第1話 間違えてますよ、王子様
「リゼーーーーッ!!大変だああああ!!」
裏庭で摘んだばかりのセージを手に、リゼは思わず振り返った。父エルマーが、真っ赤な顔で庭を駆けてくる。
「だ、第2王子殿下から婚約の打診が来たぞ!!」
「……誰に?」
「お前にだ!リゼ・アルトリーナ様って書いてあった。第2王子殿下から正式な書状だ!!」
リゼはセージを落とした。薬草茶どころではない。
「私、何かしましたっけ?」
「いや、してないだろう!してないよな!?図書館で何かあったのか!?」
「本を並べてただけですけど……」
「それだ!!」
「それで婚約はおかしいでしょ」
王宮から届いた書状には、確かにリゼの名前が書かれていた。
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リゼ・アルトリーナ様
貴女の知性と品位に深く感銘を受け、心より敬意を表します。
つきましては、婚約のご意向を賜りたく、謹んでお願い申し上げます。
セラン・ルーク・フォン・フェルミルナ
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父は泣きそうな顔で言った。
「うちのような弱小子爵家に、王子様が…」
「間違えてますよね、これ」
「いや、でも宛名は合ってるし……」
「お話したことないです。というか、顔も見たことないです」
「じゃあ、なぜ……?」
「きっとどなたかと勘違いされているのだわ」
リゼは机に向かい、筆を取った。
「返事を書くのか?…なんて?…」父が涙目で見ている。
「間違いは正しませんと…」
「間違いかどうかはわからないぞ。一度お会いした方が…」
「たぶん、何か勘違いしているんでしょう」
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セラン・ルーク・フォン・フェルミルナ王子殿下
この度はご丁重なるご連絡を賜り、誠に光栄に存じます。
しかしながら、私には殿下とのご縁がなく、婚約のご意向につきましても、心当たりがございません。
また、我が家は王国貴族の末端に位置する子爵家にて、王家のご期待に添える立場ではないと存じます。
誠に恐縮ではございますが、念のため本件につきまして、改めてご確認いただけますと幸いです。
何卒よろしくお願い申し上げます。
敬具
リゼ・アルトリーナ
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封を閉じたリゼは、深く息を吐いた。
(こんな弱小子爵家に来るわけないじゃない)
そして、彼女はセージを拾い直し、薬草茶を淹れた。
いつもの朝が始まった——はずだった。
「リゼーーーーーッ!!大変だああああ!!」
午後の薬草茶を淹れようとしていたリゼは、またしてもセージを落とした。今朝よりも赤い顔のエルマーが、庭を駆けてくる。
「今度は何ですか」
「王子が!第2王子が!うちに来たっ!!今、門の前に馬車が!!」
「……は?」
「そこまで来ているんだ!!うちの門に王宮の馬車が来るなんて、前代未聞だ!!」
リゼは茫然とその場に立ち尽くした。
馬車の扉が開き、絹のマントを翻して現れたのは、まぎれもなくセラン第2王子殿下。深紅の刺繍が施された礼装は、王城の儀式にふさわしい格式をまとい、足元のブーツさえ泥ひとつついていない。
陽光を受けて淡く輝く金髪は、風に揺れるたびに光の粒をまき散らすようだった。澄んだ湖面を思わせる碧眼が庭の草花を一瞥し、リゼの家を見上げると、満足げに頷いた。だが、その姿は、この庭の素朴さにはあまりにも不釣り合いだった。
「やはり、君の家も整っている」
「??」
「庭の植栽が自然な高さ順。色味も季節に合わせて配置されている。完璧だ」
(裏の薬草が勝手に生えてるだけですが…)
エルマーは、王子の姿に感動していたが、ハッと気づきすぐに気を取り直した。
深く一礼し、落ち着いた声で迎える。
「セラン殿下、ようこそお越しくださいました。このような小邸に足を運んでいただき、家族一同、身に余る光栄に存じます」
続いてリゼも丁寧にカーテシーをした。
「アルトリーナ子爵の娘、リゼにございます。殿下をお迎えできますこと、心より嬉しく、身に余る喜びと存じます」
「ご丁寧なご挨拶、感謝いたします。アルトリーナ子爵、そしてリゼ嬢」
セランは柔らかな声でそう返し、軽く頭を下げた。
「突然の訪問、驚かせてしまったかもしれませんが、どうかお気遣いなく。本日は、直接お話を伺いたく思い、参上いたしました」
リゼは戸惑いながらも、すぐに表情を整えた。
「恐れ入ります。どうぞ、こちらへ。応接室にご案内いたします」
アルトリーナ家の応接室は、装飾を最小限に抑えた静謐な空間だった。壁には何も掛けられておらず、窓辺の白いレースのカーテンが風に揺れている。磨き上げられた床と整然とした家具が、清潔さと秩序を物語っていた。
セランはソファに腰を下ろし、背後には側近が一人、壁際に控えていた。椅子には座らず、場の空気を乱さぬよう気配を消している。
向かいにはエルマーとリゼが並び、すでに茶器が王子の前に置かれていた。淡い琥珀色の湯気が静かに立ちのぼり、ほのかな香りが空気を満たす。
「おいしい。香りが柔らかくて、落ち着きますね」
セランは茶を一口含み、微笑んだ。
エルマーは、意を決して声を発した。
「殿下、本日のご用件を、伺ってもよろしいでしょうか」
「リゼ嬢にお会いしたく、伺わせていただきました」
セランはエルマーにそう言うと、リゼに向き直った。
「今朝の書状は、読んでくれたね」
「…はい。間違いかと存じまして、お返事をお送りいたしました」
「拝読した。だが、間違いではない」
(間違いじゃないの??)
