3
③
目的地、源蔵のいるビルへ辿り着いた。
……のだが、ビルの敷地の外壁の部分に奇妙な男がへばりついていた。
はぁ。
俺はため息をついて、門をくぐる前にその男の後ろに周りこんで言った。
「……何をやっているんだ?」
!?
男は驚いてそこから落ち……るというベタな展開に持っていこうと思っていたのだが、そいつは全く反応せず、俺の質問に端的に答えた。
「障害を乗り越えている」
「それは犯罪じゃないのか?」
「こんなことが犯罪なものか。それに言っただろ? 僕は障害を乗り越えているんだ。決してやましい気持などこれっっっぽっっっちもない!」
そう力説をした勢いで、男のポケットから一枚の写真が落ちてきた。その写真には一人の幼女が旧式の体操服に着替えている所だった。
「……」
「だから、ここをのぼっているのは必要なこと……」
まだ力説をしていた。
仕方がない。
「おい、大切なものが落ちたぞ」
俺は拾い上げた写真を渡してやる。
「であるから……おう、悪いね」
男はその写真をじっと見て、「あは」と笑った。
「……きも」
急に背筋に寒気が。
「何をいう! 僕は純粋な気持ちで……」
なんかもうめんどくさくなってきたな。
「いや、もういいや。とりあえず、そんなとこいるの見られたら捕まるから降りとけよ」
「お前……僕の相手がめんどくさくなってきただろ? はぁ、そもそも……」
男は何かを言い出そうとしたが急にやめ、俺の顔をまじまじと見てきた。
「なんだ?」
「いや、お前……」
何かを言おうとしていたが、その時、俺の携帯に着信が入った。
「悪いな」
俺は即座に携帯に出る。
「はい、市ヶ谷です」
少し待つと、電話の奥から一言だけ声が聞こえてきた。
『すぐに来い』
さっきの変な男を軽くあしらった後、源蔵の下に急いだ。
「では、正式に本日からお前にも任に当たってもらう。何か質問は?」
「いえ、ありません」
俺がそう返答すると、一枚のファイルをまた渡してきた。
「これは本日、本部から届いたものだ。ここにはお前の受け持つ『囚人』達の顔写真と戸籍などの追加情報が入ってある。くれぐれも大切に」
そういうと、いつもの皮肉めいた微笑になった。
俺は嫌な予感がしたが、中身の確認を軽くした。
「――っ!?」
……こいつは驚いた。
「どうしたのだ?」
心底楽しそうに俺の顔を見ている。
もしかして、これも源蔵に仕組まれたのか?
……いや、それは考えすぎだ。いくらなんでも不可能だ。
「どうしたのだ? ……と聞いている」
「あ、いえ、本日、ここに写る者たちとすでに一度接触しておりまして」
驚いたことに、斎場以外にも出会っていた。
パンを落とした少女が大神響。さっき会った変態が東仙和樹。そして、あいつの落とした写真に写っていたのが妹の結衣という子のようだ。
てかあいつ、妹にデレデレしていたのか。
……やっぱりきもいな。
「なるほど。中々に勤勉じゃないか」
俺の考えとは裏腹にそう言葉をかけてくる。
「ありがとうございます」
俺は素直に礼を言っておいた。
とりあえず、最後に一つだけ確認しておかなくては。指導を始められないからな。
「それでですが……」
「大神響、東仙和樹、斎場怜奈の順だ」
「……」
俺が聞く前に返答をする。
「わかりました」
おそらく今のも一種のパフォーマンスだろう。俺に敗北感、もしくは逃れられないという感情を与えるための。
人の感情を読むなど不可能……なはずだよな。
俺は無駄な思考をそこで一度止め、礼をしてから退出した。
帰り道、俺はさっそく大神響の下へと向かった。
彼女は今、家がないため村の少し外れにある「共同宿泊施設」――俗にいう孤児院のような所に住んでいるようだった。
俺はチャイムを鳴らす。
「はーい」
待っていると、ドアが開き、長髪を真白な布で束ねた少し長身の女性が出てきた。
「どちら様でしょうか?」
その女性は俺の顔を見た時、一瞬息を飲んだ、気がした。
なんだろうな?
