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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

青い鳥は窓辺でさえずる

作者: 合歓 音子



青空に吸い込まれる軽やかな笑い声。私を優しく包み込むように見つめるのは、一対の瞳。

空に負けない程に透き通った青だった。

私の大事な青い鳥と同じ青。


きっとこの人は私の幸福。青い鳥。

私は無意識下、魂のレベルでそのことを悟ったけれど、実際に彼を私の幸いと認識するのは、彼と一緒に若い命を「散らし」、生まれ変わった後。

それも大人になり時が「満ちた」頃、ようやく私は私の青い鳥を見出すのだ。


これはそんな遅咲きな私の、輪廻を越えた青い鳥探しの物語。



青い鳥のお話は、私が昔から大好きな童話だ。

幼い兄妹たちは幸せの青い鳥を求めて、思い出の国や未来の国といった様々な国を旅するも、青い鳥は一匹も得られない。

失望して帰宅したら、以前から飼っていた鳥が青く変化していたというお話。

子供向けの絵本で、大人になって読み返すと、教訓めいた部分も多くあるけれど、小さい頃はそんな難しいことは分からず、兄妹の冒険にはらはらしながら、ページが擦り切れてぼろぼろになるまで読み込んだっけ。

ラストに描かれた兄妹の幸福の象徴である青い鳥は、はっと息を呑むほど美しい青で描かれ、その青は私の心に鮮やかに刻み込まれていた。



嗚呼。何処にいるの?

私の大事な青い鳥は。


何度も私の夢に現れる青。募る焦燥。


そう、私は焦っていたのだ。何とは明確に分からない。でも何かを強く探し求めていた。そのあまりにも強い希求心に、常に満たされない思いすら抱いていた。

だからだろうか。欠けたパーツを埋めるかのように、同じ系統の鮮やかな青色の髪を持つこの人を欲し、強く執着したのは。



青の夢の余韻が消えない私の耳に、窓辺から鳥のさえずりが聞こえてきた。


******************





「ピアチェーレ! 僕は君との婚約を破棄する!」


目も眩むほど高い天井。壁から天井にかけてみっちりと隙間なく、繊細な金箔のレリーフが覆い、明かり取りの窓から差し込む日が、荘厳な石造りの床に白い光を幾筋も投げかけ、神聖な雰囲気を作り出している。

広々とした広間に凛とした彼の声はよく響き渡った。


祭壇には、愛を司る女神が豊かな髪を靡かせ、薔薇色の唇から永遠の愛を言祝いで、結婚の誓いを交わした男女に祝福を与える像が祀られている。


「愛の女神ディーヴァの前で誓う。アレグロ・クレッシェンドはピアチェーレ・メトロノームとの婚約を破棄し、フィーネ・カンタービレに永遠の愛を誓う!」


愛の女神の前でのいきなりの婚約破棄宣言。朝早くにひと気のない神殿に呼び出され、嫌な予感がしていたが、あまりの展開に私は絶句した。


「ごめん。僕はフィーネのことを心から愛してしまった。君とは結婚の約束までした仲だけれど、僕と別れて欲しい」


これは悪い夢ではないのか。彼は私の青い鳥のはずなのに。


鮮やかな青い髪に、憂いを含んだ紫のまなざし、それを縁取る繊細な睫毛。すっと通った鼻梁。花びらのような可憐な唇。神の腕を持つ彫刻家が刻んだがごとき芸術的にまで整った顔立ち。

私の婚約者は神話の神々に負けないぐらい美しく、幼い頃はその美貌の余り、誘拐未遂が後を絶たなかったし、実際に拉致監禁されたことも何度かあった。

私には生まれつき魔法の才があり、アレグロの幼馴染でもあったから、常に彼の側に寄り添い、陰に日向に彼のことを守った。

アレグロは良家の子息なので、彼には充分な護衛が付いていたが、魔法に関しては私の得意分野であり領分だった。

実際、護衛を出し抜いて仕掛けられた魔法の罠を何度見破り、何度誘拐を未然に防いだか。また、私が駆使する様々な系統の魔法は囚われの姫、ならぬ婚約者を救い出すのに大いに役立った。


