第10話 ホタテ式英才教育
カニさんの背中の上が、今の僕たちの青空教室だ。
僕とボコちゃんは殻をパカッと開いて向かい合う。まるで寺子屋の師範と門下生のような構図だ。
ホタテ先生と、生徒のボコちゃんですのよ!
殻の中身は一歳の赤ちゃんみたいな愛くるしい姿だが、授業を受ける態度は驚くほどお利口さんだ。
「ママ」
自分を指差して、ゆっくりと発音して見せる。
「マ……マ!」
ボコちゃんの拙くも一生懸命な復唱。
ああ、胸の奥から込み上げてくるこの温かい感情は何だろう?
感動で涙(成分は海水)が止まらない!
しかし、我が子のポテンシャルはこんなレベルで止まるはずがない。
僕は教鞭代わりに持った御幣で、パシッとカニさんの背中を叩いた。突然叩かれたカニさんはビクッと震え、困惑したようにその場でくるりと一回転する。
「カニさん!」
「カニ……サン!」
ヤバい、ウチの子、天才ちゃうか!?
僕は興奮冷めやらぬまま、スキルで真っ白な『御札』を生成する。
「御札!」
「オフダ!」
ブラボー! なんという吸収力!
僕は指先にコンクリをじわりと滲ませ、それをインク代わりにサラサラと絵を描いていく。調子に乗って次々と御札を量産し、思いつくままにモチーフを描き連ねていく。
五芒星、猫、犬、トラック――
「セーマン!」
「セーマン!」
「猫!」
「ネコ!」
「犬!」
「イヌ!」
「トラック!」
「トラック!」
一通り教え終わってから、復習のためにシャッフルした絵札を見せてみる。
すると、もはや僕が手本を見せなくても、ボコちゃんは即座に正しい単語を答えてみせた。
一度教えただけで、完璧に暗記している……!
基礎カリキュラムは瞬く間に修了してしまった。次はなにを教えよう?
このあふれんばかりの知性を伸ばすには、徹底した英才教育が必要だわ。少し時間をとって、じっくりと授業計画を練り直さなくては。
ところで、作りすぎてしまったこの大量の単語カード、持って行くには荷物になるわね。どう始末しよう?
……そうだ、名案がある。
せっかくの御札なのだから、そこらへんをふわふわ漂っている『幽霊さん』たちの額にペタペタ貼ってしまえばいいのではないかしら?
ちょうど幽霊の数が多すぎて、いちいち捕食していたら一生かかっても食べきれない量だし。
そうと決まれば、今の枚数じゃ全然足りないわね。もっと量産して、全部に魔除けの五芒星を描いて――皆様のおでこに貼り付け、徹底的に除霊して差し上げますわ!
ちなみに、僕はもう一粒、虹色の小真珠を作っておいた。こいつも他の真珠を吸収する能力はあるようだが、どうやら虹色真珠同士を触れ合わせても特に反応は起きないらしい。
僕は、この小真珠にも発光能力を持たせ、ボコちゃんへのプレゼントにしようと考えた。そこで、ストックしておいた海ぶどうを吸収させてみる。
案の定、二つの虹色真珠の装備スキルは独立しているようだ。この真珠は計七個の海ぶどうを吸収した時点で、発光スキルがカンストした。これでちょうど在庫処分も完了だ。
薄暗い洞窟でも僕と連携して動けるよう、ボコちゃんの頭部に、この光る小真珠をペタリと貼り付けてあげる。
準備は万端。僕とボコちゃんは、カニさんの背中を蹴って、高々と飛び上がった。
「お届け物ですわっ!」
気分はすっかり、あの箒に乗ってパンをお届けする魔女っ子ですわね! ボコちゃんはさしずめ、相棒の黒猫ちゃんかしら?