「あの、本日からこちらに……」
「あなた……もしかして」
俺の言葉を遮るようにそう呟き、一歩ずつ俺に近づいてくる。
そして、門の前まで来たあと、俺の目を見て言った。
「恭平……くん?」
俺の事を知っている……?
俺は様々な疑念が頭に浮かんだが、返事をとにかくした。
「え、あ、はい」
俺がそう答えるやいなや、飛び掛か……
いや、それぐらいの勢いで俺に抱きついてきた。
「やっぱり、恭平くん! 戻ってきたのね!」
「え、あ、あの!?」
さすがにこれには驚いた。それに、今「戻ってきた」と言ったということは、昔俺が小さい頃にここに住んでいたことを知っている人だ。
女性は俺の動揺をようやく理解してくれたようで、少し離れて照れくさそうにした。
それから、俺をつま先からゆっくりと見た後、女性は呟いた。
「大きくなったのね」
そう感慨深そうに答えた。
俺の子供の頃……俺の覚えていない昔を知っている人で俺よりも年上の人となれば必然的に答えは狭まってくる。
だが……。
「すみません、昔の記憶があまりないもので。あなたは……?」
ここは素直に質問をしておいた。
「そ、そうね、覚えてるわけないわね。あなたはこんなに小さかったんだから」
そう言いながら彼女の腰辺りに手をかざした。
そして、次の言葉に繋げた。
「私は……あなたのお母さんの妹――夏海よ」
――!
俺は一瞬息が止まった。
母さんに妹がいた……? 俺はそんなこと知らなかった。いや、覚えていないだけなのか。
「……それで、急にどうしたのかしら? おとうさんに聞いてきたの?」
お父さん……? 源蔵のことを言っているのか?
俺は苛立ちを覚えたが、表情には出さないように言葉を続けた。おそらく、この人は親父が母さんを殺したことを知らないのだろう。
「いえ……父……源蔵に言われてきたことは間違いありませんが。本日は、指導員としてここにいる大神響さんの担当にあたることが正式に決まりましたので伺いました」
「……そう。やっぱりあなたも指導員になったのね」
驚いた様子もなく、そう、そっと呟いた。
やっぱり親子ね、と。
俺は最後の部分は聞こえなかったふりをし、そのまま会話を続けた。
「それで、響さんは現在いらっしゃいますか?」
「ええ。今は他の子供たちの相手をしてもらっているわ」
そう言って、奥を指差した。
ガラス越しでよくは見えなかったが、どうやら数人の子供たちが集まって絵を描いているようだ。
「ありがとうございます。失礼します」
そう言い、奥に進んでいった。
俺が行った後、彼女は一人玄関でぼうっとしていた。
そして、目元に浮かぶ涙を拭った。
「姉さん、あの子は……」
「でだな、ここをこうすると」
俺が部屋の入り口に着くと、年長者らしき少女が周りの子供たちに絵の描き方を指導しているのが見えた。
彼女が大神響……だな。
調書で見た顔を思い出しながら少しだけ観察をする。
身長は小さめ。髪は長く、左右に赤い装飾品のついたゴムのようなもので束ねられている。何より注目すべきは、髪の色だ。金色。周りの光をすべて吸収しているのではないかと思わせるような、美しいブロンドだった。
「すげー」
「しゃしゅが、ひびきたん!」
「ふふー、そうだろー! もっと褒めろ」
なんか、幼稚園児(?)程度の子に褒められてめっちゃ喜んでいた。
見ていて微笑ましかったが、このまま入り口で突っ立ってるわけにもいかないので声を掛けることに決め、中に入って行った。
近づいて行ったあと、一つ息を吸い、言った。
「あの、お――」
だが、俺の声が向こうまで届くことはなかった。
「次はこっち! こっち書いてー!」
「ちがうよー! つぎはこっちだって!」
「ひびきたん! こっちー」
……。
こ、今度こそ。
「あの――」
「だからだめだって! これを書いてもらうんだから!」
「いつもゆうたくん、かいてもらってるじゃん、ずるいよ! 今日はわたしなの!」
「ひびきたん! こっちー」
……。
「ああ、わかったわかった。みんなの書いてあげるから、全部見せて」
「「「わーい」」」