お互いの両親が仲が良かったこともあり、いっそ結婚してしまえば、アレグロといつも一緒にいられて彼の身を守りやすい、ということで、私達は婚約を結んだのだ。

「ピアチェーレ。あなたは馬鹿だ。アレグロの護衛でもないのに、命がけで彼を守って。危険な目に遭って。あなたはそれでもいいの?」

もう一人の幼馴染であるリゾルートは綺麗な空色の瞳を悲しげに曇らせた。

「いいの。アレグロは私の運命だから。私がやりたくてやっていることだから、いいの」

私は彼に一目惚れしていたから、愛する人を守れるならと、両親達の取り決めには否やはなかった。

彼は私の大事なお姫様、もとい王子様だった。


そう告げても、リゾルートの表情は晴れなかった。彼は私を見てよくそんな顔をする。その表情は嫌いだ。空色の瞳を持つ彼には笑い顔が似合うのに。思わず手を差し伸べてそのチョコレート色の髪を撫でてしまう。くせになるほど柔らかく手触りがいいので、この幼馴染の髪をいじるのは私の癖だったが、人の良い彼は私のなすがままだ。

「しかたがないね。俺はあなたが幸せであることを望むから。でも、もしもあなたが幸せでないのなら俺は」



私はこれまで確かに幸せだったはずだ。

でも、その幸せは他ならぬアレグロの手によって木っ端微塵に打ち砕かれた。

私は足元から力が抜けていくような絶望に襲われた。常に付け狙われている婚約者のために日々研鑽し、魔法だけでなく体術も身に付けようと頑張って、文字通り血反吐を吐く思いで努力した日々は一体何だったのか。


この人は本当に私の婚約者なのだろうか。よく似た別人ではないのか。私に気持ちがないだけでなく、私のこれまでの献身すらもかえりみずに、こんな簡単な一言だけで二人の仲を終わらせられるのか。

私は到底現実を受け入れられず、言葉を失くして立ち尽くした。


「ごめんなさい。彼にあなたという婚約者がいるのは知っていたの。でも、この思いを止められなくて。彼も同じ気持ちだと知って、もう我慢がならなくなったの。私だって彼を、アレグロを愛しているから」


てっきり、彼一人かと思った。ところが、歌うように彼への愛を告げ、彼の後ろから姿を現したのは、ふわりとした銀髪に薄い金の瞳を持つ美しい少女。その容姿は妖精に喩えられ、どんな男も彼女に心奪われる。壮絶な美貌を持つアレグロと並んでも遜色ない。むしろ相乗効果でお互いの美が更に際立つぐらいの容色の持ち主だった。


フィーネ・カンタービレ。有名な学者の父と国宝とされる歌姫の母を持つ美貌の才媛。

家柄は普通で大した器量もなく、才もなく、魔法ぐらいしか取り柄のない私と違って、たくさんのものを持っている少女。


「ありがとうフィーネ! 僕は君さえいればもう何もいらない」


二人はひっしと抱き合うと、私が見ているのにも関わらず、熱い口付けを交わした。


途端、嵐のような激しい感情に襲われた。これは怒りなのか悲しみなのか。全身の震えが止まらない。こんな絶望的な哀しい風景をどこかで見たことがある気がする。今、私はその時と同じ思いを味わっている。


嗚呼、助けて。私の青い鳥。どこにいるの。

何故かリゾルートの悲しげな顔が脳裏に浮かんだ。

熱い塊が胸の奥から込み上げてくる。まずい。いつもは抑えられている力が暴れ出しそうだ。

このままだと、魔力制御が効かなくなる。

「ピアチェーレ? 一体どうしたんだ」

アレグロは急に自らの身体を抱きしめてうずくまった私に心配げな声をかける。

咄嗟に私は神殿の入口に向かって走り出した。魔力の暴走に巻き込んでしまったら、二人はただでは済まないだろうから。


よく磨き込まれた鏡のような硬い床で、何度も足を滑らせながらひた走る。三人以外に人気のない広間に足音が大きく響く。せめて屋外へ。夢中で走って走って、そして、いきなり足元から地面がふっと消え失せた。

