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秋に入り始めた涼しくて過ごしやすい小玉坂で、僕は自分の行動を省みてみる。


自分から間瀬愛子宅に転がり込むことを決めた理由は酷く曖昧だった。

彼女に相手をされたかっただけなのかもしれない。

一生この田舎で配達員をやっていくという人生が恐ろしかったのかもしれない。

自分でもはっきりとしないまま、衝動に任せて本町から小玉坂まで自転車で2時間半以上かけてやってきた。

これだけ勝手な行動をしても、彼女は大したリアクションはしなかった。

ただ、お酒を少しぶっかけられたぐらいで。


出迎えた彼女は、僕をあっさりと家の中に通してくれた。

早速、奥へと案内してくれる。


「じゃあ、煮干し君に部屋をあげようねー」


なぜか子供に語りかけるような口調で通されたのは、縁側の奥にある和室のさらに奥にある暗部屋だった。

物が何もなく、がらんとしていて、フローリングの上は埃をかぶっているようだった。


「ここですか…?」

「2階は3部屋しかないし全部埋まってんの。ここしかないのさ」

「はあ…」

「ほれ、荷物はそこのクローゼットにいれんしゃい」

「いや…いいですよ、この辺に適当に置いときます」


荷物を適当に置いている間に、彼女はすたすたと部屋から出て行ってしまった。

部屋を見渡してみると、ここは4畳半ぐらいの押し入れのついた狭い部屋だった。

茶色がかったフローリングに白の遮光カーテン、白い壁紙。

全く使っていないような様子だった。


太陽光を遮る遮光カーテンを開けてみると、埃が大量に舞って、思わず咳込んだ。

しかし、窓の外を見て、咳も引っ込む。

外はすらりとまっすぐ伸びた緑の葉を付けた木々が生えており、挿し込む光が腰の高さほどの草に跳ね返って幻想的な風景を作り出している。

この街にこれほど美しい風景があったのかと思うぐらいだった。

そういえば、この家の裏からはずっと森林が広がっているのだ。

くすんだガラス窓を開けると、景色はより明瞭になり、露と緑の香りが立ち込める。

退職して思ったより精神的に摩耗していたのかもしれない、その景色に感極まって涙まで出そうになって、しばし言葉を失っていた。


ふと、縁側の方から「煮干しー!」と叫ぶ声が聞こえた。

声に誘われるまま、部屋を出て廊下を少し歩いた隣の部屋のふすまを開けるとそこは見慣れた風景がある。

和室と縁側があって、いつもその境の襖と縁側の外のガラス戸は空きっぱなしだ。


縁側にいる彼女はいつも通り真っ赤な座椅子に座っていた。

彼女は得意気に、日本酒らしい一升瓶を掲げて見せる。


「ほら。一緒に飲もう。来客の為のとっておきなのだ」

「まだ2時ですよ…?」

「時間と酒になんの関係があるの?ほら」


縁側にある小さなテーブルには、いつの間に用意したのか、グラスが二つある。

木目のテーブルの上はごちゃごちゃしていて、開いたノートパソコンと、その上にタブレット、煙草の箱やライター、スマートフォンなどが置かれていて、所々灰が零れている。

常温の日本酒をグラスに並々と注ぎ、彼女は乾杯を促した。


「はい、乾杯」

「あ…はい…」


彼女は余りにも豪快に日本酒をごくごくと飲みこむと、グラスをとんと床に置いた。

そして、整った顔に挑戦的な笑顔を浮かべて見せた。


「すでに出て行きたくなってるでしょ?」

「いえ、全然…」

「あはは!君は本当に変わってる!」


人生で出会った人の中で一番変わっている彼女にそんなことを言われるのはなんだか違和感があった。


彼女はそれっきり、口を閉ざし、手元のタブレットを弄りながらお酒を飲んでいる。

僕は昼から飲むことに抵抗があるし、とてもお酒を飲む気分にはなれず、グラスの日本酒はほとんど減らなかった。


僕はよっぽど思い切った行動をしたはずだった。

彼女ですら驚いて目を丸くすると思った。

それなのに、あっさり受け入れ、目の前の僕を無視してタブレットでどうやらゲームに夢中の様子だ。

タブレットからは中華風の曲が流れていた。

目線だけやって画面を見てみると、どうやらラーメン屋を営むゲームらしい。

