1・始まりの夢
ふと気づいたとき俺はどこまでも続く闇と静寂が満ちる場所にいた。
(......どこだ。ここ?)
何も分からずにゼス・オグマは自身の置かれている状況に困惑する。
突如として目が覚めた先は、自室の見慣れた天井ではなく永遠と続く闇
の世界でオマケに体は視覚と聴覚しか働かない。
体を動かしたくても何かに阻まれたように動かず、いい知れない恐怖と
焦りをゼスは感じていた。
余りの出来事で思考が追いつかず、焦りながらも唯一使える視覚と聴覚
を必死で活用し、周囲の僅かな情報をかき集める。
と、言っても視界の先は深海の海のように暗く静寂に包まれて情報は皆
無に近くゼスをさらに絶望のどん底に突き落とす。
永遠に何も無いこの場所から出られないのでは、そう思ったその
瞬間彼女は目の前にいた。現れたではなく、いた。最初からそこに存在し、
ずっと近くで俺を見ていた。
だが突如と現れた少女に驚くものの不思議と恐怖は無い。
それどころか一人で訳の分からないこの場所に放り出され、迷子の子供
みたいにどうしようもなく怖かった。そんな時に必死で探してくれた母親
に優しく抱擁してくれる暖かさに似た感情を抱いてもいた。
『......やっと、会えた』
純白の髪を靡かせ微笑みを向ける少女はそう言った。
(ま、待ってくれ! お前はいったい!?)
『だいじょうぶだよ。また、会えるから』
その言葉を最後に俺の意識は追い出されるように消失した。
●
ダラッと流れる嫌な汗が、体中から溢れ出て気持ち悪い。
眠りから覚め目を開けるとそこは、いつもの見慣れた天井があった。
「......動くよな?」
手を何度か握ったり開いたりを繰り返し、自分が現実の世界にいること
を実感して少しだけホッとした。
「ヘンな夢だったな。それに......」
夢の中で出会ったあの少女は、とそこまで言おうとした途端、この部屋
の扉からコンコンと軽いノックが響き扉が開いた。
「お早うございます、ゼス様......あら? 珍しく起きれたのですね」
入ってきたのはメイド服を着た銀髪の美女であった。
「お前か、イーナ。って、もうそんな時間かよ」
彼女の名は、イーナ・イージス容姿端麗、才色兼備、完璧メイドとご近
所さんから何かと評判の我が家自慢のメイドだ。
イーナは俺が横たわるベットの横に立つと腰を落とし、間近まで顔を近
づける。
近づくことで銀髪から放たれる甘い香り。凜とした瞳に、プックリと膨
らんだ唇が、少し顔を上げただけで、キスできるほど近くにあった。
「......近い」
顔を赤らめ聞こえるか聞こえまいかの声で、ゼスは文句を言う。
「ふふ、可愛いですね。でも、そんな顔をして......何かありましたか?」
そう言われ俺は彼女の目を見る。いつもの優しい眼差しでは無く、心配
の目つきをしていた。
それもそうか夢の世界であっても、あの暗闇と静寂の世界は確かな形で、
ゼスに恐怖を与えた。
それをイーナはゼスの顔を見ただけで、読み取ってしまったのだろう。
「......ないよ」
恥ずかしながら俺はイーナに嘘をついてしまった。
男の下らない意地なのか。
はたまた、何かしらの影響でそうさせたのか。
それはイーナは勿論、等の本人であるゼスにも分からない。
「そうですか」
メイドは納得していないが、これ以上聞くことは無かった。
そして我が家の毎日の行事が始まる。
「もう、起きていますが、体を起こしてください。朝食の時間です」
いつもならこれで起きるのだが、中途半端に目が覚めた所為か眠くなっ
てきた。
「イーナ、飯は要らないから、もうちょっと寝かしてくれ」
「ダメです」
ッ! 即答だと。
「まったく、せっかく起きたのに勿体ないですよ。それに、妹様が怒って
部屋ごと魔法で破壊しに来ちゃうかも?」
「ぐっ、それは困る。寝たらあの世行きは洒落にならん」
考えただけでも、ゾッとする話だ。
「だったら、私達と楽しくご飯を食べましょう」
胸辺りで両手を合わせ満面の笑みで、提案をする彼女を見て気怠かった
眠気が吹っ飛ぶ。
「はぁーお前の笑顔が、
眩しくて寝る気が失せたし、腹も減っちまった」