入口にある階段を踏み外したのだと気付いた時にはもう遅かった。

私の身体は宙に投げ出された。途端、全身から青い光が放出された。

「ピアチェーレ!?」

二人の男の声が私の名を呼ぶ。嗚呼、こんな風に切羽詰まった調子で二人に名前を呼ばれるのは二度目だ。その思考を最後に私は意識を失った。



*********************



全身を凄まじい衝撃が貫く。

悲鳴のような声が私を呼んだ。嗚呼、熱い痛い痛い熱い。

一体どれだけの刃がこの身を貫いただろう。どこもかしこも痛くて把握が出来ない。


「よかった、無事、ね」

皇子の無事を確認すると、私はたくさんの血を吐いた。喉元からせり上がってきた血が呼吸を妨げる。苦しい。痛い。苦しい。


「君はなんて馬鹿なんだ! 僕を庇って、こんなっっ! こんな………!」

皇子の婚約者である隣国の姫はぴったりと彼に寄り添って、涙を流して私の名を呼ぶ彼の背中をさすっている。嗚呼。あなたは当たり前のようにその場所にいるのね。私がどんなに手を伸ばしても届かない場所に。


姫はその強力な神力で、闇の王が次々と繰り出す刃を防ぐ防御結界を張っているが、いつまで保つか。こちらの渾身の攻撃は全て弾かれ、姫以外の全員の消耗が激しい。もうほとんど戦う力が残っていない。

姫の結界の効力がなくなる時。それは私達全員が死ぬ時だった。


闇の王が繰り出す刃を結界なしの生身で受けた私の身体は、満身創痍で既に息も絶え絶えだ。

もう駄目なのか。

いや、まだだ。まだ奥の手がある。

いざとなったら使うようにと、亡き母から受け継いだペンダントを握りしめた。

この術を使えば私もただではすまないけれど、既に瀕死なのだから同じことだし、全員死んでしまうよりずっといい。

みんなを守るにはこれしかない。最期の力をふりしぼって、闇の王を滅ぼす。私にはその道しか残されていない。

鉄臭い塊が腹から這い上がってきて、私はこらえきれずに血を吐いた。一度では収まらず、何度も吐く。

嗚呼。もう駄目かも、しれない。視界が、霞んで、目が、意識がーーーー


「駄目だ! 俺を置いて一人で逝くな!」


誰かの絶叫とともに、空のように鮮やかな青が私を柔らかく包み込む。全身の痛みが少し和らいで、私は彼方へ飛びかけていた意識を必死で引き戻す。


「俺を置いて逝くなんて絶対に許さない」


その強い言葉とは正反対の優しさで、英雄が私を抱き締めている。密着した身体から浄らかな神気が流れ込んでくる。透きとおった青の神気。彼の持つ青は私の波長にぴったり馴染んで、この上なく安心した。この力に包まれていれば、死出の旅路すら恐ろしくないと思うほどに、安らぎを感じている。


「あなたは死ぬつもりだ」


まるで私の心を読んだかのように英雄は断じた。そして事もなげに続けた。


「だから俺も一緒に逝くよ」

「そんな……」


彼の腕の中で、私は二の句が告げなくなった。何の気負いもなくあっさりと彼は言ってのけたのだ。まるで、その辺に薪拾いにでも行くかのように。必要だから当たり前だ、とでも言うように。


「ここからじゃアレに力が届かない。それにあなたがアレに近付く余力もない。誰かがあなたを連れて行かないと。俺ならあなたを守りながら、射程範囲内まで肉薄出来る」

「でも……」


私の震える唇を彼の人さし指がそっと押さえた。


「安心して。俺にはあなたの居なくなった世界に未練なんてない。だから一緒に逝こう。あなたを一人でなんて逝かせやしない」


私はずっと皇子のことが好きで、叶わない想いに身を焦がしていたはずなのに、何故だろう。この英雄には別次元での愛しさを感じている。

彼の纏う青が私の大好きな青い鳥と同じ青だからだろうか。

愛する人を守りたい。私の極めて個人的な決心に誰かを道連れにするなんて、あってはならないことなのに、彼が一緒だと言うだけで、限りない歓びを感じている。


俺の想いを骨の髄まで思い知るといいよ。

他の二人には聞こえないように、耳元で囁かれた言葉は、骨どころか魂まで浸透していくようだった。


「二人とも正気なのか!?」

「皇子! いけません!」


私達の決意を悟った皇子は動きかけたが、姫がその身体にしがみついて止めた。


「私達は皇族です。たとえ何を犠牲にしても、闇の王を斃し、奪われた神の宝玉を持って帰らなければならない義務がある! 神の宝玉を持つ資格があるのは、神の末裔の血を引く私とあなただけ。あの二人には触れることすら許されないのです。だからお願い。ここはこらえて下さい! 全ては生きて戻って国と民を救うために!」


