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①
◆◇◇◇
「ようやく着いたか」
俺――市ヶ谷恭平はやっと今日から着任することになった町につき、一息をつこうとしているところだった。
「しかし……田舎だな」
俺は田畑に囲まれた景色をゆっくりと見渡しながら、そう呟いた。
そこは以前住んでいた中央都とは遥かにかけ離れた町――いや、村だった。四方を険しい山々で囲まれており、この村に入るためにはわずかに一つの検問所を通らなければならない。しかもその検問所さえ、村から徒歩で半日かかるというほどだ。その道中も常に地理関係を気にしていたが、コンビニもスーパーも何一つなかった。
「……まあ、当然なんだがな」
当然。
そのことを理解したうえで俺はここに来ることに決めたんだ。いや、正確には俺が決めたわけじゃないが……。まあそれは今はいい。
俺はもう一度村の方に視線を戻し、中央に不自然にそびえ立つ一つのビルを眺めた。あまりに景色に不適合だ。古びた家屋が多い中で鉄筋造りのビルが異様なまでの存在感を示していた。あれが、今日から俺がお世話になる施設だ。
俺は襟を正し、服装に乱れが無いかを確認した後、それを目指して歩き出した。
コンコンコン。
建造物の施設内で一際物々しい雰囲気の扉で守られた部屋をノックする。その門の両脇には厳重な装備で固めた兵士二人が槍を持って立っていた。
何かのRPGかよ……。
最初の内は、俺が近づくとこの兵士たちは「立ち去れ」というだけで全く話を聞いてくれなかった。俺がライセンス・カードと令状を見せる事でようやく落ち着いてくれたが。全く……
よく教育されているな。
俺は心の中でそんなことを呟きながらも返事を待った。
「入れ」
一際低い声。その声に反応し、門番である二人の兵はぐっと背筋を伸ばす。周りで鳴いていた虫の音さえも停止した……気がした。俺も一つ深呼吸をしてから入る。
「失礼します」
ドアを開くと俺の目の前に、まさに社長室と呼ぶにふさわしい内装が広がった。
声の主は、黒のリクライニングチェアに腰かけ、左側においてあるパソコンを片手でタイピングをしている。男の後ろには本棚が置かれており、そこには大量の書物が立てかけられていた。また、部屋の窓には黒いカーテンがかけられており自然な光は一切遮断されている。
俺は一礼をもう一度してから、机の数歩手前まで近づいて行った。背筋を正し、迷いを払拭するかのように声をだす。
「中央都第四支部より配属してまいりました、市ヶ谷恭平と申します。本日よりこちらでお世話になります。ご指導、ご鞭撻のほどよろしくお願いいたします」
挨拶をし終えると、目の前の男はタイピングを打つ手をやめた。
そして両肘を机にかけ、手を組んでこちらを向く。
「それで?」
……それで?
挨拶に来たのに、それで、と言われてもな。
だが、ここで何も言わないと何を言われる……いや、されるかわからない。
俺はすぐに口火を切った。
「はい。本日よりここで任務にあたるようにとの指令を承りましたので、この村に住んでいる住民、特に罪人の情報、このあたりの地形を把握出来る地図、また、私が導くべき人々の把握をさせていただきたいと思います」
「いいだろう」
そういうと、男は即座に一枚のファイルを渡してきた。中を確認すると、俺が今言った事を予めわかっていたかのようにそれらの資料だけが入っていた。
……あいかわらず、こええな。
俺は心の中でそう、そっと呟くともう一度、一礼をした。
「ありがとうございます。それでは失礼いたします」
俺は早くこの部屋を立ち去りたかった。
だが、俺がそう言って踵を返そうとすると、男は俺の退出を遮るかのように声を発した。
「この町……いや、この村は懐かしいか?」
「……」
「お前の母の故郷だそうじゃないか」
……何を言い出す。
俺の血が急に疼き出す。
「お前の母は、美しかったな」
……っ!
男のその発言に、怒りが込み上げてくる。その感情に奇妙なものがまとわりついていた気がした。
……あんたが。
「同時に病弱でもあったようだが」
あんたが。
「だが、よく持った方ではないか。医師の診断の何倍も長生きをしたのだろう?」
あんたが、母さんを語るな!
俺は両手に力を込めたが、必死に、あと一歩で殴りそうになる気持ちを抑える。男は、そんな俺の表情を確認した後、満足そうに呟いた。
「ふははは。いい表情だ。ようやく人間らしくなってきたな」
……気に入らない。
こいつだけは……ぜ、絶対に。
だが、俺はどれだけ怒りを感じても、その感情の通りには動かない。それをすれば、俺の目的が壊れるから。
「失礼ながら、私のプライベートの問題についてはそれ以上踏み込まないでいただきたいのですが」
「いいだろう」
俺の一言にあっさり引き下がる。
……そういう所も、気にくわない。
人は自分が怒りで目の前が見えなくなっているときに、その怒りの対象が冷静であるとむかつくものだ。
だが、それだけではない。この男は、母の問題を大したことだとは考えていないのだ。
はぁ……はぁ……。
「……わかりました。それでは、本日は状況の把握に力を入れさせていただきたいので、明日報告に伺います」
俺はなんとか自分の感情を抑制して、声を発することができた。
「賢明な判断だ。昔のお前なら即座に私に牙を剥いていただろう。……よかろう。では、最後に一つ『形式』を行い、本日の指導を終えようじゃないか」
目の前に座る男は、薄い笑いを浮かべるのをやめ、俺をまっすぐに見た。
「本日づけで正式に市ヶ谷恭平の指導役となった、市ヶ谷源蔵だ。わが良心に基づき、人々を幸せに導く指導者になれるよう市ヶ谷恭平を指導していく。ただし、その過程においては市ヶ谷恭平は私に絶対の忠誠を示し、私の指導を断る権利はない。私の任務からの逃走、私への一切の反抗は敵対行為とみなし、正統なる防衛もやむなしと定める。市ヶ谷恭平はこのことを理解したうえで私の指導を受けると了承するか?」
圧倒的なまでの威圧感。嗚咽感さえも感じられる。
――それでも、これは俺が望んだことだ。
「はい!」
俺にはもう、迷いはない。
そう強く心に言い聞かせ……源蔵を見た。 ひとつうなずいた後、彼は言った。
「では、退出しろ」
俺は立礼をし、ドアに手を伸ばした。
俺は退出後、即座にビルの玄関の門番をしている兵士の一人に尋ねた。
「なあ、次にここをもし俺の名前を使って、『通りたい』というやつがいたら、通してやってもらっていいか?」
我ながらふざけたお願いだ。
だが……
「承知いたしました。ただし、源蔵さまのところへはお通しすることは出来ません」
「ああ、それでいい」
これで……いい。俺は安堵した。
俺に関する全権が源蔵に移ったことを確認したからだ。
つまり、源蔵に俺の支配権が全て移ったと同時に俺はある意味では「源蔵の一部」のような存在になったわけだ。
これで、ようやくスタートラインに立てたな。
そう思い、収容所のような雰囲気を出している施設からゆっくりと歩き出す。
俺は絶対に……
外から、いびつな雰囲気を出しているビルを見る。
……源蔵……。
俺は心の中でそっと呟く。
いや、――親父。俺は、あんたを……
周りからは沈黙のみが聞こえてくる。
だが一瞬、風が俺を後押しするように吹き渡った。
――殺す。
ビルの庭を駆け回っていた鳥たちが一斉に飛び出す。
俺の声に呼応するように、このビルの象徴である石碑に書かれた不気味な文字が黒く輝いていた。
"Zum Ewigen Frieden――永遠平和のために"