4.招かれざる客
しかしその時、どういうわけか「スカイドレイク」が、急激に速度を落とし始めた。
――着陸態勢!?
そう見えた。
急降下しつつ、基地に向かってブレスの一撃でも放つのかと思ったが、あるいは地上に降りて蹂躙するつもりなのかもしれない。
あたしはそのまま、ドラゴンを追い抜きにかかった。
「ナイトゴースト」が緋色の巨体に並ぶ。
追い抜いた!
すぐ後ろにはドラゴンがいる。
ここで炎のブレスでも吐かれたら、あたしは黒焦げになって一巻の終わりだ。
あたしはエマージェンシーの呪文を唱えて、緊急用の魔法障壁を展開した。
杖の周囲に見えない壁が生まれて、一定時間、敵の攻撃を防ぐ役割をするものだ。1回の飛行につき、2回しか使えないという制約はあるが、こんな時には役に立つ。
だが、まるであたしなど眼中にないとでも言うかのように、ドラゴンからの攻撃は行われない。
ここまで来て、ようやく基地の地面がはっきりと見えてきた。
短い芝生に覆われた地上では、青い作業着を着て、赤い手旗とカンテラを持った地上誘導員達が、2列に並べられた篝火の周囲に集まっていた。
霧の中を降下してくる味方を誘導するためだろう。
誘導員達があたしを見上げ、そのまま固まった。
「逃げて――!!」
聞こえるかどうかもわからないが、あたしは叫んでいた。
霧の中から、突如急降下してきた味方の飛行杖と、追いすがるドラゴン。
誘導員達が、ダッシュで逃げ出すのが見える。
「トーラ2よりアップルベース! 敵が基地上空に侵入!」
『……こちらアップルベース、なんだって?』
ようやくここで基地の管制隊に通信が繋がった。
あたしはそのまま、ほぼ垂直に近い角度で地上に進入。
足が地面につくと同時に、信地旋回の要領で、杖を180度回す。
目の前に、緋色の巨体が降下し、ズシンという衝撃とともに着地した。
たたらを踏んだドラゴンが、視界一杯に迫って来る!
突進して来る巨体にまたがった騎士の、黄金色の鎧に刻まれた細かい紋様までがはっきりとわかった。
「リーザ!!」
背後から、誘導員の誰かが叫ぶのが聞こえた。
彼らが退避する時間を稼がないと!
咆哮とともに大きく口を開けたドラゴンの顔が、目の前に広がった。乱杭のように並んだ歯と巨大な牙が視界一杯に迫る。
瞬間、故郷の両親と弟妹達の顔が浮かんだ。
――ごめんなさい!
思わず固く目をつむり、そんな言葉を脳裏に浮かぶ家族に向かって叫んでいた。
きつく顔を背けたまま、あたしはその時を待った。
…………。
………………。
……………………?
なぜか、その時は来なかった。
恐る恐る、目を開けようかと思ったとき、突然、誰かにトントンと肩を叩かれた。
――!?
思わず目を開けて見る。
アイドリング状態の飛行杖は、あたしを乗せたまま、地上から1メートルほどの高さに浮かんでいる。
そのすぐ隣に、黄金色の鎧をまとった騎士が立っていた。
「ひっ!?」
あたしは悲鳴を上げた。どう見ても「スカイドレイク」の背に乗っていた、あの騎士だ。
あたしはこわごわと視線を泳がせて、正面を見た。
目の前には、緋色のドラゴンが「お座り」みたいな姿勢で鎮座している。
状況が飲み込めず、固まっているあたしに向かって、フルフェイスの兜をかぶったままの騎士が言葉を発した。
「あのう、すみません」
「はい?」
「ここって、ガンダリア軍のアップルヤード基地で間違いないですよね?」
「そうですけど……」
「やった、よかったあ!」
あたしと馬鹿みたいな会話をしたライティアの竜騎士は、ほっと安堵したように胸を撫で下ろし、笑顔になって喜んだ。
どうしよう……?