滂沱。皇子は号泣とともに地に膝をついた。その身体を離すまいと姫は力の限り抱きすくめる。そんな二人を尻目に私を抱く英雄の腕にきゅっと力が込められた。


「皇子、姫。俺達は逝かねばなりません。後を頼みます」

「分かりました」

「待て! 待ってくれ! 僕は君にーーー」


英雄は壊れやすい宝物を扱うが如き慎重さで私を抱き上げた。

瀕死の私を抱える彼の足取りは確かで、死に向かって歩いているのに、全く恐れを感じさせない。

現れるたくさんの黒い刃。英雄の跳躍。その衝撃が損傷した内臓に響いて、私はまた血を吐いた。英雄の鎧は既に私の赤い血にまみれている。

私の残り時間がほとんどないことを悟ったのだろう。ちらりと私を見た彼はきりっと眉を上げて覚悟を決めた顔になった。

微かに笑って私に頷きかけると、二人の身体は光に包まれる。光は黒い刃を弾き、更には光の矢を闇の王に射かける。

少し離れた場所にいる皇子に視線を移すと、姫が結界を張って、自分と皇子を黒い刃から守っているのが見えた。皇子は呆然とした瞳で私を見つめている。

「よそ見は禁止だよ」

気付けば、闇の王はすぐ目前だった。気を散らしたことを謝罪すると一緒に血が溢れてきた。あまり喋らない方がいいかもしれない。

英雄の力はさすがと言うべきか。闇の王の攻撃を凌ぎ、更に攻撃まで行える結界を作り上げるとは。

「ごめん、時間切れ」

英雄が私の身体をぎゅっと抱き込んだ瞬間。強い衝撃に襲われた。

「あぐぅっ!」

結界の効力が薄れて、防ぎ切れなかった黒い刃が降り注ぐ。英雄の鎧が更に血で濡れた。今度は彼自身の血によって。

彼の身体から噴き出した鮮やかな青い血が私の長衣にべったりとつく。私が愛してやまない青。彼が疎んだ青。

英雄が自分の身体を盾にして私を守っている。

急がなければ。私は母の形見のペンダントに力を込めた。亡き母が私に伝えた太陽を纏う術を。

「あきらめ、ないで」

息も絶え絶えに英雄が呟く。彼の受けた傷は私のものより更に深刻だろう。全身が痙攣し、今にも私を落としそうなのを、意思の力だけで持ち堪えている。

「ごめん、なさい、そして、ありがと……う」

最期の力を振り絞り、滅びを唱える。強烈な熱を帯びた光が私達と闇の王を灼いた。視界が白で灼き尽くされてもう何も見えない。聴覚だけがまだ、鋭く研ぎ澄まされていて、闇の王の断末魔を拾う。

「おれたち、また、あえ、」

私に覆い被さった英雄が耳元で囁きかけ、言葉がふい途切れる。

嗚呼。私の青い鳥は先に逝ってしまったのだ。

「しんじ、てる」

その言葉を血と共に吐いたのを最期に、全ての音が消える。時が訪れたのだ。

私も早く追いつかなければ。

奇跡が人の形をとったような英雄がまた会えると言うのなら、きっと奇跡は起こるだろう。彼の熱い血潮と想いは私の魂にまで刻まれて私たちはきっと来世でもーーーー


そこでぶっつりと記憶は途絶えた。




**********************




英雄が必死に隠していたそれを目撃してしまったのは、全くの偶然だった。


一緒に闇の王を倒す旅をしていても、彼は私たちと常に距離を置いていた。よそよそしいわけでもない。敵対しているわけでもない。適度に意思疎通を図り、戦闘中も見事なコンビネーションで勝利する。

