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獣の王国

 獣人とは、本当に奇妙な連中だ。


 そう素直に思いながら、瑞穂(みずほ)帝国の第三皇女胡蝶(こちょう)は息をついて、夜桜の扇子で口元を隠す。


 大陸のほぼ半分という広大な領土を誇る大国の姫にとって、この国の民族は奇異に映っていた。

 それを悟っているのか、奴隷商の男も投げやりに説明した。


「お望みなら、耳と尾を切ってしまっても構いません。ほら、こちらの猫科の娘は無口でよく言うことを聞きますよ」

 買う気のない客を相手にしても仕方がない。そんな心中が見て取れる。


 胡蝶は長い黒髪を払い、一列に並んだ獣人奴隷たちの前を歩いた。

 足を飾る鼻緒が大理石の回廊に不釣り合いな音を立て、桜色の着物と袴が擦れる。


「ただの世話係なら、本国から呼べる」

 奴隷商の説明を一蹴して、胡蝶は並べられた獣人たちを一人ずつ眺めた。


 金や銀の髪に、雪のように白い肌、青や緑の瞳。

 それくらいの人種ならば、大陸に広大な領土を持つ瑞穂では珍しくもない。今や異民族も帝都を歩き、優秀ならば官職に就く者さえいる時代だ。


 だが、彼らの頭に生えた獣の耳や尾は、どうしても、慣れることが出来ない。


 人間だというのに、犬や猫の血が混ざっているのか、獣人は胡蝶たちとは全く異なる外見を持っている。

 しかも、彼らは自らの意志で獣に変化(へんげ)出来るという。


 まるで、妖怪ではないか。

 胡蝶はそんなことを思いながら、扇子を畳む。瑞穂にも呪術や占術、祈祷術などの類は存在するが、獣に化ける人間など見たこともない。


 しかし、獣人の扱いに慣れるために、一人か二人奴隷を買ってやってもいいと臣下に言ったのは、胡蝶自身だったことを思い出す。


 これでも、この属州エウルの統治を預かった総督なのだから。


 瑞穂の皇族は男児も女児も平等に相続権を持ち、文官や武官、芸術家など選択の自由がある。

 胡蝶のように武官の道を選ぶ皇女は珍しいが、努力すれば功績に応じて報償を与えられ、宮での地位が決められていた。


 十七歳にして各地の制圧戦争に貢献し、武勲を上げる男勝りな胡蝶を「虎姫(とらひめ)」などと呼ぶ者もいる。

 その胡蝶に与えられた今の任務は、未だ抵抗が続く獣人の国――属州エウルを治めることだった。


 統治を見事成功させれば、かなりの功績となる。

 だが、出来なければ、ただの左遷と同じだ。兄弟たちは、皆エウルの総督などやりたがらなかった。

 しかし、力量を試すにはうってつけだ。だからこそ、胡蝶は自ら総督となることを志願した。


「ああ、そちらは犬科の奴隷でございます。顔は良くて器用なのですが、仕事の方法を知りません。教える手間を考えると、愛玩用が最適かと」

 奴隷商が示した獣人を、胡蝶は適当に眺めた。


 砂色の髪の上に乗った白い犬の耳。見下ろすと、足元にも長い尾が垂れさがっていた。


 奴隷商の言う通り、顔立ちは整った青年のようだ。

 神秘的な黄昏の藍を湛えた瞳は惹きこまれる引力を持っている。スッと通った鼻梁や、形の良い唇は何処か妖しく、人形のようにも思えた。


「何がおかしい」

 青年の唇にわずかな笑みが浮かんだのを見て、胡蝶は険しい顔で睨んだ。

「いいえ、なにもありません」

 まるで、歌っているような美しいエウル語の声。胡蝶は覚えたての言語の意味を理解して、唇を曲げた。


「お前、名は?」

 閉じた扇子で指示し、胡蝶は青年を見上げた。

 すると、彼は優美とも言える不敵な笑みを崩さないまま、口を開く。


