3・黄昏の女帝の従業員
海洋都市ハーナ。
そこは七大陸の一つロニア大陸の一角を統治する大国、人類の始まりの
国グラム王国が治めている。海洋産業と貿易業が盛んに行われている地で
ある。
ハーナは入り組んだ山々の先にある頭一つデカい大山に、終幕戦争時に
たった一人の魔術師が生んだ。半分えぐれて生まれた三日月の港を中心に
発展した都市であった。
自然が育む海の幸と独特な形状をした湾の入り口は、船舶や港の大敵で
ある海獣や海賊の侵入を拒むほか、軍事拠点としても大変優れているため
湾には、巨大な軍専用のドッグも完備されている。
ではここで一つ問題。そんな最強の守りと矛がある土地を喉から手が出
るほど欲する者達がいた。
それは誰かな?
分からないかい? では、ヒントをあげよう。
魔術が発展した今でも、商品を売ったり、仕入れたりしている。
物が無い場所には物を届け、国に金が無ければ商品で潤す。
もう、分かるかな。
そう彼らは世間一般に「商人」と呼ばれる商売のプロフェッショナル。
しかし、商人が商売をするには、売り買いする商品が必要。魔術が発展
したこの世でも、大量の物資を別の空間で運んだり体積を変えれる魔術師
なんて早々居るわけじゃない。
なら手っ取り早い手段は、大量の商品を安心安全に保管できる場所かつ
簡単に移動手段が得れる土地を入手すれば良い。
言葉では簡単に言っているが、このご時世そんな場所は数えるぐらいし
か無いわけだ。
話を戻すがそんな数少ない安全地帯の一つが超優良物件『海洋都市ハー
ナ』別名『商人の楽園』当然多くの商人達がやって来るわけだが、彼らの
楽園はハーナに入った瞬間に悪夢と化してしまう。
とあるうら若き商人の一方的な交渉によって希望は絶望へと転じる。
●
港から山頂の出入り口までなだらかな坂道が続く都市のメインロード。
朝から朝市が開かれ賑わい見せるそこを一人の青年が人々を縫うように
走りさる。その後ろでは茶髪少女が後を追うように低空を飛んでいた。
「......もう追いついてきたか」
「待ちなさい! 兄さん。私の話は終わってません」
観光者や小さな露天を開いている旅商人らは驚き青年と少女にに文句を
言う傍らハーナの住人達はいつもの光景を見て笑う者や、挨拶をする人で
今日も賑やかであった。
「はは、今日も街は賑やかだ!」
青年もといゼスは走しる。
おもに後ろから追いかけてくる妹に捕まらないよう。
「だが、そろそろ追いつかれるな。やっぱ魔術はずるい......でも、体力な
ら俺がゆうり!」
ゼスは全身に溜まっていた疲労を、捨てるように深呼吸し両足に力を込
める。
後方にいたアテナはゼスが、走るのを止め観念したのかと思う。
「兄さん捕まえましたよ」
空中から覆い被さるように抱きつこうとするが、そこにゼスの姿は無か
った。空振りに終わったアテナは悔しそうに周りを見る。
前方の人波の中にゼスの姿は無い、とすると左右のどちらか。
アテナは頭を落ち着かせ地面を見る。
「そこですか、兄さん」
地面には土がえぐれた痕と左に移動した痕跡があった。
視線を左に移した先には、ちょうど背後を確認しようと振り返ったゼス
と目が合う。
「やべぇ、バレた」
子供だましが見つかる前にアテナがアタフタしてる空きに路地裏に隠れ
る筈だったが、見つかってしまえば走るしかない。
「ほらほら、追いつけるもんなら追いついてみろ」