それでも私たちの間には越えられない壁があった。


婚約者同士である皇子と姫の仲睦まじい様子に耐えきれず、宿の裏口から外に出た私は、井戸の側で傷の手当てをする英雄を見つける。

珍しいと思った。これまで、彼が戦闘で血を流す姿を見たことがなかったから。攻撃を全く受けていないわけではないだろうに、何故か英雄は傷を受けたように見えなかった。

いくら超人的に強くとも彼は人間だ。傷ぐらい当たり前なのだ。

一人では包帯も巻きにくい部分もあるだろう。手伝おうかと声をかけようとして、私は息を呑んだ。


肩から背中にかけて器用に巻かれた包帯には彼の血が滲んでいる。普通なら赤いはずのそれは、あの絵本の鳥のような目が眩むようにまぶしい青で。

なんてきれい。まるで青い鳥みたい。

包帯に滲んだ血がまるで鳥のような模様をしていて、私はふらふらと寝惚けた人みたいに手を伸ばした。

「触るな!」

いつもは穏やかな英雄の聞いたことがないような鋭い声。その声とともに私の手は振り払われた。

「見るな! ここから立ち去れ!」

私はまだ夢見ごこちのまま、首をかしげた。

「君は怪我をしているのに。なぜ?」

傍に置いてあった上着を羽織り、彼はさっと身構える。手負いの野生動物の如く、英雄は私を威嚇していたけれど、私は全く恐怖を感じなかった。

「どうせあなたも俺を化け物と呼ぶのだろう! 英雄としての責は果たす! だから俺のことは放っておいてくれ!」

化け物とは何のことだろう。本気で意味が分からなくて、私は首を振った。

「なぜ私が君を化け物呼ばわりしなければならないの?」

英雄は信じられない、という顔で私を見た。彼が全身から発散していた拒絶が少しやわらいだ。

「だって。だって。血が………。おれの血が」

「青いから?」

英雄はきつく唇をかみ俯く。さらさらとした濃紺の髪がまだ幼さの残る頰にかかり、その表情を隠す。

戦いの最中には驚くほどの強さを見せつけ闘神の如き彼も、こうして項垂れているとただの十代の少年にしか見えなかった。

濃紺の髪に空色の瞳。そして彼の中に流れる血潮。彼の持つ全てが青く、私にはその青が眩しかった。

たとえ私たち人間の血は赤く、青い血を持つ人間は「普通」でないというのが世間の常識だとしても、私がその青を愛おしいと思うのはまた別の話だった。

「私は好きだな。君の青。だってとても綺麗だもの」

「嘘だ!」

再び伸ばした手を弾かれる。一瞬走った熱い衝撃にいぶかしく思う間もなく、つう、と手の甲から赤い血がつたった。

「……あ。ごめんなさい」

ただのかすり傷なのに、英雄は泣き出しそうな顔になる。彼はその身の内に流れる青い血ゆえに化け物と呼ばれたことすらあるのに、優しかった。自分は深く傷付けられても、相手を傷付けることは出来ない性分なのだろう。

なんてやさしい、そしていじらしい。ふいに言葉にならない強い衝動に襲われた私は三たび手を伸ばし、彼を抱き締めた。今度はこの手は振り払われることはなく、彼は私の腕の中に大人しく収まった。

この気持ちは何だろう。暴力的なまでに私を支配するこの愛しさは。

幼馴染であり、想い人である皇子にすら抱いたことのないこの気持ちは。これは母性なのだろうか。

ただ言えるのは、この時私の腕の中にいたのは、英雄ではないただの傷ついた少年だった。


彼は生まれて間もないにも関わらず、青い血を見て慄いた両親に化け物扱いされ、魔が棲む森に捨てられた。

並の赤子ならば死んでいただろう。でも彼は生まれついての英雄であり、神に祝福された存在であり、その青い血は人間離れした力の源だった。

森の精霊が彼の成長に必要な力と栄養を与え、人の言葉と人としての常識を教えた。

そして両親を持たない彼は16歳となり、女神の神託を受けて、神の宝玉を奪った闇の王征伐と宝玉奪還の旅に出たのだ。


英雄の秘密を目撃してしまって以来、英雄と私の距離は急速に縮まった。いや、英雄が私に積極的に接近してきたと言うべきか。

戦い以外では物静かな彼がこんな情熱的な面を持っていたなんて。私は彼の若い青臭い感情に翻弄された。

私たちは命がけの旅をするたった4人の仲間であり、私は恐らく彼を化け物でなく人間として受け入れた初めての人間。だから私に恋をしたと錯覚しただけなのだ。そう説き伏せようとしても、彼は違うと言って聞き入れなかった。


「俺の想いは誰よりも強いよ。あなたが想うあの皇子よりも、俺の方があなたを想っているから。それだけは忘れないで」

彼はそう言って軽やかに笑う。

その笑い声は英雄と同じ色を持つ空に吸い込まれていく。

これまで幾度となく見た夢。

嗚呼、私の大事な青い鳥。

あなたは一体どこにいるの?