……。
なんだかんだで声がかけづらくなり、そこから数十分待っていた。
子供たちは大神響――大神さんの周りに集まって、じっと絵を見ている。
それにしても……
「うまいな……」
今は少女が持っていた写真の中に写る、「森の中の湖の風景」を描いているんだが、これがかなりうまい。
繊細なタッチで次々と描いていく手に迷いはなかった。
「「「……」」」
さっきまで騒いでいた子供たちも、今はじっと絵を見て黙っている。
子供たちにも空気が感じられるほど、少女は真剣に描いていた。
「すごいでしょう?」
俺が黙って見ていると、後ろから夏海さんが声をかけてきた。
「ええ……彼女は画家かなにかですか?」
「いいえ、ただの学生よ。……彼女のお母さんが、昔少しそっちを目指していたこともあったのよ」
「母親が?」
俺が質問を投げかけると、夏海さんは少し目を細め、微笑みかけるように少女を見た。
「彼女の母――大神さんとは、昔よくお会いしていたわ。あんなことがあったけど、その前は娘さんをよく連れて、うちにも来ていたのよ」
そんな記憶はないな。と言っても、俺の記憶なんかあてにならないが。
「ということは、もしかして、俺も彼女に会ったことが……?」
「ええ、あるはずよ。……と言っても、彼女も小さかったから覚えてないでしょうけど」
「なるほど」
俺が覚えていない、というところには触れないんだな……とか思っていると、不意に少し緊張感の漂っていた雰囲気が崩れた。
前を見ると、少女が、ほっとしたような顔をして、そっと呟いた。
「できた……」
隣で見ていた子供たちも一気に笑顔になって騒ぎだした。
「かっけぇー」
「すごーい」
「しゅごーい」
「ふっふっふー。まぁ、こんなもんかな」
少女も満足な様子でその絵を見ている。
そんな様子を俺も少し離れた場所で見ていたんだが、中々見事な風景画だった。
と言っても、もちろんこの短時間なので色は全く付いていないし、下書きだけだったんだが。
「ほんと、なかなか……」
上手いですね。
そう言おうと夏海さんの方を向くと、なぜか彼女は少し寂しげな顔をしていた。
「……どうしたんですか?」
「いえ……」
そう言って、彼女は黙った。
さっき彼女が見ていた視線をたどってみると、そこにはやはり今書かれた絵があった。
あの絵に何か思うところがあるんだろうか?
俺は一応念入りにその絵を観察しておいた。
…………
「じゃ、紹介するわね」
先ほどの騒動(?)が終わり、次に男の子が「じゃ、次はこっちを……」と言ったときに、夏海さんが止めて大神さんを呼んでくれた。それで、今は自己紹介をしようというところだ。
「こちらが市ヶ谷さん。覚えていないでしょうけど、あなたが小さいころにもあったことのある人よ。今日からあなたの担当につくことになったらしく、来てくれたわ」
「市ヶ谷恭平です。よろしく」
俺は出来る限り印象を良くするために、明るい調子で笑顔を作り、言った。
「で、こちらは……御存知でしょうけど、大神響さん。ここでは一番の年長者かしらね」
「それは夏海さんだ……です。 ……失礼しました。よろしくお願いします」
何気ない会話だったが、二人の間の信頼関係がそれだけで伝わってきた。
きっと、夏海さんが好きなんだろうな。俺は二人の会話を聞き、そんなことを考えていた。だから、いつもの調子で出来る限り優しめに声を出した。
「――さっき会ったね」
出来る限り厳しめの内容を選んで。
「――っ!」
俺の言葉を聞き、とっさに目を逸らす。
「斎場さんにも会ってきたよ」
だが、俺がその名前を出すと、下げていた頭をすぐにあげた。
「さ、斎場さんに何かした……んですか?」
「何かした……とは物騒だね。何かされるようなことでも彼女はしたのかい?」
ニコニコ。
「い、いや……」
さて、夏海さんも不思議そうな顔をしてるしこの辺りにしておくか。
「では、これから数日間べったりと君につくことになると思うから。改めてよろしくね」
そう言って手を差し出す。
「は……はは」
乾いた笑顔とともに、少女もその手を取ってくれた。