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第4話 近づく二人

リゼは、湖がある森の近くの広場でセランを待っていた。

ベージュのワンピースに、薄い紫のカーディガンを羽織った姿は、栗色の髪と紫の瞳にやさしく馴染んでいる。風が頬を撫で、髪をふわりと揺らした。

その髪には、セランから贈られた髪飾りが留められていた。

銀糸の繊細な小枝に、淡いクリーム色の小さな花々――陽光を受けるたびに、それはやわらかく輝いていた。


やがて、馬車が静かに広場へ滑り込んできた。

扉が開き、セランが姿を現す。今日は変装をしていない。それでも、白シャツの袖を軽くまくり、柔らかなグレーのベストを重ねたラフな装いは、彼らしい品のある雰囲気を保っていた。

革のブーツに軽やかな足取りで近づくと、少し申し訳なさそうに言った。


「迎えに行けなくてごめん。こんな場所での待ち合わせになっちゃったけど……来てくれて嬉しいよ」


ふと、リゼの髪に目を留める。

陽光の中で、髪飾りがやわらかく輝いていた。

「つけてくれたんだね。すごく似合ってるよ!!」


「ありがとうございます。とても気に入っています」

リゼは髪に触れながら、気恥ずかしそうに微笑んだ。


ふたりは並んで馬車に乗り込んだ。

車輪が静かに回り始め、王家の紋章が刻まれた門をくぐる。一般の者は立ち入ることのできない森の中へ、馬車は静かに進んでいった。木々の葉が風に揺れ、陽光が斑に差し込む。その静けさは、ふたりの時間をそっと包み込むようだった。


リゼは窓の外に目を向けていた。

揺れる葉の影、差し込む光の粒、遠くで鳥が羽ばたく音――そのすべてが、まるで絵本の中の風景のようで、彼女は言葉もなく見とれていた。瞳に映る景色は、静かに、けれど確かに彼女の心を満たしていた。


セランは隣でその横顔をちらりと見て、何も言わずに微笑んだ。


やがて、視界が開ける。湖が姿を現した。水面は鏡のように澄み、空と森の色を映している。岸辺には白い花が咲き、遠くで鳥の声が響いていた。馬車が止まり、セランが扉を開けて外に出る。

リゼも続いて降り立つと、彼は湖の向こうに広がる温室群を指さした。


「ここが、王家直轄の薬草園だよ」

セランの声に、リゼは視線を向けた。湖畔に広がる温室群は、陽光を受けて静かに輝いていた。


温室の中は、南の国の香りで満ちていた。湿った空気に混じって、甘く澄んだ香りが漂っている。葉の形も色も、王都では見かけないものばかりだった。丸く艶やかなもの、細く尖ったもの、淡い青や深い紅―


リゼは思わず足を止め、目を見張った。

「……すごい。こんな植物、見たことありません」


セランは隣で微笑みながら、ひとつひとつ丁寧に説明をしていく。どれが薬効を持つものか、どれが南方の特産か、どれが研究対象か。彼の声はその植物たちへの敬意がにじんでいた。

やがて、リゼの視線がある一角に留まる。

しゃがみ込み、そっと指を伸ばした先には、淡い紫の花を咲かせたアズラリアが揺れていた。その隣には、細かな葉を広げたミルバ草も、陽光を受けてきらめいている。


「……図鑑と、まったく同じ」

思わずこぼれた言葉に、セランが微笑む。

「そう言ってもらえると頑張った甲斐があるよ。温度、湿度、土の配合と、できるだけ南の土壌に近づけて栽培しているんだ」


「へぇ……それで、図鑑通りに育つんですね」

「こっちの土で育てたらどうなるんだろう?」

リゼが何気なくポツリとつぶやいた。


その言葉に、セランの目がぱっと輝いた。

「……待って、それってつまり、土壌の養分比率が違うから、窒素が南方土壌より約12%高くて、リン酸は逆に5%低い。ってことは、根の成長速度が変わる可能性があるし、葉の色素成分にも影響が……いや、でもそれだと水分保持率との兼ね合いが……」


ぶつぶつと呟きながら、セランは温室内をぐるりと見渡した。

「……うん、あり得る。いや、むしろ試すべきだ。外に、たしかスペースがあったはず……リゼ、ちょっと手伝って!」


「えっ、今から?」

リゼは驚いて立ち上がる。セランはすでに温室の奥へと向かっていた。


「この株にしよう。葉の縁が少し赤くて、湿気に反応しやすいタイプだ」

鉢を抱えたセランが戻ってくる。リゼはその勢いに呆れながらも、思わず口元がほころんだ。


ふたりは温室の裏手から抜け、湖畔の静かな一角へと向かった。

「ここなら、朝露が残るし、風通しもいい」

セランがしゃがみ込み、土を掘り始める。リゼも隣にしゃがんで、手伝いながらふと彼の横顔を見つめた。その目は、まるで少年のように輝いていた。


「……あ、ごめん」

セランがふと我に返って、手についた土を見ながら言った。

「夢中になっていた。いつもの癖がでてしまった…」


リゼは笑顔でいう。

「いいですよ。どんなふうに成長するか、楽しみですね」

「そうだね。我国の土壌に反応して効果があらわれるといいんだけどね…」


「……さて」

セランが立ち上がり、手についた土を払った。

「手を洗って、少し休憩にしようか」

リゼが顔を上げると、セランは湖の方を指さした。


「実は、湖のそばにお茶の準備をしてあるんだ。君が来ると聞いて、ちょっとだけ張り切っちゃった」

「えっ……そんな準備まで?」

リゼは驚いたように笑った。


セランは胸を張って、ちょっと得意げに言った。

「ぜいたくだろ?」


リゼはその顔に、思わず吹き出した。

「……なんですか、その顔」

「いや、君に褒められると、ついね。……嬉しくて」


湖畔の木陰には、小さなテーブルと椅子が並べられていた。白い布が風に揺れ、ティーポットの中からはほんのりベルガモットとレモングラスの香りが立ちのぼっている。爽やかで少しだけ甘い香りが、湖の空気に溶け込むようだった。


