第3話 攻めるセラン
視察を終えた帰り道、馬車の中でセランは静かに息を吐いた。エルネスト公爵領での薬草園視察は、予想以上に実りあるものだった。領主リークと後継ぎのセレナ嬢との会談も、医務局の任務として十分な成果を得られたと言える。
リゼを見つけるまでは、外に出ることすら億劫だったのに…彼女に興味を持ってから、外の世界が少しずつ色づき始めた。やはり、外部との接触はいい刺激になる。
ただ、隣のユリウスの気味の悪い笑みが少々気になる。ほとんど表情を変えない彼だが、長い付き合いのセランにはわかる。あれは、何かを思いついた顔だ。薬草園で、よほど面白いことでも見つけたのだろう。
…深入りするのは、やめておいたほうがよさそうだ。
セランは、書類を閉じると、静かに息を吐いた。最近、仕事の時間以外はリゼのことばかりだ。気づけば、彼の意識はまた図書館へと戻っていた。
黒髪のカツラに、目の色が濃く見える眼鏡。
いつもの変装姿で図書館を訪れたあの日、受付にリゼの姿はなかった。館内を探して見つけた彼女は、薬草コーナーで作業をしていた。
「アルトリーナ嬢」
背後から声をかけると、リゼは振り返った。
リゼは誰か分からない様子で、じっとセランを見つめる。
「……もしかして、セラン殿下ですか?」
セランは、眼鏡の奥で微笑んだ。
「今はルークだよ。そう呼んでくれないと、変装の意味がなくなる」
正式な名は、セラン・ルーク・フォン・フェルミルナだが、
一般ではセラン殿下として通っており、ルークと呼ばれることはほとんどない。だからこそ、変装中の今はルークという名が、身分を隠すための都合のいい呼び名になっていた。
リゼは、口元をきゅっと引き締め言った。
「では、ルーク様。私のこともリゼとお呼びください」
彼女との距離が近づいたようで、セランの胸にじわっと温もりが広がる。
「今日は、どうされたんですか?」
セランは、手に持っていた図鑑を掲げて見せた。
「勧めてくれた薬草の分類図鑑を借りに来たんだ。これ、分かりやすくていいね」
リゼは、うれしそうに微笑んだ。
「それはよかったです。この本は、初心者にもわかりやすくて評判なんです」
セランは、棚の並びを見渡しながら尋ねた。
「それで……リゼは、何をしてるの?」
リゼは手元の本を見せながら、
「注文していた薬草の書籍がいくつか入荷したので……ええと、コーナーを広げようとしていたんです。専門書ばかりだと難しく感じる方もいるので、薬草の本を、地域ごとに分けて並べようかと…」
そう言いながら、どこか落ち着かない様子で視線を逸らした。
名前で呼んだからか――そう思いながらも、自分でも少し照れくさかった。
「地域ごとに分けるのはいい工夫だね。初心者には専門書が難しく感じることもあるし、土地ごとの植物なら親しみやすい。もし可能なら、季節ごとの並びも加えてみるのはどうかな?」
リゼがぱっと顔を上げた。
「それ、すごくいいですね! 季節ごとに並べたら、観察にも使いやすいし、調べる楽しさも広がります。春の棚には芽吹きの薬草、秋には乾燥保存の工夫とか、まとめてもいいかも」
声に熱がこもり、言葉が自然と弾んでいく。
セランは自然に笑みがこぼれた。
「君が楽しそうに話すと、棚まで明るくなる気がするよ」
そう言った自分の言葉に、リゼが吹き出して笑った。その空気が、今も胸の奥に暖かく残っていた。
ふと窓の外の雑貨屋が目に留まり、セランは馬車の中から声をかけた。「止めてくれ」
御者が手綱を引き、馬車はゆっくりと止まった。
窓辺に飾られていた髪飾り――銀糸で編まれた小花の細工。それは、王城にリゼを招いたとき、彼女が着ていたドレスの刺繍と同じ、エルダーフラワーだった。
控えめで、けれど凛としたその花の意匠が、彼女の雰囲気と重なった。彼女の髪に、きっと似合う。そう思った瞬間には、もう店の扉を押していた。
「……これを、今から届ける」
包みを受け取ったセランがそう呟いた瞬間、隣にいたユリウスが眉をひそめた。
「またですか。王子の自覚を持ってください。公務の帰りに個人宅へ直行など前例がありません」
「公務の延長だ。薬草の話をしにいくだけだ」
「それを言い訳にするのは、もう三度目です」
セランは髪飾りの包みを懐に収め、行き先を御者に伝える。ユリウスは深いため息をついたが、結局何も言わずに出発した。
「……せめて、門前で渡してください。屋敷に上がるのは控えて」
「わかった。門前で渡す」
セランの声が、ほんのり浮ついている。
ユリウスは、深いため息をついた。
(セラン殿下が、完全に乙女だ)