高いところのものは簡単に触れる。僕は幽霊が密集している地帯へ突っ込み、パパパパンッ! とリズムよく次々に御札を額へ貼り付けていく。
やっていることは健全な宅配員なのだが、闇夜に紛れてターゲットを狙い撃つ高揚感は、まるで怪盗にでもなったかのようだ。
『ふふッ、今宵、貴方がたの額を頂きに参りましたわ!』
なんてね。
この区画の幽霊たち、そのすべての頭に御札を貼り終える頃には、その下をカニさんがのそのそと通過している。
僕とボコちゃんはカニさんの背中に着艦し、弾薬を補充しては再び飛び立つ。
水中にランダム配置された浮遊ターゲットに正確に貼り付けるこの作業は、これ以上ないほどの遊泳訓練になった。最初はボコちゃんの方が上手だったが、三巡、四巡と繰り返すうちに、僕の動きも洗練され、水泳選手もかくやという動きができるようになってきた。
小休止を挟みながら、カニさんが最奥に到達するまで、そのサイクルを延々と繰り返した。
道中、少し奇妙な光景に出くわすこともあった。
岩壁の一角に、鮮やかな黄色の物体がびっしりと群生しているエリアがあったのだ。
近づいてみると、それは無数の穴が空いた海綿状の何かだった。見た目はまるで、アニメに出てくる穴開きチーズそのものだ。
おっと、これは期待できるんちゃうか? 洞窟探検の醍醐味、現地グルメのお時間や!
僕は期待に胸を膨らませ、その海綿の端っこを一口かじってみた。
濃厚な味を想像して、モグモグと咀嚼する。
「……」
……ペッ!! おえぇぇ、なんやこれ! 濡れた雑巾みたいな食感やないか! 全然噛みきれんし、味もしないし、最悪や!
繊維質でゴワゴワとした不快な感触に、僕は盛大に吐き出した。
よく見れば、海綿の穴の奥には、小さなエビだかムカデだか分からない半透明の虫が住み着いていて、こちらをジロジロと見ているではないか。
うわ、住居侵入してもうた。もうええ、二度と食わんわ!
グルメレポートは大失敗に終わったが、気を取り直して探索を続ける。
そうして幽霊さんを捕食した際に、新しい『タマクラゲの核』を手に入れたのだが、虹色真珠を近づけても、それは吸い込まれず、手元に残ったままだった。
以前に装備欄の記述を見た時、確かにこの核にはレベルの項目がなかったのを思い出す。どうやら、これ自体はレベルアップしないタイプの装備品らしい。
吸収する手立てがない以上、僕はこれを埋葬することに決めた。
カニさんに指示して砂地に小さな窪みを掘ってもらい、即席の墓穴とする。そこへ核を安置すると、上から砂をかぶせてこんもりとした小さな砂山を作り、その頂上にはコンクリで作った墓標を設置した。
墓標の表面にはそれぞれ、『タマクラゲA、ここに眠る』『タマクラゲB、ここに眠る』と、厳かに刻んでおく。
墓標を一つ完成させるたびに、僕ら探検隊はしばし動きを止め、逝ける魂に祈りを捧げてから作業を再開した。
これほど大量の幽霊が守っているのだ。この洞窟の最奥には、エジプトのピラミッドの奥に眠るファラオよろしく、莫大な財宝が鎮座しているに違いない――そう思っていた。
しかし、最後に僕が目にしたのは、妙に見覚えのある光景だった。
地面に転がっているアレは、僕たちが最初にこの洞窟へ入った時に目撃した、あの海洋生物の骨格標本ではないか?
……え、どういうことや? まさかこんな綺麗なドーナツ型の洞窟になっとるんか? ほんで、話が違うやないか。鎮座してるはずの莫大な財宝はどこ行ったんや?
とはいえ、無い袖は振れない。お宝がないものは仕方がないと割り切ろう。
この洞窟をぐるりと一周する間に、ボコちゃんは目に見えて急速な成長を遂げた。今やその人形の部分は、人間で言えば三、四歳の子供くらいのサイズ感になっている。
口調こそまだ少し拙く、舌っ足らずなところはあるけれど、こうして健やかにすくすくと育ってくれることこそが、僕にとっては今日一番の宝物だ!
それに、まだはっきりとした特徴が現れているわけではないが、ボコちゃんはどうやら女の子としての形質を備えつつあるようだ。……いやもう、めちゃくちゃ可愛い!!
これからは英才教育を施すと同時に、早急に彼女に似合う服の素材を探してあげなくては。
だって、女の子たるもの、お洒落を学ばなくては始まりませんものね!




