第52話「暗雲」
上空は黒く厚い雲で覆われ、時折風が激しくなり、
今にも嵐になりそうな空模様の中、研究室の中央で、
澪を人間の姿に戻すための準備が着々と進んでいた。
いかに理論上安全の保障がなされているとはいえ、
過去はもちろん、おそらくこれからの世界でも、
前例がない施術。不安がないというと嘘になる。
だが、颯真への信頼、澪の覚悟と決意の前では、
不安という言葉は、その意味を失っていた。
雨が激しく振り出した。外を見ると昼過ぎなのに、
景色は、夜を思わせる闇をまとっていた。
澪は静かに目を閉じ、心を整えるように息を吐いた。
そして、ゆっくりと颯真に向かって言葉を紡ぐ。
「人間に比べれば、猫の姿は不自由なことも多かったわ。
でも、それは人間の目線で見た話。猫として過ごす分には、
むしろ快適だったと思う。 ……それでも、私は人間。
確かに猫の姿には愛着がある。
けれど、人間として果たさなければならないことがあるの。」
澪は大きく一度、深呼吸をした。
その瞳に迷いはなく、ただ未来を見据える光が宿っていた。
「颯真、いつでも始めてくれていいわ。」
「……わかった。」
短く応じた颯真は、静かに息を整え、研究室の中央へと移動する。
その声は落ち着いていたが、確かな決意を帯びていた。
「ここに宣言する――本施術は未曾有の試みである。
不安を超え、覚悟を胸に刻み、我らはその責務を果たす。
この瞬間をもって、施術を開始する。」
俺が如月兄妹の開発したChronoSeedと出会ってから、もう12年。
こいつの本質は、未来と過去をつなぐ演算装置なんだよなっ!
「頼むぜ!ChronoSeed!施術開始だ。ChronoSeed起動!」
研究室の照明が一瞬落ち、モニター群が次々と点滅する。
電子音が重なり合い、リズムを刻む。
颯真は落ち着いた声で、早口に畳みかける。
「ChronoSeed起動シーケンス開始!第一層アクセス承認、
第二層リンク確立、第三層エネルギー流入安定化!
全系統チェック完了、外部干渉遮断、内部回路同期率、
百分の九十九到達!全系統チェック完了!」
その瞬間、モニター中央に巨大な文字が浮かび上がる。
《CHRONOSEED SYSTEM ONLINE》
赤と青のインジケーターが交互に点滅し、電子音が高鳴る。
外の嵐と共鳴するように、研究室全体が低く唸りを上げた。
俺は、起動を確認すると、澪の猫型アバターを仮の器と認識させ、
人間型データに再構築するための演算を開始するよう操作した。
するとChronoSeed全体を青白い光が脈動して回転音が響く。
次のフェーズに移る。
猫の姿で過ごしていたデータをChronoSeedに同期させる。
この記録こそが、人間化アルゴリズムの鍵となる。
やがて仮想殻が剥がれ落ち、量子レベルで意識と身体のデータが、
再フォーマットされる。 浮かび上がるのは、人間の姿。
だが澪が完全に人間へ戻るまでの間、
演算能力の不足は俺が補うしかない。
ChronoSeedの暴走を防ぐため、
俺は全力で制御を担う。
マンパワーの限界を超えてでも。
「これで俺のやれることはやった。
あとは……澪の気持ち次第だ。」
その時、澪の姿が光に包まれ、輪郭が揺らいでいた。
外の嵐は、荒れ狂い、澪を試すかのように迫る。
果たして澪は……?
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