また会えるとあなたは言ったのに。

あなたはどこにもいない。



********************




夢はふつりと途切れ、私は急速に覚醒する。

「ピアチェーレ! しっかりして!」

揺り動かされる感覚にそっと目を開けると、はっとするほど綺麗な空色の瞳がそこにあった。

嗚呼、そこにいたのね。たとえ髪の色や姿形は変わっても、その瞳だけはあの時から全く変わっていない。

無意識の内に伸ばした手をしっかりと握られた。

「無事で良かった」

そして彼はいつかのように、私をしっかと抱き締めた。

たった一度だけ、この腕に抱かれたことがある。覚えている。

「走っている最中は、よそ見は禁止だよ」

既視感を覚える言葉。やはり彼は、私の英雄だ。

「君、だったのね」

「そう、俺だよ」

彼は軽やかに笑った。その笑い方も私のよく知る英雄のものと同じで。

どうして今まで気付けなかったのだろう。青い鳥はこんなに近くにいたのに。

アレグロじゃない。リゾルートが私の青い鳥だったんだ。

言い知れない幸福感が私を包む。

「リゾルート。私ね、アレグロに婚約を破棄されたの。でも、不思議。階段から落ちて、その後目が覚めてあなたを見て、とてもとても幸せな気持ちになったの。やっと私の青い鳥を探し当てられたって」

「え?! 婚約破棄って、それは」


「ピアチェーレ! 大丈夫かい?!」

リゾルートしか見えていなかった私の耳に飛び込んできた声。

意外なことにアレグロだった。隣に佇むフィーネは複雑な表情で私の元婚約者を見つめているが、アレグロはそのことに気付いていないようだった。

元婚約者は私の頰に触れようとして、リゾルートに阻まれた。

「触るな! 君にもうその権利はない」

「しかし、ピアチェーレは僕の婚約者で」

「破棄したのだろう。他ならぬ婚約者の君が」

「でも、僕はピアチェーレの身体が心配で」

「これまでの彼女の献身に報いもせず、与えられる愛情を当たり前のように受けて返しもしなかった君が心配? 本気で言っているの?」

「いいのよ。リゾルート。私はもう私の幸いを見出したから。この人は私の青い鳥ではなかった。ただそれだけなの」

「挙げ句の果てに、そこの人と浮気した上、婚約破棄か。ピアチェーレは優し過ぎるよ」

詳しい事情説明をしていないのに、リゾルートは状況を把握しているようだ。鋭い指摘が元婚約者に刺さったのか、アレグロはついに口をつぐんだ。

リゾルートはまるでアレグロから隠すかのように私の身体をぎゅっと抱え込んでいる。

思えば、幼い頃からアレグロと婚約していたはずなのに、彼とは手すら握ったことはなかった。

同じ幼馴染のリゾルートとは、小さな頃、何度も手を繋いだのに。


「すまない。ピアチェーレ。僕が愚かだった。君が落ちて行くのを見て、初めて気付いたんだ。君に何かあったら、僕は耐えられないって。君はいつも僕の一番近くにいて、僕を守ってくれたのにって。今更そんなことに気付くなんて! それにさっきの青い光。あれで僕は全て思い出したんだ。前世で君は僕を庇って死んだ。前世でも現世でも僕に尽くしてくれた君に僕は何て馬鹿な真似を」

アレグロの言葉は私の中に入ることなく、上滑りしていく。リゾルートは穏和な彼に似合わぬきつい視線をアレグロに投げかけた。

「今更だな。もう手遅れだよアレグロ。俺は生まれた時から前世について覚えていた。せっかくまた会えたのに、君にピアチェーレを奪われて俺がどれだけ辛かったか。君には分からないだろう」


