王子の后
この国の王妃は亀だ。
話せば長くなるが、さかのぼること五百年前、長年続いた魔王軍の暴虐に耐えきれなくなった人間の国々が同盟を結び、各国の優秀な魔術師を総動員して、この地に勇者を召還した。
この世界には該当者が居なかったらしく、界を越えてやってきたのはうら若い乙女だった。
彼女はこれまた各国から集まった仲間と共に旅をし、魔王を打ち倒し、仲間の一人であった某国の王子と結ばれ、末永く幸せに暮らした。
そして、解散した旅の仲間のうち、傭兵王と呼ばれた剣士が建てたのがこの国だ。
ちなみに俺は傭兵王の直系子孫、まあつまりこの国の世継ぎ王子というわけだ。
なので、ご先祖の恥ずかしい日記も閲覧できる立場にある。
勇者のご一行が可憐な少女と彼女を狙う男共の集まりであったとか、彼女を射止めた王子の腹黒い囲い込み作戦とか、天才魔術師の手による惚れ薬や媚薬を巡る騒動とか、シーフのプレゼント大作戦とか、傭兵王と仰々しい名前で呼ばれるご先祖の好きな子をついいじめて嫌われるガキっぷりとか、恋愛関係の諸々で満載の日記だ。魔王軍のことなんかチラとも出てこない。
そして、その情けないご先祖、傭兵王の遺言はこうだ。
「異世界よりの召還者を正妃とせよ」
よっぽど無念だったんだろうな。でも、自分は自分でちゃんと結婚して子供を作ったんだから俺がここにいるわけで、下らない感傷を子孫に押しつけないで欲しかった。
魔王軍によって絶滅しそうになった人間の国々が、同盟を結んで最強の魔術師を集めてやっと召還した勇者だ。
五百年のうちに魔術は進歩したけれど、単独で異世界から人間を召還できる魔術師など、世界で最高と呼ばれる一人か二人しか居ないだろう。さらに言うなら、傭兵王という初代の二つ名の影響を受け、この国は武勇を尊ぶ方針が強く、魔術師は少ない。
と、いうわけで、父の正妃は異世界より召還された亀だ。父は正妃に毎日手ずからキュウリを与えている。それなりに可愛がっているようだが、扱いはペットだ。
しかし、小動物とはいえ生き物であるだけましだったのかもしれない。
祖父の正妃はタワシだった。
曾祖父などは、何に使うのか分からない黒い円盤状のものだったらしい。
もちろん、亀を含むそれらが国の式典に出席できるわけも、子供を産むこともできるわけが無く、それぞれ側妃や妾妃を娶って代理をさせている。俺の母も側妃だ。
正直、俺が王位を継いだら、この初代の遺言は無効にしてやろうと思っている。息子にこんな面倒は押しつけたくない。それが親心ってものだろう?
しかし、父は俺にそういう親心を持っては下さらなかったので、俺の正妃は異世界から召還した何かになる。
賢帝と呼ばれる父だ。我が国が亀の正妃を持つ国として他の国から馬鹿にされているのに気付いていないはずはない。俺には政略結婚の駒として正妃の座を気にしないで済む、という以外のメリットはないように思えるのだが、他に何かあるのだろうか。
色々と考えながらもなんの打開策も浮かばないまま、とうとうこの日がやってきてしまった。
十六で成人してから何度も求められ、それを拒んでずるずると延ばしてきた、正妃召還の儀式を、とうとう今夜行うことになってしまった。
俺は儀礼用の正装をして、大がかりな魔術の時によく使う没薬の匂いのする地下室に降りていった。
「成人と共に行うはずだったのを六年も延ばしたんですから、もう心の準備は十分でしょう」
本日の見届け人に任じられた宰相の言葉に、俺は視線を逸らした。そう、俺ももう二十二だ。正妃を迎えないと側妃は持てないので、王族の義務として子供を作るにはまず正妃を召還しなければならない。某伯爵令嬢とか某侍女とか、それなりに大人の関係を結んだ女はいるけれど、正妃がいない時にできた子供は婚外子として継承権が認められない。だから、彼女たちも早く正妃召還をして欲しがっていたが、その姿勢が逆に引いたというか、必死すぎてちょっと怖かったなんてことは秘密だ。
「大丈夫ですよ殿下! この僕が開発した新しい術陣を使えば!」
にこにこと笑いながら根拠のない自信を見せるのは、三年前に招聘された若き天才魔術師だ。魔術師のご多分に漏れず変人の彼と堅苦しいのが嫌いな俺は馬が合い、今では友人と言える間柄だが、俺に魔術適性が全く無いせいで、彼が本当に天才なのかどうかは分からない。城内や民の生活でちょっとした不便なんかを解消する術を良く開発しているから、有能であることは確かなんだが。