「あの……王子殿下とは、これまでお目にかかったこともございません。どうして、私などに……?」
リゼは言葉を選びながら、丁寧に問いかけた。
王子からの書状を受け取ったときも、何かの手違いだと思った。それでも、こうして目の前に現れたということは…
(本当に、私に向けられたものだったんだ)
セランは、まっすぐに彼女を見つめた。
その瞳に、迷いはなかった。
「王立南図書館で司書をしているよね。そこで君のことをずっと見ていたんだ。そして、……君しかいないと確信したんだ」
「……は?」
(何を言っているのか意味がワカラナイ)
表情はなんとか冷静を保ちながらも、内心パニックになっていた。
「君は、毎朝決まった時間に新聞・雑誌・図鑑コーナーの棚を整えている。本の高さ順、色味のグラデーション、分類の精度。誰も気づかないような微調整を、君は黙ってやっている」
「……仕事ですから」
「昼には、薬草関連の書籍を読みながら、メモを取っている。そのメモの端に描かれた草花のスケッチが、また繊細で美しい」
「……ただの趣味です」
「返却された本を丁寧に拭いて迷いなく棚に戻している。 君のその流れるような動きが空気まで澄んでいるように感じる」
「……ただの作業です」
「その全てが、僕には愛おしい」
リゼは、頭を抱えたくなった。
(私を見てたって本当なんだ…怖すぎるんですけど…)
父は、感動で震えている。
リゼはどうにか平静を装い反論する。
「王子殿下。私は普通に返却された本を拭いて、分類して、棚に戻しているだけです」
「それが、僕には理想なんだ」
「……それ、ただの業務です」
「君の業務が、僕の心を整えてくれた」
「……それ、ただの棚です」
「その棚が、僕の人生の指針になった」
リゼは、天を仰いだ。
(話が通じない…)
リゼは助けを求めるように側近を見た。
眼鏡をかけ冷たそうな細い目つきの側近はゆっくりと首を横に振った。
リゼは、深く息を吐き静かに言った。
「……私の本の並べ方に感動してくださったのなら、婚約ではなく、王城の図書室での勤務を提案してください。仕事として評価されるならば、検討させていただきます」
セランはすぐに首を振った。
「違う。僕は、君の仕事ぶりに惚れただけじゃない。君が棚を整えるときの静けさ、手の動き、空気の澄み方――それを生み出す君自身に惹かれたんだ」
「それは、ただの作業です。感情を込めて並べているわけではありません」
「でも、君の作業が、僕の心を動かしたのは事実だ。僕は、君の存在そのものに惹かれている。本の並べ方も、言葉の選び方も、静けさも――全部、君だから意味がある」
リゼは胸の内で言葉を探していた。
(どういえばわかってもらえるんだろうか…)
リゼは、数秒沈黙したのち、ゆるぎない意思を伝える。
「王子殿下。私が何を考え、どんな価値観を持っているか、あなたはご存じないでしょう?私も王子殿下のお考えはわかりません。お互いに知らぬままで婚約など、考えられません」
セランは一拍おき、リゼをまっすぐ見つめた。
「では、お互いを知るための時間をもらえないだろうか」
リゼは、無言のまま彼を見つめた。
その視線には、まだ警戒と距離があった。
セランは、その空気を感じ取り、声の調子を少し落とした。
「今日は突然の訪問で驚かせてしまったね。君の日常に踏み込んでしまったこと、申し訳なく思っている。だからこそ、次はきちんと場を整えて、改めて君の時間をもらえないだろうか。一度だけで構わない。王城で、話す機会をもらえたら嬉しい」
その言葉には、押しつけがましさはなかった。
「来週のこの時間はどうだろうか。無理にとは言わないけど、君が来てくれるなら……僕は、嬉しい」
(断ることなんて、できるわけないじゃない)
「……承知いたしました」
リゼは、しばらく考えていたが、あきらめたように了承の言葉を口にした。
セランはホッと笑顔になり、
「次に会える時を、楽しみにしてるよ」
そう言うと、満足げにうなずきその場を後にした。
王子を見送った後、玄関の扉が「カチャン」と静かに閉まる。
その瞬間、リゼと父はまるで糸が切れた操り人形のように、同時にしゃがみ込んだ。
「なんだったんだ、今の……」
「なんでこんなことになったのーーーっ!」
アルトリーナ家より帰りの馬車の中、セランは満足げに息を吐いた。
「悪くなかったよな?」
側近ユリウスは、眼鏡越しに王子を見た。
「殿下。”悪くなかった”ではなく、”ギリギリ首の皮一枚つながった”ですよ」
セランは苦笑しながらも、どこか楽しげに言った。
「でも、彼女、次に会うことを承諾してくれたよ。あれ、希望の光じゃない?」
「希望というより、とりあえず追い返すための最低限の礼儀です。あれに意味を見出すのは、殿下のポジティブ脳の暴走かと思われます」
セランは、笑いながらも少しだけ真顔になる。
「これからが本番だ。確実に進めよう」