前世をすぐに思い出せなかったとはいえ、リゾルートを悲しませるなんて。私はなんて馬鹿なのだろう。こうして思い出してしまえば、リゾルート以外を想っていたことすら信じられない。階段から落ちる前と後の私はあまりにも心持ちが違い過ぎていて、まるでもう一度生まれ変わったかのような心境だった。

アレグロは私の求めた青ではなかったのだし、アレグロとフィーネの婚約は心から祝福出来そうだ。


「違うわ。アレグロ。私は前世であなたのために死んだんじゃない。闇の王を斃すために、この人と運命を共にしたのよ。あの時からリゾルートは私の物だし、私はリゾルートの物なの。だから、先ほどの婚約破棄のお話は喜んで了承させてもらうわ。フィーネさんとお幸せに」

きっぱりと告げると、アレグロは言葉を失い、地に膝をついてしまった。

フィーネは前世とそっくり同じ動作で、アレグロの背中をさすり始める。私達が闇の王に特攻する時も皇子以外の命はどうなってもいいような淡々とした態度だったし、この人は見かけによらずちゃっかりした人なのかもしれない。したたかともいうが。



私が馬鹿だから、すぐ近くにいた青い鳥に気付かずに大きな回り道をしてしまったけれど。青い鳥はずっと私の部屋の窓辺でさえずっていたのだ。


「リゾルート。君を悲しませて本当にごめんなさい。そして、こんな愚図な私をずっと見守っていてくれてありがとう」

「言ったでしょ。俺は誰よりも、あなたを想ってるって。でも」

リゾルートはちらりとアレグロの髪に視線を走らせて、拗ねたように唇を尖らせた。

「俺の髪はもう青くない」

「リゾルートの髪は柔らかくて美味しそうなチョコレート色をしていて大好きよ」

「血だって普通の赤だし」

「別に私、青い血フェチじゃないわ」

「青いのはこの目だけだ」

「充分よ。私の青い鳥さん」

これからは、君の想いを骨の髄まで思い知らせてくれるんでしょ?

耳元で囁くと彼は真っ赤になった。



今日も青い鳥は私の部屋の窓辺で美しい羽根を休め、幸せそうにさえずっている。





特に読まなくても差し支えない裏話


登場人物の名前は全て音楽記号や音楽用語です。


当初はあらすじをタイトルにしてお話を書き出していたのですが、どうにも納得いかない内容になったので、書き直したら、タイトル・内容が大きく変わりました。


でも修羅場中に前世を云々は絶対に使いたかったので、あらすじで使ってみました。

あらすじとお話のトーンが真逆であらすじ詐欺かも


まともに文章書くのは久々で、最近、読書もロクにしていないので、稚拙な文章でごめんなさい。


最初は英雄を勇者に、闇の王を魔王として書いていましたが、完全にヤコのお悩み相談室と被る気がしたので、あの人書くお話ワンパターンだよね、という批判を避けるべく、個称を変更しました。お話の中身は変わってないけど、見てくれを変えたらみなさんごまかされてくれないかと思って、テヘペロ


ここからはその作品を知らないと意味不明な話


闇の王を倒す際に主人公と英雄が特攻という名の心中をぶちかましますが、イメージの元になっているのが、とあるロボットアニメのラスト、主人公の仲間二人の特攻シーンです。アニメそのものは見てませんが、若者が死を前に取り乱しもせずに、冷静に敵に突っ込んで行く、その、自身の安全を勘定に入れない淡々とした冷徹さを書いてみたかったんですが、思うようにいきませんでした。


流行りものの婚約破棄も書いてみたかったので、心中特攻と婚約破棄を組み合わせたらあんな風になりました。


前世でも皇子は目の前で死なれて初めて主人公の大切さに気付き、失意の内に亡くなるんですが、現世でも全く同じことをして、今度はリゾルートに彼女をかっさらわれることで、自分の本当の気持ちに気付くが手遅れという。


わずかなざまぁ成分です。


なんだかまとまりのない後書きになってしまいましたが、ここまでお付き合いいただきありがとうございました。


真田丸が最終回でこれから何を楽しみに生きたらいいか分からない合歓音子でした。真田丸ロスこわい。きりちゃん最高!




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