行きよいよくベットから、飛び起きメイドの前に立つ。
「行くかイーナ」
「はい、ゼス様」
●
ゼスは朝食を取りにいたイーナと階段で別れ、リビングへとやって来て
いた。
「あら、兄さんお早うございます」
リビングの中央にあるテーブルで、ティーカップを片手に此方を見やる
少女は微笑みで挨拶をしてきた。
「ふあぁあッ、おはよう。アテナ」
欠伸を掻きゼスは、少女が座る席の正面側に座り挨拶をする。
正面に座る少女は幼さを残す顔立ちであるが、淑女を彷彿とさせる佇ま
いに、パッチリと大きい瞳、茶髪のロングヘアをサイドで三つ編みにした
髪型。可愛げある容姿は、まるでどこぞの王女様みたいだ。
そんな少女が俺の実の妹だとは誰も思わないだろう。
元に俺には勿体ないぐらい美少女だからな。
怒ると怖いが、自慢の妹だ。
「どうしたの、兄さん。そんなに見つめて、わたしの顔に何か付いてます
か?」
おっと、ジロジロ見すぎたようだ。つい、可愛すぎて熱く見てしまった。
「何も、ただお前はかわいいな、って思っただけだよ」
コイツ、恥ずかしいといった感情が無いのか臆する様子も無く平然と本
人言う。
「も、もう、兄さんは恥ずかしくないんですか!?」
兄の無神経とも取れる褒め言葉は、普段冷静沈着で何事も笑顔が絶えな
いアテナの頬を赤く染め、嬉し恥ずかしい気持ちで一杯にさせる。
滅多に見せないアテナの姿は、ゼスのいたずら心に火を付けた。
「くく、恥ずかしいだと、なわけ寧ろ胸を張って言えるね。俺の妹は、世
界で一番かわいい妹ってな!」
ここまで褒められると、恥ずかしさを通り越して何か別の感情が沸き起
こると思うのだが、アテナは持っていたカップを置き顔を伏せてしまった。
(やべぇ! やり過ぎたか?)
頭では辞めとけと言っても、心の悪魔がやってしまえと言う。それが過
ちだと分かっていたのに止められなかった。
だって、仕方ないだろ。慌てふためく妹が可愛いんだもの。
って、んな馬鹿やっている場面じゃないだろ。
ゴンッ、と鈍い音が響く。
「アテナゴメン、馬鹿言った。だから泣かないでくれ!」
テーブルに頭が、のめり込む勢いでゼスは謝る。
「......」
アテナは答えること無く、ただ俯き黙る。
本気でヤバいと思ったゼスは最終手段に出る。
(こうなったら、自棄だ! どうにでもなれ)
「何でもするから!!」
それを聞いたアテナは口元を僅かにつり上げ、顔を上げる。
「ふふ、言質取りましたよ、兄さん」
「なっ、おま......くそ、騙された」
先ほどとは打って変わって笑顔のアテナに、もろに彼女の反撃を喰らっ
たゼスは、おずおずと問う。
「んで、お前は俺に何をして欲しいんだ?」
「そうですね......では、今日行われる。兄さんの誕生日会ヘラ姉様の言う
ことを聞いて下さい。絶対にです」
予想外というか何というか。ここで幼馴染みの名前が出てくるとは思って
いなかったので、疑問を抱いてしまう。
「ハァ? お前じゃなくて、ヘラの指示にか?」
「はい」
正直言って訳が分からないが、アテナにお願いされたのでは仕方ない断
る道理もないし、俺はそのお願いを聞くことにした。
「わかったよ」
何より、目の前の笑顔に勝てる気がしなかった。
●
それから直ぐに、先ほど別れたイーナと共に朝食が入っているカートが
入ってきた。
「失礼します、お二人とも朝食を運んで参りました」
カートから漂う香ばしき香りがゼスの鼻から脳に伝わり、腹を鳴らす。
(ああ......この匂いは凶悪だ)
匂いだけで満足なのに味が追加したら、考えただけでヨダレが出てしま
う。
「あらあら、二人とも落ち着いてください。料理は逃げませんよ」
どうやらアテナも匂いに当てられたらしい。可愛らしくお腹をキューッ、
と鳴らすも匂いにうっとりして気づいていない。
やはり外見は立派でも、まだまだ少女だなと、俺は横からと改めて思っ
た。
「ふふ、朝食にしましょう」
手早く配膳を終え俺の横に座ったイーナからしたら、俺も手の掛かる主
人なのかも知れない。
俺はそんなことを思いながら、朝食を食べる。