だが、口には出さない。長い付き合いの中で、こういう時は黙っておくのが一番だと知っている。
アルトリーナ家の門前。
ほどなくして現れたリゼは、少し驚いたように目を見開いた。
「セラン殿下……ご公務の帰りですか?」
「少しだけ、立ち寄らせてもらった。これを、君に」
セランは懐から小さな包みを取り出した。
銀糸で編まれたエルダーフラワーの髪飾り。
リゼは包みを受け取り、そっと指先で細工をなぞった。
「……これ、私のドレスの……」
「君に似合うと思った。公務の帰りに、偶然見つけて」
言いながら、セランは胸の奥が妙に騒がしくなるのを感じていた。
リゼはしばらく髪飾りを見つめていたが、視線をセランに戻す。
「ありがとうございます。とてもうれしいです。
ちょうど今、ハーブクッキーを焼いたところなんです。よかったら、いかがですか?」
よかった、喜んでくれたようだ。
セランは嬉しくなり目じりを下げ頷いた。
ユリウスが後ろでため息をついたが、何も言わなかった。
応接室に通されたセランは、ハーブの香りに包まれながら、リゼが焼いたハーブクッキーと紅茶を味わっていた。テーブルの上には、先ほど渡した髪飾りが置かれている。
リゼはそれを見つめながら、静かに口を開いた。
「……あの、髪飾り、本当にありがとうございます。まさか覚えていてくださったとは……」
「君が王城に来た日のことは、よく覚えているよ。あのドレスがとても似合っていて、きれいだった」
リゼは赤くなるほほを隠すようにうつむき、小さな声でつぶやく。
「ありがとうございます」
静かな余韻の中で、ふたりはしばらく言葉を交わさずにいたが、やがてリゼがふと口を開いた。
「……実は、殿下のお仕事のこと、最近になって知りました。医務局で薬草の研究をされているんですね」
セランは驚いたように眉を上げた。
「そうか、伝えてなかったか。まあ、あまり表に出る仕事じゃないから言うこともなかったしね」
リゼは少しうつむいて、カップを両手で包んだ。
「初心者用の薬草図鑑を貸したり、薬草の棚の話をしたり……なんだか、知ったかぶりをしていたような気がして。恥ずかしいです」
セランは首を振り、優しく言った。
「そんなことはないよ。君が貸してくれた図鑑、すごくわかりやすくて、医務局でも参考にしてるくらいだ。それに、君の棚からヒントをもらったんだ」
リゼは目を瞬いた。
「え……?」
「ある病気の薬剤調査でね。症状が出る季節によって、薬効に変化があって困っていたんだ。でも、文献にはそんな記述はなく、なかなか手がかりが見つからなかった。
そんなとき、君が棚に貼っていたポップ「季節に合わせた煎じ方で違いがでます」が目に留まって、はっとしたんだ。その言葉が、処方を組み立てるうえで大きな助けになった。君の工夫が、実際の調査に役立ったんだよ」
「そんな……私の工夫が、そんなふうに役立つなんて」
声は小さかったが、胸の奥からじんわりと湧き上がる嬉しさが、彼女の表情ににじんでいた。
その様子を見て、セランの胸にも静かに温かさが広がった。
伝えられてよかった――そう思った瞬間、自然と笑みがこぼれていた。
そして、前から考えていた言葉を口にした。
「お礼と言ってはなんだけど――今度の休みに、王家の湖へ行かないか?」
リゼは驚いたように目を見開いた。
「湖…ですか?」
「静かで、景色もいい。湖のそばには、王家が管理している薬草園もあるんだ。他国から取り寄せた珍しい薬草も育てている。君が貸してくれた図鑑に載っていた、アズラリアとか、ミルヴァ草とか――あれも、実際に見られるよ」
リゼは、目を見開いて小さく息を吸った。
その反応に、セランは手応えを感じた。
薬草園の話が、彼女の興味を引いたらしい。
「もちろん、無理にとは言わないけど……僕としては、君と一緒に行けたら嬉しい」
リゼは、少し時間をかけて、こくんと頷いた。
「はい。ぜひ、ご一緒させてください」
その返事に、セランは思わず微笑んだ。
ユリウスが遠くでまたため息をついたが、誰も気にしなかった。
帰りの馬車の中、セランとユリウスの反省会が始まる。
「髪飾り、すごく喜んでくれたな。クッキーも美味しかったし…あの笑顔、最高だったな」
ユリウスは書類を閉じ、淡々と告げる。
「今回は及第点です。前回の独演会に比べれば、ずいぶんマシでした」
「だろ?俺だってちゃん成長しているんだよ」
「だからこそ、次が肝心です。湖でまた語りすぎないように」
セランは苦笑しながら背もたれに身を預けた。
「……君は本当に、余韻を壊すのがうまいな」




