第58話「CIOとの交渉(前編)」
龍馬は思った。
――あの組み合わせ、無敵じゃないか?と。
取りつかれたように、彼は毎日コンビニへと足を運んだ。
そこまで旨いのか?と気にはなる。
だが、俺はダメだ。
“つぶあん”であろうと≪こしあん≫だろうと、小豆そのものがNG。
よく人から、
「えっ、あんこ美味しいのに、なんで嫌いなの?」と不思議がられる。
でも俺から言わせてもらえば――好きな人のほうがどうかしてる。
あんこ好きな人って、「甘すぎるのがダメなんでしょ?」って、
嫌いな理由をそう決めつけてくることが多い。
でも実際、嫌いな人の中には、
「こしあんならまだ食べられる」って言う人もいる。
そこに、あんこ嫌いの本当の理由が隠れてるんじゃないかと思うんだ。
つまり――小豆の皮が無理。
それが最大の理由なんじゃないかって。
あの皮が、もともと水分をあまり含んでいないあんこの中で、
口の中にいつまでも残って、旨さよりも不快感を与えてしまう。
……そう、俺にとってあんこは、味じゃなくて“食感の罠”なんだ。
龍馬は昨日に続き、今日もコンビニに向かっていた。
そして、いつものように牛乳をピックアップし、パンコーナーへ。
棚には、あんパンがひとつだけ。
あんパンが品切れるなんて思ってなかったから、出遅れた。
最後のあんパンに、同時に手を伸ばしたふたりの男。
ひとりは、坂本龍馬。
もうひとりは、葉月。どこか場慣れした雰囲気をまとった男だった。
「少し、僕の方が速かったようだね。でも君の表情を見れば、わかる。
きっとこのあんパンは、君が買った方が良い。」
そう言って、葉月は微笑んだ。
その声には、
数えきれない交渉の場をくぐり抜けてきたような落ち着きがあった。
龍馬は一瞬、相手の目をじっくり見た。
どう考えても、ただのパン好きには見えなかった。
けれど、どこか憎めない、不思議な空気をまとっている。
「おんしゃも、あんパン好きながか?」
「昔から好きかな。煮詰まった時に牛乳と一緒に食べてた。
甘さが、思考の角をまるくしてくれるんだ。」
「おお、奇遇やに。わしもそれが一番好きながよ。」
ふたりの間に、ふっと風が吹いたような静けさが流れる。
言葉は少ないけれど、何かが通じ合う。
それは、理屈や立場を超えた“感覚”の共鳴だった。
葉月が立ち去ろうとしたそのとき、龍馬は追いかけた。
葉月の目の前に立ち、あんパンをふたつに割り、
追加で買った牛乳をひとつ差し出した。
「君、変わってるね。」
そう言いながらも、葉月は手を伸ばした。
その夜。
小料理屋の暖簾をくぐると、
カウンターの端に見覚えのある背中があった。
葉月だった。
龍馬は一瞬、声をかけるか迷ったが、気づけば隣に腰を下ろしていた。
「おお、また会うたのう。」
「やあ、君も来たんだね。…やっぱり、
牛乳のあとにしょっぱいものが欲しくなるのかな?」
「ははっ、よう分かっちゅうやんか。
甘いもんのあとには、塩気が恋しゅうなるき。」
ふたりは湯豆腐をつつきながら、ぽつぽつと話し始めた。
話題は、自然と昼間のあんパンに戻る。
「けんど、あんこって、好き嫌い分かれるのう。」
「うん。僕の友人にもいますよ。あんこが苦手な人。
“皮が口に残る”って、よく言ってましたね。」
「おお、それや!まさにそれながよ。
あの皮が、なんかこう…口の中でずっと居座るがや。
味はえいのに、最後に残るのが皮って、なんか損した気分になるがよ。」
葉月は思わず笑ってしまった。
「君、面白いね。そんなに真剣にあんこの話をする人、初めてですよ。」
「わしにとっちゃ、深刻な問題ながやき。
あんパン買うとき、いつも“こしあん”か“つぶあん”かで命運が分かれるがよ。」
「なるほど。じゃあ、今日のは?」
「つぶあんやった。けんど、おまんと半分こしたき、
なんか…皮のこと、忘れちょった。」
葉月は少し驚いたように目を見開いた。
そして、静かに言った。
「それは、嬉しいな。
君にとっての“食感の罠”が、少しだけ和らいだってことだろう?」
「まあな。…けんど、あんこはやっぱり、油断ならん。」
ふたりは笑った。
その笑いは、あんパンの甘さみたいに、じんわりと心に染みていった。
そして、ついに…
あんパンで始まった縁が、カードゲームの未来を動かす。
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