ご用件は? とかって聞けばいいんだろうか……。
「あ、えっと、ガンダリア軍の方ですよね?」
「はい」
尋ねられて、再び馬鹿みたいに答えるあたし。
「僕は、ベータヴァイド・ハンダルヴィア・ミライトホルプ上級中尉。ライティア軍の竜騎士です。こいつは僕の相棒のシンシア。見た目は怖いけど、賢くておとなしい奴で……」
「はあ……」
突然、自己紹介を始めた騎士に、なんと答えていいのかわからない。
その後も、彼の乗る「スカイドレイク」のシンシアの優秀性について、べらべらとしゃべり続ける騎士に、業を煮やしてあたしは尋ねた。
「えっと、この基地へは何しに?」
「あっ、そのう……えっと……」
急に、何か言いにくそうに、言葉をよどませる騎士。
しばらくの間「あのう、そのう」と、もじもじしていた(ちょっと気色悪い)のだが、突然、背筋をビッと伸ばしたかと思うと、あたしに向かって右手でヘルメットの面甲を上げて敬礼し、思いもよらないことを告げた。
「あの、実は……貴国に亡命いたしたく思いまして! その……責任者にお取り次ぎ願えませんでしょうか?」
「へっ……?」
あたしはきょとんとしたまま、浮かんでいる杖からずり落ち、地面に尻餅をついた。
「あっ、大丈夫ですか!?」
騎士が慌てて、あたしを助け起こそうとする。
その時になってようやく、鎧兜に身を固め、ロングスピア(長槍)を構えた基地の警備隊が、こっちに駆けつけて来るのが見えた。
「リーザちん!」
上空から、ミランダの緊迫した叫び声が響いた。
その後、アップルヤード基地は大騒ぎになった。
亡命して来た竜騎士、ミライトホルプ上級中尉は、その場で警備兵に取り押さえられ、黄金色の鎧を脱がされて、縄でぐるぐる巻きにされていた。
上空から垂直降下してきたミランダは、着地するやいなや、
「リーザちん、大丈夫!? ケガはない!?」
と泣きながらあたしの胸に飛び込んで来た。
ドラゴンは、警備兵達が槍衾を作って取り囲み、縄で縛られた騎士がそれに向かって「シンシア! シッダウン! シッダウン! 静かに!」と叫んでいるのが見えた。
あたしとミランダは、警備兵に腕をつかまれて、その場を退避させられ、その後どうなったか知らない。
あたしはすぐに詳細な報告書を提出するよう求められ、ミランダに手伝ってもらってそれを書き終え、基地の指揮所に提出した後、基地内にある営舎に帰って、泥のように眠った。
ミランダとあたしは、営舎内で、2人でひとつの部屋をあてがわれている。
やがて2人とも目を覚ましたときには、外はもう夕方になっていた。
軽くお風呂に入ってから、あたしはドアに挟まっていた手紙に気がつき、それを手に取った。手紙はあたし宛のもので、故郷の母親からだった。
故郷のイミナ村は、今年も凶作だと聞く。
だが母からの手紙は、そのことにはまったく触れず、
「こちらはみんな元気です」
「お仕事はつらくありませんか」
「仕送りはもう十分ですよ」
「私達のために、あなたが無理をしないでください」
と言った言葉が並んでいた。
なんとも母らしい。
「仕送り」というのは、その通り、あたしが稼いだお金の中から、実家に送っている分のことである。
飛行魔術師の仕事は決して薄給ではないが、それでもこっちで必要な生活費を差し引いて、毎月送金できる額では、両親と六人の弟妹が食べて行けるには少し足りない。
もともとあたしが「軍の魔法使い」という実入りのいい仕事を選んだのも、家族を養うため、というのが理由である。
母の心遣いは嬉しいけれど、これだけは続けなくては、軍での厳しい教育と訓練に耐えて任官した意味がないではないか。
手紙を読み終えたあたしは、母への返事を書くのを後回しにして、取り急ぎ飛行レポートの作成にとりかかった。
基地の指揮所に亡命竜騎士に関する報告書は提出したけど、通常の飛行レポートをまだ提出していなかった。普段なら基地に帰投した直後に、その日の飛行経路などを書いて提出するのだが、いろいろあったせいでうっかり忘れていたのだった。
あたしはいつものように簡単にそれを書き終えると、地上用の軍装である薄手の茶色いローブを羽織り、営舎の部屋を出た。
指揮所は半分木造半分石造の基地庁舎の2階にある。扉を開けると、右手奥に当直幹部と事務方の人達が座るスペースがあり、左の奥には、3人ほどの管制隊員、即ち通信魔術師が、いかにも怪しげに見える魔法陣が描かれたデスクに向かって仕事をしていた。
曲がりなりにもここは軍事施設なので、基地の中枢に当たる指揮所は分厚い石造りの壁に囲まれていて窓も小さい。そのため室内は昼でも薄暗いのだが、中でも通信魔術師達が座る一角は窓から遠いこともあって、よりいっそうの不気味な暗さを醸し出している。
それぞれのデスクは壁に向かって設置されており、テレパス通信増幅用の円形の魔法陣が描かれた石板が、壁に立てかけられるようにして置かれていて、管制隊員たる通信魔術師達は、それに手をかざしてどこかと通信したり、机の上で羊皮紙のノートに記録を取ったりしている。
時々魔法陣がぼうっと光ったりして、見方によってはきれいだ。
そう彼ら管制隊員は、通信能力に特化した魔法使いなのだ。
あたしら飛行魔術師のように飛ぶことはできないが、その通信能力を生かして、基地周辺の味方が安全で効率のよい飛行が出来るように、テレパス通信による指示を出してコントロールするのが彼らの仕事だ。そのための専門的な訓練も受けている。
ただし、テレパス通信は交信距離が短いという制約があるため、基地から離れた場所での作戦や訓練などでは、専用の馬車などを仕立てて、移動管制ステーションとして出張ってきたりもする。あたしら飛行魔術師にとっては、何かとお世話になってる存在でもあるのだ。
この時間、空に上がっている味方はあまり多くないらしく、朝方あんな大事件があったにもかかわらず、夕暮れ時の指揮所内は割とのんびりとしていた。
「あ、お疲れ、リーザたん」
3つあるうちの真ん中の管制デスクに座る通信魔術師、エディ・ブリントンが、暑苦しい笑顔で迎えてくれた。
ぶくぶくに太っただらしない体躯に、しまりのない笑顔。
管制デスクの上には、いつものように大きなピザがホールごと乗った皿が置かれていて、それを嬉しそうにぱくついている。
しかも、なぜかこいつはあたしのことを「リーザたん」と呼ぶ。
ちっ、この時間の担当、こいつかよ……。