「はぁはぁ、空を飛ぶと魔力の消費が激しすぎて、もう体力が!」
まだまだ煽る余裕すらあるゼスは入り組んだ路地裏を下っていく。
対してアテナは家からここまで飛んだせいか、息も上がりゼスを見失っ
てしまった。
「はぁはぁ、あの人の体力は無限ですか? 魔術がただの身体能力に負け
るなんて......私では兄さんに追いつくことが出来ないという暗示ですか?」
額に溜まった汗を拭い去り息を整える。
「いえ、違いますね。追いつけるものなら追いついてみろ。上等です覚悟
して下さい兄さん」
まだ、私では兄さんの力にはなり得ません。今は追いつけなくてもいつ
かは隣に立ってみせます。
アテナの顔には自然と笑顔がこぼれていた。
●
『黄昏の女帝』
堂々とした名前を有する五階建ての建物の前にゼスは立っていた。
「遅かったなアテナ。久しぶりの鬼ごっこは楽しかったか?」
「黙って下さい兄さん」
疲れ切った様子で睨む妹を背に俺は黄昏の女帝と書かれた建物の扉を開
ける。
「おお、今日もやってるね」
建物に入るとそこは多種多様な種族が入り乱れる戦場であった。
「ようこそ! 商会黄昏の女帝ぇて、ゼスさんじゃないですか。お疲れさ
まです」
元気よく挨拶してきた商会の制服を纏う少女は、俺だと気づくと一礼し
て去って行った。
ここは幼馴染みが経営する都市最大級の商会で、人以外なら何でも売買
する俺の仕事場だ。
「わっ!? 今日も人集りが、はぁー経理が大変そうです」
アテナも俺もここで働く一応幹部的な存在なんだが、アテナは幹部とし
て納得する。頭良いし。
でも、俺はあんまり幹部ってほど大層な仕事はしてないんだけどな。せ
いぜい商会に寄せられた住民の悩みを解決する何でも屋紛いのことをして
る。
ヘラは俺が街の連中と仲良くしてくれるから、新参者なのに数年で都市
一の商会に成長できた、って言ってたけど俺は皆がもっと黒目の人間と軽
く接知られるように頑張ってるだけなんだがな。
そうあの法が生まれて早6年。
だが、黒目の人間に対する直接的な虐待行為いや差別は無くなったもの
の、今だ地域では黒目を嫌う場所もある。
しかし、王妃アテイシャの献身的な努力や、黒目の人間の努力も相まっ
て、このまま行けば差別は無くなるだろう。
このまま行けばな。
「じゃ、兄さん言いたいことは沢山ありますが、仕事が山積みのようです
し、私は行きますね。仕事さぼっちゃダメですよ」
「おう、がんばってな」
商会の従業員専用の部屋に行ってしまった。
「さて、俺もお仕事しますかね」
商会は広く大人が100人入っても余裕があり、一階には大型の受付カウ
ンターに一般人や旅商人用の交渉テーブルもある。
そして二階に客人らも利用できる社員食堂が完備され、三階から上は特
別な交渉や貴族などを接待する部屋がある。一番上の階は会長室になって
いて、暇なときは茶を啜りに行くが、ヘラに邪魔扱いされる。
「すいませんね、ちょっと通してくれるかな」
俺は人波の中を進み受付カウンターの列に割り込む。
本当に申し訳ないが、俺の仕事は受付カウンターじゃないとあるかどう
か分からないし、それを確認するのに一々長蛇の列を待つのは時間を無駄
にする。
「ちょっと、そこのアンタ順番はちゃんと守って貰わないと困るよ」
突然商会の制服を着る俺ぐらいに青年に止められた。
誰だ、コイツ。新人か?
