一、禁書
一度は死に、異世界へ迷い混んだ少年は、果たして何を手にするのだろうか。
日常の、なんと脆いことか。
――『ウグメ』より
燦々とした夏の陽射しは、常の景色をいっとう鮮やかに見せていた。
まだ、空模様は日によって不安定で、時折、梅雨を思い出したように雨が降ったかと思えば、時計の長針が二往復もすれば止んでしまう。そんな有様だから、家事に追われる世の主婦――最近は主夫というものもあるらしい――は、ここ最近の天気予報に頭を悩ませていたし、運悪く傘を忘れた無用心な外出者は、突然の天の恵みに立ち往生をせざるを得なかった。とはいえ、夏の只中であるならば、この鮮烈な――燃え上がるように伸びた青葉が、真珠の雫に濡れる様など――、誰しもが猛る暑さに追いやられて、のんびりと見るものもいないだろう。
それは勿体無い。と考える泰三も、いつしか夏の散歩は早朝へと移り変わっていた。年々齢を重ねるにつれ、眠りが浅くなり、茹だるような熱気は耐え難く、いかに暑さをやり過ごそうかと腐心せざるを得なかったのである。
そうであるから、昼下がりの住宅街を、それこそのんびりと歩くのも、あと幾日もないだろうと彼は踏んでいた。ベランダで雨天の合間に干したシーツの乾き具合を目敏く確かめる女性や、美しく咲いたプランターを満足げに見つめながら玄関先に水を撒く老人。その隣で、後生の収入源であろうアパートの前の花壇を整えている夫人の朗らかな微笑も、当分は見納めである。
残念なのは、子供たちに会えないことだ。遅くしてできた娘の千恵子は、ようやく大学を出たところで、仕事が大切と見えて男の影も見えぬ。なにとなく焚きつけてみれば、仕事と結婚するの一点張りで口を尖らせてしまう。奔放でないというのは父として嬉しい半面、将来、相手に恵まれるのだろうかという心配や、早く孫の顔を見たいという願いもあるが、性急だろうか。そんな切望から、泰三は決まって散歩中に行き違う幼稚園の子供たちに、まだ見ぬ孫の顔を写した。
日除けに、胡麻塩頭をベージュのアルペンハットに包んだ泰三は散歩コースの常連で、子供たちとも既に顔なじみとなっていた。スーパーのカートを二つ繋ぎ合わせたような避難者とやらに乗せられ、近くの公園から保母さんたちと散歩を楽しむ園児たちは、道の向こうから歩いてくるベージュのアルペンハットを見つけると「さんぽのおじちゃん」と慕って迎えてくれた。そうすると、若者との体力の開きが目立ってきた五十の体にも、光り輝く力強さが溢れてくるようで、ささやかな楽しみだったのだ。
泰三は夏の暑さが猛威を振るう前のそんな日常を、ともなれば目一杯その瞳に焼き付けておくべきだったのである。しかし生憎、どうやらその日はいつもと様子が違っていた。
どうしても一回流行りの異世界転生物を書きたくて。
あまり改行を含まず、つらつら書きますので若干見難いかと存じますが、暇つぶしとして楽しんでいただければと思います。
また、序盤の『ウグメ』という作品につきましてはこちらの創作上の題名のため、他の著書には一切関係はありません。