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第1話 転生先は、まさかのホタテ!?

 視界を埋め尽くすのは、血の色をした彼岸花マンジュシャゲ

 鼻をつく甘ったるい香りは、どうやらこの果てしない花畑から漂ってくるらしい。


 ギィ、ギィ、と。

 頼りない木造船が軋む音だけが響く。

 僕はその小舟に揺られ、黒い水面を滑るように運ばれていた。


 周囲を見渡せば、同じような小舟がいくつも浮かんでいる。


 この黒と紅に塗り潰された世界で、船を漕ぐのは皆、顔に巨大なこぶを垂らした異形の者たち。

 対して、客席に鎮座しているのは――淡い琥珀色の光を放つ、大小様々な「球体」だった。


「べっぴんさんやなぁ。あんさんみたいに、生前のカタチを保ったままの魂は久しぶりやて。ワテは渡し守。ここは三途の川や」


 ねっとりとした視線。語尾に妙な癖のある男が、を操りながら話しかけてくる。


 その言葉に、僕は自分が死んだことをはっきりと自覚した。


 ――いや、それより。

 べっぴんさん? 誰のことや。

 まさか、ウチに言うてんのか?


 ……まあ、しゃあないか。

 寝たきりで散髪もろくに行けんかったから、髪だけは無駄に長かったしな。

 たまに女の子と間違えられることはあったけど、死んでまで言われるとはなぁ。

 一応、男なんやけど。


 向かいに座るその男もまた、顔面の半分が瘤で埋まった異形だった。


「三途の川……あの世の、あれか?」


「そやて。お嬢ちゃん、物知りやなぁ。ほら見え、もうすぐ三生石さんしょうせき奈何橋なべきょうやて。好いた人がおるなら、今のうちによう考えとき。来世でも会いたいなら石に名を刻むんや。この先で婆さんにスープぶっかけられたら、頭パーになって書けへんようになるからなぁ」


 お嬢ちゃんて……まだ言うか。まあええわ。


 好いた人、か……。


 担当医の先生? ずっと世話してくれた看護師の姉ちゃん? それともヘルパーのオバちゃん?


 いや、あかん。 来世でまでウチと会うてしもうたら、また迷惑かけてまう。そんなん、申し訳なさすぎるわ。


「それ、刻まんでもええのんか?」


「ん? そら構わんよ。機会があるっちゅうだけで、刻むも刻まんも個人の自由やて。……ほれ、着いたで」


 男の視線の先、巨大なアーチ状の石橋が霧の中から姿を現した。


 橋の下には、順番待ちをする小舟の列。

 その傍らでは、琥珀色の球体から触手のようなものが伸び、必死に岩肌へ何かを書きつけているのが見える。あれが未練というやつか。


 橋の上には、一人の老婆が立っていた。

 両手には小さな椀と柄杓。

 小舟が橋の下をくぐるたび、老婆は柄杓で液体をすくい、容赦なく船上の球体へと浴びせかける。


「あれを浴びると、魂の形状以外の記憶が飛びよるんやて。このあと閻魔大王様の御前へ出るさかい、知識だけは残るんやけどな。頭がフワフワしても驚きなや」


 冷たい飛沫が、頭上から降り注ぐ。

 瞬間、脳髄が痺れるような感覚。

 思考が霞む。けれど不思議と、生前の重苦しい悩みも一緒に溶け出していくようで、気分はかつてないほど晴れやかだった。


「さあ、真っ直ぐ行き。大王様がお待ちやて。渡し賃は六文、毎度あり」


 船が岸に着く。

 僕は朦朧とする意識の中で、動かない足を引きずり、腕の力だけで這い進んだ。

 まるで血で織られたような真紅の絨毯の上を、ズリ、ズリと。


 やがて辿り着いた広間。

 顔を上げると、そこには書物を睨みつける巨漢がいた。

 極彩色の衣装に身を包み、憤怒の形相を浮かべるその男こそ――。


「ほう。なるほどなァ」


 ドスの効いた低い声が、広間を震わせる。

 巨漢は書物から目を離し、ギロリと僕を見下ろした。


「前世のテメェは『弱者』だ。他人の世話になりっぱなしで、何一つ生産しねぇ。間違いなく『悪』に分類されるなァ。畜生道行きだ。文句はあるか? あァ?」


「あらへん」


「……チッ。見た目と口調がチグハグで気に食わねぇな。矯正なおすぞ」


 閻魔が指をパチンと鳴らす。

 喉の奥が熱くなった。


「あー、あー。……あら?」


 口をついて出たのは、自分でも驚くほど上品で、鈴を転がすような声だった。


「よし、それでいい。判決を続けるぞ」


 閻魔は満足げに頷くと、再び書物に視線を落とす。


「両脚の障害に、虚弱体質。テメェの魂に一番馴染む器は……そうだな、『ホタテ』しかねぇな」


 ホタテ。

 今、この人はホタテと言ったのか?


