは、レジャーなんて、なかなか楽しめないんだから。それに、結婚して子供が出来たら、自分の時間は確保できないんだから」
「はあ、そうですね」
そう言うと梓は、フッと伏し目がちになる。
「ああ、ごめんなさいね。別に、独り身だってことを皮肉ってるわけじゃないのよ」
「いえ、そうではなくて。出掛けるときのお父さんの様子が、どこかいつもと違ったなあ、と思ってて」
「そりゃあ、年頃の娘を持つ父親だもの。気になるのよ。ほら、あの子も一緒じゃないの? 黒縁の眼鏡を掛けてる、ちょっと気が弱そうな男の子」
「桜さんですね。彼も、途中で合流することになってます」
「梓ちゃんと一緒で内気な子だから、想いを知りたかったら、そっと背中を押してあげなさいよ。せっかくの機会を活かさなきゃ」
「やだ、もう、植村さんったら。恥ずかしい」
「吉報を期待してるわよ。梓ちゃんのお父さんだって、気がかりになってるに違いないんだから」
「そうかしら? 私のことに関心があるようには、とても見えないけど」
「いいえ、そういうものよ。子供のことを思わない親なんて、いないわよ。あの人は不器用だから、表情や態度には出さないだけ」
「じゃあ、そういうことにしておきます。――そろそろ、駅に向かわないと。きっと、もう車が待ってると思いますから」
梓は近くの時計をチラッと見てから、ボストンバッグを両手に持つ。
「あら、ごめんなさい。いや~ね、すっかり長話をしちゃって」
「いえいえ。それでは」
「行ってらっしゃい」
植村:お喋りマダム。六十二歳。梓と同じ団地に住んでいる。
梓の父:口下手。五十一歳。団地に、娘と二人で暮らしている。