何もかもが気に入らない。


「気にならないですか?」


そう問いかけると、彼女は少し遅れて返事をした。


「何が?」

「僕がここにいること」

「別に」

「なんで?」


つい、声を荒げていた。


「大した理由もなく住まわせろって言ってるんですよ?絶対おかしいじゃないですか」

「君はおかしいと思うの?」

「思います。だから間瀬さんだって絶対驚くと思って…」

「ふふっ…君は私を驚かせたいの?」


見透かされるような、それでいて嘲笑するような目線を向けられ僕は思わず、声をひそめた。


「そういうわけじゃないです…」

「深く考えるから駄目だ。チンパンジーぐらいの思考力で生きた方が楽よ。だから酒を飲めと言ってるのさ」


あまり飲み進んでいないグラスに、さらに日本酒を注がれて、僕は正直げんなりした。

それでも、なぜか自然なその動作に拒否をする隙はない。

彼女は酌をし終わると、一つ話をした。


「一緒に住むなら分かっていて欲しいんだけど」


一升瓶を置くと、相変わらず、片手間にタブレットを弄っていた。


「私は完璧主義だからね。宜しく」

「完璧主義…?」


思わず僕が意外そうな声を出すと、彼女は僕を見上げて、僕の表情を見るなり怪訝な顔をしていた。


「なにその顔」

「完璧主義には見えないっていうか…」

「そうか。色々あるからねえ、完璧主義も」

「そうなんですか?」

「そうなんだよねー…」


彼女はどうでもよさそうに言いながらタブレットをタップしていく。

腑に落ちないまま、彼女の様子を見ていた。

暫く沈黙している間、お酒を少し飲んでみる。

日本酒はあんまり飲んだことがないが、こんなに飲み易いものだったかとぼんやり考えていた。


彼女は「駄目か」と呟くとタブレットから手を離し、今度は煙草に火をつける。

そしてまた唐突に話題を振った。


「君さあ、例えばー…買い物とかする時どうするの?」

「どういう意味ですか?」

「ここ、バスは午前の2本しかないけど…チャリで街まで行く気?片道何時間かかった?」

「ま…まあ、3時間弱ぐらいで…」

「毎回3時間こぐの?」


彼女に指摘されて、改めて移動手段がないことに気づく。

衝動的に彼女の家に転がり込んだのでそこまで考えていなかったのだ。

どうしようかと思案していると、彼女がくすくすと笑う。


「じゃあさ、私の車使いなさいな」

「いいんですか?」

「見返りは求めるけどね」

「見返りって…?」

「まあ、その話は後。飲もうよ」と、彼女はグラスを掲げてみせる。

「でも、僕…そこまで飲みたくないっていうか…」

「君はまるで石みたいですなあ。もっとスポンジみたいになりんしゃい。吸収するの。何もかも受け入れれば楽なの!」

「楽?」

「楽よ。やってみい!」

「やってみって…言われても…」

「飲めばいいの。ほら」


彼女は僕のグラスを取ると、無理矢理口に運んできた。

お酒が零れそうになり、慌てて飲み込みつつ、グラスを取り返す。


「ちょっと、何するんですか!」

「私は素面の人間とあんまり長い時間いたくないの」

「どういうことですか?」

「完璧主義だから仕方ないのさ」

「じゃあ僕、部屋に戻りますよ…」


そう言うと、彼女は慌てて僕の腕を引っ張り、座るように促した。


「駄目だ。この家にいるんだったら縁側にいないと」

「なんで?」

「黙ってここにいなさいな」


理屈はさっぱり不明だが、彼女が随分と不安そうな顔をするので、仕方なく縁側に落ち着くことにした。

その辺に座布団が何枚かあったので、それを敷いて座りなおして、ちびちびとお酒を口に運ぶ。


彼女の不安げなそんな顔はあまり見たくない。

不安げな顔も綺麗なのだが、なぜかこちらも不安になってくる。

少しだけ違う顔を見せた彼女だったが、僕がなんとか一杯飲みきる頃には、いつもの調子に戻っていた。

どんどんお酒を注がれて、午後3時過ぎた頃にはあまり酔わない僕でもほろ酔いになっていた。

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