テーブルには、リゼが持参した手作りマドレーヌが並んでいる。焼き色はこんがりと、表面はほんのり艶やか。ひとつ手に取ると、レモンの香りがふわりと広がった。


セランはマドレーヌをひと口食べて、目を細める。

「これ、最高だ!」

味も香りも空気も、すべてがリゼらしくて心に染みる。


「……普通です」

リゼはカップを置き、さらりとした口調で答えた。


その瞬間、ふたりは目を合わせた。

一拍の沈黙。

そして――ふきだした。

「……あれ? これ、前にもやったよね」

セランが笑いながら言う。


「殿下がうちに来たときですね」

リゼがカップを傾けながら、ふと思い出したように言った。

「私、お休みだったのに……あの日は結局なんにもできませんでしたよ」


「……ごめんごめん。あの時は、君に断られたと思って、いてもたってもいられなくて。気づいたら君の家に向かってたんだよ」

少し照れたように笑って、肩をすくめる。

「迷惑かけたね」


「いえ。大丈夫でしたよ」

そして、ほんの少しだけ口角を上げる。

「ただ……予定してた散歩も読書も、全部ふっとびましたけど」

声は穏やか。でも、どこかくすっと笑える意地悪さが混じっている。


セランはその言葉に、胸の奥がふわりと温かくなるのを感じた。リゼが、こんなふうに冗談を言ってくれるなんて。

心を開いてくれている――そう思うだけで、嬉しくてたまらなかった。


「やっぱり、読書が好きなんだね」

セランが言うと、リゼは頷いた。

「はい。父も読書が好きなので、休みの日はほとんどしゃべりません。家の中が静かで、ページをめくる音だけが響いてるんです」

「それ、いいな。君の家の空気、なんとなく想像できる」


「どんな本を読むの?」

「なんでも読みますよ、仕事柄、図鑑や資料を読むことが多いですが……小説も好きですし、実は政治経済の本もよく読みます」


セランは、驚いたように目を見開いた。

「政治経済? それは意外だな」


「よく言われます。でも、好奇心旺盛で……なんでも知りたいし、やりたくなっちゃうんです」

セランは、彼女の瞳に宿る熱を感じながら、ふと疑問を口にした。


「そういえば、なぜ南図書館に勤めているんだ?君の家の近くにも、同じくらい立派な図書館があるのに」


リゼは、少しだけいたずらっぽく微笑んだ。

「どうしてだかわかります?」

セランは首をかしげながら考える。

「うーん……薬草の本が充実してるからとか?建物が綺麗とか?」

「植物関係の書籍が多いのも理由のひとつです。でも、決め手は――情報の速さです」


「情報の速さ?」


「ええ。政治や経済の動き、各地の情勢など……各雑誌社からの最新刊が、南図書館には真っ先に届くんです。だから、あそこに就職しました。知りたいことに、誰よりも早く触れられる場所だから」


セランは、驚きと興味が入り混じった声で尋ねた。

「どうしてそんなことを知っているの?普通わからないだろう?」


「もちろん、足でまわったんですよ。学生のころから、王都にある図書館はすべて通いました。それぞれの図書館が、何に力を入れているか――全部、リサーチ済です」

リゼは、誇らしげに微笑んだ。


セランはリゼの言葉に深く感心し、思わず息を漏らした。

「……おそれいった」


リゼは、肩をすくめて、苦笑した。

「思ったら、とことんやらないと気がすまないんです。私、面倒な人間なんです」


「面倒なんてとんでもない。でも、合点がいったよ。君の業務に対する徹底ぶりの根源――それが、探究心と向上心だってことが、よくわかった」


その言葉に、リゼの胸がふっと熱くなる。自分のこだわりや、誰にも言わずに積み重ねてきた努力を、ちゃんと見てくれていた。理解してくれた。そう思うだけで、心の奥がじんわりと満たされていく。

けれど、その嬉しさのすぐ隣に、ふと不安が顔を出す。こんな自分を、重いと思われたらどうしよう。

だから、つい言葉がこぼれた。


「こんな人間……引きませんか?」


セランは、ふっと笑った。

その笑みには、驚きも照れもなく、ただまっすぐな思いが込められていた。

「引くどころか――ますます好きになったよ」


リゼは、目を見開いたまま、言葉を失った。


セランは続ける。

「俺もいっしょだよ。気になったら止まらない。君を半年以上見続けてたことが、何よりの証拠だろ?」


「こんな人間…引かない?」

セランはユーモアたっぷりにオウム返しをした。


「……面倒です…」

リゼは口元を緩め、目を細めながら言った。


セランは「まだまだだめかぁ」と肩を落とし、テーブルに突っ伏した。


リゼは、そんなセランを静かに見つめた。

笑いの余韻が残る瞳に、やわらかな光が宿っている。その眼差しには、もう迷いはなかった。


私のことを、ちゃんと見てくれている。

こだわりも、面倒くささも、根っこにある気持ちまで。

わかってくれる人がいるって、こんなに心が軽くなるんだ。


――好きだな、この人。

そう思った瞬間、胸の奥で何かがすっとほどけた。

この人の不器用な真っ直ぐさも、暴走する探究心も、全部好き。

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