第11話 タマクラゲ事変
今日、この小さなナーガ族の集落は、いつになく騒がしかった。
「た、大変だぁ、長老様ッ!」
ナーガ語でまくし立てながら、血相を変えて長老の住処へと泳ぎ込んできたのは、タマクラゲの養殖場を管理しているナーガの女性だった。
この集落の気風は至って牧歌的だ。家々に扉などは設けられておらず、住人たちはみな家族のように親しく睦み合って暮らしている。
「なんじゃ騒々しい。そう慌てるでない」
「養殖場で一大事が起きたんだよ! これを見ておくれ……」
女性は掌に載せていた物体を差し出し、年老いたナーガの長老に見せた。
「こ、これは……ッ!?」
彼女の手にあるタマクラゲを見た瞬間、長老はカッと目を見開き、思わずゴクリと冷たい海水を飲み込んだ。
あろうことか、タマクラゲの頭頂部に、奇妙な『星』を描いた板が貼り付けられていたからだ。
そしてその五角の形状は、彼らにとっていやと言うほど馴染み深いものであった。
「昨日の仕事上がりの時には、何ともなかったんだよ。それなのに一晩明けてみれば、どうしてこんなことになっちまったのか……」
女性は不安げにそう漏らした。
「間違いない、あの忌々しい『ヒトデ』を崇める邪教徒どもの仕業じゃ! あのような不浄な印を刻むとは……! 穢されたのは、この一匹だけか?」
「ううん、ほとんど全部のクラゲがやられちまった……。でも中には、違う絵柄のやつもいくつか混じってたから、まとめて持ってきたよ」
そう言って女性は、背負っていた網袋を下ろし、長老の前に広げてみせる。
長老は網の中から一匹を取り上げ、右手の人差し指――その長く伸びた爪先で、クラゲの頭に張り付いた板を剥がそうと試みた。だが、それは恐ろしく強固に接着されており、ビクともしない。
長老は諦めて、そこに描かれている図像(※猫の絵)をしげしげと覗き込んだ。
「一体なんなんじゃ、ここに描かれておる生物は? 目や口があるようだが……頭の上にあるこの尖った二つの山(※猫耳)は何じゃ? それに、なぜヒレがない? 胴体から伸びておる四本の棒切れのような器官……、これではまともに泳ぐことすらできまい!」
長老は事態を重く見ると、直ちに村の古老たちと、自身の娘であるマナサを招集して緊急会議を開いた。
惜しむらくは、長老の息子ヴァースキが不在であることだ。彼は村一番の博識さを誇り、最強の戦士でもある期待の若者なのだが、皆の食い扶持を確保するため、今は遠方へ狩りに出かけてしまっていた。
集められた面々は、目の前に並ぶ異様な姿のタマクラゲたちを見て、ザワザワと騒めき立った。
大半の者たちは、「なんとも禍々しい!」「呪いじゃ!」と、邪教徒たちの不気味な行いを口々に罵倒した。
一方で、「一体なんの目的でこんな真似を?」と純粋に首を傾げる者もいれば、
「これ、食っても腹を壊さねえだろうな?」
「毒でも仕込まれているんじゃあるまいな」
と、もっぱら食の安全を懸念する現実的な者たちもいた。
だが、座して議論している余裕はない。この村のタマクラゲ養殖場は、件の洞窟一つきりなのだ。万が一、そこの個体がすべて汚染されていれば、村人全員が飢えに苦しむことになる。
皆が不安に包まれる中、普段から不愛想で笑わない長老の娘、マナサが動いた。
彼女は無言で一匹のタマクラゲを鷲掴みにすると、感情の読めない瞳でじろじろと観察し――刹那、大きく口を開けてかぶりついたのだ。
「ああっ、マナサ様!?」
周囲から悲鳴にも似た声が上がる。だがマナサは咀嚼を止めない。
「……問題ない。それどころか、以前より味も食感も格段に良くなっている。最近は水質悪化や餌不足で、クラゲが痩せ細っていると言っていなかったか? その問題は解決したようだな」
マナサはタマクラゲの身だけでなく、頭に張り付いていた奇妙な絵柄の板までも、何ら躊躇することなくバリボリと噛み砕き、飲み込んでしまった。あまつさえ、よほど美味だったのか、彼女は食べ終えると鋭い爪に付着したクラゲの体液をペロリと舐め取った。
「い、いえ……あたしたちは、変わったことなんて何も……」
今日、養殖場を担当していた女性ナーガが戸惑いながら答える。
だが、マナサが自ら毒見をして平然としているのを見て、彼女も恐る恐るタマクラゲを手に取り、その身を齧ってみた。
「……! こ、これは……本当だ! 昨日の時点じゃあ、こんなに身が締まっちゃいなかったよ。一体全体、どうなっちまったんだか……」
ひとまず食の安全は確保されたようで、一同は胸を撫で下ろした。
だが、一夜にして全てのクラゲの頭に星型の印が貼り付けられたという事実は、依然として不可解極まりない怪事である。
「宣戦布告やもしれん! あの邪悪な輩ども、斯様な手口で我らに喧嘩を売ってきおったのだ!」
「いや、真にそうなら、何故このような回りくどい真似を? 奴らの力をもってすれば、我らの食料供給を断ち切ることなど造作もないはずだが……」
「頭に貼り付いたこの板、手触りはまるで貝殻のようだ。だが、これほど平らな貝殻など何処にある? 叩いて伸ばそうにも、貝殻なんぞ割れるだけで、こう平坦にはなるまい?」
「あるいは、貝殻を自在に成形する未知の技術でも持っているのか……」
「分かったぞ、これは威嚇だ! 食料と技術、その両面からの威嚇行為に他ならん! あの邪教徒ども、我々の命綱である食料をいつでも支配できると誇示し、我らを屈服させる気なのだ!」
「合点がいく話だ、おのれぇっ! 我らを脅し、自由を奪おうとは……これぞまさに強制布教、断じて許すまじ! 斯様な屈辱、黙って呑み込めるものか!」
いきり立つ村人たちの熱気で、集会所である大部屋は収拾がつかないほどの混乱に陥っていく。
見かねた長老が、腹の底から大喝した。
「静まれェいッ!!」
びりびりと海を震わす一言に、喧騒は瞬時に鳴りを潜めた。静寂が戻ったのを確認し、長老は重々しく口を開く。
「皆の言い分は、ようく分かった。……確かに、状況から見てあの邪教徒どもの仕業と見て間違いないじゃろう。恐らく、奴らは近いうちに次なる手を打ってくる」
長老は一同を見回し、指を折って方針を示す。
「我らが今、為すべきことは三つある。
第一に、養殖場およびその周辺の徹底的な痕跡調査。敵がいかなる経路で侵入したか、何としても突き止めるのじゃ。
第二に、養殖場の防護強化だ。村の者全員――儂らのような老いぼれや子供らも含め総出で当たり、養殖場を覆う半球状の防護柵を設営する。
そして第三に……マナサよ」
名を呼ばれたマナサに、長老は鋭い視線を向けた。
「兄の率いる狩猟隊は、南西の方角へ向かったはずじゃな? おぬしは彼らを捜し出し、急ぎ事の次第を伝えよ。即刻帰還し、村の守りを固めるようにな。
――以上じゃ。誰か、異論のある者はおるか?」
長老の問いかけに、村人たちは誰一人として怯むことなく、覚悟の決まった強い眼差しで頷き返した。最早、迷いはない。
「無ければ、各々直ちに取り掛かろうぞ。解散ッ!」