「だがまぁ、一生孤独で、常に感謝の念を忘れなかったその殊勝な心がけに免じて、オマケしてやる。上半身の外見は残し、治癒の能力を与えてやろう」


 閻魔が筆を走らせる。


「前世の因は今生の果。宿命は巡り、縁は起きては滅する。……行け。テメェにお似合いの、新しい輪廻へな!」


  ◇◇◇


 気がつくと、僕は水の底にいた。


 頭上から降り注ぐ、ぼんやりとした光のカーテン。

 ゆらゆらと踊る海藻。白砂に落ちる珊瑚の影。

 幻想的で、どこか懐かしい光景。


 ふと、違和感を覚えた。

 視界の中央だけは、鮮やかな総天然色フルカラーでくっきり見えている。

 だがその『外側』――視野の隅や、本来なら見えないはずの後ろ側までが、まるで古い白黒映画のようにぼんやりと映り込んでいるのだ。


 不思議な視界だ。僕は実験するように、ギュッと目を閉じてみた。


「……あれ? まだ見えてる?」


 まぶたは下ろしたはずだ。

 なのに、映像が消えない。

 色は失われ、すべてがモノクロになったが、周囲の岩や海草のシルエットが脳内に直接流れ込んでくるようだ。


 なるほど、目を使わずに周囲を見る……きっとこれは、『魔力感知』の魔法だ!


 そういえば、目が覚めてから結構な時間が経っているはずだ。


 それなのに、いくら時間が経っても、息苦しさはない。

 ……不思議だ。


 周囲を見回すと、自分の体が鏡面のような結晶に囲まれていることに気づいた。

 恐る恐る、覗き込む。


 そこには、一人の美少女が映っていた。

 湖面のように澄んだ青の長髪。何も身につけていない、白磁のような肌。

 あどけない顔立ちが、不思議そうにこちらを見つめ返してくる。


「なんと、麗しい方ですこと……」


 僕が右手を上げると、彼女も右手を上げた。

 わずかに膨らんだ柔らかな胸に触れると、鏡の向こうの彼女も同じ動作をした。


 僕が手を伸ばし、鏡面の向こうの彼女に触れた、その時だ。

 視界の端に、奇妙な文字列がポップアップした。


【種族:ホタテ(姫種)/幼年期】


【装備スロット】

 真珠:なし


【アクティブスキル】

 『コンキオリン分泌(ヒール)』『生体鉱物化バイオミネラリゼーション


【パッシブスキル】

 『お嬢様マナー』『毒耐性』


 ……なんだこれ。ゲームのステータス画面か?


 いや、装備スロット言うたら普通、「頭」とか「胴」とか「武器」やろが。なんで『真珠』やねん!


 この美少女が、今の僕なのか?

 なにか根本的な間違いがある気がする。


 なぜなら――


 臍があるべき場所から下は、滑らかな真珠色の層へと融合している。

 脚の代わりに僕を包んでいたのは、巨大で無骨な二枚貝だった。


 根本はない。まるで、殻の中の乙女。


 しばらく、動けなかった。

 ただ、波に揺られていた。


 ふと、魔が差したように試してみたくなった。


『閉じろ』


 念じた瞬間、視界が闇に包まれる。

 殻が閉じたのだ。


『開け』


 パカッ。

 小気味よい音と共に、光が戻ってくる。


 意のままだった。

 この硬い殻は、僕の神経そのものになっていた。


 ……これ、連続でやったらどうなる?


 ほんの少しの、好奇心。

 僕はリズムをつけて念じてみた。


『閉じろ、開け。閉じろ、開け!』


 その瞬間——


 ボシュッ!!


「きゃああっ! ……あ、あら? 失礼いたしましたわ!?」


 口をついて出たのは、自分でも引くほど上品な悲鳴と、謎の謝罪だった。

 猛烈な水流が、殻の隙間から噴き出したのだ。

 次の瞬間、僕の体は弾丸のように海中を突き進んでいた。


 ぐん、ぐん、と加速する。


 速い。マジで速い!

 景色が、後方へと置き去りにされていく。


「なんと……! これが、わたくしの力……?」


 混乱する頭をよそに、体は止まらない。

 僕は夢中で、何度も殻をパクパクと開閉させた。

 そのたびに体は海水を蹴り、自由自在に、どこまでも加速していく。


 脚はない。

 でも、僕にはこの「エンジン」がある。


 頬を撫でる水流の冷たさ。

 全身を駆け巡る疾走感。


 気がつけば僕は、海の中で恍惚とした声を上げていた。


「あぁっ、素晴らしいですわ……! なんて素敵な速さでしょう。まるで一陣の風になったようですわ……ごきげんよう、お魚さんたち! わたくし、参りますわーーっ!!」

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