「ジルドール・ディ・ローゼンベルクです」


 流れるように紡がれた名を聞いて、胡蝶は思わず眉を寄せる。

 奴隷商の男も顔を青くしながら、胡蝶と青年を交互に見据えた。


 ローゼンベルク家は征服されたエウルの元王族だ。

 そう言えば、王子の行方が一人わからないと言っていたが……胡蝶は扇子を帯にさし、王族を名乗る青年の胸倉をつかんだ。


「嘘をつくと、後悔するぞ?」

「嘘ではございません。瑞穂の軍が城を制圧したとき、僕は離宮にいました。そして、逃亡生活の途中で、人狩りに遭ってしまったのです」


 今度は流暢な瑞穂公用語だった。

 王族であれば、他国の言語を学ぶ必要も機会もあるだろう。そう証明しているようだった。


「証拠は」

「そうですね……では、そこに飾ってある絵でも。あれは、先々代のエウル女王を務めた故メアリ陛下の乗馬の演習を描いた絵画です。左端に描かれた王族の二列目に、僕もいるはずだ。裏を見てください。姉が幼い頃に落書きしてしまった跡が残っていますから」


 絵を眺めると、小さいが、確かに似た容姿の少年が描かれている。

 裏側を確認させると、絵の下部に言われた通りの落書きもあった。


「申し訳ございません、皇女殿下! す、すぐに処分致しますッ。それとも、兵に引き渡しましょうか」

 奴隷商の様子を見る限り、ジルドールと名乗った奴隷の出自を今知ったようだ。

 彼は青い顔で二人の間に割って入り、胡蝶に頭を何度も下げる。


 本当に王族であれば、すぐに処刑すべきだ。エウルの王族や有力貴族のほとんどは、既に処分されている。

 胡蝶はジルドールと名乗った青年を睨んだ。


「何故、わざわざ名乗った。自分に下される処分を理解していないのか?」

「さぁ、どうしてでしょう。美しい皇女様の気を引きたいのかもしれませんね」

 意味がわからない。

 何処か誤魔化されている気がして、胡蝶は妙な苛立ちを覚えた。

 このような状況だと言うのに、ジルドールは変わらず笑みを湛えている。その態度が余計に腹立たしくて、胡蝶は憎々しげに奥歯を噛んだ。


楓雅(ふうが)、刀を」

 後ろに控えていた従者に指示する間も、ジルドールは変わらぬ笑みを含んでいる。まるで、何かを期待しているように。


 胡蝶は楓雅から受け取った刀を抜き、ジルドールの前に突きつけた。それでも、ジルドールは表情一つ揺らさず、黙って胡蝶を見ている。

 その視線を断ち切るように、胡蝶は上質な煌めきを放つ片刃の瑞穂刀を振り上げた。


 奴隷商が青い顔のまま震え、大理石の回廊に落ちた麻縄を見据えている。

 自分を拘束していた縄を切られて、ジルドールは初めて表情を驚きに変えた。


「良いだろう、買ってやる。今日から、お前は私のイヌだ」


 エウル征服の証だ。

 何よりも、この不敵な微笑みを絶やさない男の顔を屈辱で歪めてやりたいと思った。


「ローゼンベルクなど長たらしい名前は捨てろ、お前の名はジルだ。イヌに立派な名は必要ないだろう?」

 そう言いながら、膝を蹴って跪かせる。

 ジルの身体は呆気なく大理石の上に崩れ、蹲ってしまった。耳をつかんで頭を床に押し付けながら、胡蝶はジルの顔を覗き込む。

 だが、ジルの表情は予想外のものだった。


「はい」

 無垢な少年のように、拾われた子犬のように笑う顔が、胡蝶の瞳に焼きついてしまう。


 従順でありながら、決して、手に入れられないもの。


 そんなものを、所有したことに気づいた。


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