俺は今働く従業員の顔を思い出してみるが、目の前の青年の顔はやはり
知らない。
「悪いな。こっちも仕事なんだ」
「それはこっちもそうだ」
ごもっとも、だが上司の顔を覚えてないのは頂けない。俺も毎日商会に
居るわけじゃないから、知らないのも無理ないと思う。
でも、この商会でそれは通じない。
新顔みたいだし、今注意して反省すれば懐の広い俺が許してやろう。
「なー新顔だれぇ......」
「ば、馬鹿野郎! その人はウチらの上司だ!!」
馬鹿野郎はお前だよ、ザック空気読めよ。せっかく威厳のある上司感を
出せる所だったのに。
慌てて駈け寄って新顔を黙らす商会の古株に内心で文句を言う。
「え? それは本当ですか」
「本当だ。この人は会長の幼馴染みで、我らが天使のアテナちゃんのお兄
様でもあるんだぞ」
先ほどの高圧的な態度から急変新顔の顔が一気に青くなる。
ああ、すげぇ泣きそうじゃん。なんか俺が悪者みたいな雰囲気だけど、ザ
ック今聞き捨てならんこと言ったな。
「おい、ザック」
「は、はい! ゼスさん。新人の事は後で私が説教しておきますので」
「違ぇ、そこじゃね。おまえ誰の妹にちゃん付けしてんだ。殺すぞ」
ザックの胸ぐらを掴み上げ本気の殺意で睨み付ける。
持ち上げられたザックはなけなしの力でタップする隣では新人が卒倒し
そうほど怯えていた。
「あのザックさんがされるがままなんて、俺は何てことを」
ヤバいな、新人を注意するつもりが怖がらせちまった。このままでは俺
の完璧上司計画がとんざする。
何とかしなければ!
「おい、新人」
「は、はい」
「こんな形で会うのは癪だが、改めて紹介させてくれ。黄昏の女帝幹部ゼ
ス・オグマだ、これから宜しく」
ゼスは空いた片手を突き出し握手を求めた。
新人は怒られると思った。鬼上司と知られるザックが恐れおののく人だ。
自分なんて何をされるか。
そう思っていた人物は怒るどころか笑顔で自己紹介をしてくれた。
絵面はアレだがこの人は初日から失敗した俺を許してくれた。
怖いが頼れる人だと思う。
「自分は、ティレッタです。先ほどはすいませんでした。初日でテンパっ
て、ゼスさんだと知らなくて」
「ああ、良いって事よ。どうせコイツがアテナの事しか話さなかったんだ
ろ。なあ、ザック」
「ゴッフ、ゼスさん、いえゼス様。自分死んだおばちゃんが見えてきまし
た」
マジで死にそうなザックにゼスは追い打ちをかける。
「おう、逝け。そのまま逝け」
ティレッタは心のノートにゼスの前では、妹の話はタブーとメモった。
そしてザックは部下の信頼を失った。
「さてとティレッタ。おまえは知らなかったとは言え、上司に逆らった。
言ってる意味分かるな」
「っ!......はい」
その言葉を聞いてティレッタの顔に暗い影がさす。
「おいおい、そんな悄げた顔すんなよ。クビなんてしないから安心しろ」
「じゃあ、俺は何を?」
おっ、意外と察しが良いな。
「簡単だ、お前にはこれから来る。お得意様と交渉して貰う」
「お、オレにはそんな重役勤まりません」
飲み込みの早い奴だ。
「だめだ、コレは上司に逆らったバツでもある。なーに安心しろサポート
にそこでくたばってるアホを付けてやる。
本気で殺してやりたいけど、ソイツの交渉術は中々のもんだぞ。今回の
お得意様とも顔見知りだ。だから、失敗してもいいから経験を積め。それ
じゃ俺はコレで失礼する。
話は聞いたなザック。死ぬ気で助けろ」
壁際で横たわっていたザックに釘を刺し、ゼスは颯爽と受付カウンター
に行ってしまった。
●
「ゼスさんは新人に甘いですね」
「そうか?」
仕事を確認するため受付カウンターに来た直後一部始終を見ていた受付
嬢が呆れるように言う。
「そうですよ幹部の中で、必要に甘くするのは貴方だけですよ。これじゃ
新人が育ちません。これからはもっと強気に接して下さい」
無理でしょうけど。
「はは、悪いな。それより仕事はあるか?」
「いいえありませんが、会長から伝言が一つ、商会に来たら会長室に来る
ようにと」
まじか、なんだか嫌な予感がする。
「そうか、ありがとう」
ゼスは受付嬢に礼を言うと、真っ直ぐ階段のある方に向かう。