「先代までは無機物、父上は爬虫類。せめて哺乳類を頼むぞ。ウサギか何か、この世界にも居て手のかからないのを頼む」
「何言ってんの! 正妃でしょ? 人間に決まってるじゃない!」
「待て待て! 人間? 呼べるのか?」
「僕を誰だと思ってんのさあ?」
けらけらと笑う魔術師を俺は引っ張り寄せた。
「やめろ! 人間って、ハゲて腹の出たおっさんとかが出てきたら俺が困るだろうが!」
正妃の召還は宵の口に行われ、そのまま初夜の儀を迎える事になる。亀や無機物なら初対面で一晩過ごしてもどうって事無いが、人間となれば話が違ってくる。
「大丈夫だよ! 召還条件は女性限定にしてあるから」
「老婆だったらどうする!」
叱りつけるように言うと、魔術師は「あっそーか!」と頭を掻いて術陣に何かを書き加えた。
「コレで大丈夫。十五歳から二十二歳の健康な女性が異世界より召還されまーす!」
にこにこと悪びれない魔術師と憮然とする俺に、宰相が口を開いた。
「新しく開発した術陣を使うとは聞いていません。王の裁可を取って来ますので、少々お待ちを」
「頼む」
「いいけど、あんまり時間無いですよ。月の出に合わせて術が発動するよう調整してますから」
魔術師の言葉に宰相はぎょっとした顔をする。
「時間が来たら自動で発動するから、許可が出なくても中止はできないよ?」
「ちょっと待て! どういう事だ!」
詰め寄る俺と走り出す宰相を見て魔術師は笑った。
「だって殿下、往生際が悪いじゃない? 中止できる設定だったら中止に持ち込もうとするでしょ。そしたら、僕の新しい術陣の成果が見れないじゃないか!」
「自分の研究がそんなに大事か!」
襟首を掴んでがくがくと揺さぶってやったけれど、奴はそれでも笑っていた。ダメだ。効果がない。
窓のない地下室は安定した空間として魔術に向いているが、いかんせん時間の経過が分かりにくい。
「月の出まであとどれくらいだ?」
「もうそろそろだよー。さあ、覚悟決めて焦らずにどっしり構えておいでよ」
にやにやと悪戯が成功したような笑みを浮かべる魔術師を腹いせに一発殴り、身だしなみを整え、深呼吸をすると、部屋の四隅に燃えていた松明がふっと消えた。同時に石の床に描かれた術陣が月のような清かな光を放ち始める。ゆらり、ゆらりと迷うように明滅を繰り返す光は幻想的で、俺は見入ってしまう。
じっと見ていると、ふいに光が強くなった。太陽のようではないが、ぱあっと刺すような明るさに目を細めると、術陣の中央にゆらめく影が見えた。
本当に人間なのか、それとも小動物か無機物か。
見極めようと目をこらしたとき、背後の扉が開いた。
「殿下! 大丈夫ですか!」
飛び込んできたのは宰相だ。魔術の気配が揺らぐのを感じてとっさに魔術師を見ると、宰相の存在にすら気付かず、恍惚とした表情で術陣を見ている。
この分なら問題はないのだろう。俺も術陣に視線を戻すと、直視できないような光は弱まり、消えゆく所だった。その光の中央に、小さな人影を認めて俺はごくりと唾を飲む。
ふっと最後の光が消え、同時に松明が明るさを取り戻した。
「……おい」
隣に立つ魔術師の肩をがしりと掴むと、奴はてへ、と誤魔化すように笑った。
「召還条件は『十五歳から二十二歳の健康な女性』でしたよね?」
宰相の言葉に魔術師はしゃがみ込んで、発動の直前に書き加えた部分を指でなぞった。
「あー、インクが掠れてて十五の十の部分が発動しなかったみたい」
つまり、召還条件は五歳から二十二歳の健康な女性だったわけか。
「でもホラ、人間の女性だし! 年が行ってるよりは若い方がいいじゃない?」
そう言って魔術師は術陣の中央に訳も分からないまま怯えた表情で立っている少女――むしろ幼女――に手を伸ばす。
「コラ、お待ちなさい!」
宰相の制止も聞かずに伸ばされた手は、彼女の泣き声によって拒否された。
「おがあさあああぁぁぁん!」
こんな小さな体からどうしてこんな大きな声が、と思うような泣き声だった。
「と、とりあえず侍女を呼んでこい。お前はあっちにいけ!」
宰相に命じ、魔術師を蹴りつけ、俺はしゃがんで視線を彼女と合わせ、微笑んで見せた。
「そんなに泣いたら目がとろけてしまうよ、小さなレディ」
幼い頃から培った王子の技は、何一つ彼女に効果がなかった。
彼女を正妃にするには十年の歳月と、他に妃を娶らないという約束が必要だった。
ちなみに、息子には絶対正妃召還をさせてやろうと決めている。